山伏のオッサンと雑談
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>>9
つれないな〜
>>10
今は何も目指してないし将来の事はなんも考えてないよ
以前は「霊感を高めたい」とか「神秘をもっと知りたい」とかあったんだけど、なくなってしまった
自分の手の届く範囲で良くしていけたらなってくらい >>11
身の回りに自分より霊能力がはるかに強い人がいるので、自分じゃ言えない感じ
>>12
また俺だ!覚えてくれててありがとう >>14
霊能力って修行はじめる前から自分で何となく素質があると感じていましたか?
というか素質で感じられるようになるものなの?それとも修行すればある程度は誰でも感じられるようになるんですか? またおま定期
宗派変わるってそんな簡単にできるもんなの >>15
自分は加持(祈祷みたいなもん)を受けたら霊感出ちゃったんだけど、それ以前に自分に霊感あるとは思ってなかったよ
自分みたいなのはもちろんレアケース
もともと本家は神主も出てるし、そういう家っぽい
修行をして霊感高まることもあるらしいけど、例えば「見る」のはよっぽど修行しないと難しいみたい
ある行者は10年かかったと聞いたよ >>16
得度前だから問題ない感じ
紹介してくれた住職がゆるい人だからなんとかなった
宗派の上にひろい枠組み(天台系、真言系)があって、横のつながりが深い宗派もあるよ >>17
加持の意味ググってきました!
1さんは真がしっかりした人なんですね
そして見るのは時間かかるのか
腹くくってその道で頑張る人じゃないとたどり着けない場所なんですね >>19
もしかしたら幼少期は普通にあったのかも
でもそういう「霊的なものはない」と思い込んでたら、ない世界になってしまうよ
>>20
向こうは自分を弟子と認識してくれてるかは不明だけどね笑
でも最近は天狗にとらわれる事もあまりなくなった
自分は姿見えないので、霊的な存在は感じても、向こうが狐なのか天狗なのか解らんので、分からないことは気にしないことにした 厳しい修行の末に即身仏になった先人達をどう思う?
世のため人のために…という気持ちは素晴らしいけど、だったら修行よりも布教や慈善に尽力するべきだと思うし、
入定を最終目的に五穀断ちなどの苦行をして自分の遺骸をのこして世のため人のため言われても
悟りどころか人間の傲慢や驕りしか感じないんだが そこまでして自分の遺体を後世にのこした意味がわからないんだよね。
べつにその人達は仏陀でも空海でもないし、なれるわけでもないのに。 >>22
唯物的に考えると、あなたの書いてる通りあんなもの死体を残しているだけなので、自分を拝ませているように思えてしまうのは当然だよ
だけど、即身仏は自分は詳しくないのでなんとも言えないけど、なにか意味があってやったのだと思う
僕やあなたが理解できないだけ 僧籍を持って、明らかに周りの目が変わったよ
それまでは「変なことを言う人」「頭がおかしくなった人」みたいなポジションだったのが、立場一つで変わった 自分自身は当たり前だけどなんの変化もないし、むしろ僧侶って縁があれば簡単になれちゃうので、僧侶って思われるのが気恥ずかしい感じ
これからどうしていくかは何も考えてない 僧侶で食ってく方法だけど、「葬式屋」になるか「拝み屋」になるしかないんだよね >>31
役僧として入るつもりは……今のところないなぁ
大寺院のサラリーマン僧侶の事を役僧と言うよ
もちろん、修行にはもってこいなんだけどね 今の宗は霊能者が多いみたいで、安心してる
以前得度しようとしてた宗派は、自分みたいなのキチガイ扱いらしいので…… 自分は山歩いていて天狗にからかわれたんだけど、ファンタジーの住人の天狗が、この現象の世界に現れたので、
「まさに夢幻のごとしだ」
と思い、さらにそれから夢と現実が混ざったようになってしまった
それで、天狗にからかわれた時に、自分は「般若心経」を読んでたんだけど、般若心経はまさにその事を書いている 葬式屋のお坊さんが昔山伏してましたとか聞いたらすげえってなるのと、
それとは別に葬式屋じゃなさそうな、ただの?お坊さんだけしてるお坊さんの収入源が気になる 「この世界は幻想」です
この世界を幻想と観る事を仏教では「空観」と言う この世界は、水面に映る月です
水面に映る月は月ではなく水です
しかしそれはそれとして、美しさは本当の月とは変わらない
夜空の月が欠ければ、水面の月も欠けます
↑
これを僕は天狗から教わりました >>38
檀家がいない寺は祈願寺といわれてて、現世利益のために祈って食ってる感じだと思う
そのお布施で食べてるのかも
今はそういうお寺はどんどん減ってってるよね 月を映す水面を「ココロ」といいます
ココロが汚れたり、動揺したりすれば、月は違った姿になってしまう
修行はそのココロを清浄にするためです 心が汚れても動揺もしてないのに月が欠けたらどうすればいいんですか >>47
受け入れればいいと思います!
あれ?そういう意味じゃないって? >>50
コロナで流れた時は道から外されたか……と落ち込んでたよ
>>51
特定されるから
まっとうな商売です、とだけ 同じ修行をして得度した僧侶でも、ざっくりわけて、霊能力がある僧侶とない僧侶の2種類がいるわけじゃん?
たとえばお祓いや除霊を頼む際に、困ったすえに霊能力がない僧侶に頼んだところでちゃんと問題が解決するのだろうかと疑問なんだが。
それとも僧侶自身の能力は関係なくて、あくまでも僧侶は仏様との橋渡し的な存在で、仏様が動いてくれるのけ? こんばんは、寝られないから覗いたらレスあった
>>53
後者だよ
ウチラは郵便配達人みたいなもので、神仏に届けるのが役目だよ
霊感あろうがなかろうが、神仏と繋がっているなら同じこと
ただ霊感あるなら問題の解決の糸口は広がるかもしれない
霊感はあてにならないけどね 今もうしんどくなってきてる
もともとあまり精神強くないし、この道に半ば入らざるを得なかったので、普通の坊さんになるのもシンドイ 自分は3年前まで霊感なくて、突然に今の状態になって、もうずっと振り回されてる感じ
もちろん自分で決断してきたけど、修行なんてしたくない >>54
レスありがとう。先だっての即身仏の件でも。
へー、神社のシステム(宮司?禰宜?は仲介役で、実際に動くのは神様)と同じなんだねー >>57
解釈の違いになってくるだけで基本構造は同じだと思う
もちろん、神通力者と呼ばれるくらいの大霊能力者もいるけど、その人本人がそれで救済されるかとか、幸せかどうかとかは別だよ
そういう人でも神仏の前では吹き飛ばされそうになるくらい神仏はエネルギーが強すぎる 神様はいると信じてる自分でも、未だに「仏」ってーのが全く分からないので教えて
菅原道真や平将門や徳川家康が死後「神様」になったみたいに、釈迦が死んで神様になったのが「仏」
…という認識でよい? >>59
間違ってたら申し訳ない前提で書く
俺は最初は住んでる次元が違うのかと思っていた
うちらも肉体と精神体があり、精神体は別の次元に住んでるから、より高次元が仏か?と思っていた
(次元はSF知識のノリで書いてる)
最近気づいたのは、いわゆる神々は、見えなかったり、我々のような肉体がないだけで、基本的に我々と同じようにこの現象の世界(外側の世界)に住んでる
一方、仏は、内側の世界に住んでる >>60
内側の思考とは、亡くなった人が関わった人の心の中に生きている様な感じを想像するが >>61
多分だけど、我々(神々も含む)の心の奥深くは繋がっていて、その中心に住んでいるのが仏
間違ってたらごめん……教学そんなやってないので妄想と思って聞いて >>63
日本だと「神」には、妖怪や幽霊とかもみーんな含んでしまう
神霊はうちらと変わらない人格があって
、全知全能の神っぽくはないんだよね
神がかりで話を聞いた限りだと
「仏」は、すべての生きとしいけるものの心の奥底にある、空間そのものの事かもしれない 神の他に仙というのもあるけど、あれはどう思っているんや? >>67
教義的なことは勉強不足で良くわからないけど法然は好きだよ
自分は極楽浄土はあるorあってもおかしくないと思ってる
だけど、浄土宗と真宗の僧侶で極楽浄土の存在を信じてる人は少ないと思うよ
自分はシャーマンなので、他方世界に行ったことがあるから「ある」と断言できる
それに何人も阿弥陀如来にお願いして送ってる
天台にはもともと阿弥陀如来信仰があって、それらは矛盾しないと思う
鎌倉時代の識字率などから、難解な仏教より「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」と唱えるだけで救われる仏教に人気が集まるのは当然かな、と思う >>68
神仙思想を詳しくないけど、仙人は日本だと天狗だと思うよ
霊的な存在は日本だと全部「カミ」やら「オニ」やら呼んでしまう
道教の知人も天狗信仰をしてるので、多分あってる
自分も天狗信仰してる、というか天狗が師匠なので、仙人になる道を進んでる
死んだら天狗の下っ端になるのかもしれん >>69
なるほど。
修験者や禅者が大乗をどう見るのかと思って、貴僧の意見はどうかと思った訳だ
凡そ全て宗教的体験というのは個人的なものだが、大乗の庶民在家にとっての宗教体験は生活そのものだ。
なんら超越的な観念も経験にも志向せずして、彼岸の存在という大超越は信じてしまうのが面白い。 >>71
あちらの世界を「信じてしまう」じゃなくて、「知ってる」んだよ
行ったことがあるから
僕は神仏も「信じてはいない」くて、「知ってる」
ビジョンで姿を見せてくれた事があるし、神霊くらい強いのがそこにいるなら体質的に解るからね
そういう経験から、お経や神話の内容にしても、「脚色はあるかもしれないけど、あってもおかしくないね」と思うだけだよ
例えば、イエスが生き返ったのも「見たわけじゃないから断定は出来ないけど、あってもおかしくないな」と思うよ >>72
そうだね。
そもそもこの世が六道のひとつとするなら、生きているイコール知っているで良い
とすると気付きというか、強くそれを意識する心の動きや出来事が人生には必要だと私は考えるんだが、恵まれず狗心のまま今生を終える人もいる
誰もが善く生きる世の中というのはいつか出来ると思う? >>73
お経はそうなってるけど、正直、自分として分からない
だけど、昔よりは世界はより良くなっていってるとは思うよ
例えば新型コロナだって、悪い事ばかりじゃなくて、人類が次の段階に進むために必要なことなんだと思うから
自分は僧侶になってしまったのて、責務として布教があるから、あなたが言うように、人々に気付きを与えるのが自分の役目だと、最近は思ってきてる
一人寂しく亡くなったような人、一見すると不幸だったと言われてるような人も、何かしらの使命があったと思うよ
これを突き詰めたら極悪人も「我々全体に必要だから存在している」となってしまうので、それを認めるのに自分は半年ほどかかりました >>74
悪にどう対峙するかというのは、宗教人の永遠のテーマだね
ぼくは人類全体がまだ未熟なせいで、凶暴性や愚かさが悪を犯す人間として表出しているんだと感じる
もっとも俗人な僕は気楽なものだ。
導き手は釈尊でもイエス様でも如来様でもなんでも構わないかな? >>75
古今東西のあらゆる神話に描かれている他方世界は存在するし、あらゆる神々も存在する
それぞれの宗教の解釈の違いによって、それぞれの世界観がある
簡単に書くと、カルトじゃないなら何でもいいと思うよ
縁がある神に引っ張ってもらうのが一番良いかもね
ただ、教えの深い浅いはあると思うけどね >>76
何という事だろう
貴僧は気づかせる才能はある
私はひどく貴僧が妬ましい
そっ首我が剣にてマラの修羅道の土産にあげアスラに落ちたいほどに妬ましい
結局私は、自分が、自分だけこそが救われたくて救われたくてたまらんのだ
ゆえに私は哲学徒たらんと欲し、愚鈍なわたしでも積み上げ積み上げした論理と言葉の先に安寧あるを信じ、書物の外道に堕し僧の叔父の愛を、従兄弟の僧の愛を、師のキリスト者の愛も染み通らずの無頼の身体に落ちたのだ
電子のもんじの彼方の貴僧すら恨めしいこの餓鬼の魂に仏性なぞ顕現するものかよ
行列の最後尾だカンダタ以下だ恨めしい 回向文二十字となえる資格がない
恨めしい妬ましい
あさはかあさはかあさはかな泣いて救われぬ餓鬼がおのれだわ >>78
本音だ。俺は普通の社会人で、一般的に他人、人間から後ろ指刺される生活はしてないが
やはり救われん、こんな奴が救われる訳がない >>80
いったい何が…
よく分からないですがその激情の表現がとても文学的で私は好きです
他人事で好奇心でごめんなさい >>80
あなたの事は何も分からないけど、ご神仏にお祈りして、あなたの縁する神様に繋いでもらって、あなたをお救いしていただくようにお願いするよ
>>82
そうだよ〜そんな事も話してたっけ…… >>83
以前のスレで少しだけ絡んだかな
興味深かったよ >>84
そうなんだね
そのせつはどうも〜 元気にしてた? >>85
元気だよ
坊さんは表立っては言わないけど結構能力者多いんだってね >>86
密教系と日蓮系、神社でも修験系や習合系には多いと思うよ
巷でスゴイと言われてる霊能力者が子供みたいに思えるような人も、中にはいるよ
まともな宗教家は表立って言うと霊感商法になるから基本言えないよ
たいしたことじゃなくても皆、怯えちゃうから…… >>87
そうだね
俺も自分の周りにたまたま凄いレベルの霊能者が複数いたんで違和感無かったし神仏も信じるけど
そういう話を人にするとやはり殆どはビミョーな雰囲気になるんだよな
あと、凄い能力者は曖昧なことを言わない
ズバッと真実を切り込んでくるから普通の神経の人にはキツイかもと思うわ
その気になれば相手のこと全部見えるみたいだけど、それはドン引きされるから言わないんだと思うね >>88
あぁ、あなたのこと思い出した
神仏ともうすこしで縁が出来そうだった人だっけ
まともな霊能者は少なくて、でもそういう人は同じ縁をもち集まるので、あなたはそういう人だと思うよ
自分は以前『なんで俺の周りに霊感持ちな人多いんだろう』と、神仏なんて知らない頃に思ってたよ スレ主は自殺や、自殺する以外に道(どうにも変えようのない定め)がなかった人ついてどう考える?
自殺は良くないーとか自殺したら成仏できないぞーとかいう教義や一般論じゃなくて
多少なりとも能力がある(他の人間が知らない経験をしてる)スレ主ならではの見解に興味ある >>90
釈迦は前世で自殺してる(という事になってる
飢えた虎の親子たちがいたから、崖から飛び降りて、その身を食べさせたと言われている「捨身飼虎」
だけどその自殺した前世の釈迦は、自分の解釈だと、虎に食べさせるために飛び降りたんじゃないと思う
世を儚んでか、死ぬほど嫌なことがあってか解らないけど、他の多くの人と同じく、単に、自殺しただけにすぎないと思う
それをたまたま、近くを通りかかった飢えた虎たちが前世の釈迦を見つけて、飢えを凌ぐことが出来た
仏教は事実関係だけで物事を見るので、自殺した前世の釈迦を飢えた虎たちが食べて生き延びる事ができたなら、そのために前世の釈迦は崖から飛び降りた、と見る
同じように、あらゆる自殺した人々も、そのほとんどは一見悲惨でしかないだろうけれど、「捨身飼虎」のようにポジティブに解釈できる一面が必ずあって、それが真実だよ 1の話は人間味があるからスンナリ入ってくる、いつもありがとう
自分は前世をいくつか覚えているから、人間は死んだらまた生まれ変わるって信じてるし
事故だろうが自殺だろうが他殺だろうが、死因そのものには大した意味も差もないような気がしてる
死に方よりも、生きているうちに何をしたかとか、前世では出来なかった事や前世から持ち越した因縁にどう対処したかのほうに意味があるような >>89
そうそう、ただ自分は謙虚や信心を装いながら、その実超人願望や選民思想などのエゴイズムが奥深く巣食っていたんだよ
それに自分でも気付かず結果多大な迷惑をかけた
神様仏様に縁どころか地獄行きだわ、ホンマ
その後も葛藤しながら最近やっと少しづつ普通の人間があるべき普通の信心というものに近付き始めたかもしれない
まだ油断はできないけどね
「神仏を尊びて神仏を頼らず」
神仏はこの混沌とした現世で人が自力でいかに人生を歩むかを見ておられるのだと思う
依存するのは基本間違いのような気がする
人生が転生という形で繰り返される修行というのならば自殺はその放棄になってしまうのではないかと自分は思うけどね
病んでしまった人に言うのは酷かもしれないが 昨晩恨み辛みを書いたものだがね
もうこの際
不動様仁王様に帰依してしまおうかね
学をして救われなば、戟をして然るべしと
ひたすら他者を退ける魂に語りかけようとする神仏はいるのかね? >>92
こちらこそありがとう
知ってる子も前世の記憶あるよ
だから、やっぱあるんだろうな〜って思う
僕も生きてる過程が大切だと思うんだけど、ここら辺を煮詰めると、この世界がなんのためにあるのか?とか、そういう思考になっちゃうわ
なんで僕ら産まれてきたんだろうね 救えるものなら救ってみろ!示せるもんなら導いてみせろ!この懐疑の魂を昇華させてみせろ横道どもめが!
こんなにもわたしのこころは開いているぞ!
見えるもの同士でしこしこやってんじゃねーぞ!
わかるなら、わかるはずだ愚者の咆哮と号泣が聞こえないのか
俺はここにいるぞ、ここだ
わからないのか!!!粗忽!? レス遅れてる
>>93
真面目だね
僕もエゴイズムや超人願望あるよ
でも例えば霊能力も強い人からしたらクソみたいなもんだから、もろもろ、諦めざるを得ないと言うか……そんな感じ
神仏はキツめの試練を与えてきてるように思えるよ
もしかしたらあなたが思ってるより、神はもっと近くにいるかもしれない
自殺は……哀れでしかないけど、僕は自殺した人が仏縁を繋げてくれたところもあって、なんと言ったら良いんだろう……
死後も続いていくから、それも翻えうるとおもう >>94
自分が餓鬼だと思うなら、お不動さんめっちゃいいと思うよ
夜叉の王だしね
お不動さんだけじゃないと思うけど、彼らはもう、極悪非道の人間を見続けて、それでも救済すると誓願を建てられてる
むしろ神仏になる以前は、誰よりも極悪人だったのかもしれない
自分も相当、悪い事してきたけど、それでも引っ張ってくれたので、誰でもそうしてくれると思うよ ある神仏と縁のある女とラインで口論になって自覚ないが多分凹んでる その女はある神仏の姿を見てる
だけど宗教が大嫌いで、頑なにこちらの話を否定しようとする
霊的な事や、神仏の存在を認めつつも、それらの解釈がかなり独特で、いわゆる信仰的なものにアレルギー反応がある
僕からしたら、明らかに加護があるように見えるのだが、本人は自力ですべて成し遂げてきた自負があるので、認めたくないみたい そこはどうでも良くて、単に話したかっただけなのに……なんか重い結果になって凹んでしまった 姿を視てもなお拒否するっていうのはなんなんだろうね
裏山けしからん話だなw その彼女に姿を見せた神仏には意図があるんだろうし
せっかく見せたのに意味なく終わるなんて無駄事を神仏がするとも思えないから、
たとえ今は意見が食い違っても、いずれ互いに何かに気付いて、彼女と1にとって良い方向に進むのを願うよ >>103
ありがとう
「裏山けしからん」は、そうだよね……
子供の頃の話を聞いたら、かなりの経験をしているのに、頑ななんだよ
彼女のせいじゃないんだけど大きな罪を負ってると思い込んでるからかも
そう、姿を見せたからには、何か意味がある
でもそれを彼女、知るの恐れてる多分
そこまで分かってても、頑なすぎて…… 敢えて姿を見せて、自負心を煽ってくださったのではないか
危機が迫っていることを知っていらっしゃる上で、神仏に頼らず乗り切らせようとしておられるのかも 昔のスレのログを読みたいんだけど、1はスレのタイトルを覚えてる?
2ちゃん、5ちゃん、山伏、おっさん、天狗、修行、霊能…
それらで検索しても見つからない >>105
その神仏と関係のある物体にアクションをしていたみたい
僕がその神仏と物体の神話を教えてあげたら、それから連絡が滞るようになった
多分、彼女だけに理解できるモノを暗示してたんだと思う…… >>106
うーん……「僧侶の卵」とか「山伏のヒヨコ」とかかなぁ
昔は身バレ避けるために嘘書いてるとこもあるし、書いちゃいけないことも書いてるかもしれん
過去ログ読まなくても聞いてくれれば答えられる範囲で答えるよ >>107
難しいね。
どうだろうか。彼女があまりに頑なに見えたとしても、所詮第三者の我々人間に割り入れる領域だろうか?
神とその娘の問題なら、せいぜい言葉を食らわすまでが人間の限界でそれ以上の執着は余計な世話ではないか? >>109
自分がこっちの道に進む前から知り合ってたんだよ
だから、彼女が神仏見てる話を聞いて、とても驚いたよ
でも、縁が深いだけで、本人しか解決できないし、この肉体が生きてる間に平行線が交わることもないかもしれない
そう考えたら悲しくなってきた…… 過去スレ、まだ自分が霊能開いたばかりで初々しい感じかもしれん
あの頃は不安定だったからね〜 僕を導いた一人である天狗の使徒の占い師さんとも、最近ようやく普通に繫がれたよ
「誰にも相談できません、すべて一人で決める道」
と言われてたので、しばらくは繋がれなかったのだけどね 今度占ってもらう
何か占ってもらう必要もないんだけどね
とりあえず直接謝意をあらわして、お布施と思ってお金落とそうかなぁと >>111
まとめサイトが2つ見つかったけど、まとめ方がアレで駄目だった
天狗と会った前後の話と(以前も書いただろうからすまないが)、
1が仏の教えに繋がれた切欠となったという“自死した知人”との縁について、差し支えなければ聞いてみたい
べつに知人の供養のために仏門に入ったわけではないだろうし、どのような心境の変化があって修行を始めたの? 時系列をどこで区切ればいいのか解らないから天狗と会う以前までザクッと書く
不可逆性の自傷行為、肉体改造をする
ドラッグでOD起こして2度ほど死にかける
セフレが重体、その後に逮捕される
自分の事を知ろうとする
密教のお加地受ける、時を同じくヤク中の知人を助けようとするも失敗する、霊感出る、ある神仏の姿を見せられる
誰にも相談できず霊山を巡る、ある山で天狗にからかわれる
こんな感じ 自死した友人?
誰のことだろう……もしかしたら死んでないかもしれない人のことかな
以前のスレでなんて書いてたか分からないけど、友人って言っても、ネットで知り合ったから会ったことないんだ
でもネットって通話したら異常に仲良くなってしまうでしょ
それである時、彼が自殺未遂起こした 霊感なんか目覚める3年くらい前かな
自殺未遂起こして「今から死ぬわ」的に言われた
んでも会ったこともないから家が分からないからどうしようもない
彼は洗礼受けてないけどクリスチャンだったので、当時の自分は無神論者だったが、しょうがないので近くのカトリック教会に行き、祈り方を聞いてお祈りした
2日後くらいに蘇生した彼から連絡があった 彼は病院で治療受けてる時?意識の狭間で「神様に呼んでもらえた」と言った
それで僕は自分が教会に行った経緯を話したら、彼は「あぁ、神様じゃなくて、あの声は1くんだったんだね、ありがとう、ちゃんと声聞こえたよ。おかげで戻ってこれたよ」と言った
僕は無神論者だったので、そんなことあるわけ無いし、彼の盲信を深めたと、後悔してたその時は その彼とは縁が切れてしまったのだけど、彼との経験から、今に至った自分がいると思ってる
今思えば、彼が教えれてくれたエピソードから、彼も霊感あったっぽいんだよね 僕が天狗にからかわれた話を書くね
20キロくらいの山道歩いてたんだけどバテちゃって、予定の山寺よりも手前で下山しようとしたのね
ちょうど午後の4時くらいで、日没は6時かな
山の中だからもう薄暗いし、急いで下ってた このスレ、転載禁止にしとく
転載されたら、僕が悲しくなる呪詛をかけました
続き
すると後ろで女の子らの笑い声がした
二人の女子大生くらいの若い女が笑い合ってて、僕は『山ガール、後ろにいるんだなぁ』と、ずっと一人で寂しかったから、安心したのを覚えてる
でも後ろを見ても、先はカーブで死角になってて女の子たちは見えなかった それから5分くらいして、また後ろで女の子たちの笑い声がした
また後ろを振り返るも、カーフが急で死角となって、見えない……
ほんっとに、普通の、現代の女子大生が談笑してるようにしか聞こえなかった
だからその声の主がこの世の者じゃないなんて気づくはずもなかった それからすぐに、「カンカーンッ!カンカーンッ!」と、木こりが斧で木を切る音がした
僕はそれを聞いた瞬間に「古っ!」と思った
だって林業なんて今時チェンソー使わないわけないから
それで物珍しそうに、音のする方角をみた
辺りは杉並木で、地面にはあまり草もなく、かなり遠くまで、200メートルは見通せてた 200メートルは見渡せるのに、かなり遠くまで見えるのに、音のした方向には、誰も居なかった
それで「えっ?」と思ってたら、目線の先に、高さ1メートル、幅2メートルもないくらいの"藪"があったんだけど、その藪が、バサバサバサバサッて、動いてた 距離にして僕から30メートルくらい離れた場所にあった
高さ1メートルくらいだから、人がいたら上半身が突き出すでしょう?
でも何も姿が見えない、にも関わらず、藪がバサバサと大きく動いているから、僕の思考は必然的に、
・籔にスッポリ隠れるような獣が藪の中にいる
・あの藪の蠢き方は、かなり大きな獣である
・熊に違いない、やべー
となって、横目に見ながら早足で山道を下っていった そしたら、すぐに藪のバサバサが止んだ
そして次に、姿は見えないけど、何かが、飛んだ気がした
僕はなぜだかわからんが、直感的に、「天狗だ」って、思った
さっきまで熊だ!って恐れてたのに……なんでか知らないけど、そう思った
それで飛んでいったと思われる先を見ると、杉並木の中で一本だけ、杉がグワングワンとたなびいてた 僕はまた直感的に、天狗があの杉の頂きに飛び乗ったから反動で揺れてるんだ、と思った
それで、帽子を取って、会釈して、何事もなかったかのように早足で下っていった
もちろん、内心『やべーなぁ』と思いながらも
だけど、渦中だと開き直らざるを得ないと言うか、もう『殺すなら殺せ!』みたいに思ってた んで般若心経を唱えながら下ってたんだけど(と言うか山中はだいたい般若心経を唱えてた)、天狗に会釈して3分後?くらいに、また女子大生たちの笑い声がした
今までの2回は、じふんのずっと後ろからだったんだけど、今回は、僕を中心にした四方八方から、
「「キャハハハハハハハハハ!」」
って、笑い声がした
僕はそれで『お前ら、人間じゃねーのかよ!(泣)勘弁してくれ』と思った 僕って渦中だと、内心ビビっててもあまり表に出ないというか……そのまま動じる素振り見せずに、下り続けた
すると突然、左耳に「ヒュッ!!」て、息を吹きかけられた…… それでいい加減にからかわれにムカついて、振り返って、でも何も見えないし、何もできないしで、だけど不動真言を唱えて、
『やれるもんならやってみろ、地獄に道連れにしてやる』
って謎のイキリモードに入って、またそのまま下っていった それからまた5分後くらいに突然、
「こんにちはー!」
って声かけれてビクついたら、目の前から身長180くらいのヒョロ高い、60歳くらいの面長のおっさんが登ってきた
僕は地元の人と会えてやっとホッとしたが、「こんにちは」と声をかえしただけで、そのまま通り過ぎて下った
ようやく山を下り、駅に着いた それで自分は山のアプリ入れてたんだけど、GPSで歩いてたルートでるのね
でもなんの滞りもなく、自分の記憶どおりに、山を降りてた
んで後でその山の持ち主に話を聞いたら、まず、自分が女の笑い声を聞いた辺りに墓があった事が分かった 無縁墓ね
あと近くの郷土史か何かでまったく同じような話があったのと、その周辺は天狗伝承が多く残されていた
(さらに今だから分かるけど、あの天狗は僕が行こうとしてた山寺の本尊の眷属か、本尊の化身。平安時代の有名な行者さんご本人かもしれない、と思ってる) それで僕はその時、このスレにも書いたけど、夢と現実が混ざってしまったような感覚になった
想像してほしいんだけど、僕もほんの2、3年前まで、霊感ない人だったんだよ
それが突然霊感出て、山歩いてたら天狗にからかわれる、しかも藪とか杉なんかの物理が動いてるの
夢の世界が現実に侵食してくるような、そんな感触になったの
映画やファンタジーの世界に入ってしまったような、そんな感覚に襲われたの それで、天狗なんて、僕からしてもファンタジーの世界の住人なんだよ
それが、この現象の世界に現れたわけ
僕はそれで「この世界がファンタジーなんだ」って気づいてしまった
ヒンドゥー教や仏教では、まったく同じ様に解釈する事を知ったのは、最近のことです
この世界は幻想だよ
金剛般若経にはこう書かれている 中村元さんの訳だけど、
「現象界というものは、星や目の翳、燈し火や、まぼろしや、露や、水泡や、夢や、電光や、雲のよう、そのようなものと、みるがよい」
これを一言であらわすと「空」と言う この事を天狗は僕に教えてくれたのだと、今は思っている
しかもちょうどその時読んでたのが般若心経だしね
だから僕の仏教の師匠は、僕をからかった天狗です、ここ一年くらい挨拶にいけてないけど…… さらに書くと、あの最後に出会ったオッサンが天狗の化けた姿なのだとしたら、僕はもう、誰が天狗で天狗じゃないのか、判断がつかない
だから今の僕は、例えば、目の前で歩いている人が突然パッと消えても、驚きはするけど、想定の範囲内だよ
僕にとって、あらゆるモノは"天狗"と違いがない 天狗が存在しないのと同じ様に、僕の父母や友達、今握ってるスマートホン、それを握っている手、そして僕自身も、存在しない あ、仏縁に繋がった自死した人、分かった
悪霊になったおば様がいたんですよ 僕は話でしか聞いてないけど、
そのオバサマは恨みが強すぎたみたいで、霊的に弱い人に取り憑いて自殺しようとしたり、家屋の中で竜巻を起こしたり、そういうレベルの悪霊になってしまったらしい その町で噂になるレベルで、オバサマが縁した場所や店で次々、怪奇現象が起こっていたらしい
主に取り憑かれのは、今僕がお世話になってる社長で、解決のために、ある宗の大本山からある高僧がお忍びで来てくれて、ようやくご供養できた
その悪霊騒ぎを納めた中心人物が今僕がバイトしてる寺の住職 住職が高僧の弟子ね
お世話になってる社長が以前、悪霊に取り憑かれたんだけど、今僕が所属してる宗の高僧と、その弟子(僕の師匠)に浄霊して貰った話を聞いて、驚きに驚いて、こっちの世界に興味を持ったんだよ
んでミイラ取りがミイラになってしまったという笑 厳密には師匠じゃないんだけどね
それでお寺に訪ねて、今の師匠からお加地受けたら霊感出ちゃって──という流れ
だからそのオバサマが悪霊になってなかったら、僕は僧侶になってないので、たまに思い出して回向してる そのオバサマは浄霊されて、今はどうなってるんだろう
そんな大悪霊になるような人は、生前、霊能者だったはずなんだよね
本人自覚なかったのかもしれないけど
位牌ある場所に挨拶に行きたいのだが、社長が会うの嫌がっていまだに叶わないんだよね 丁寧にありがとう
深夜に申し訳無かったね
じっくり読ませていただきます
強い恨みを残して死んで悪霊になったオバサマの話が、
恨みや怒りの感情が異常に強すぎて悩んでる自分にタイムリーな話題すぎたw 能力能力と気持ち良さそうなことだ
坊主が自慰を見せあって射精の高さを競っておるよ >>152
まあ、そう言うなw
みんな無闇に上目指せば叩き落されるって分かってるよ 天狗になってたか
気をつけないとね
饒舌になると出ちゃうんだろな ここってこの道の専門の人も見てるのかなぁ
意見聞いてみたいわ >>156
いやいや能力欲しさに信心しても神仏にはお見通しってやつですよ >>157
あぁ、なるほど
良く分かりました
副産物に過ぎないしね 金、女、酒、高級車
世間一般の人間よりも欲にまみれた僧がいるとする。
そういう僧がただ事務的に読経してても
依頼した人間がまっとうでさえあれば
依頼者の気持ちや願いは仏に届くのけ? >>159
事務的なら届かないと思う
物理的なものに心を強く支配されてるなら、届けるのは難しいと思う
ただ、届けるのに清廉潔白である必要はないとは聞くし、僕もそう思う
酒飲んでるか女遊びしてるかどうかよりも、自分自身に嘘はつかない事とか正直な事、他人と比較しない事とか、そういうのが大事かも 玄ムは名前しか知らない
道鏡は神託事件の坊さんだよね
僧侶が政治に深く関わるとろくな事ないのかなぁくらいしか分かりません
ゴメンネ 僧は勉強すべきとまで思わないけど、玄ム道鏡なんか面白い小説たくさんあっからな。
説教のネタにはなるだろ。 僕がなぜ玄ムや道鏡を持ち出してみたかというとね、
彼らがきわめて神秘主義的だからだ。貴僧に似ている。
その秘儀によって彼らは政権中枢に入り込み権勢を駆って仏法隆盛を極め国分寺までおかれたのは貴僧の知る通りだが、のちの世に大衆の村々に禅僧大乗僧があふれ広まる事が出来たのも、その下地あってこそだろう。 ならば君たちの役目は終わっているではないか。
もう超越者との交合をせずとも、人々は浄土を信じられるのだよ。 僕は上智を愛して詭弁を弄す外法者だから、僧と見ると惑してみたくてたまらない。
貴僧らの肉を喰むと長息できるらしい。
さしずめマーラーに帰依する仔愚者だ。
膂力一喝頂こうとゆるゆる餓鬼が足元に訪れるよ。 ゆめゆめ忘れることなかれ
恨めしや、救えたまいや。 なんとなく思った事を書いていこうと、思った
答えになるかは分からないけど
僕の周りの僧侶は、社会落語者がまともな人間にわずかになるために、僧侶になって自利利他行をしているとしか思えない人が多い
「神仏に仕える僧侶になるくらいじゃないとコイツ、人殺してるわ」みたいな人もいる
だから、僧侶自身が業が深過ぎの、救済対象なんだと思う
僕自身、神仏からいくつか神秘を見せてもらえたけど、それを与えられたのは、そうでもしないと僕は信仰なんてしやしないからかなぁと思う時がある 「信じている」と言うのと、「知っている」と言うのは、決定的に違うよ
人は「信じている」程度では、超えられない壁がある
日が東から登り西に沈むくらいに、「知る」事で当たり前に確信していないと、意識が勝手に枠組みを作ってしまって、その中でしか思考が出来ない
だからお経の内容も、かなりそのまま書いてくれてるのに、そのまま読むことが出来ない
釈迦みたいにすべてを知れる神通力がなくても、一片だけでも垣間見えたら、それから思考法が変わるようになる
神秘体験している自分でも観音経ってメチャクチャな事が書かれてると思うけど、
「まぁ、ああいう事(天狗にからかわれたり)があったんだから、ここに書いてる事があってもおかしくないわな」
みたいに考えてしまう 神話なんかでも、僕も実際に書かれてる内容通りの事があったかどうかは分からんけど、あってもおかしくないよなぁと思うし、この「あってもおかしくないよなぁ」みたいなノリになれる事が重要だと思ってる
本当に「信じる」とは、こういう事だと思うよ
聖書にも同じ事、確か書いてあった
「奇跡を見せないとあなたたち信じないでしょう」みたいなのね
知人の天狗の使徒の占い師さんは、ずーっとこっちの道に入るの拒否ってたら、ある日、ふと気づいたら、机の上のスマホが浮いて立って言ってた笑 業が浅くて?か、前世で徳を積みすぎてて?か、何の抵抗もなく神仏を信仰できる人や、みもふたもないけど信仰しなくても周りに愛をふりまける人には必要ないのかもしれない
でも自分みたいなネジ曲がった人間にはそれくらいの体験をしないと分からない 後、「マーラー」や「餓鬼」と言うが、そいつらも仏性を本来的に携えていて、魔界も仏界も同じ真如であり、一相・平等で差別はない(天魔偈)
と言うか、天狗は天魔で、マーラーそのものですよ!笑(多分
自分はマーラ=天魔(天狗)のそのスパルタ教育を越えて僧侶になったマーラの弟子の餓鬼ですよ!
だから分かる人が言うには、僕には餓鬼がワラワラ寄ってきてるみたい マーラは仏教から遠ざけると言われているけど、僕の解釈だと、あいつらはスパルタ教育すぎて嫌になっちゃう人がいるのかも 釈迦の時代は彼らも凶悪だったのかもしれないが、今のマーラはまぁ、根底には愛があると言うか…… だからあなたは僕を惑わすと言いながら、全肯定してくれている レスしますね
>>163
読みます!道鏡と玄ムくらいは知ります!説法で使えそうだし、商い的な意味で(ゲス顔
>>164
はい、まさに、そうです……謹んでお受けします…… >>165
住職からは「お前は本山だとキチガイだよ」と言われています!
その住職も基地外扱いされていたそうです
僕もその住職は基地外だと思います! 最近知人の占い師さんと話したときも「天狗はきつい、特に赤天狗はきつい」と言ってたから意気投合した
彼ら、ようやく飛ぶことを覚えた小鳥を上空に連れて行って、ポイ投げるような事をしてくる
一般的なイメージからしても彼らは悪魔なんだろうけど、仏教は善悪不ニ、無一物と解釈するので、悪もまた我々を良い方向に導く糧となるし、実際にそう思う >>170
すごく詩的に騒ぎたててしまったが今日はそこそこ冷静だ
僕と貴僧は生き方も学びも違ったから使う言葉もすごく違っている
僕の言葉を一方的にたたきつけているのは、根本的にはあなたに甘えておるのだ
和やかに一笑を付していただければ幸甚だ >>171
知ることと信じることの間はマリアナより深く大洋より彼我がある、その通りだ
六文銭で渡れる河のなんと優良運賃なことか
私があなたを全肯定しているというのもその通りで、よくある「見立て」願望だな
マーラーやらヤクシニーやらの子眷属に我を見立てて、実際のところは犬のようにつきまとわずにいられなくなる
そういう弱さだ そこそこ格のあるお寺だと(檀家の手前、というのはあるだろうが)血縁親族は
社会的にそこそこマトモ、高学歴、一定の安定と地位あり、じゃないといけない雰囲気があって
私自身は外聞的にはマトモなんだが、その寺に私の位牌が入る予定の骨堂もあってね
哲学にもカソリックにもプロテスタントにも禅士にも影響を受けた私はひどく救いを求めつつ臆病かつ執着しているのだろう まあ羽虫を殺さぬ程度には仏弟子のつもりだ
弟子が先達に甘え怒られるのは当たり前だ
呆れずにたまに餓鬼もどきの話し相手をしてくれたまいよ
貴僧の話はなかなか染みて良い やぁ、久しぶりだねぇ。
山も急に冷えてきた?
防寒着はどんなんで過ごしてるの おーい磯野!
公案しようぜ!
片掌でしか拝めないものとはなにか? 余暇に立てたスレだろうに放置するとはあきれた大僧正だな
聖職以前に信用に値せん お疲れ様
放置してました
多分、先月の4日から取り憑かれてて、気づいてたのに供養忘れて、2週間ほど自律神経壊してた 4日、友人らと友人のマンションで飲んでて、翌朝帰る時に「ドスンッ」と衝撃が走り、その後、何でもないのに悲しくてずっと泣いてた
変だなぁと思って憑かれたのか?と一瞬思ったが、すべて忘れて、退廃的な生活に向かってしまって、供養しなかった その後、寺で他の人の先祖供養するのに参加したら、終わってから目の前が霧が晴れたみたいになってて、ようやく確信した
憑かれてるのって分かってても分からないんだよねぇ笑
2週間無駄にした >>183
自分はキリスト者の友人の縁もあり、この世界に入ったよ
スピリチュアリズム、神智学的な解釈になってしまうけど、同じものを見ての解釈の違いだと思ってる ある時、救われるために某霊山を歩いていて、阿弥陀如来の誓願がふと脳裏によぎり、
「阿弥陀如来が一切衆生を救うというあの誓願は、裏を返せば、今世で、ほとんどの人は救われない」
「自分も生きている間に救済される事はない」
と気づいてしまった
それから一月ほど退廃的な生活に入ってしまったのだが、しばらくして、救われたかった自分はいなくなっていた 風邪ひいてるときは健康になりたい、と思うが、風邪が治ると、風邪をひいていたことを忘れてしまう
救済されないと気づくことが、救済につながる 自分も出来るだけ命あるものを殺さない、と努めてる
最近、十善戒の不殺生について苦しんでいた
現代社会で生きているなら、命あるものを殺さねば生きていけない
生活のため(猟など)ならまだしも、わざわざ殺すことも無いと、肉を食べることを避けていた のだが、今月になって、どうしても動物を殺さねばらなくなった
ここで考えたのは、「薬も動物実験、人体実験を通してる」「農業でさえ生き物を殺さざるを得ない」と言うこと
むやみやたらに殺さぬと決めても、生きてるなら殺さざるを得ない
山の中で木の実くって生活してたとしても、程度問題に過ぎない まだ自分の中で整理がついてないので言語化も上手くできないのだが、ヴィシュヌとガルーダの神話の話を聞いて、なんとなく分かってしまった ヴィシュヌとガルーダの戦いの果に、ヴィシュヌは負けを認め、ガルーダを自らより上位としたと言う
そしてガルーダはヴィシュヌの乗り物となって、孔雀明王で描かれるような姿となった 乗り物となっているガルーダが眷属で、ヴィシュヌが主人という解釈は誤りです
我々が考えてしまうような人間を頂点としたヒエラルキーは、霊的な世界からすれば、誤りです 神仏の像で、他の神を踏みつけている仏像があるが、あれは上下関係を表したものではない >>185
メリノウールのインナー、フリース、ダウンか透水性高い合羽だよ >>186
えっ、片掌でしか拝めないもの??うーん
分別することだから、エゴや妄執なのかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています