「●●ですから!残念〜!!」

 ギターを手に、数々の有名人を斬る芸で一世を風靡した“ギター侍”こと波田陽区。

 しかし、いつしか“一発屋”と呼ばれるようになり、東京での仕事も激減する。

 芸人として行き詰った波田は、昨年、活動の拠点を九州・福岡に移したという。彼の現状を探るべく、自身も一発屋を自称する髭男爵・山田ルイ53世が福岡へと渡った。波田の現在を山田がルポする。(以下「新潮45」8月号「一発屋芸人列伝」より抜粋より引用)

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 2016年春、波田陽区は、妻子を伴い活動の拠点を地元に移した。

「丁度、子供が小学校に上がるタイミングで、自分の環境を変えるには、もうここしかないと」

 地元と書いたが、正確には生まれ育った山口にほど近い九州の福岡。そこには彼の所属事務所の九州支部があった。

 一発屋、地元へ帰る……「故郷に錦を飾る」などというが、それとは程遠い帰郷。

 彼の錦は既にボロボロ。

 見る影もない。

 吉本興業のプロジェクト「住みます芸人」が、全国各地に移り住み、独自の活動を展開している時代。地方に拠点を置くことは、今や別段珍しくもない。実際、波田が籍を置くワタナベ九州の功労者、“パラシュート部隊”の二人と“ゴリけん”は、十年以上前の2006年に福岡へ移り住み、かつて博多華丸・大吉も在籍した福岡吉本一色だった土地で、ゼロから仕事を開拓し人気を得た。

 しかし、一世を風靡した、全国区の知名度を誇る“一発屋”が地方に移り住み活動したという例は聞いたことが無い。その意味で、波田の決断は画期的だったと言える。芸の発明ではなく、生き方の発明……一発屋の働き方改革である。

髭男爵・山田ルイ53世さんのルポが掲載の「新潮45」8月号

「『東京から逃げた』『福岡舐めるな!』と言う人もいると思う。でも、決して福岡を舐めて来たわけじゃないし、東京に戻りたいとは一切思わない。お笑い芸人として福岡にずっと住むつもりです」

 と語る波田の表情は、移住前の話の際とは打って変わってキリッと男前である。

 福岡での仕事の状況を尋ねると、

「一日に2、3個仕事が入る時もあり、『働いてる! 人に必要とされてる!』と凄く嬉しい。事務所や先輩……色々な方が助けてくれて、“今は”一つ一つの仕事に感謝してます」

(“今は”……?)

「九州方面の営業が増えました。東京から芸人を呼ぶより交通費がかからないから有利なんです!」

(そんな生々しいこと言わん方が……)

 遠くの売れっ子より近くの一発屋。赤裸々な仕事事情を明かしてくれる波田に、筆者が前週、営業で小倉と鹿児島に招かれたなどとは口が裂けても言えない。


つづく

2017年7月23日 8時2分 デイリー新潮
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/13374168/

写真
http://image.news.livedoor.com/newsimage/3/2/32a79_1462_c08c0ac1_5e2c77f0.jpg