【芸能】笑福亭仁鶴が仕事復帰 吉本興業にスカウトされた裏話を披露 [無断転載禁止]©2ch.net
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2017.6.18 05:01
落語家、笑福亭仁鶴(80)が17日、大阪市北区の天満天神繁昌亭で「3代目林家染丸五十回忌追善落語会」に特別出演し、仕事を復帰した。妻でタレントの岡本隆子さん(享年72)が2日に亡くなり、喪に服すため仕事をキャンセルしていた。
3代目林家染丸との思い出を語るコーナーに登場。吉本興業にスカウトされた裏話を披露し、「大変お世話になった。よう、お小遣いくれはった」と笑いを取る一幕もあったが、隆子さんについて話すことはなかった。
愛妻の死から約2週間。仕事復帰のため、会場入りした笑福亭仁鶴(大阪市北区)
http://www.sanspo.com/geino/images/20170618/geo17061805010012-p1.jpg
http://www.sanspo.com/geino/news/20170618/geo17061805010012-n1.html 四角いにかくが丸くおさめまっせ、の相談番組、
よぼよぼで見てられん、もう休んだら
あとゲスト棒読みだし。 昼休み時間に流すTVはアレくらいでいい.昼休みの終わりが分かるし 笑福亭松鶴の流れで松竹に入らんかったのは、
なんか確執があったの? 仁鶴が「はい可朝」ですに出た時、染丸に仁鶴がええて言ったのは月亭可朝だったというはなしをしてたな。
戦後、演芸をやめてた吉本は昭和34年に演芸を再開したが所属してる落語家が少なく、
昭和37年ごろ三代目林家染丸が元弟子の桂小米朝(後の月亭可朝)に
誰かおらんか?と聞いたら小米朝が仁鶴いうのがおるでと仁鶴を推奨したという話しだった。
そして三代目染丸は六代目松鶴に仁鶴を吉本へとお願いすることになった。 >>6
松鶴師匠が上方落語普及のために、当時落語家の少なかった吉本に入れた 戦前戦中、春團治、松鶴の名前は吉本の大看板だったが吉本せいと揉めてた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています