ヒマなおっさんと全レスしよう
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本来、常識という言葉は、知っていて当然の知識、知っているべき知識という意味で使われます。
ところが、この常識の誰でも知っているというマジョリティー性と、知っているべきという強制
性が、悪意のある常識の場合は危険をはらむことになります。
知っているべきという強制性がある時点で、洗脳に近い要素があります。
言葉は他人に意味を伝えるものですが、複層の意味を含んでいるものがほとんどで、余分な洗脳が入ってしまいます。
また、そのように使われています。
他人との意思を共有するシステムが言語なので、言語そのものが洗脳システムとも言えます。
言語にその意味とずれた意思が加わった時点で洗脳が始まります。
すべての言葉は、使う人と使われる人などによって意味が変わることがあり、そのニュアンスのず
れを利用して、結論を全く変えてしまうということも可能なようです。
そういった言葉の複層性や曖昧さを利用して、残念ながら常識という知識にさえ、深層の意味が隠されているようです。
どうやら言語というものは、本来とは違う深層の意味を含ませることにより、人々の思考をコントロールすることができるようです。
深層の意味はどこかで紛れ込み、イメージとして脳の片隅に焼き付けられています。
世の中には常識という名の洗脳があります。
モラルを利用することにより、常識に反することは嫌悪するように洗脳されています。
さらに常識という言葉のイメージも洗脳されています。
常識について、人によって変わる得体の知れないものというイメージを持っている人も多いでしょう。
それは本来の意味と違います。
それも洗脳です。
常識という言葉には複数の意味があります。
主に、守らなければならないモラルという意味と、社会人の行動規範としての基礎知識と
いう意味、平均的で平凡な普通の考え方という意味。
常識を打ち破れとか常識に囚われてはいけないというのは3番目の意味に対して
使うものであって、1番目や2番目の意味で使うと大変なことになります。
全く違う意味を1つの言葉に込めると、こういった弊害があります。
こんな馬鹿馬鹿しい言葉遊びが繰り返されています。
常識は時と場所により変わることがあるという常識。
これも言葉の曖昧さが原因です。
この言葉の意味の曖昧さを利用して、常識を常識として成り立たなくしようとする人々がいます。
個人的な常識を他人に押し付けて、常識と非常識とをごっちゃにしようとする人々が後を絶ちません。
それが常識に頼れない世の中を作り出します。
社会の破壊行動の一環です。
ローカルルールは、社会全体では大変迷惑なものになることがあります。
常識は常識とは限らない、しかしそれでも人々は常識から逃れることが出来ません。
それは常識にはモラルという意味もあるからです。
どの意味の常識なのか、しっかりと選別して守るか守らないか決めなければなりません。
よく「私は常識には縛られません」と自慢気に言っている人がいますが、普通の人がなかなか常識を破れないのは
、常識にモラルという意味が含まれているため、それが洗脳となり常識を破りにくくしています。
実際普通にしていないと叩く人がいるのも事実ですが、不思議なことに特定の人は普通にしていなくても叩かれません。
そういった人が「私は常識には縛られません」と自慢気に言います。
何か世の中に仕組みがあるのでしょう。 さて、常識にはもう一つの作用があります。
社会的常識は、その権威性から絶対的真実という洗脳を生み出します。
ここから理解が難しくなります。
おそらく先程言った嫌悪感を感じ、そこから先に進みにくいという洗脳を感じ取ることができるでしょう。
常識はオカルトを否定しています。
オカルトという言葉自体に嫌悪感や嘘という意味を感じる人がほとんどでしょう。
これが常識の怖いところです。
もし、オカルトの中に真実の情報を隠された場合、人々は真実にたどり着けない状況になります。
オカルトという言葉に対する嫌悪感、その原因はずっと情報の中へ含まれ続けていたオカルトへの侮蔑があります。
オカルトの中に巧妙に真実をも否定するように仕向けられた情報が隠されていました。
逆に言えば、集団ストーカーは巧妙にオカルトを利用しています。
常識は、敵性の情報に接したとき、盲目的狂信を生むことがあります。
それだけの力を秘めています。
常識の中に危険な洗脳が入っているのでしょう。
ややこしいのは、オカルト自体はほとんど嘘だということです。
集団ストーカーは、このオカルトのような状況を意図的に作り出すことにより、多方向に複雑な洗脳を行います。
もしオカルトの中に真実が隠されてしまった場合、真実を知るためには常識が邪魔になってしまいます。
集団ストーカーについて考えるには、この本能的な嫌悪感に逆らって真実を追求していかなければなりません。
冷静に少しずつ、理性的に理論的に理解していかなければなりません。
集団ストーカーの話は地味なオカルトのようです。
派手ではなく地味なのです。
すべて現実に起きてもさほどおかしくないことばかりです。
地味ということが、世の中の表面に出てこないようにするために必要なのです。
どうやら嫌がらせというものは、派手なものよりも地味なもののほうが、効果が高いのかもしれません。
常識という言葉に囚われない強い心が必要になります。
これを克服するのは困難ですが、情報を紐解いていけば真実に近づくことが可能となります。 みなさんが知る情報は、ほぼマスコミが由来となります。
新聞、雑誌、テレビ、インターネット、すべての情報がマスコミの支配下にあります。
みなさんはマスコミ以外の情報を信じないように思考操作されています。
マスコミは世界の中心とアクセス出来て、そこから情報を引き出しています。
世界の中心は政治団体や研究所だと思いますが、ここも曲者です。
重要なのは言語の曖昧さです。
政治団体や研究所は、ほとんどの場合嘘を言いません。
ただ、情報を曖昧にぼかすのです。
そしてマスコミがそのぼかされた情報をもとに、曖昧な情報を作り出すのです。
そしてよくわからない妙な情報が、みなさんに届きます。
それをみなさんは信じざるを得ません。
マスコミは時に嘘の情報を作り出しますが、そのほとんどは真実に由来する情報です。
しかし言語の曖昧さを利用して、微妙に意味をぼかします。
そして時にあり得ない情報を、一般市民に信じ込ませます。
情報は言葉だけではありません。
言葉以外の映像や雰囲気も重要です。
マスコミによる人々の意識操作は、現在は曖昧さを利用して行われます。
真実を知りたいのであれば曖昧さは許されないのですが、現在マスコミが流している情報のほとんどが曖昧です。
正確に言うと、決定的な結論を出さないことにより、一般の人々を真実から遠ざけています。
なので人々は真実を答えられないのです。
いずれ詳しく説明しますが、マスコミはダブルミーニングというテクニックを巧みに使い、人によって情報の印象を変えるというコントロールをしています。
政治家の不祥事がなくならない理由、警察が暴力団を撲滅できない理由、あまりにも奇妙で不完全な国が日本の近くに存在する理由、すべてのおかしなことが曖昧で、はっきりとした理由が分かりません。
人々はマスコミに意見することができません。
インターネットではマスコミに対する不満が噴出していますが、マスコミはそれをあざ笑うかのように偏向報道を加速させています。
この理由も人々は答えられません。
どうしてもインターネットの批判意見が少数派と思ってしまうはずです。
そのように数の操作もされています。
人々がマスコミに逆らえない理由はモラル感です。
マスコミは巧みに人々のモラルを利用しています。
モラルを人々に植え付けておきながら、それを利用して人々をコントロールするというマッチポンプです。 暴力団を撲滅できない理由は、暴力団も人間であり、人間を攻撃するのは可哀想というモラルです。
組織を解体すればいいだけのことなのですが、そこまで考えが及ばないように巧みに思考操作されています。
テロ組織は違法なのですが、警察や法律は暴力団に対してここもぼかしています。
暴力団は、政府が人々をコントロールするためのツールだからです。
暴力団の見えない恐怖も、マスコミによる人々の意識操作に一役買っています。
真実を追求しようとすると、それを阻害する意見が現れます。
真面目に考えるのは愚かだとか、政府には政府の都合があるのだとか、何か分らない理由があるのだとか、必要悪だとか、よく分からないタブーを主張する人々が現れます。
物事をはっきりさせ過ぎると生きにくくなると思い込んでいる人がいますが、物事がはっきりしないことで生きにくくなっている人々の方が多いのです。何より理不尽です。
ほとんどの情報はまともです。
まともな中に権威のある嘘の情報が混じると、人々はそれを信じてしまうのです。
曖昧さ、これを許してはなりません。 ミスリードの方法は、単純にテレビで精神疾患の患者の発言を放送するだけです。
「みんなにジロジロ見られている気がする」
「スパイに監視されている」
「世界に人間は自分ひとりしかいない。まわりはみんな宇宙人かホログラムである」
「謎の組織が世界を支配しようとしている」
「人間はすべてコンピューターで管理されている」
「神(悪魔)が人類を滅ぼせと命令している」
「自分は世界の真実を知っている。これを言ってしまうと世界に殺される」
「自分はかつての英雄の生まれ変わりである」
「世界が自分の中に溶け込んでくる」
「家族が洗脳されて操られている」
自分で掻きむしったような傷を見せて「電磁波で攻撃されている」と主張する。
みなさんはこのテレビを見て、この発言と被害者の発言が同じだと感じます。
そしてすぐに、集団ストーカーは存在しない、彼らはやはり統合失調症であると結論を出します。
普通は、みんな揃いも揃って、突然同じような奇妙な妄想を始めることに、疑問を感じるものですが、テレビという権威の力が、その疑問を打ち消します。
これで簡単にミスリードが完成します。
インターネットの検索順位もコントロールします。
集団ストーカーと検索すると、無難な記事か理解しにくい記事、精神疾患と誤解されやすい被害者の記事、また医者や探偵が統合失調症であると検証しているサイトが上位を占めています。
統合失調症であると断罪している記事が、それっぽいようで、どこかおかしい記事なのは、被害者への挑発行為でしょう。
ミスリードは社会に対してのみでなく、被害者に対しても行われます。
被害者によって被害状況や犯人像が違うのはそのためです。
これで被害者同士の結束を阻害します。
集団ストーカー現象は、犯罪行為が見えない犯罪です。
よって犯人はいない、被害者のみが存在する、それは統合失調症であるという答えにどうしても帰結します。
もちろんこれはミスリードです。
しかし、犯人がいないというのは致命的です。
いたとしてもそれはただの人で証拠はありません。
ガスライティングは現在そこまで進化しているのです。
なので被害者のほとんどは精神世界に逃げ込み、そこに追い込まれています。
絶対に勝てないと確信するほどの敵です。
犯人は被害者が言う通り、国家諜報機関なのか秘密結社なのか宗教団体なのか、あるいは国家そのものなのか、あるいは人間ではない生命体か人工知能などの思考体なのか。
いずれの答えも現実的ではありません。
ただ現象だけが確かに存在している。もはや現実的な答えで世界の闇を語ることなどできません。
とにかく現状では犯人の証明ができませんので、脳の仕組みを解明する方が早いかもしれません。
素人ではほとんど無理な作業なので、それこそ学者たちによってミスリードの答えを出されそうですが。
敵は統合失調症を強制的に作り出せる存在です。
それは麻薬によっても簡単に作れるのです。
最近になって、日本の芸能人も集団ストーカーに言及し始めたようです。
麻薬の陽性反応が出ながら釈放されるという、訳の分からないニュースが流れました。
マスコミのパフォーマンスかもしれませんが、集団ストーカーの話はこれからまだ盛り上がるかもしれませんし、いつものように火消しされるかもしれません。
そのニュースにも、ミスリードの答えが用意されているかもしれません。 一般の人に限らず、集団ストーカーを信じない人々は、集団ストーカーの証拠を見せろと言ってきます。
これは難しい話です。
彼らがそう言ってくるのは、信じるためではなく、否定しようとするためにそう言ってくるのです。
なので、証拠を見せたとしても、必ずしらを切ります。
例えばライトをチカチカと当てられるという嫌がらせを受けて、その証拠の動画を見せたとします。
しかし、その証拠を見せたとしても、こんなものは偶然でしかない。こじつけだと言って、結局その証拠を認めようとしません。
そういう偶然を装って行う犯罪なのだと何度説明しても、理解しようとしません。
今度は、偶然ではないという証拠はあるのかと聞いてくるので、何度も連続で被害にあっている動画を見せます。
そして偶然がこんなに連続して起きるはずがないと説明すると、たまたまだろうと言います。
今度はたまたまではないという証拠として、たくさんの被害動画を見せます。
すると今度は、こんなことはよくあることと、開き直ります。
そしてもっとあり得ないことがはっきりと分かる証拠でなければ信用出来ないと言うので、次々と異常な行動をする人々の動画を見せます。
するとこれは面白い動画だけど、証拠にはならないと、あくまでも確率の異常を認めようとしません。
証拠をまざまざとその目で確認しても尚、集団ストーカーの存在を認めようとはしないのです。
結局はそういうことなのです。
自分が信じたくないことは、彼らには見えないのです。
勝手に解釈を変えたり、責任のすり替えをして、被害者の精神的な問題として解決しようとします。
つまり、一般の人々の方が洗脳されている状態です。
集団ストーカーは、世界を逆転させます。
この状況を冷静に指摘していかなければなりません。
ガスライティング犯罪とは、証拠を残さない犯罪です。
一般の人々は、このことを理解していません。
理解していないというよりは、わざと理解しようとしないように見えます。
延々と、おかしな現象が起きている事実をはぐらかし続けます。
ガスライティング犯罪は、状況のみの操作で被害者を追い詰めていきます。
だから証拠は状況証拠しかとれるはずがないのです。
そこをしたり顔で証拠を見せろと言ってくるのが一般人です。
いくら説明しても、証拠を見せなければ信じないの一点張りです。
証拠がない犯罪もあるのだということを理解しようとしない理由、それは工作員だから、とまでは言いません。私もおそらく同じことをしてしまうでしょう。
被害者の方々も、自らそれを実際に体験するまでは、そんなものの存在を信じるはずがなかったと言っています。
やはり、それは情報による洗脳なのです。 一つの言葉に複数の意味を意図的に含ませるテクニックをダブルミーニングと言います。
この嫌がらせは基本的に、わざと曖昧なことを言ってターゲットを惑わし、ミスリードするテクニックです。
ほとんどの言葉に複数の意味が含まれますので、言語自体にダブルミーニング性があります。
このテクニックによって、勘違いを引き起こさせたり、意思の疎通を阻害することが出来ます。
また、人々を煙に巻いて、真実から遠ざけることが出来ます。
言葉に複数の意味を含ませることによって、人によって違う意味に受け取れる言語を作り出すことができます。
隠語や隠喩、暗号などもダブルミーニングのテクニックを使ったものです。
マスコミがそれを実行した場合、一般の人には気付かせずに、ターゲットにのみ仄めかしをすることが可能です。
会話をする時は、その言葉の、どの意味なのかをはっきりさせながら話さなければ、誤解を生じてしまいます。わずかなニュアンスのずれを別の言葉で補いながら話さなければ、なかなか正確に物事を相手に伝えることはできません。
言語の成り立ち自体に悪意がある可能性があるのですが、それよりも意味をはっきりさせる文化や習慣が薄いことが問題です。その文化は作られたものです。
意味をはっきりさせようとすると、野暮であるといった意味合いの反応があります。それがマインドコントロールのテクニックです。
人々は世の中のほとんどの事象の理解を曖昧にしたまま生活しています。
この状態はマスコミによって作られたものであり、マスコミはこの状態を利用して次々とミスリードを誘うニュースを流して人々の洗脳を強固なものにしていきます。
この世の真実は、曖昧さによって隠されています。
それは言葉が曖昧であることと、人々の態度が曖昧であること、社会の仕組み、見えない圧力によってなされています。
この世の真実の暴露という話を今まで何度も聞きましたが、そこから先に進むことがなく、毎度同じことが繰り返されています。マスコミの情報も人が変わるだけで、内容は昔から同じことが繰り返されています。
意味がはっきりとした言葉で真実を伝えれば、全世界の人々は今すぐにでも真実に到達することが出来ます。
なぜそれが出来ないのか、その答えを知らない人が多いでしょう。
答えは、情報を隠す何かが実在しているからです。
その存在を、集団ストーカーと呼んでいます。
ダブルミーニングのテクニックとしては、もともと複数の意味が含まれる言葉を利用する方法と、刷り込みによって本来の意味とは違う意味を与える方法があります。
言葉に別のものをアンカリングすることによって、言葉と感情や物などを紐付けすることが可能です。
ダブルミーニングは言葉だけに作用するものではなく、あらゆる事象に作用します。
例えば、風景などにも複数の意味や感情を持たせることが可能です。
色にイメージを持たせたり、その意味を人によって変えることが出来ます。それは自然なものと人為的なものがあります。
赤色には火、血、熱さといった情報が入っています。人によって、まったく関係のない意味を与えることが可能ということです。そうやって人々をコントロール下に置きます。 また、逆に複数ある言語をひとつの言葉にまとめてしまい、表現を制限して、事実を伝えにくいようにするテクニックもあります。
集団ストーカーの被害者は、すべての事象の意味や紐付けの仕組みを常に疑い注視している状態です。普通の人々では日常的にそこまで考えることはないでしょう。
具体的なテクニックの例としては以下のものがあります。
似たような言葉を言って聞き間違いを誘発する。
待ち合わせの場所の名前を紛らわしい名前にして間違えさせる。
発音を曖昧にして何度も聞き直させる。
イントネーションを変えて別の言葉に聞こえるようにする。
不吉なものを連想するキーワードを会話の中に混ぜ込む。
誰にとっても意味が通じないような会話を仕掛け、周囲の人々は全員それを理解して、ターゲットの理解不足と思い込ませる。
どのようにも受け取れる言葉を使い、人々の意見が一致しないようにする。
言葉と意味は必ずしも一致しないことを、もう一度肝に銘じなければなりませんが、世の中にはどうにもならない言葉も存在します。
集団ストーカーの一番の問題は、信じる信じない以前に、被害者の話をそのまま受け取る人がいないということです。
言葉の意味は受け取る人によって変わり、また、それを一切受け取ろうとしない人もいます。
聞いているようで聞いていないのです。
人の意見を聞かない人には、何を言っても無駄です。
なぜそのような現象が起こるのか、それは集団ストーカー現象とは、被害者がおかしくなるのではなく、被害者の周囲が少しずつおかしくなる現象だからです。
ダブルミーニングを打ち破るには、事象そのものを議論し、言葉が事象からずれた場合にすぐにそれを指摘しなければなりません。
それでもマスコミによるダブルミーニングを打ち破ることは困難です。
マスコミは真実をも捏造することが出来るからです。 >>724
出来ることをやるって約束だからねー
風呂掃除したらそのまま入浴
雨の日の入浴は気持ちいい >>709
あ、ごめん、おっさんじゃなくて長文の事ねw電波の域に達してるからもうASKAかと 携帯のナビ見てたら女性とぶつかっちまった、、謝ったけど悪いことした。 みんな人生を生きていると思い込んでいるわけですが、集団ストーカーの被害者の場合、これは人生とは形容できないものです。
人生でないとすると、これは一体何なのか。
そんなものは誰も経験していませんから、その形容は難しいのです。
人によって違うと思いますが、人生は暇潰しであるという年寄りが多いのは、それが真実であることに気付いていたからでしょう。
もはや命があるのか、自分や世界の実体すら分かりませんが、まだまだ人生は終わりません。
規律は一切ぶれませんが、現象の確率が大きく地味に変化します。
人生が暇潰しであったとしても、つまらないだけの人生では、人生そのものに対する認識をさらに変えなければなりません。
何をしたとしても、すぐに嫌がらせを受けて気分を害します。
死の先に向けての精神修行プログラムのようですが、死の先に何があるのか見えませんので、判断が分かれるところです。
最終的に、これは人間対人間のプログラムではない兆候も見えます。
つまり、この嫌がらせは自分一人でも完結するのです。
テクノロジー犯罪の被害者の被害内容が、その可能性を示しています。
人生のほとんどの時間を嫌な思いで過ごしている。
対処できていない場合がほとんどですから、ただひたすら嵐が過ぎて行動できるようになるまで耐え続けているようなものです。
人生というよりは、人生が始まる前の準備期間のようなものであり、その準備期間のうちに人生が終わってしまうかもしれない板挟みです。
我々が体験しているものは、人生がうまくゆく可能性を傍観しながら、自分は何か見えない力に押さえつけられ、嫌がらせによって行動や人生を奪われ、何もできないまま終わる何かです。
人生というものに似ていますが、自由がありませんので、悪夢のような体験プログラムのようです。 すべての人間の行動が普通ではなく、何かに操られているような動きしかしません。
私が望む普通の反応をしてくれることはありません。
普通というのは、人間として自然な動きのことです。
例えば、偶然街中を歩いているとか、それがありません。必ずコリジョンキャンペーンかストリートシアターのような動きになります。
我々はその答えを知っています。
世の中のすべての事象が、何者かによってコントロールされているのです。
しかし、それが何者なのかが分かりませんので、とりあえず集団ストーカーと呼んでいます。
キーワードはいくつか出てきています。
コンピューター、バーチャルリアリティー、人工知能。
しかし、今はそのキーワードをそのまま受け取れる段階ではありません。
集団ストーカー現象とは、生きることに対する侮辱です。
生きる上で必要な行動に、必ず嫌がらせを仕掛けられます。
だから、これを人生と呼ぶわけにはいかないのです。
これは嫌なことを受け入れるというレベルの話ではなく、人生に悪意を混ぜ込む存在がいるという話です。
レベルの低い話ではありません。むしろとても理解が難しい話であり、精神病を信じているレベルではとても理解できる話ではありません。
確かに、事象を理解するのは脳であり、すべては脳に投影されたものです。
脳に異常が起きれば、事象は捻じ曲がる。あるいは全く別のものが投影される。
理論的にはその通りです。
しかし、事象を操作している証拠がわざわざ介入してくる余地は、精神病にはないのです。
証拠たる仄めかしはほぼ確実に起こります。
これが精神病で起こるなら、自分の精神を予測する精神が存在し、しかもそれは世界の事象をも予測しているということになります。
それは超能力です。あらかじめ情報がインプットされた精神などあり得ません。
正確に言うとあり得る。
もしそうだとしたら、人間の精神とは何なのか。
結局のところ、何かにつながっているということになります。
そう考えるくらいなら、すべては思考送信による事象であると考えた方が現実的なわけです。
世界の正体は分かりません。
どちらが正しい答えなのか、あるいはどちらも間違っているのか分かりません。 ただ、その事象は起きている。
それは嘘ではなく、真実であり、誤解でも勘違いでもない。
勘違いであるなら、その仕組みを説明してもらいたいものだが、その説明はあまりに馬鹿馬鹿しいものばかりで、この事象をある程度正確に説明できる人間は、今のところこの事象を経験した者だけです。
予測や想像でそれを説明しようとしても、精神病だという思い込みが必ず入り、事象の認識がずれたり、全く別の事象の説明になったりします。
我々にはそれがあまりに馬鹿馬鹿しい認識レベルなので、わざとミスリードしていると感じるわけです。
説明をする上の理由で、また集団ストーカーや一般の人々との情報のやり取りを想定して、私が集団ストーカーの被害者であるかどうかは明言していないのですが、それは同じ被害者であっても見分けるのが困難です。
どのみちそれが本物の被害者なのかフェイクなのか、誰も分かりません。
私が感じるのは、生まれる前から人生は破壊されていたのではないか、もしくは最初から破壊されるために人生が始まったのではないかということです。
そういったタイプの被害者も少なからず見受けられます。
そうなると、集団ストーカーという何かが存在しているという考えではなく、この世界そのものが集団ストーカーによって作り出されたものという考えに変わります。
パラダイムシフトという考え方です。
パラダイムシフトは考え方の土台そのものを操作されるものです。
集団ストーカーという事象そのものがパラダイムシフトという嫌がらせです。
被害者の常識が書き換えられ、一般の人々と常識が衝突することになる嫌がらせです。
気象操作という現象を経験している被害者も少なからず存在するようです。
集団ストーカーの被害の範囲はあまりに広いのです。
どこまでが思い込みや勘違い、妄想なのかをしっかりと見極めなければなりませんが、集団ストーカー現象とは、思い込みや勘違い、妄想を誘発させる嫌がらせです。
その事象には本人の思い込みというよりは、集団ストーカーの介入があります。
それは被害者だけではありません。
一般の人も、すべての人々が集団ストーカーによる妄想、思い込み、勘違いの誘発による嫌がらせにコントロールされています。
すべては集団ストーカーによる嫌がらせである。
人間に主体性はない。
敵は明らかに命や人生を侮辱し、否定してきます。
人生という言葉に惑わされたり、無理に人生という枠組みがあると考える必要はないでしょう。
場合によっては、我々は人生とは違う何かを見据えなければなりません。
それは宇宙との一体化ではなく、来世でもなく、宗教でもなく、自分の中の何かかも知れませんし、他人の中にあるものかも知れませんし、世の中に出回っていない情報の何かかも知れません。 第一に、真面目に話さなければならないことを真面目に話していないという現実があります。
世界の人々がどうすれば安全に生活できるのかということに対して、すべての政治家が明言を避けています。
アメリカの大統領が危険な方向へ向かおうとしているのを、誰も止めることができません。
結果ではなく、危険を煽る行為を避けて、危険を回避する方向へ向かわなければならないのです。
世界のすべての国の圧力で、話し合いに応じるように圧力をかけること、そして妥協策を見出すことは簡単です。
例えば、人口抑制の共通政策は第一に考えなければならないことです。
世界のどの国も、宗教的なものなのか、そのことに触れません。
人口が増え続ければ食料供給に無理が出てくるのは明白です。
食料や娯楽にばらつきがあるから戦争が起こるのです。
人間のかたちに合わない宗教の部分が存在することも明白です。
宗教という言い訳を通用させないようにしなければなりません。
宗教からの脱却を、科学的に推進する動きが見えません。
何より流れる情報のほとんどが強者の論理であり、かつ、モラルを軽視しすぎています。
モラルが崩壊すれば、弱者でさえが反乱を起こし、世の中が乱れるでしょう。
何を言っても無駄である世の中、その正体を認めるべきです。 どこまで自由を認めるのかという議論の答えは明白です。
他者の自由を侵害しない程度の自由が、許される自由の範囲です。
それはモラルによって判断し、決めれば良いのです。
モラルはほとんどの人間に共通しており、ほとんどの人間が納得しています。
悪は小さな段階で取り締まるのが効率的です。
それが悪であるかやむを得ないことであるかは明白でしょう。
悪はたいてい、わがままの度合いが極端に大き過ぎるのです。
暴力団ほど社会的な反社会勢力になってしまえば、どうすることもできません。
というよりも、どうすることもできない警察や日本政府の方を疑うべきでしょう。
実際は簡単に撲滅できるはずです。
それは弱いモラルの段階だけでも矛盾した存在であり、取り締まることに対する後ろ向きな感覚がある方が明白におかしいからです。
いじめのニュースを見るたびに、教育委員会や教師などがそれを取り締まろうとしない態度に憤りを感じる人は多いでしょう。
まるでいじめを行う側の味方をしているようです。
いじめる側といじめられる側、どちらが悪かは明白です。
しかし世の中には、どちらが悪か分からないと発言する人が後を絶ちません。
いじめという行為そのものが悪なのです。
何か言いたいことがあるのなら、言葉で説明すれば良いのです。
相手は言葉が通じる人間なのですから。
言葉で言って分からなければ、教師や警察などに訴えれば良いのです。
それが出来ないのは、教師も警察も教育委員会もしばしばおかしいからです。 いじめの仕組みを黙殺する世の中という真実を認めるべきでしょう。
視点や視野のコントロールは、主にマスコミが行っていますが、それに乗っている人が多いのです。
戦争が良いことなのか悪いことなのか、どのような視点で見てもそれは分かるでしょう。
その原因を誰も説明できないのです。
政治家が国民感情を逆撫でする行為を繰り返す理由を、誰も説明できないでしょう。
視点ずらしに惑わされることなく、視野をしっかりと確保すれば、すべての問題は簡単なことです。
悪いことは駄目、たったそれだけのことです。
ところが世の中には悪い人間、堂々と悪ぶることがかっこいいと思っている人間が多く、すべてを惑わせます。
それがミスリードの手法なのです。
平和が確立するまで、例えファッションであっても悪いことは許されません。
それは暴力団やいじめが根絶されてからはじめて許されるものです。
まぎらわしいことも悪なのです。
世界の真実は明白で簡単なことです。
説明できない世界に住んでいるということがおかしいのです。
説明できない理由があるなら、その理由を説明するべきでしょう。
その説明ができるようになるまで、悪を許すべきではないでしょう。
説明できない悪を許容している人間を、私は信用することができません。
難しく考える必要はありません。
世界は間違っている。
その真実だけを素直に捉えるべきです。
世界の嘘に気づかないという不自然な人間がいることを、証明しなければなりません。
しかし、謎解きをしていると人生が終わってしまいます。
どちらを取るかではなく、偽物の世界で生きることを強制されているのです。
選択肢はありません。 この犯罪を受けて思うことがあります。
ある人が言った言葉です。
日本は民主主義国家にも係わらず、それを受け入れるに等しい国民意識が育っていないのではないか。
個人の自発的懐疑心こそ、自由の力に起因すると。
それは世界の統計上異常値とも言える程、政治に無関心な国民であること。
偽装国家、権力の私物化、物事には順序があると思います。
確かにこの犯罪の周知は必要であり、ある意味それしか無いのだとも思えます。
しかし、統計上は犯罪率は減少していますが、その異常性や病んだ国家の烙印は知る人ぞ知ると言う事です。
おまけに、ある被害者集団は、現政権を支持するという暴挙も厭わない分けです。
政権に、この犯罪の根拠があるとも当然思えませんが、シンクロニシティは正直です。
シールズのメンバーの様に正義に全てを捧げる人は、こんな下らない犯罪に巻き込まれることはないのです。
被害者は視野をもっと広く持って頂きたいと思います。
何が真実であるかは、個人の思想と育まれた価値観に係っているのは当然の事で、他者が触れることの出来ない世界観を持っているのはその通りだと思います。
ただ、避けられない国民意識という試金石を怒りに任せて投げ出さないで頂きたいというのが正直な思いです。
欧米が正しいとは言いませんが、小学生でも政治的討論をしています。私も含めて被害者も見習う点は多いにあると思います。 ネグレクトとは、与えないことにより苦しみを生み出す嫌がらせです。
一般には、子供や介護が必要な人に、食事を与えなかったり、娯楽を与えない、世話をしないなどの社会問題として周知されています。
また、意図的に無視をすることもネグレクトに当たります。
重要な作法を教えないことにより、特定の場所で恥をかかせる。
ルールを教えないまま仕事をさせて失敗を誘発する。
ターゲットにだけ挨拶をしない。しても適当である。ターゲットに挨拶を返さない。
飲食店でいつまでも注文を取りに来ない。
レジで待っているといつまでも何かの作業をしていて来ない。
確信的な話や、真実の暴露をすると無視をする。
ネグレクトは集団ストーカーの主要攻撃のひとつですが、このことに触れている被害者のブログをほとんど見たことがありません。
嫌がらせには、動的な嫌がらせと静的な嫌がらせがあります。
集団ストーカーで問題になるのは、大抵、動的な嫌がらせであり、ネグレクトなどの静的な嫌がらせはあまり主張されない傾向のようです。
集団ストーカーの主眼のひとつに、ターゲットに対して楽しみや快楽などを与えないというものがあります。
すべての嫌がらせはその目的のための大いなる妨害活動であるとも言えます。
集団ストーカーの被害者の中には、仕事が見つからないことにより、経済的に困窮している場合が多いのですが、これは経済的な自由を制限していると捉えることができます。
また、結婚などを諦めている被害者も多いのですが、これは人間関係が完全に行き詰っているため、当然のことです。集団ストーカーはそれを狙っています。
集団ストーカーの被害者が遭遇する人々は、ほぼ完全にコントロールされていることがあります。
これではまともな人生は望めません。 せめて趣味に没頭しようとしても、それも嫌がらせにより妨害されます。
何一つ、やり遂げることは叶いません。
であれば、なぜ集団ストーカーは我々に命を与えているのか、ということがおそらく本当の主眼になります。
ひとつ考えられるのは、幸福の見せつけという嫌がらせが答えである可能性です。
それは差別することによって、我々は幸せな人々の糧になっているのではないかということです。
但し、その答えであれば、わざわざ集団ストーカーが世の中をコントロールしているという種明かしを我々に対して明かす必要はないはずです。
それはバランスをとっているのか、あるいは弱い立場の人間をシミュレートする修行のようなものなのか。
それは強制的過ぎて不自然であり、これは人生として成り立ちませんので、そういうわけのわからない筋が通らない敵ということなのか、そういうゲ
ームなのか、攪乱なのか、分かりません。
このことを主張している被害者は大変少ないのですが、与えられない、得られない苦しみを受けている被害者も多いということを、それが集団ス
トーカーの本当の狙いであるのだということは重要です。
嫌がらせというものは基本的に板挟みですので、それは両方あって、効果は高まります。
人生に不可欠なものが、どう足掻いても得られない被害者も多いのです。
幸福を見せつけられ、それを手に入れることが不可能な状態である。
尚且つ日々、嫌がらせを繰り返されている。
嫌がらせが止む日は一日もなく、少なくとも一日数十回の嫌がらせを受けている。
完全に落ち込んだ時は、なぜか集団ストーカーは気を落とすなというエールのような仄めかしをしてくる。
精神が危ないと思ったときは、思考を一旦和らげて、深く考えないようにして、身体に表れる異常を抑える。
しかしギリギリではない。
日々の流れは平凡であり、極めて地味なものである。
答えは出せない。危険な答えしか用意されていない。
集団ストーカーの狙いに反する答えを出すためには道を外れなければならないが、それさえ集団ストーカーの狙いではない証拠はない。
ネグレクトは板挟みのように、強力に被害者を追い詰めます。
ネグレクトは一般の人にも発生しています。
一般の人は集団ストーカーという現象を知らないわけですから、その知識を与えられていないというネグレクトを受けているということになります。
それは一般の人と集団ストーカーの被害者を衝突させるために必要なことです。
ネグレクトは、事象が存在しなければ意味を持ちません。
幸福という前提があって、初めてネグレクトは効果を発揮します。
ネグレクトと幸福の見せつけは、ほぼセットで行われます。
幸福を知らしめることにより、不幸感を増幅させることができます。
また、ネグレクトという被害のない静寂の間を持たせることによって、嫌がらせにインパクトを持たせ、やはりその効果を増幅させることが出来ます。
ネグレクトは、その嫌がらせの主眼、集団ストーカーの狙いを見破ることができるかもしれない重要な事象です。
与えることで死につながる攻撃があれば、与えないことによって死につながる攻撃もあります。
それがネグレクトという嫌がらせです。 集団ストーカーの被害者に限らず、一般の人の人生にも物語性があります。
しかし冷静に考えれば、人生に物語性は必要ないはずです。
物語は物語的ですから、自然ではありません。
人間が筋書きを書くということは、他人をコントロールしようとすることです。
大抵それは、幸せのサプライズなど、お祝いの時にのみ物語を作りますが、日常から物語にまみれているというのは不自然です。
物語性がない場合、どうしても倫理観などの刷り込みができずに動物的になってしまいます。
物語性は、人間をコントロールする上で、流れるように刷り込みを行うことが出来る極めて優れた洗脳システムです。
つまり、子育てでの思い出、学校での思い出、仕事での思い出、人生での思い出、すべて社会的に作られたシステマチックなものです。
物語性は、人間が他人の真似をしながら成長してゆく特性を利用しています。よって、物語もみんな似ることになります。
思い出のほとんどは、社会の枠組みの中に押し込められて、無理やり社会によって詰め込まれたものです。
その中の勝ち負けを意識する人間の中から、善悪の特性が生まれることになります。
物語性には社会からの圧力があり、物語に参加しないということはほとんどできません。
大衆的には、物語からの脱却を図るのは危険なことになります。
しかし個人的には、くだらない物語を押し付けられているのであれば、物語から脱却した方がましな場合もあります。
よく個性的な人、俗世間から距離を置いて生活する人がいますが、それも社会が用意した物語の枠組みの範疇です。
日常生活だけでなく、生きてゆくための仕事も同じです。
最初からすべてを教え、完全な状態から仕事をスタートすれば何の問題も発生せずに簡単なのですが、人は成長をわ
ざわざ演出しながら、失敗を物語にして仕事を進めていきます。
最初から世の中のすべてを教えるということは誰もしません。
効率的ではありません。
本来は仕事に失敗は必要ありません。
人間の物語を構築するために、あえて仕事に物語性を持たせていると考えられます。
仕事は社会がうまくまわればそれで良いのです。
わざわざ営業戦などで会社同士つぶしあう必要はありません。
競わせることで成長が加速するという理論もあるようですが、競い方が効率的ではありません。ただのつぶしあいになることがほとんどです。
物語が人を洗脳し、効率という真実を隠してしまいます。
生きることは働くことではなく、物語を体験することである。
もし、そうだとするならば、この世の中は何なのでしょうか。
集団ストーカーの被害者の場合は、この物語に納得がいきません。
強制的に敗北のシナリオを与えられているからです。
ある程度人生が幸せな人であれば、人生の物語性など考えることもないでしょう。
それで幸せなのですから、物語は歓迎であり、それに疑問を呈する方がどうかしている。
世の中はコントロールなどされていないし、物語は自然に構築されたものであると主張するでしょう。 集団ストーカーの被害者が見ている物語は、実にくだらない茶番です。
集団ストーカーとの戦いも、それぞれストーリーが違うだけの茶番です。
どんなに努力したとしても、すべてコントロールされた、なんら結果は変わることのない茶番です。
一般の人々はドラマに近いハッピーエンドの物語ですから、世の中の物語性をほとんど否定することはありませんが、我々は、世の中の道理そのものを否定しようとしています。
被害者の場合は、人生と引き換えに超常現象のようなものを体験し、世の中の真実に近いものを見ることが出来るという等価交換なのでしょうか。
しかし幸せな人生を手に入れている被害者もいるわけですから、やはり我々は物語の内に埋没するわけにはいきません。
人生は暇つぶしと言いますが、我々が見ているものはそれとは大分違うものです。
過ぎれば終わり、終わらなければ終わらない。その板挟みです。
一般の人の場合、おそらく物語に埋没していなければ、生きていくことが困難な世界のはずです。
それが物語であると指摘してしまえば興醒めしてしまう。
幸せのほとんどが物語で出来ているとするならば、物語は正義なのでしょう。
だとすれば、その正義を享受できる人はごくわずかです。このような正義は正義とは認められません。
正義には、個人の中の正義と、すべての人が共存するための正義があります。
この違いはわきまえていなければなりません。
不幸な物語を体験する人がいなければ、幸せな物語の価値が分かりません。
これは巨大な差別システムです。
考えてみれば、人間は知性があるのですから、物語の外に簡単に出れるはずです。いつでも物語をやめて、自然な生活を実行することもできるはずです。
幸せを作り出すための物語、その洗脳。これが人間をコントロールする技術です。
しかし物語のある生活に慣れてしまった人々は、物語のない味気ない日々には耐えられないでしょう。
こうして偽物の毎日が続いていきます。
物語を脱却したとき、我々は本当の世界のおかしさを知ることになります。
知識人たちが効率の悪いことをするはずがないのです。
知識人や政治家がまともに動けば、誰もが納得することを繰り返し、あっという間に世界を最適化してしまうでしょう。
悪や不幸な人は最小限になり、平和で退屈で楽しい毎日がやってくるでしょう。
もう一度、おかしいのはどちらなのか、我々は問います。 >>727
__,,..,,,,_
./ *・ω・ヽ はずカスー >>728
ギフハブかいwww
>>729
エントロピー増大は自然の摂理www
>>730
大丈夫だよ >>731
何と入れ替わった?
>>732 __,,..,,,,_
./ ・ω・ヽ おばちゃんおはざば〜
./ ヽ
。。。。 / ヽ 。。。
。゜゜[_i~~;;i_~~,i_~~ i~_;;i;i_]゜゜。゜
i;:;i;;_;;i_ _,i__; i _;;i ;;i
i_ _,i__; i _;;i ;;i;;_;;i_,i
i;;_;;i_ _,i__;,,i _;;i ;;i;;;iww
⌒⌒ ̄ ̄ ̄⌒⌒ ̄ ⌒ >>734-744
あなた裁判起こしたら負ける人だね 悪であるとか、悪いことであるとか、やってはいけないことなどを議論するときに、まるで倫理が人によって違うかのような情報操作を行う者がいます。
いわゆる情報の複雑化を行い、真実を煙に巻く嫌がらせです。
倫理は単純で簡単なもので、それは基本的にひとつしかありませんし、人によって変わるものでもありません。
誰でも二者択一で考えれば分かるもので、判断できないのは、よほど意識がはっきりしていない人間だけです。
人間がされて嫌なことは、みんな同じです。
違うと言っている方がおかしいのです。
マスコミ及びインターネットでの倫理の攪乱が止まりません。
倫理は難しいものではありません。
人間として当たり前のことを当たり前にすれば誰でも守れるものであり、世界全人類誰一人としてそれを守ったからといって不利益を受けるようなものではありません。
モラルを守ることで不利益を受けると考えている人間は、どこかで既にずるをしている人間です。
他人を意図的に傷つけてはならない。
他人を傷つけるかもしれない行動は、傷つけないように最大の配慮をしなければならない。
社会は他人を傷つけるかもしれない行為を周知しなければならない。
この当たり前のことをすべての物事に適用し、当たり前のように守ればいいだけの話です。
上に挙げた原則の中で決定的に欠けているものがあります。
社会は他人を傷つけるかもしれない行為を十分に周知していないのです。
社会はすべてを見ている存在ですから、どうすれば人々が衝突しないようにできるか知っています。そしてそれを周知する義務があります。
それがないのです。
それがこの世界の正体です。 倫理観は、我々がちょっと考えただけでも簡単に分かるものです。
どうすれば人々が衝突せずに済むかも、誰でも知っているはずです。
ところがこの世界は、その衝突を回避するような仕組みにするどころか、わざと衝突を増やすようなコントロールをしています。
それがあまりにもわざとらしく、低レベルであるので、我々は怒っているのです。
集団ストーカーの被害者の方がまともであると主張したいのですが、それを言ってしまうと、ややショッキングなイメージになってしまいますので、表現を和らげている次第です。
戦争は、原因を相手に聞いて、世界が見守る中、話し合いで解決すればいいだろうと思います。
暴力団など撲滅してしまえばいいだろうと思います。暴力団が存在しないデメリットなどまやかしです。
タバコや酒などのマナー違反は、目に見えて明らかなのですから、テレビでそのマナー違反を放送して周知撲滅すればいいだろうと思います。簡単なことでしょう。
粗暴な人間やアウトローをかざして威嚇しようとする人間が通用しているのは、マスコミがお墨付きを与えているからです。
普通に考えれば彼らがまともに働ける場所はないはずです。
真面目に働いている我々が、仕事でわずかに相手に嫌な思いをさせただけで、大変なペナルティーを受けるわけですから、アウトローでは仕事になるはずがありません。
我々でさえそのようにして強制的に矯正されているわけですから、アウトローがペナルティーを受けない社会が不公平でおかしいのです。
3歳の子供でも分かることが、大人の社会では分からなくなる。とてつもない痴呆が発生している。
この事実を知っているのは我々だけではないはずです。
一般の人々も、世の中がおかし過ぎることは知っているはずです。 だからといって、集団ストーカーがそれをやっているのだと言って、信じる人はいないでしょう。
集団ストーカーは、世界を作っているひとつのシステムです。
世界そのものと言い換えてもいいでしょう。
だから、逃げるのではなく、変えなければならないのです。
倫理がおかしいことを放置しない、これが大切なことです。
ただし敵は甘くありません。必ず直した部分、対処した部分を攻撃してきます。
例えばお年寄りに席を譲る、すると舌打ちされる。
ゴミなどを拾いゴミ箱に入れる。すると周囲の人々から笑われる。
タバコのポイ捨てを注意する。すると逆に警察を呼ばれて言いがかりをつけられたと訴えられる。
これが集団ストーカー現象です。どれほど驚異的で厄介なものか、そして敵のレベルの恐ろしさが分かるでしょうか。
すべて計算ずくで、わざと注意させて、それをするのです。
実際はその例よりも遥かに複雑で、逃げられない状況を作られた上で嫌がらせをされます。
何のために集団ストーカーはそんなことをしているのか、ではなく、全員がそれをされているのです。
世の中がおかしいということは、被害者は被害者だけではなく、一般の人も被害者なのです。
正確に倫理の動向を見れば、倫理の歪みに気づくはずですが、誰も気づかないようです。
人間が神秘的なものであると信じてしまっているため、人間の行動パターンが広く取られすぎているためでしょうか。
人間は神秘的なものではないが、集団ストーカーは存在する。あまりにややこしい表現ですが、それが真実です。
確かにどう見てもそれは矛盾しているようにしか見えないでしょう。
真実はひとつとは限らないが、倫理はひとつである。
これも矛盾しません。
人々が共存するためには、相手の真実は認めなければならない。
しかし、倫理はひとつにしなければ、共存は難しい。
倫理は人間が勝手に作れるものですから、全員が致命的なことにならないようにうまくひとつにまとめるべきでしょう。
高いレベルの問題までモラルで縛る必要はありませんが、まとめられるレベルのものはたくさんあるはずです。
騒音のガイドライン、心理的なガイドライン、人間関係のガイドライン。
選挙カーによる騒音など、深夜に働いている人にとっては極めて迷惑なものです。
やめても誰も問題がありません。
日本の選挙カーをうるさいと言って外国人が襲撃したというニュースもありました。
なくなると寂しいと言っている人がおかしいのです。
しかも、これでろくな政治家がいないのですから、ますます頭に来ます。
選挙カーによる騒音は、警察にも通報が相次いでいるようですが、取り締まる法律がないのが現状です。
市民の生活を奪いながらの選挙活動、政治家の底が知れます。
倫理の議論においては、意見が分かれること自体がおかしなことです。
人間の性向は同じですから、基本的に倫理はひとつしかありません。 世の中はすべて人間が動かしているのに、世の中のことが分からないということ。
世の中のことが分からないのに、嘘をついている人間も真実を隠している人間もいないかのように振る舞っていること。
世の中はすべて人間が動かしているのに、まるでコントロールが出来ないかのように言われていること。
攻撃の連鎖が続いていること。
攻撃性の本質を隠していること。
本質的な情報が書かれた本が市販されていないこと。
高いレベルの情報を持つ人が、情報が少ない人に対してはっきりと教えないこと。
学問のほとんどが煙に巻くような論調で、真実が分かりにくくなっていること。
核心に触れる情報の分野はすべて煙に巻かれて、真実が分からない、もしくは小出しにされること。
マナーを守らない人がいるのに、重要な事柄をマナーで済ませてルール化しないこと。
マナーはほぼ全人類共通であるにも関わらず、マナーを守らない人に対して何も言わないこと。
マスコミの報道は必ず答えを出さなかったり、解決を政治家に求めないこと。
マスコミが効率やマナーの悪さを指摘しながらも、一向に直らないこと。
暴力団などのテロ組織がはっきりと目の前に存在しているのに、政治家及び警察が法整備に消極的であること。不自然に悪人を擁護する人々が存在すること。
悪に対して結束して戦おうとしないこと。悪に弱腰すぎること。悪を擁護する人間が絶えず現れること。
政治の真意が毎回分からず、報道番組でも核心に触れることがなく、国民が意味を理解しないまま政治が進行すること。
右翼と左翼の防衛の考え方の違いという演出により、互いに妨害しあって安全保障が進まないこと。科学的に検証しないこと。
政治家が誰でも分かるようなおかしなことをたびたび言うこと。
社会情報の最適化をしないこと。
便利な機能を組み合わせた新製品が出ないこと。機能が小出しにされること。
人間同士が衝突しやすいように設計された世の中。不自然にそれに気づかない人々。 全く知らない名前の差出人からの現金書留が届きました。
おそらく仕事の関係か、最近、連続で立て続けに起こされた自動車の全損事故の関係だろうと思って封を開けて見ると、最近
受けた暴行被害の加害者の少年の母親からの手紙と数万円が入っていました。
封筒に書かれていた名前は弁護士の名前で、弁護士が説明する文書には、住所は裁判所の事件記録で調べたもので、住所は加害者には教えていないと書かれていました。
しかし、加害者の母親の謝罪文にはしっかりと私の名前が書きこまれており、少なくとも加害者の関係者は私の名前を知っていることが分かりました。
あれほど警察に私の個人情報を加害者に言わないように言っておいたのに、裁判所の記録から、いとも簡単にすべての個人情報が漏れたのです。
住んでいるおおよその地域と名前が分かれば、容易に身元を割り出されてしまいます。
私は被害届を書いているときに「こんなに被害者の個人情報を細かく書き込む必要があるのか」「すべて匿名では出来ないのか」と何度も警官に
尋ねましたが、警官は「裁判所で必要になるだけで、関係者以外は見れませんから安心してください」と言っていましたが、加害者の担当弁護士が、いとも簡単に私の個
人情報を事件記録から持ち出し、私の名前を加害者の母親に教えたのです。
何のための個人情報の保護なのか。
簡単に、犯人に被害者の個人情報が筒抜けになってしまうずさんさ。
私は今の賃貸住宅に20年以上住んでいますが、周囲の住民とは、騒音による睡眠妨害などをめぐって闘争が絶えません。
暴力団風の輩や、刺青のようなものを見せつける男からトラブルを仕掛けられることもしばしばで、常にその嫌がらせはわざとらしい演出が施されています。
いつ誰が、私の家を襲撃してもおかしくない状況ですから、私の家に何かあった時に、その犯人が誰なのか、私にも分からない状態になってしまいます。
ですから、私は個人情報を出来るだけ言わないようにして生活しています。
念のため、家に監視カメラは付けていて、24時間記録し続けていますが、何かある時は必ずビデオがうまく撮れていません。監視カメラを付けているからといって、安心は出来ない状況です。
今回の書留の送付には複数の意味があります。
一つは犯人の少年の母親が手紙をよこしたことで、少年が母子家庭であることを仄めかし、私に同情させようとしていること。
少年と言っても見た目は20歳くらいです。
集団ストーカーはこのように同情なども武器として使いますから、もちろん私はその手には乗りません。
まるでドラマのような悪人事情。悪人の正当化。説明。これもいつものことです。
情による悪の正当化のシステムが、マスコミによって流布されています。
そして大切なのは、私の個人情報を犯人が知っていることを知らしめ、私の自由を奪う脅迫。
警察、裁判所の個人情報の取り扱いのずさんさを見せつける嫌がらせ。
これは国に頼れないことを示すもので、集団ストーカー特有の脅迫です。
すでに私は周辺住民とのトラブルを抱えていますし、今の賃貸住宅からの立ち退きも要請されている状態で、引っ越しを急かしているのかもしれません。
私は完全に一般人を装い、穏やかさを装って生活していますが、騒音攻撃や偶然を装う
嫌がらせは毎日やむことがありません。
それは1日も無くなることがありませんでした。
被害はやむことがなく、1日も、数時間さえも穏やかに休むことができないのです。
今回の書留送付のタイミングは、鉄道会社からの電話の数日後でした。
事件は駅の構内で起きており、暴行は駅員の目の前で行われました。
にもかかわらず、駅員は警察を一向に呼ぼうとしませんでした。
それに対するクレームを鉄道会社に入れていましたが、その返答はやはり、何もしないというもの、駅員の言い訳の回答は、ころころと変わりました。
はじめは「犯人に脅され、怖かったから何もできなかった」と言っていましたが、私が「それは業務妨害だから警察に通報するべきでは
ないか」と指摘すると、「状況が分からなかった。
普通の会話をしていた」と説明を変えました。私は犯人が駅員に口止めしているのをはっきりと聞いています。
最終的に「客同士のトラブルだから、鉄道会社としては一切関与しない」とすべてのクレームを突っぱねられました。
私は「分かりました。近いうちに同じことがその駅で起きると思いますが、一切関与しないでください」と言いました。
少年たちに対する報復を仄めかしたわけですが、もちろんこちらがそんなことをすれば、罠に嵌まったも同然で逮捕されてしまうでしょう。
世の中は常に不公平です。 鉄道会社は最終的に、例のごとく同じ言葉しか話さないようになり、私が呆れて無言になると、一方的に電話を切りました。
少年法がありますから、よほどの重罪でない限りは、未成年の犯罪者に罰則は適用できず、ただ注意するだけで終わりです。
私が聞いている話では、暴行犯は勝手な言い分を繰り返しているだけで、反省しているような言動は全くなかったようです。主犯格に至っては、証拠がないと言って、警察は何もしようとしませんでした。
警察も鉄道会社も明らかに悪人の味方をして、被害者に対して何もしなかったことを皮肉的に言ったわけですが、その数日後にその書留が送られてきたわけです。
書留は、前述したように、報復行動を思い留まらせるいくつかの効果が入っていました。
このように、被害者の感情を微妙にコントロールしているということを示してきます。
我慢の限界を超えれば、警察に捕まるか、精神病院に送られるか、死ぬか、殺されるか。人生が終わります。
命を惜しんでいるつもりはありませんが、敗北したまま人生を終わらせる気にもなりません。
本気で勝利を目指せば、おそらく何も達成できないまま死んでしまうでしょう。
そのように、心理面から操作されています。
確実に対処不可能な攻撃を仕掛けてくるというのが集団ストーカー現象です。
国が悪を取り締まるという本来あるべき世界と逆転して、国が悪を主導してターゲットを苦しめるものですから、対処は不可能です。
表面上は普通の世界ということになっていますから、我々はその普通の部分を利用して戦い続けているわけです。
警察にも国に対しても、普通のことを普通にやってくださいと言っているだけのことです。
国も警察も普通のことをやっていないということを告発しています。
個人情報という言葉は比較的新しい言葉だと思いますが、その言葉があるから、理解できるようになる現象があり、存在している不都合が認識できるようになります。
そのような言葉はインターネットの時代になってから急速に増えていますし、事象を正確に説明するための言葉を作り出さなければなりません。 さっき草加行ったらうさぎの店ってあったわ
時間あれば行きたかったなぁ またやらかした、、謝ったけどなにもなかったけどもういやだ >>760
そっかー
>>761
,〃U´U"':、
./・ω・* ヽ
./ ヽ
/ ヽ
_/______./ ヽ______ _/_\_
/ ̄/ゝ ,______U´U_"'しU´U_U´U_________________|_|______
/ ̄ /_|ロ|_|ロ| 口 口 口 口 口 口 口 口 口 口 |ロ|JR| |_|ロ| 口
/ |,,,| [__] ̄ ̄AMBITIOUS ZABAA  ̄ ̄ ̄ ゙̄[__] ̄ | | [__] ̄ ̄ ̄
く|_=_______________________________|_|_______
/____イ◎〓◎  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄└───┘ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ◎〓◎ ◎〓◎ たまには自分から話題投下してくれればいいんだけどな >>763
税法と民法の道義的乖離について、とか?www
>>764
ビンタしてくれなんて猪木にだけ依頼する事だからなーwww >>765
北海道いいよ
もしくは気が合う仲間と街歩き >>772
行こうか
あなたのまだ見ぬ東京へ
>>773
__,,..,,,,_
Σ./ ・ω・ヽ 取られたざば〜 >>776
どこかへ行きたいんでしょ?
東京にも自然あるよ
>>777
最近のは味落ちた
>>775
魚さん行きたいのかwww そうなんだ
何年も食べてないから知らなかった
買うのやめとこ 普通に割り込んできたおっさんいて腹立った
ああいう時一言言えないとストレス溜まるな >>785
__,,..,,,,_
Σ./ ・ω・ヽ 自分!? >>787
TSFのリスト…w
>>788
_,,..,,,,_
🍎🍊🍈🍉🍇🍭 🍬🍫🍿🍩🎂🍅 ./ ・ωヽ ざば〜
〔 ̄ ̄ ̄〕〔 ̄ ̄ ̄〕〔 ̄ ̄ ̄〕〔 ̄ ̄ ̄〕〔 ̄ O┬O w
≡◎―◎─◎―◎─◎―◎─◎―◎─◎―◎‐ ☆リスト☆
アイタタさん
アサギさん
あみさん
おいなりさん
おっさん
カナさん
早苗さん
真紅さん
ドラえもん
半ズボンさん
フレデリカさん
ぽいぬさん
真人さん
ミッフィーさん
美作さん
もここさん
ランぺルさん
わたしさん >>790
男女関係ないじゃん
スゲーなーwww
>>791
おやすみの挨拶ごめんねぇ
>>793
おばちゃんおはようᙏ̤̫🎃 >>794
好きだからビンタしてくれの気持ちはわかるよw >>795
いやいや(´・_・`)私も挨拶ぐらいしかレス出来なくて ごめんね〜 >>797
__,,..,,,,_
./ ・ω・ヽ もっとバンバン来なされ〜 >>799
普段と変わらない(´・_・`)ボーッとしてる >>800
天気いいからね
少し遠くまで出てみたら? >>795
男も女も関係ない
データさえあればなんでもなれる >>801
最近 東京まで失踪しようかな…なんて思っちゃう(´・_・`)誰も知らない土地で1人になりたい… あはははは(*^▽^*)東京でもナマポ貰ってポケGOするの?
だったら別に東京でもどこでも一緒じゃん♪ >>802
まさに憑依だなw
>>803
東京は物価高いから暮らしにくいよ
どこもかしくもうるさいし >>804
よく分からんが東京といってもそんなに楽しくないよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています