>>459
高卒

>>460
両親の気持ちかはもちろん、あなたの気持ちも、理解しているつもりです
ですが、俺は俺のために生きていて、両親のエゴのために生きているわけではないんです
人生は、死に至ったその瞬間までで1つなのだから、
その人が死ぬ瞬間までかじを握らなきゃいけない
よく言われる、自己責任であることのひとつです

だから人権とも言える個人の死ぬ権利は、血のつながった家族とはいえ他人(自分以外の人間という意味で)に邪魔する権限などないと思っています

個人の死ぬ権利を家族であれあ赤の他人であれ、剥奪、侵害するのなら、
その人が奪った権利の所有者の人生を、もちろんその人が死のうとしていた理由を帳消しにしてかつ一生面倒を見る責任は最低限もってしかりだと思います
だって、その人のエゴで、死ぬ権利を行使することができなくなったのだから

しかし実際、辛さの肩代わりなど誰にもできないし、理解してあげることさえむずかしい
それなのに、当事者の苦悩をどれだけ理解できているのかも分からないのに
(というかできてないと思います、当事者ではないんだから)、
その苦悩の我慢を強要してまで生きてほしいというのは、
親としてお腹を痛めて生んだ大切な大切な我が子に対するお気持ちとはわかりますが、
辛くても耐え抜いていき続けてほしい私達のために!と母や父が思い、人生の幕を閉じることを止めにかかるのは、
虐待と変わらないのではないかと思います

お子さんの死を許容することは、
場合によっては、最大の愛情とも言いかえられると思っています

つい最近も博多で病気による全身の痛みで辛く耐えることしかできず、死にたいと口にしていた娘を母親が殺しかけたというニュースがありましたよね

また2chのときから感動的な事件として語られ続けている「また母のもとに生まれたい」と判決のときに証言し裁判官を涙させた、認知症の母を殺害してしまった男性の話もありますよね

どちらも、俺は、被告が被害者を心の底から大切に思い、開放してあげたいという最上の思いやりが起こした出来事と思っています

もしよければツイッターで、安楽死と検索してみてください
反出生の話題も大いに絡んていますが、
反出生とは、安楽死さえ選べない窮屈な国で子供を生むべきではない、という考えのようで、安楽死と類似性はあるものの全くの別物です

俺はすでに生まれてしまった人間が苦悩し結果安楽死を求めることとして、
日本でも安楽死法案の可決を、それも余命宣告など受けていなくても誰もが自身のタイミングで行使できる人権として獲得できることを強く望んでいます

ので反出生には正直興味がないし、
すでに生まれている人間の権利と、
これから生まれてくる人間の権利を同時に議論すること自体にも違和感を感じます
しかし5chのように半匿名ではない分、
深い思考に基づいた発言や、日本人の「死は悪」という旧日本人的な古臭い国民性を反映させずに考え、
皆が安楽死や尊厳死を選択する権利を獲得したいと考える理由や、どういった形でその権利を得ることが理想なのかなど
とても興味深いですし、新しい知見としても視野が広がることが多々あります
死ぬ権利は大事な人権の一つですし

とても長くなってしまいましたが、
つまり死は、必ずしも悲しみだけを残すものではないはずです
時には、開放、救い、願い、人によってどんな手段にもなり得るものであるはずです


乱長文失礼しました