名無しとコテの劇場版「雑談スレッド」無限列車編
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デーヴァーナンピア=アショーカ
デーヴァーナンピア=ピヤダシ
二つの表記にデーヴァーナンピアという共通点があった!
だからアショーカ=ピヤダシだっていう短絡思想が現代の学説 でも英語wikiだとたしかに並記されてるってあるな
そのソースが…わからんけど >>241
本当かよこれ〜〜 考古学者が
捏造で書き足したのでは… くっそ、英語だし全然わかんねえけど
要するにアショーカとピヤダシの文字が一緒に石碑に刻まれてるからアショーカ=ピヤダシだろうということだよな もしピヤダシ王がアショーカ王なら仏滅年代は
大幅にズレます… 今年で2969年ではなく
アヤフヤになる… うわーん 考古学には捏造はつきものだと思う
手柄を立てたい人が… そうなると>>239は何なの?って話になるし、晃さんが無知なだけ説が濃厚になってくるよな(チラッチラッ 苗字が同じだと同一人物なるとか考古学で良かったな
警官だったら冤罪が果てしなかった 仏滅年代が大幅にズレるとどのように困る感じですかね?
数字に意味はないのではないでしょうか
という提案 なかなかに「あ、しょーか」って言えるタイミング来ないから寝るわ
帰ったら東大王終わってたし まあ晃は紀元前949年説を堅く信じてるので
同一人物説は受け入れられないんですな
>>247
おそらくアショーカ=ピヤダシを確実にするために
後世の誰かが並記して捏造したんだと思うんだよな >>249
末法がズレて日蓮はそもそも末法に生まれてない
ということになります >>248
靴のサイズが一致したら個人特定される物語もありますもんね
現代日本で良かった >>251
道間違えたときに「地図が間違ってる」とか言い出すタイプだな >>250
それはちょっと思い浮かんだけど使うには至らんよな。いい夢を >>252
解決策は3つ提案します
・日蓮さんの生まれをもう少し後世だったことにする
・末法がもう少し早く始まっていたことにする
・末法に生まれてなくっても気にしない
>>254
自分も地図も正しいのに道が間違ってる派かも? >>250
アショーカ王のお名前の由来は花の無憂樹(アソッカ)らしいですよ
ハッ…!! しまった…!!>>139 この道おっかしいんだよなー!?みたいなかんじか。怖いよそいつ 旧石器捏造事件ってあったやん
考古学って けっこーいい加減だと思うんだけど 自分も極度の方向音痴なのでよく解ります
毎回道が変わる「不思議なダンジョン」て実在するんですよね 都に反対だもん。道で行くべきだもん
人生とは道だもん
思い出したり振り返ったりしながらも、歩き続けるしかないんだもん
人生、遠回りも悪くないもん
はれて大阪道になった暁には日本中の道の駅に大阪人を派遣し、われら大阪の出張所とするもん 旧石器捏造事件 しらんかな
石器を自作自演で埋めて 掘り起こして
「大発見だ〜」って神の手と呼ばれた人がいたんだけど
その嘘がバレて 義務教育の教科書が見直しになって
大学受験にも影響が出たとかいう… まじめにコツコツ 発掘 探索してる人
おるんかな?てか 何も掘り当てなければ
大半の人が人生を無駄にするじゃん
だから 捏造したろって人は
考古学は実は多いのではないか?と疑ってしまうな まーこれも 晃の、こじつけに過ぎないかもね
でもアショーカ王がもしピヤダシ王なら
もう日本の仏教界ぜんぶが、ほぼ全滅だからね 信じたくないから信じないってだけだろ。やはり盲目だよな 考古学って旧人類はどんなセックスをしていたか?ばかり調べてる学問やと思ってたわ
発掘に人生かけるとはな もしかして私はとんでもない画像を晃さんに提示してしまったのだろうか…
昔はアルファベットの化石が発掘されたりして大変でしたよね てか今は末法だから
仏滅年代が分からなくなって当然なんだな
それが末法思想なんだよな
だから 色んな説が並び立って
何が本当か分からなくなってることが
逆説的に仏説の証明になってる >>270>>272
少なくとも晃の信じる説は
2969年前とはっきり言えるが
現代の学説は約2500年前とアヤフヤで
よく分かってないとしか言えないってことだな コレが正しい!って突っ切るよりは、こういうところが人間味あるんだよなあ 晃さんは盲信するのが正しいという考えなんだろうけど、よくわかってないものに関してはよくわかってないと言うのが正しい姿勢だと俺は思うよ >>276
了義によりて不了義によらざれ
という法四依があるかぎり
はっきりクッキリ説を支持して
よーわからん…説はしりぞけることになるな
Devanampiyasa Piyadasino Asokaraja
がピヤダシ
がアショーカ
じゃあその間の のnoはなんだろうか? 何らかの文章の途中かもしれないですよね
「並んでたから同一人物」はまだ1件しか見られないですしこの時点ではなんとも
かといって「並んでないから同一人物ではない」もなんとも…ニントモカントモ 晃の勝手な見解を言ってしまうと
のは英語でいう前置詞のlikeみたいな意味で
Piyadasi no Asokaraja で Piyadasi like Asokaraja という風に
アショーカのようなピヤダシ という意味だと思う
アショーカ王の再来か?と言うような意味合い アショーカ王が統治したマウリア朝は紀元前3世紀と言われるけど
仏典のアショーカ王が統治した王朝は紀元前9世紀(でなければならない……) だから晃としてはすでに定説となっている
アショーカ王=ピヤダシ王の論調に異を唱えるしかない
このPiyadasi no Asokaraja の並記にしても
no になんらかの修飾的な意味があると考えて
2つの名前を同一人物と考えることは出来ない 昨夜に言った捏造で考古学者が書き足したという説は流石にない、として
との間にあるのnoの意味を見落としてるのでは?とは思う ピヤダシ王は仏教を国教にしてはないんだよな
仏典によるとアショーカ王は仏教を国教にしたんだけどな
ただピヤダシ王はアショーカ王のように
インドの大半を支配下に置いたから
当時の民衆はピヤダシのことを「まるでアショーカ王みたい」と
思う人はたくさん居たことは事実だと思うんだよな ピヤという文言で小島よしおを思い出しググった所、ピーヤの休日という名前で元気にYoutube配信していたよおはようございました
>>21
俺ならこう
隣…永野芽郁
前…深田京子
斜め前…田部未華子
>>20
ソーシャルディスタンスで人数制限あるから上映回数増やすしかないとかかな
TENET観ました? >>284
わからん no はどんな意味があると思う? …ピヤダシ
…????????
…アショーカ
…王
なんだろうね この Google翻訳先生はブラフミー文字には対応してないから… https://i.imgur.com/5xtamoV.jpg
ピヤダシはアショーカ王の形容詞と考える人もおるかもしれんが
西洋にはピヤダシは固有名詞として伝わってるらしいし
アショーカについて西洋人は認識してないことが分かる >>289
「ブラフミー」は文字のことで日本で言う「ひらがな」みたいなものみたいですよ
言語としては「プラークリット」かな?
>>287
すみませんインド・ヨーロッパ語族でも特にインド・イラン語派の知見がまっったくないので想像もできないですね…
>>290
引用元も書いて頂けるととても勉強になります >>292
E. Benveniste, op. cit. pp. 143-144.
↑こう書いてるけど どう探せば良いのか分からん E. Benveniste, Edits d'Asoka en traduction greque, JA. 1964, pp. 137-157.
これと同じか >>294
ありがとうございます
晃さんが貼った日本語の文献のタイトルなり著者が分かればと思いまして >>294と>>295が同一文献か否かはアショーカとピヤダシが同一人物か否かと同じくらい疑義が残りますね… >>296
インド-ヨーロッパ語族の言語学者の中には
晃と同じ意見の人もいるんやなって安心したわ… >>297
いや、これは先に提示した題名の省略らしいから
同じ それにしても>>265でも言ったけど
旧石器捏造事件の衝撃ったら、無かったわ
当時、おれ学生だったんだけど
「はぁ?考古学って胡散臭っ!」って思う
キッカケになったなこれ…
だから、ほとんど全ての歴史を晃は疑ってる >>299
ああ“op. cit.”は「直前の引用文献と同じ」ですよね
>>294と>>295の並びが分からなかったので
>>290で貼った画像は何という日本語の文献からですか? >>302
>>293と同じだよ すまんわかりにくくて 中学のころ一番好きだった社会科の先生が
「歴史は常に書き換えられる」って言ってたのが印象に残ってる いや…この言語学者のバンブニストは「異名」としかいってなくて
晃みたいに、アショーカとピヤダシは別人説までは言ってないのか…… ああスマソさんが貼ってくれていたのですね失礼しました
リンクを開けなくて断念してました >>306
西洋でピヤダシ王として有名なのは
実はアショーカ王だった!って説と
いやピヤダシ王として有名になったのは
ピヤダシ王で アショーカ王とは別人という説
どっちを信じますかぁ…? 自分が信じる経典との辻褄が合わないのは困るからと都合の悪い説は捏造扱いしたり
否定ありきで物事を捉える様子はまさに信者ってかんじで感動すら覚えるけど
思ったのは盲信ゆえに否定のパワーも凄いってことだな
ときに事実をねじ曲げてしまうくらいのものすごい信仰のパワーは盲信ゆえに産み出されるものなんだろう 自決しました
>>290の引用元は
アショーカのギリシア語碑文. 久保田 周. 『印度学仏教学研究』 第24巻第1号 (1975): 474-471. >>312
事実とはなんだ?それを今検証してるのだが… ゲソが否定ありきで大乗仏教および信者を考えるのも
似たようなものだろうと思う >>315
俺のどこが否定ありきなの?
晃さんは明確に否定ありきだけどな まともにお話ができることが、本当に嬉しいです。
それは宗教によって様々な状態を表すように、私のいまの心も響き合えるようで
一人きりで、何か。もがいたり、それでもこうして感覚を共にできることが
どれほど嬉しいか。 紀元前949年説を頑なに信じているからマトリョーシカ同一人物説は受け入れられないって盲信以外の何者でもないだろ 阿育王は紀元前840年代頃に出現したと
東洋史では常識だった ゲソ殿は我々の祖先は皆
盲信のアホだったと申すのか…?いかん? 手法の是非はともかく木馬伝説を信じてトロイ遺跡を発掘したシュリーマンさんのような人もいますし 言語道断なり……ザシュッッ
時代が時代なら、っぱ、殺生案件だわ…… 盲信かどうかは信じる根拠によるよな。晃さんの場合は紀元前949年説が間違いだとは思いたくないから都合の悪い説は捏造だー姿勢だから盲信ですよこれは 信仰っていうのはしばしば目を曇らせるって話だよ
政治思想でも右に偏ってる人、左に偏ってる人、これらもフラットに物事が見れないから
情報の取捨選択や思考が著しく偏ってるけどそれと同じ 紀元前949にすると日蓮大聖人が後五百歳のど真ん中に
ドンピシャで産まれたことになるから、すげーんだわ 仏教には理解者が必要だ。先祖を尊び果ては仏を愛し追従する。
自らの未来を築く力が、著しく低下することは、私も身を持って知るのです。
その活動の支えも、ですから、仏様への愛の道を支える理解者の存在はとても
ありがたいことでしょう。そしてそのことが成された時に確固たる歩みも
ですから、自分の境遇にも自覚なくてはいけないことだと思います。 デンジマン居着くかんじか。電波系は間に合ってるみたいなとこあるんだけどなあ >>304
どの立場で書いて、どの立場のやつが残していくかだよね
俺だって司馬遷みたいにちんこ切られたら事実として書いてるつもりでも偏ってしまうと思うわ なぜ信じるかの理由(ワケ)がお分かり頂ければ
けして盲信ではあらぬとご理解して頂けるでござろう…(チャキ)←刀を鞘に戻す >>329
長年、その職にいて 歴史は特に
教育改訂がコロコロあったんだろーな 教師で思い出したたけど、部室の冷蔵庫のアイス食べたらブチギレ教師のやつ、勘違いしてたわ
自分で買ったアイスですらなくOB生の差し入れやったんやな。それを13歳の子が食べて、殺しにかかる50歳って改めて引くわ
>逮捕された同校教諭(50)
>同部OBが差し入れたアイスクリームが部室の冷蔵庫からなくなり、部員2人が食べたと認めると、教諭が練習と称して暴行を始めた
>10回以上投げ技や寝技を掛け、途中で失神すると、ビンタをして起こし、さらに投げ技を繰り返した
>部活動中に柔道技を掛けるなどして男子部員(13)に背骨を折る全治3カ月の重傷
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202010/0013778340.shtml まぁどーせ生意気なクソガキ相手に
普段から指導してるんだろーから、なんとも 慣れというか、日常化してしまってたんやろな
失神してるやつを起こしてまた投げるって格闘漫画の世界やん
こういうもんはそれぞれの小さな小さなコミュニティの中で少しずつ少しずつズレていくんやろけど
とりあえず俺も母校にアイスの差し入れしにいくわ よっぽど舐めた態度だったんだろうコレ
アイス食べたのは、きっかけに過ぎず
普段の行いが アレだったと思うんだが…うーん
部活って先生も好きでやってるんと違うからなぁ
歳上を立てれなかったクソガキざまぁってなってしまうのは
俺がとことん古いタイプの人間だからか… とにかくひたすら弱者に優しく〜って
なってる風潮はあるネ! 生徒にビンタしたり頭突きで生徒の鼻を折ったり過去にも処分受けてるから教員の人格に問題があるんだよ
それはさておき運動部の中学生にアイスは猫に鰹節を預けるようなもんだと書いている人がいて言い得て妙だなと思ったわ おれはOBが差し入れ来るあたり その教師は
いちおう尊敬はされてると思うんだけど、どうかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています