みんなで自己肯定感の上げ方を考えよう!悩みごとも歓迎します!
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人の意見を否定したくなったら、
まず「どうしてそう思うの?」って聞くのがこのスレのルール
長文歓迎 お世話になってる鍼灸の先生や
コラージュセラピーという分野で活躍している先生も
これから先の時代は心や
精神を高めていく時代に突入すると
仰っていたな 自己肯定感をあげたいって思ってる仲間で
盛り上がりたかったです! 自信がない奴は自己肯定感がない
↓
自分を信じるには?
↓
まずは自分の性格の特徴を認める、把握する
ここまで考えた 自信と自己肯定感て結び付きやすいかもしれないけど、でも違うものなんじゃないのかなー?
自己肯定感は、自信なんてないしパッとしないし、でも人間なんてそんなもんだし自分もそれでいいのだ、みたいな感じなのかなーって思う >>109
自分を知るというのは大事です
そして自分とは「関係性」だと考える人もいます(その人は自分という実体はないと考えてる)
理解は愛を生みます
自分を理解すれば自分を愛せると同義だと思います
>>110
自己受容と自己肯定と自己信頼という言葉の定義づけの問題?
自己肯定感といい人間関係は一体って思ってるけど
僕の場合は「効力感」だったんだよね… >>111
自己肯定感といい人間関係の関連がよくわからない? 『アトピーが教えてくれたこと』というまんがを軽く立ち読みました
無理してたらしいです
自然体でいるのが1番の模様 >>112
自分にOKだす人は相手にもOKを出しやすいんですよね
勿論自分がOKでも相手にNot OK出してたらダメなんですけど
そして自分(たち)という概念の広がりも指摘できます >>114
OKを出すというのをもう少し具体的に聞きたいなー >>115
自信なんてないしパッとしないし、でも「自分は」そんなもんだしそれでいいのだ、みたいな感じじゃないですかね? >>116
なるほどw
となると、自己肯定感は高めるというよりも、ある種の諦観みたいなもののほうが有効なのかもですね
あるいは自分にも他人にも期待しないみたいなこととか >>117
そういう使い方だと、「受容」という言葉の方がしっくりきそうです。 >>118
そもそも自己肯定感ていうのが受容ではなかったっけ?
あなたがこういう人間なら愛するという条件付きではなく、あなたを愛するという存在そのものを愛することが大事みたいな
育児書みたいなこと言ってますが >>119
ですから、
自己受容と自己肯定感の定義の話なんでしょうね、って話です。
僕はぼんやりとしか分かっていませんが。 >>120
ああ、ごめんなさい
ちょっと話はズレますが、意識高い系という言葉がありますよね
私は意識ではなく意欲を高くと思って子供を育てていたんですよね
意識を高くすると自身と乖離しちゃう恐れが強くなりそうだったから しょうがないと受け入れるのか
積極的に肯定するのかの違いかなー?
自分が凄いってことを受け入れるって言い方もするけど。
僕は自分は信用出来ないから相応の手を打つということを
していた時期もありました。 ちなみに今の心境は
俺だから上手くいくだろう
上手くいかなくてもなんとかなるだろう、です。
自分と世界を一部は信頼出来てる感じ
俺たちは上手くいくなんとかなると思えれば成長
歩けば青信号ってのは
まぁ叶わなくて当たり前だよなと思えてます(^-^) >>126
自分は信用出来ないと言っていたのは高2の頃で
明日から朝早く起きて勉強する!みたいな決意をして
1日坊主みたいなことが2〜3回あったからのような気がします
そんな自分を受け入れて、
夕方や夜に勉強をするんだと切り換えるのは
健全な自己受容かもしれません >>122
どうせ俺は…
じゃなくて
こんな俺だけど…
って思えてます?
>>123
適度な飲酒は寿命を延ばします!
いいお酒をいい飲み方で楽しんで下さい! 自分が好きと
周囲が信頼出来ると
私は役に立てるが
一体なのだとしたら(アドラー心理学)、
やるべきことは
目の前の人を喜ばし役に立つことなのかもしれない 人を喜ばすってことでは
「今、求められているものを理解し、的確に応えようとするエゴのなさ」
が大事とも聞きます 人は自分の魂レベルに応じたことを体験する
世界は人に依る >>129
できなくても あーはいはいいつものことじゃんって感じですかね
最近あった人に本気だしてないとか言われて納得してしまった >>134
>本気出してない
一生懸命生きてないってことですかね?
できなくてもいつものことだし
人生諦め気味って感じなのかな?
ご自身を受容されてる感じですかね!
あとは効力感がついた日には、「いつものこと」のレベルがあがるんでしょうね!
いろんな方がいらっしゃるんだなと勉強になります
ありがとうございます! 感謝が大事
感謝で人間関係もよくなる
=感謝で自己肯定感もあがる(自分や周囲に感謝出来る) 1、人は、与えたものを受け取ることになります。だから、まず、自ら愛や敬意のエネルギーを与えよう。
2、愛のエネルギーを与えるためにも、自らを積極的に愛で満たしましょう。 もう時代は、物質から内面の充実へと移行しています。 コーチングの練習をしてたとき感想として
「否定せずに聞いて貰えた」と
「肯定されてよかった」というものがあった。
「分かって貰えてよかった」という感想がベストだったのではないかと今は思ってる。
つまり理解だ。要するに愛だ。
「相手を尊重する=ただ認める」という説もあるが、
持つべきは「愛」ではないだろうか?
自己愛が悪いような文章も見たが、自分たちの範囲が広ければ広いほど有用なのでは?
そして自己愛と他者を愛する心は矛盾しないだろう。
持つべきは自己肯定感ではなく、「愛」。
自分(たち)と他者を愛する心。
と今考えた 自分が自分を充分に愛することを最優先し、愛が人々にどのように影響を及ぼすかに気が付けば、間違いなく人生が変わる 愛されたい、ということは、「君は、今の君のままでいいんだよ」と受容されたい、ということです 愛する、ということは「相手を肯定する」ということです 人は、自分を愛せる量だけしか、他の人を愛せません
そして、自分を愛せる量だけしか、他の人からも愛されません そうなの?
私、自分の子供のこと好きで好きでたまらないんだけどw
そして、そんなに好きな人は他にはいないw 別に難癖つけるつもりはないんですが
好きという感情と
愛するということは
違うことかも
ごめんなさい、難癖です >>147
では私も難癖をw
愛ってそもそも何?
人に対してどう思ったら愛なのか?
友達に対する気持ちは愛なのか?
私は子供のことは大好きで命に変えられるほどの思い
この鬱陶しい感情は愛なのか? >>148
では好きという感情の正体はなんですか? >>147
自己レス
相手を理解したいと「思う」ことと
相手を理解することの違いかなー
好きという「感情」と
愛するという「行為」の違い >>149
理屈ではないですね、これは
仕草、言葉、表情…
そのちょっとしたことで
きゃー、いやー、もー!
と、心がぴょんぴょんする勢い
そして、自分の顔か緩んでいることに気付く あ、私はそもそも理解したいとは思っていないかも
他人のことは理解できないと思っている
人の心はくるくる変わるものでもあるし、それでいいのだろうし
目の前の人に対して
今はそうなんだねー、そう思ってるんだー
くらいで付き合っている >>151
それを愛と表現するなら、それでいいじゃないですか
僕とは愛の定義が違うだけでしょう
ふと思い出したのですが
恋が恋愛になって恋愛が愛になって愛が愛情になって愛情が情になる
なんていう男女の関係の発展的捉え方もありますし、
子供に対する愛情(好意)にも既に名前が付いているかもしれません >>152
エニアグラムでは
感情ベースの人と思考ベースの人と本能ベースの人がいるっていうから
人それぞれなんでしょうね >>153
子供に対しては保護欲もありますからね
なので、圧倒的に他の人とは違うというのはありますね 定義が違うというのもあると思うのですが…
それ以前に、私は漠然としたものよりわかりやすいものに近づくのです
でも1さんは違う
例えば「愛」というのも私にはとても漠然としている
なので、私は愛を意識することはなく毎日を送っている
まるで違うからとても面白くて(失礼)このスレを見てレスしているのです >>155
自分の子供は特別に特別なんだ!
じゃあ>>145は厳密には
※ただし自分の子供を除く
ですね!(^-^)
>>156
僕は愛とか幸福とかそんな抽象的な観念にまっすぐ取り組みたいと思ってるフシがありますね
それがストレートに近道で、幸せになれると思ってる感じです
というかそれしかやり方を知らないのですが(^^;
レスありがとうございます。大変勉強になってます >>157
ホントに真逆!w
私は抽象的なものはドツボにはまりやすいから、幸せは求めずに楽しみは作る
楽しんでいたらある時「なんか最近楽しいな、幸せだな」と思う日も出てくる
そんな感じ?
愛はわからないけどw
一緒にいて楽しい人面白い人には時間を作って会うくらいかな?
今月仕事を変わったのだけど、一緒に入った一人とは連絡をとりあってお茶してたりとかね >>158
僕の最近は
地元スタバの店長に「どんな店を作りたいのか」って聞こうとして
聞く前に「逆にどんな店に来たいですか?」って聞かれる気がして考えました
店長は「愛のあふれてる店にしたい」と答えてくれて
僕は「店員さんが楽しそうに働いてる店に来たい」と伝えました
それから一気に、パン屋の店長とスタバの店長を繋げようと動き始めたり
(スタバ店長とはLINEでつながったし、パン屋の店長には個人的な話をした)
「与える」だの「愛」だの「感謝」だの考え始めて、智慧のレベルが上がった感じです >>159
私はお店は客として利用するだけで、そういう質問をしようと考え付かない人間ですね!w
バーとか飲み屋はまた別ですけれとも スーパー大辞林より
あい 【愛】
@ 対象をかけがえのないものと認め,それに引き付けられる心の動き。また,その気持ちの表れ。相手をいつくしむ心。相手のために良かれと願う心。愛情。
「子への―」「―を注ぐ」「―の手をさしのべる」
異性に対して抱く思慕の情。恋。「―が芽生える」「―をちかう」「―をはぐくむ」
何事にもまして,大切にしたいと思う気持ち。「自然に対する―」
A キリスト教で,見返りを求めず限りなく深くいつくしむこと。 →アガペー
B 〘仏〙 人や物にとらわれ,執着すること。むさぼり求めること。渇愛。
C 他人に好ましい印象を与える容貌や振る舞い。あいそ。あいきょう。「阿呆口たたけば,夫が―に為つて」〈滑稽本・浮世風呂•4〉
今の僕的解釈だと
愛とは
共感的理解と
肯定的関心 >>160
スタバは水商売みたいなもんです
昔フランチャイズのカーショップの社長(兼店長)と飲みに行ったことありますが
店員さんとお客さんも人間だからそういう付き合いもないこともないでしょう
昔小売業で働いてたときはお客さん口説く店員もいましたw
バーとか飲み屋ではどんな感じになるんですか? >>162
カウンターに座ってお店の人がそこにいる場合は話しますね
担当美容師さんともパーマ液を染み込ませている間以外は話してますね
昔はいきつけのTSUTAYAというか当時はレンタルビデオ店ですが、そこのバイトと付き合ったことはありますけれどもw >>163
店員さんとお客さんの恋キタ━(・∀・)━!!!!
>>163さんが男だったらさらに世の中の救いになるのに!!!!
店員さんとお客さまの分厚い壁は決して超えられない壁ではないって事例が1つ分かって嬉しいです!!!!
僕は人と話してると「相手が何をしたいのか」に興味を持っちゃうので
「一緒に何が出来るのか」なんて話に進むのかなーと思ってます。 >>164
ではもう二つ
友達は担当美容師さんと結婚!
ママ友は行きつけのバーのバイトさんと結婚! >>165
みんなお客さまに手を出してるんだなー笑 >>56
自己レス
ーーーーーーーーーー
自分に対しても人に対しても思い切って心を開いて行く度に
本当の自分をさらけ出すことがだんだん怖くなくなっていくのです
こうした機会を重ねていくと傷つきやすい本当の自分を
もっとさらけ出そうという気になるのです 自尊心が高いと勇気も得られます
人付き合いの場でもうちょっと踏み込んでみる
自分の考えを言ってみる
決心する
新しい人と知り合う
といったことを思い切って出来るようになります 自分の意見をきちんと主張できる人は、自尊心が高く、自分を受け入れてます カウンセリングやセラピーを受けるのもいいよね
発想が洋風でスマソだけど おはようございます!
1さんは自己啓発系がお好きなのよね
私は物心がついたときから小説ばかり読んできたせいか、作者が作り上げた世界、普段の自分とはかけ離れた世界に描かれた普遍的なものに心が揺さぶられるというものが好き
そうして、自分の感情は特別ではなく当たり前のものだと知り、人もまた同じだと知り安心してきたように思いますね
それが私にとっての肯定なのかもしれないなと、このスレを読んできて気付いたこと 僕は人と同じことに安心もしますし、
人とは違うことを受け容れる必要があった人生ですね
あと、自己啓発に加え、ビジネス本も好きなのですが、
お勉強が好きなんだろうなと。
効力感に関わる「能力の向上」に興味があるようです。 >>175
私はビジネス本も読まないなー
ちなみに、例えばビジネス本を読むとどういった能力が上がるのですか? 企画力とかも上がると思います
ちなみにビジネス能力検定2級を持ってたりもします 使ってる能力を伸ばす情報や本ってあると思いますよ!
能力伸ばしても仕事振られるばっかりで
どうせ早く帰れないしって言うのなら
「早く帰る方法」ってのも
自己啓発やビジネス本の範疇です! 今、恋愛もその他も忙しくて自己否定感でいっぱい。
でも、基本は前向きで毎日を穏やかに平和に暮らしていきたいと思ってる。
休んだらこのスレ見て勉強するね、こんなスレあってよかった。
自己肯定感の上げ方は10年前からの課題だ(´・ω・`) 今の僕の境地では
自己肯定感を上げる為にいい人間関係を作る必要があると思ってる
その為に目の前の人に役立つ、目の前の人を喜ばしたいと思ってる
しかししばらく前までは、いい人間関係が作りたいから自己肯定感を上げたいという課題感だった
その頃してたことはもっぱら、「自分を整える」系のことだったと思う
自分は「シャンパンタワーの法則」を採用しているので、
「自分を満たすこと(自分を喜ばすこと)」に集中していたな >>181
おはようございます
目の前の人の役に立つとか喜ばせるというのは、具体的に誰にどういうことしてますか? 中野裕弓さんの愛のコーヒーカップ理論?に近いのかな。
自分が満たされてないと周りを満たすことができないとか印象に残りました。
横から失礼だけども、私も>>181さんのお話伺いたいです。 >>182
目の前の人、ということでは大したことは出来てません
募金をしてれば小銭を入れたり、乞食がいれば1食分恵んであげたりとかですかね
周囲の人に対して何をしてるのかと言えば
家族にはICT関連で相談に乗ったり、携帯代を出してあげたり、
甥っ子のために、幼児用タブレットや絵本、トトロのDVDやTVの録画、星の王子様なんかも用意するし、遊ぶときに全力を尽くすとか、
スタバの店長には、職場の店長を引き合わせようとしたり、
同僚と組んだときには、相手の望むカタチでチームワークを図ったり、個人的な話を話す時間をとったりですかね
話をする、ということは大事だと思っています
相手の話をキチンと聞くのも大事だし、自分から話しかけるのも大事だと思っています
こういう質問に誠実に対応するのもそうだし、
いい人間関係ってのはいいコミュニケーションから生まれるのかもしれませんね 超遠方の人には
プランという団体とユニセフに
月1000円ずつ寄付してます 家計簿には
「人のために使ったお金」という項目を作り
同僚におごった金額や
甥っ子の為につかったお金を計上しています
「寄付」とはまた別です ちなみに自分のためには
思いついたことを即実行する
欲望を素直に叶える(眠りたい、食べたくない、のんびりしたい等)
ことを心がけ始めました 最近「自分を大事にね!」という声かけを2回ほどした
不幸の中でも自分を大事にする
病気ならなおさら自分を大事にする
大事な考え方だと思う びっぷらでスレ主のためになりそうなレスをしたり
5chで板住民を喜ばそうとスレを立てたり なるほどー
私は所謂おばさんなので、人にどんどん声かけしてますw
主に乳幼児連れの親と高齢者ですね
電車内で乳幼児がぐずったら「おいくつなんですかー?」「(幼児なら)どこ行ってきたの?」とか
高齢者は、映画館で発券できてなさそうだったり、スーパーで自動会計機の使い方がわからなそうだなと思ったときなど
40くらいのときは、声かけたほうごいいかな?と考えたり躊躇したりしながらだったけど、今は無意識に声かけてるので立派におばさんとして毎日生きてるなというw >>191
いいですね!
僕は警備の仕事をしていて、制服を着ているときは、
赤ちゃん〜小学校低学年くらいまでは手を振ってます
結構喜ばれますね
あと、道行く人には挨拶してます
喜んで下さる方も多いです なぜ乳幼児連れの親や高齢者に声をかけようと40のころ思ったかというと、自分が乳幼児連れの親だったときに多くの方に声をかけたもらったからと、親が年を取ってきてどこかで助けてもらう機会が増えるだろうから、私は私で声をかけようかなと 僕は関東郊外に住んでいるのですが、
以前スーパーで、立てなくなった老人を立たせて、
歩いて貰ったらヨボヨボすぎたので、
住所聞いて車で送ってあげたお客さまがいらっしゃいました
「地域」で生きるってこんな感じ、「共助」ってこんな感じなんだなーと感心しました
僕も人を助けられる余裕のある人間でいたいです やっぱり
分かって貰えてる
という安心感もウルトラ大事
最近の父の僕に対する批判
「そんな程度の気遣いじゃ出世出来ないぞ」とか
「段取り悪いぞ」とかいう発言は
ちょっとキツイ
批判精神の強さは戦後教育なのかなー
新聞とか何書いてあんだろ?
ワイドショーとか未だに人の批判ばっかやってんのかなー? かなり以前から、基本親の言うことはスルーしてるw
親の世代は人間関係=上下関係なので、親は子供に色々言うものなのだという人も多いんだよね
なので、スルーしてるわw スルーがいいんでしょうね
映画『最高の人生の見つけ方』でも
悪態をつくジャック・ニコルソンに、「悪態をつけるようなら大丈夫です(あなたらしい=取り乱してない)」って医師が言ってて
父に対しても批判も父らしさなんだろうなーって
思えればね
「批判的な人間はしょうがねーなー」とことある毎に言ってやるぞ! どうしても、じぶんの親は素敵であってほしいみたいな気持ちがあるからスルーが難しかったりするんだよね
そこからも開放されると楽
親もただの人間、つまりはおバカでダメなとこもたくさんある凡庸な人間なんだよね
私は親の立場でもあるんだけど、子供には「最底辺だというのを忘れないように!」とよく言われるw もう僕は父の魂のレベルは超えてまして、
もう父の成長を見守るモードだったのですが、
最近になって批判が強くなってきてまして。
俺に勝ってるとか思うなよっていう父のアピールなのかなー?
ぞんざいにしてるつもりはありませんが、
感謝の表現が足りないのかもしれません。
小さい子が家の権力者に盾突くような感じなのかなー?
もっと居場所感を与えてあげたい
父にとっては批判的であることで、自分を誇示してるんでしょうね
そんなことしなくてもいいのになー
見守るとか「勝者モード」でなくて、一緒に生活する仲間、共に成長する仲間と捉えるといいのかなー 親として誇示したいというのもあると思うし、年寄り特有の言動ともいえるし
思春期の子供の言動をスルーするみたいに、高齢親をスルーするというか… >今はそうなんだねー、そう思ってるんだー
>くらいで付き合っている
この極意ですかね? >>201
思春期子供や高齢親に関しては
あ、ハイ
今なんだかんだ言ってたみたいですが、これで気が済みましたかね?
それなら何よりでございます!
できれば口は開かずにSNSなんかに投稿してほしいですがね!
みたいな感じかな?w >>80のこれか!
「受け流す技術」
批判してくる人に対しては、「あなたはそう思うんですね!」とだけ返す
過干渉の人に対しては、「心配してくれてありがとうございます!自分なりにやってみますね!」とだけ返す 大人3人(父母僕)が一緒に生活するってことは
楽しさ便利さもあるけど、大変さ不便さもあるってことだよな
他人と暮らすのとそう変わらないし
お互いの思いやりや無関心さが必要なんだね
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