■Jリーグ創設時から日本サッカーを知るリトバルスキー氏が、育成の問題点を指摘

「ドイツでは他と違うものを持った子を発掘しようとする。でも日本は、上手いけれども環境に適合する子だけを求める傾向がある」――ピエール・リトバルスキー

ピエール・リトバルスキーに最後にインタビューをしたのは、アビスパ福岡の監督在任中の2007年だった。

1993年のJリーグ創設時にジェフユナイテッド市原(現・千葉)に加入した元西ドイツ代表の名ドリブラーは、日本サッカーの急激な右肩上がりを見てきただけに、
2006年ドイツ・ワールドカップのグループリーグ初戦でオーストラリアに1-3と逆転負けしたことには、怒りさえ覚えている様子だった。

「最初に来日した頃は、みんな僕のサインを欲しがった。でもしばらくすると、平気で脛を蹴ってくるようになったよ(笑)」
インタビュー当時の日本サッカー界では、MFにばかり人材が集中し、サイドアタッカーやストライカーが育ってこないことが問題視されていた。

「大半の国では『いかに生き残るか』という教育が施されている。でも、日本は違う。いかに周囲とバランスを取るかが強調される。
しかしサッカーは、時にはエゴイスティックになる必要のあるスポーツだよ。みんなと調和していくことばかりを教えられた子供が、18歳でプロ契約をした途端に変われるものではない」

そう言って、リティは冒頭の指摘をした。

日本にストライカーが育たない理由「一番大事な仕事への“言い訳”を探すようになる」
「ドイツでは子供の試合で親同士が喧嘩をするのは当たり前だった。今でも覚えているよ。7歳の時、僕は母にこんなふうに怒鳴られた。『絶対にそんなチビに負けるなよ! さっさとやっつけろ』ってね」

リティは、日本でMFに人材が集中するのは、バランス重視の教育や風土が影響していると見ていた。

「結局、中央でプレーするMFは、環境に適合しようとするタイプが多い。
でもアウトサイドの選手は、1対1でしっかり相手と闘わなければならない。またストライカーは、パサーに対して責任を負う。

そこでみんなを怒らせてはいけないと、リスクを冒すのが怖くなる。そして点が取れなくなると、その分を他のことで補おうと考えるようになるんだ。
前線から守備をしたり、周りを活かそうとしたり……。一番大事な仕事に対する“言い訳”を探すようになる」

この夏にも、19歳の堂安律がガンバ大阪からフローニンゲン(オランダ)へ、20歳の鎌田大地がサガン鳥栖からフランクフルト(ドイツ)へ移籍した。

二人ともMFではあるが、アタッカー色が濃く、特長を活かすためのエゴも適度に備えた選手である。
そういう意味では、あれから10年が経過し、日本のサッカーを取り巻く環境も少しずつ変化してきたのかもしれない。

THE ANSWER 2017.07.03
https://the-ans.jp/column/5838/