>>49
それは何を社会的弱者とするかによります

少し脱線しますが、「なぜ人を殺してはいけないのか?」についてニーチェ研究者の永井均は次のように書いています

『二つの応答の可能性が考えられる。一つは「私には愛する人などいないし、自分自身もいつ死んでもかまわないと
思っている」という応答である。この応答に強い説得力があるのは、自分がいつ死んでもよいと思っている者に対して、
いかなる倫理も無力であることを、それが教えてくれるからである。何よりもまず自分の生を基本的に肯定していること、
それがあらゆる倫理性の基盤であって、その逆ではない。それがニーチェの主張である。』

24歳の服部恭太(自称)の供述からはこの「自分の生を基本的に肯定していること」が欠けていたことが伺えます
服部氏が参考にした小田急の事件の動機が「幸せそうな女性を見ると殺してやりたい」「女性なら誰でもよかった」であったこと
京王線事件の前日に発生したニューヨーク市の放火事件(※)の動機が「店のオーナーとの口論」であったことと比較すると
服部市の「死刑になりたかった」「仕事や友人関係がうまく行かなかった」の動機の消極性は明白で、
まるで、自分の生が肯定できないので仕方なく犯行に及んだかのようです

外面的なものはどうあれ、自分の生を肯定できない事態こそが社会的弱者の条件であり、服部氏はその条件に当てはまるのではないでしょうか


https://nypost.com/2021/10/31/molotov-cocktail-attack-at-nyc-deli-captured-on-video/

続きます