弱者男性という語で社会的弱者の範囲を拡張したことは認めますが、その理由は書きました
誰もが弱者男性となる訳ではなく、どんな概念でも社会的弱者となる訳でもないです
もし服部氏が社会的弱者であることを否定するなら、服部氏が弱者男性であることか、
弱者男性が社会的弱者であることを否定する必要があります

社会への復讐については、対象が「誰でも良かった」ことでむしろ成り立つと考えます
反対に私怨であったり、殺害対象と犯人の間に関係性がある場合は成り立ちません
たとえば京都アニメーション放火殺人事件の犯人は、対象が京アニである必要があるので社会への復讐とは言えません
服部氏がもし叱責してきた上司を殺害していたなら上司への復讐にはなりますが、社会への復讐とは言えません

誰でも社会的弱者になる訳ではなく、また社会的弱者の起こす事件がすべて社会への復讐となる訳でもありません