私が壊れた話をする
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ちょっと訳あって自分の人生を記録に残そうと思う。
自分語り乙だけど聞いてくれる人がいたら有難い
同じような経験、境遇の人と話せたら嬉しいです
私のスペック
23歳女
160cm45kg
見た目は悪くないと思う
販売業だが今は休職中
ぐらいかな 私は小学校でいじめられてもとにかく毎日楽しそうに振る舞った。
明るく振る舞わない私を両親は受け入れてくれなかったから。
「ママとパパは学生時代は学級委員だったのになんで>>1は目立たない子に育ったのか」
「ママとパパはクラスの人気者だったから写真を撮るときはいつも前列にいたのに、なんで>>1はこんなに後ろの方に写ってるのか」
「ママとパパは毎日学校から帰ってくるとすぐ友達と遊びに行ってたし、みんなから誘われて人気者だったのに>>1はなんで家にいるのか」
毎日のように言われるうちに自分の本当の話なんてできなくなった。 書いてたら泣けてきたわ
いまだにPTSDで動悸がする
ちょっとコーヒーでも淹れてきます >>19
辛かったら休憩取ってくれ、ゆっくりでいい _, ._
( ゚ Д゚) ガシャ
( つ O. __
と_)_) (__()、;.o:。
゚*・:.。 続き書いていきます
そんなこんなで親には明るい自分を見せなきゃと思って、
私はいじめられてるのに写真を撮るときだけは前に出て楽しそうに前列でピースしたし、
親が見にくる行事がある時はいかにもクラスの人気者みたいに見えるように振る舞った。
皆が私と遊ぶのを嫌そうにしても無理にでも輪に入って遊んだし、
全員に断られて遊ぶ相手がいない日でも「みんなに誘われてるから遊びに行ってくる!」と元気そうに家を出て神社で1人で時間を潰して家に帰っては今日がいかに楽しかったかを話した。
両親は満足そうで、私が無理をしていることなんて何一つ気づいていなかった。
23年間ずっとそう。
ずっと私は、「1人でなんでも出来る強い子」だった 今思えば小学生の時から鬱かなにかだったんだと思う。
子供ながらに病んでたwwww
毎日親の顔色を伺って怯えながら生活して、
両親からは互いの悪口を毎日聞かされて、
愚痴とかのレベルじゃなかった。
母には「パパなんて死ねばいいのに。結婚するんじゃなかった。育てたのは私なのにあんたはどっちつかずでママの味方もしてくれないし、こんなことなら子供なんて産むべきじゃなかった」
と毎日言われ、
父には「ママは頭がおかしい。>>1はもちろんパパの味方だよな?俺は毎日毎日働いてるのに帰ってきても全然休まらず、俺はお前らのために金を運ぶマシーンか!?」
と毎日怒鳴られた。
子供には抱えきれない家庭環境の悪さに私は完全にキャパオーバーだったし、この頃の色々が私の人格形成に大いに影響を与えたと思う。 ここからは私の頭がおかしかった時期の事を書いていく
今となっては信じられないし、ちょっと本当に正常な思考じゃなかったんだと思う。
大人になって善し悪しの区別はついたし理性も働くようにはなったけど自分は歯止めがきかなくなったら人でも殺してしまうんじゃ無いか、人格障害なんじゃないかって自分で自分が怖くて仕方ない
ここから先は胸糞だし、嫌な気持ちになる方もいると思うので読んでくれる方だけ読んでくれたらありがたいです >>24
アダルトチルドレン
頭がおかしくなる
23年生きた総括 小学2年生の時、私には一番仲のいいアユという友達がいた。
学校も同じで家も近く、母親同士も仲が良かったので私は毎日アユと遊んでた。
ある日アユが池で釣ったザリガニを飼い始めたと言って、名前もつけてとても可愛がっていた。
その時はふーん。くらいに思ってたけど、次の日アユを遊びに誘おうと思ってアユの家に行った。
インターホンを鳴らしても誰も出なくて、留守かって思って帰ろうとしたとき、玄関ドアの下に水槽を見つけた。 中にはアユが飼い始めたばかりのザリガニがいたんだけど、私はそれを見た瞬間アユの大事なものを壊したい衝動に駆られた。
親友を独り占めしたかったのかな
今となっては到底理解出来ないし、危ない思考すぎるし、サイコパスかよって自分が怖くなるけど。
私はおもむろにそのザリガニを手で掴んで地面に落として、足で思いっきり踏みつけて殺してしまった。
中の身が出ているのを見て、「ザリガニってエビみたいだな」なんて冷静に思った自分が本当に狂気でしかないし、
大変なことをしたと今は思うけどその時は無感情だった そしてそうこうしているうちにアユのお母さんが買い物から帰ってきて、現場を見られてしまった。
「...>>1ちゃん...なにしてるの?」
私は何も反応出来ず、ただ黙って走り出して逃げるように家に帰った。
「アユちゃんいなかったの?」と聞いてくる母親に、できる限り平静を装っていつもより明るく振る舞った。気が動転してた。
しばらくしたころ、家のインターホンが鳴って母が出た。 「話があります」と深妙な面持ちで家に上がってきたアユのお母さんを見て、私は気が気じゃなかった。
悪いことをした罪悪感より、母に怒られる嫌われる恐怖が勝っていた
母とアユのお母さんが話をしているのを階段の陰に隠れて見てた 話が終わってアユのお母さんが帰った後、母が私を呼んだ
母は、私がした事はもちろん、自分のプライドに傷がついた、恥をかかされたことに激怒していた。
めちゃくちゃに殴られた後、「あんたを殺して私も死ぬ」と言って包丁の先を突き付けられた。
ママやめて!!!と泣きながらパニックになる私を母は容赦なく切りつけた。
床は血溜まりが出来てたけど、不思議と痛みはなかった 部屋中が真っ赤に染まって、母親が正気に戻った時私に言った。
「今から病院に行くけど自分でやったって言いなさい。わかった?」
何回も受け答えの練習をさせられた後病院に行って処置を受けた。
10針くらい縫った。
皮肉にも私は嘘をつくのが上手みたいで、医者には少し疑われただけで済んだ。
母は安心してたけど、私は自分の中で何かが壊れた気がした 人生長いから吐き出したら
つぎへすすめるといいね
過去は過去として、距離を置けますように 小学生ながらにもう死にたいって思って、
まあ元はと言えば自分が悪いんだけど
大変なことをしてしまった罪悪感、
大事な友達を自ら失った後悔、
衝動的にあんなことをした自分への恐怖、
親に刺されたショック、
病院で思ったほど追及されなかったショックで気が狂った。
自分は頭がおかしいんだ、親に認められたくて生きてきたはずなのになんでこんな風に育ってしまったのかと絶望した
反面教師にしてきたつもりなのに無意識に親に似ていく自分が大嫌いで一人で大泣きした
1歳から飼ってた愛猫が私の隣で必死にニャーニャー鳴いて、なにかを訴えていたけど
「猫の言葉はわからないんだよ、ごめんね、引き止めてくれてるの?こんなクズみたいな飼い主なのにありがとうね」
って猫に言ってベルトをロフトベッドにかけて首を吊った。 >>36
俺はそう思わんな
>>1の異常行動は両親からの悪影響に起因している
>>1は生まれついてのサイコパスではない >>39
…本当に追い詰められていたんだな
辛かったろうに 意識がスってなくなっていく感覚があった。
ひんやりした感じと言うのかな、脳に血が回らない感じがしてきたとき、猫がベルトを外した。
子供だったから本当にただベルトをかけただけだったから猫が手で動かしたら取れたみたいで、私は猫に助けられた。
ちなみにその子は寿命を全うして18年も生きてくれた。
亡くなった時は本当に悲しかったし、あの時助けてくれてありがとうって思って涙が止まらなかった >>43
賢くて優しい猫だったんだな
助かって本当に良かった >>40
ありがとう。
当時を思い出すだけで自分で自分が怖いよ
いまは通院もしてるしサイコパスではなかったけれど、それでも本当に取り返しの付かないことをしたと思ってる >>41
こんな最低人間なのに涙が止まらなくなってきた >>44
本当に可愛い猫だった。
私が泣いてるといつも隣にいてくれたし、両親に暴力されたり酷いことを言われてる時もニャーニャー鳴いて必死に止めようとしてくれてたよ。 涙が止まらなくなってきた。ごめん。
ちょっと休憩してまた再開します >>47
気持ちが溢れたなら泣いていい
どんな人でもそれは許されるはずだ >>50
ああ、ゆっくりでいいからな
俺たちは君を待つ ちょっと落ち着いたから続き書きます
最低な人間なのに死に切れず助かってしまった私は、たまたま帰ってきた父に見せたことがないほど大泣きされてるところを見られてしまい、その晩家族会議になった
その日1日の出来事を初めて母から聞いた父は怒り狂った。
私にももちろん怒ったけど、「>>1がこんな風になったのはお前のせいだ!!」って母に言って殴り合いの夫婦喧嘩が始まった。
目の前でボコボコにされる母を見ても足が震えて動けなかった。
リビングの椅子が破壊される音は今でも覚えてる。
私は両親が怖くて怖くて、息がまともにできなくて過呼吸になりながら全身を震わせてその場に座ってた。
そしたら「うちの家がこんな風になったのは全部お前のせいだ!お前がいなければパパとママがこんな風に喧嘩をすることもなかった!お前を産んだのが全ての終わりの始まりなんだよ!」って怒鳴られて父にお腹を思いっきり蹴られた。
私はもう産まれてきてごめんなさいとしか言えず、大泣きしながら家を飛び出した それから1週間くらい家に帰らなかった。
行くあてもなく、お金もないし、でも夜な夜な外を出歩いてたら大人に捕まるのはわかってたから近所の神社に身を潜めた。
ホームレスの人とか怪しい大人に追いかけ回されたりして怖かったけど、もう死ぬなら死ぬでいいやって思ってたぐらいだった
ただ親はやはり私を探していて、1週間くらいしたころ公園で寝ているとこを通報されて捕獲された。
家に帰りたくないって大泣きしたけど、両親は優しかった。
もうあんな酷いこと言ったりしないし手もあげないから、帰ってご飯食べようって言ってくれた そのあと数日は両親が優しかった。
アユのところにも、ちゃんと謝りにいこうって言って家族みんなで謝りに行った。
謝って許されるようなことじゃないし、アユは私の目も見てくれなかった。
当たり前だと思った。
次の日から小学校にまた行き始めたけど、噂が広まって私へのイジメはさらにエスカレートした
畑の腐ったトマトをお気に入りの白いTシャツに何十個も投げつけられて真っ赤に染まったり、鬼ごっこしようって誘われたら私ばかり鬼にされたり、階段で後ろから背中を押されて突き落とされたりした 母はトマトまみれになったTシャツを見ていじめに気づいていたと思うけど、
「あんたは頭がおかしいから、普通の子じゃないから周りに嫌われるんだよ。なんでもいいけど私には迷惑かけないでね」
って言ってきた。
私の小学校にはひまわり組っていう障害のある子たちが入るクラスがあったんだけど、
母と喧嘩するたびに
「あんたは頭がおかしいんだよ!ひまわり組に入ればよかったのに!先生に今から連絡して明日から入れてもらおうか?!」って言われてた
もう自分がなんなのかわからなくなってきていた そんなこんなで色々あったけれど小学5年生になった時、中学校見学があった。
公立の中学を見学して進学のイメージをする機会だったんだけど、その時初めて気づいた
もしかしてこのまま公立の中学に行ったら中学でもいじめられるんじゃないか、って
たまたま同じクラスに中学校受験をする子が2人いて、最初はなにそれ?って思ってたんだけど別の中学に行けるシステムがあるって初めて知って受験を決意した。
両親は応援してくれた。私立のお嬢さま学校に入れば自分たちのステータスになるから。
膨大なお金をかけてもらったからこれで落ちたら殺されるって思って毎日塾にこもって勉強した。 小学校5年の後半から受験勉強に取り掛かったから相当出遅れていたけど、なんとか志望校に合格できた。
そして中学生になって、新しくスタートしよう、人生をやり直そうみたいに思ってた
その矢先いつのまにか弟ができた。
夫婦仲は悪いわ子供は好きじゃないわで、なんで産むんだろうって疑問だったけどポンっと産まれた。
案の定泣きわめく赤ん坊が気に入らない両親は小さい弟に毎日のように手を上げた。
女の子が欲しかったのに男の子だったからもういいや、とか言ってたけど何がもういいのかわからなかった。
自分だけでも精一杯だったのに私が見捨てたらこの子は死んでしまう、この子には自分みたいに育ってほしくないって気持ちが大きくて弟を守っていくうちにだんだん自分の心がダメになっていった 家は地獄だったけど学校は楽しかった。
中学生なりに悩みもあったけど、オリエンテーションでピンときた演劇部に入部して、生き生きするってこういうことか!って思えた
演劇は楽しかった。
舞台上で自分じゃない誰かの人生を生きることがすごく楽しかった。
両親は演劇部に入ったという私の報告を聞いて嫌そうな顔をしてた。
「地味な子が入る部活でしょ?ダンスとかチアとかやればいいのに」って吐き捨てるように言われた そんなとき部活で見た宝塚のDVDに私は衝撃を受けた。
一瞬でファンになって、私はここに入りたい!!ここで舞台に立ちたい!って初めて夢ができた
今までピアノにバレエ、そろばん、水泳、絵画と両親の思うまま習い事をしてきたけど、
ビクビクしながら初めて両親に自分から自分のやりたいことを伝えてみた。
でも案の定
あんたなんかに出来るわけがない、絶対に無理。才能もないしやるだけ無駄。大体あんなのの何がいいの?一時の気の迷いでしょ。
障害児には舞台なんて無理。
と全否定され、初めて抱いた夢すらあっけなく希望を断たれた それでも諦めきれなかった私は高校に進学するとすぐにアルバイトを始めた。
ピザチェーンでアルバイトを毎日して自分の稼いだお金で習い事をして宝塚を受験しようと思った。
毎日毎日学校の後働いて、四つの習い事の月謝もその中から支払って、受験にかかる交通費とか受験料とか宿泊費も貯金した。
自分のお金で何かする分には親は何も言わなかった
そして受験に向けて毎日毎日レッスンに励んで、いざ当日
私が貯金したお金がなかった 宿泊費と交通費が払えないから宝塚に行けなかった。一年間頑張ってきたのに受験ができなかった。
母にお金は?って聞いたら「ここまで育ててやったんだから当たり前でしょ?いくらかかったと思ってるの?少しは返してよ」と言われた。
それでも親が怖くて怒れなかった。
私が大きくなった分、両親の矛先は小さい弟に向いていたから。
私が反抗したせいで弟が殴られたら、と思ったら何も言えなかった それからは自分のお金を自分しかわからない場所に隠した。
宝塚って中3〜高3の4回しか受験ができない決まりだから、この時高1だった私にはあと2回しかチャンスがなかったんだ
このへんはちょっと省略するけど、
それからもバイトと習い事と学校をひたすらこなす毎日で、高2.3と2回とも受験をした。
結果から言うと最終審査で落ちた。
高3で最後の授業に落ちた時、私のショックは本当に大きくて、宝塚しか考えてなかった私にとっては本当に絶望だった 落ちたあと悔しくて大泣きしながら家に帰ったけど、家族は出かけてていなかった。
しばらくして家族が帰ってきたけど、
相変わらず親に弱ってる姿を見せられない私は必死に涙を止めた。
さっきまで一人でわんわん泣いてたのに、目も真っ赤に腫れてたけど何もないような顔で「おかえり」と言った
気づいてくれるかな?なんて期待したのがバカだった
父は私の顔を見るなり
「おお、落ちたって言ってたから泣いてるかと思って帰ってきたのに泣いてないな。全然平気そうだな。やっぱり本当にやりたいことじゃなかったんだろ、ほら、パパとママが言った通りお前には向いてないんだよ」
と言ってきた。
もう、信じられなかった
自分の娘が、つい一分前まで声をあげて大泣きしてたのに。
パンパンに腫れた真っ赤な目をしてるのに。
今までで一番の空元気なのに。
両親は一切気づかなかった。
いかに日頃私の顔なんて見てないかがわかって、このとき完全に自分の心のシャッターが下りた 完全に家族に心を閉ざした私だったが、
高3の終わり頃、また家の中で問題が発生する。
母親が不倫をした。
不倫相手と頻繁に会うようになって家に帰ってこなくなったり、父がいない日には家の中に不倫相手を連れ込んで私に紹介してきたりした。
女友達みたいなノリで惚気話を聞かされる毎日は思春期の私には地獄だった
父が可哀想だと思った 母が父と離婚すると言いだすのに時間はかからなかった。
母の不倫に勘付いてた父は離婚にすんなり同意したけど、親権の問題が一番厄介だった。
父も母も親権を拒否した。
子供はいらない、引き取りたくない。と二人ともに目の前でばっさり切り捨てられた
なんで産んだんだよって本気で思った。
私はもうすぐ18だから一人で生きていけても、小さい弟は親がいなきゃ生きていけない
もういっそ弟を連れて施設にでも逃げようかとか私が弟を引き取って2人で生きていこうとも思ったけど、私が18だから無理だった 結局口論の末渋々母についていくことになった私と弟だけど、ここからが地獄だった
母は不倫相手との新婚生活を邪魔されたくないのか私たちはまるで空気のように扱われた。
私は高校を卒業した後大学に進学したけど、母があまりにも弟を放置するから見ていられなくなって大学を入学して三か月で中退して働き始めた。
ご飯も作ったし家にお金も入れた。弟の学校での集金も私が払った。
前の家族が中々酷かったから母の機嫌が良いだけ少しはマシかなと思って耐えた しかし平和?な生活は長くは続かなかった。
母と不倫相手(海老蔵に似てるので以下エビ)が再婚してしばらくした頃、エビの本性が現れ始めた。
エビはとにかく気性が荒くて亭主関白、変態で子供なんて1mmも好きじゃないDV男だった
それからは毎日毎日母がボコボコに殴られるのを見て、もう我慢の限界だった。 私と弟は同じ部屋で寝ていて隣の部屋が母とエビの部屋だったんだけど、寝てると深夜に隣の部屋から鈍い音がして目が覚めた
母を殴ったり蹴ったり、物を投げて窓ガラスが割れたりする音に混じって母の泣き声が毎日聞こえてきてた
その音で弟が起きて大泣きすると、うるさいと言って私達まで殴られた。
私も弟も精神的にもう限界で、不安定になっていった
家の中での少しの物音すら敏感になってて怖くて怯えてた。 ある日、弟が私の問いかけに反応しなくなった。
近距離で話しかけても全然聞こえてない様子だった。
おかしいと思って病院に連れていったら、
弟は幼稚園児にしてストレスから耳が聞こえなくなった。
そして一部の記憶もなくなってしまっていた >>79
もういいよ
嫁にこい
なんでもかんでも一緒に背負ってやる
悲しすぎるわ >>37
過去は過去って人は言ってくれるけど、自分ではそうもいかないんだよね >>56
ありがとうね。
でももう私は幸せになることを諦めたよ。
たくさん悪いことしてきたから誰にも愛されなくても仕方がない >>61
ありがとう。
ただの自分語りだし長いけど読んでもらえたら嬉しいな >>67
私が忍耐強くないのがいけないのかなと思ってたけど、ありがとう。 >>80
優しすぎ泣いた
こんなに素敵な人がいるなんて知らなかったよ 弟が耳が聞こえなくなり、記憶の一部までなくした。まだ幼稚園児なのに。
幼稚園児なのに親が離婚して、なんだかんだで大好きだったパパには会えなくなって、
知らないおじさんがパパって呼べって殴ってきて、毎日訳もわからず目の前で殴られる母を見て、せっかくできた幼稚園のお友達たちと離れ離れになって新しい幼稚園に入れられて。
色々なストレスから、前に住んでた家の話や前に通ってた幼稚園の話、仲の良かったお友達の記憶を丸々なくしてしまっていた。
この子はこんなに小さい身体であまりに色んなものを背負いすぎてると思った。
子供に罪はないのに、あんまりにも酷かった 弟を守らなきゃいけない。
このまま成長したら私みたいに、いや私以上にひねくれてしまうかもしれないと思った。
でも18歳の姉はあまりに無力すぎた
幼稚園児の弟を引き取るわけにもいかず、未成年はどうすることもできなかった。
ただ家にいる間は一緒にいることしかできなかった。
そんな時、母が嬉しそうに「話がある」と言ってきた
嫌な予感がした これは辛い 見ていて涙がでてくる・・・
これをもしもオカルト板で相談していたら
「今までされてきた事を前世で全く同じようにあなたは子供にやっていて
その罪の償いによる現世なのだ、どうだやられる側の気持ちがわかったか?」
といわれただろうな
虐待死した子供はみんな前世で問題おこしてるそうな
しかし、そこまで憎しみをぶつけてる両親が1や弟が寝てる間にぶっ殺さなかったのは
「犯罪者になりたくねぇ」という身勝手な理性だけは働いていたからだろうな
不幸になったのはお前のせいだとここまでは言えるがだからぶっ殺してやるとまでは犯罪者になりたくないので抑えていたと。 母とエビに呼び出され、私が座ると2人はニヤニヤしながらものすごく嬉しそうな顔で
「赤ちゃんができた」と言った。
私はもう我慢できなかった。
まともに育てもしないのにこれ以上子供を増やしてどういうつもりなのか。
ストレスで記憶障害にまでなってる弟の気持ちは?
その子を産んだら私達2人は尚更邪魔者扱いされる。
初めて親にブチ切れた。
でも母には一切通じず、「やっと大好きな人との間に子供が出来たのに堕ろせって言うの!?そんなの酷すぎる!!」と物凄い泣きながら言われた。
はいはい、もう勝手にして下さい。
ぜっったいに子育てには手を貸さないしお金も払わない。子供に罪はないけど、悪いけど私はその子を可愛がれないから。
と言い、母とは口を利かなくなった。
その数ヶ月後にはいつのまにか弟が産まれてた。
時期的に完全に離婚前に出来た子供だってわかった >>88
優しすぎるなんてないよ
全うに育てて貰ったのに不甲斐ない自分が心底嫌いでね
歳もとってやっと周りが見れるようになったらもう行き遅れですよ
ふふふ
なんか良くない事を考えてそう
辛いは悲しい
死んでなんちゃらってのはある程度理解出来るけどだめだよ
産まれたからには生きてやる!っよ こういうの読むと他人事なのにそんな風に流せない自分が嫌になる >>94
何度も殺してやろうかと思ったけどそれはできなかった
人によるかもしれないけど、私はどれだけ酷いことをされても親は親だから心底大嫌いにはなれないし、縁切りも何度も考えたけど結局死にかけてたら助けてしまうんだと思う。
恨んではいるけどね。 >>99
元を辿れば親も自分の親にこうやって育てられてきたんだと思う。
だから恨みきれない部分がある。きっと親も同じ思いをしてたんだと思う。
きっと手を上げた後に後悔するから次の日にプレゼント買ってきてくれたりしてたのかなって
でもこういうのは繰り返すんだよね >>100
それが子さ
君は自分がイカれてるって思ってるだろうけどさ
いい子だよ 辛いことあっても子でいられる貴女は素敵だと僕は思います
自分ならって考えるととても自制出来る気がしないです >>100
いや、ごめん。実の両親があなたや弟さんにそこまで恨み言はいているなら
あなたや弟が寝てる間にしのびこんで手をかける事も可能だったはずなのになとふと思ったから書いた
けどよく読んだら>>33で殺そうとはしてるね
「自分も死ぬ」というセリフは逮捕されて塀の中行きになるのが嫌だったからだね
子供に文句は言える暴力もふるえるだけどぶっ殺しだけはムショに行きたくないので嫌ですと
最低最悪な両親ですね >>84
自分がしたいように生きればいいんじゃない?
人生なんてそんな大層なものじゃないと思うけど
どれだけ幸せそうに生きてる人でもそれに見合うマイナスを抱えてるもんだよ もう1人弟が出来てからは、私は宣言通り何一つ手を貸さなかった。
だけど母が今までみたいに育児放棄することはなかった。
それが辛かった
新しい弟に自分たちみたいになってほしいわけじゃない
ただ、自分たちには注いでくれなかった愛情をエビとの間にできた子供には注いで、ちゃんと子育てしてることがめちゃくちゃショックだった
母は子育てが出来ないんじゃなかった。
単に私達を愛せなかったんだって気づいた
そして私達はと言うと前の旦那との子供だし完全に邪魔者扱いで、もう3人家族+2って感じだった
そして家族が増えてなにかとお金がかかるからか、母が私に
「あんた、大学中退したんだから入学金と前期分の授業料返しなさいよ」
と言ってきた。
私が大学中退した理由はお前のネグレクトが原因だろーがっていいかけたけど私に返さない選択肢はなかった
私立の高い入学金と授業料を返さなきゃいけなくなった 私は弟にかかる費用を諸々払っていたし、家にお金もいれてたりで手元に残る給料は多くなかった。
だから母に「返すけど、月に数万ずつでいい?」と聞いてみた
そしたら「風俗でもなんでもして最短で返せ」って。
これが1人娘に言う言葉なのか?
衝撃的すぎた。
そして私はキャバ嬢になった 辛いよ 悲しい でも聞くよ 見るよ
見られることで多少でも気が楽になるのなら言いたいガヤも言わずにこれから見るよ ガヤは一つだけ
本当に壊れた人ってさ
壊れたことすら気付かず崩壊していくのかなって経験だけで勝手に思います
「壊れた」って気付けた今ならまだまだまだ取り返せる!!!
勝手な思い込み、要らない言葉失礼しました 自慢じゃないけど、昔からの環境のおかげか嘘をついたり自分を繕って良く見せることが得意な私は夜の世界が向いてたみたいだった。
根暗なのに明るい悩みなんてなさそうなキャラですぐにNo.1になった。
枕営業とかそういうのは一切しなかったけど、本当に心が死んだ
なんでこんなことをしてるんだろう
稼いでも稼いでも母への返済で手元には全然残らないし
弟とも一緒にいてあげられる時間が減ったし
本音の感情を押し殺して別の自分として生きなきゃいけない
演劇は大好きだったのに、もう自分じゃない人間を演じることに疲れてた
毎日憂鬱な気分でどんどん病んでいくのに出勤すると嘘みたいに明るく振舞えてしまう自分が怖かった。
家に帰るとまた別の自分のスイッチが入って、一人で何でもできる強い姉になる。
本当の自分がどこにあるのかわからなくなっていった >>108
ありがとうね。自己満かもしれないけど、聞いてもらうと少し楽になれる。
ガヤは歓迎だよwww あー、殴られ慣れてるから反撃なんか屁でもないのか
例え1が反撃しても大丈夫なのね 母親は >>109
母方の祖父は、昔にDVで離婚してるらしく私は会ったことがない
母方祖母は本当にたまに会うことがあって、私は懐いてた。だけどあまり裕福じゃなくて、頼ることはできなかった。独り身だしあまり心配かけられないから相談できなかったしなにより告げ口したら母に伝わって怒られると思った。
父方の祖父母は健在だしすごくいい人だけど、なぜか母は父方の祖父母を毛嫌いしていて私を会わせたがらなかった。
それと父の妹さんが亡くなっていて、一人息子の父のことをすごく可愛がって甘やかしてたから息子が酷いことしてるなんて私は言えなかった >>110
まだ健全だったころの自分を覚えてるから、今こんな風になった自分が余計に辛いよ。
気づかず壊れていけたらどれだけ楽だっただろうっていつも思います。
でも励ましてくれてありがとうね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています