織田信長は明智光秀に惟任日向守という名前を与えてかわいがっていた。 [194767121]
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■宣教師が書き残した「安土城に次いで有名な城」
イエズス会の宣教師、ポルトガル人のルイス・フロイスは、著書『日本史』に次のように書いている。
「明智は、都から四里ほど離れ、比叡山に近く、近江国の二十五里もあるかの大湖(琵琶湖)のほとりにある坂本と呼ばれる地に邸宅と城塞を築いたが、それは日本人にとって
豪壮華麗なもので、信長が安土山に建てたものにつぎ、この明智の城ほど有名なものは天下にないほどであった」(松田毅一・川崎桃太訳)
「明智」とは、いうまでもなく明智光秀のことである。光秀が琵琶湖岸に築いた坂本城(滋賀県大津市)が、織田信長の安土城と並び称されるほど名高かった、と述べているのだ。
また、光秀と親交があった公卿で、吉田神社の神主でもあった吉田兼見の日記『兼見卿記』には、元亀3年(1572)12月24日の条に、「明智為見廻下向坂本、杉原十帖、
包丁刀一、持参了、城中天主作事以下悉く披見也、驚目了」と記されている。坂本城で天主(守)を建設する現場を見学し、(壮大なので)驚いた、という内容だ。
信長が安土城を築きはじめたのは天正4年(1576)で、天守が完成を見たのが同7年(1579)なので、光秀の坂本城にはその6年ほど前に、すでに一定規模の立派な天守が
建っていたことになる。坂本城が安土城と並んで「近世城郭の先駆け」と評されるゆえんである。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d6a7980ebc2601828ad3f813fbfe9f41047cda30 名前じゃなくて役職な
>>1お前は朝鮮人だからわからないと思うけど
皆の前でズラ叩き落とされて笑われたのが謀反の原因だっけ?
ノブ討った後、何とかなるって本気で思ってたのかね。
ネットのオカルトじみた話題って
大体Wikipediaで現地の歴史を調べると判明するパターン多い。
コピペみたいに怪しい場所一覧で、地名の無い人里離れた場所に民家が数件並んでるヤツとか諸々
惟任は九州の有名氏族の名前
日向守は九州の国司、
唐入の時は秀吉と共に先鋒になる予定だったんだろう。
髪の毛むしってやるぜハゲー!!
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>>15 この間本能寺の変を知らずに直前まで調略してたって証拠も出てたし
まぁやっぱり秀吉黒幕はないな
まあ、
織田信長は、イエズス会の宣教師にそそのかされて、
織田幕府設立ではなく
現王政(天皇制)を廃止して
次期日本国王(新王政)に成ろうとしてたから、
朝廷や足利幕府等の日本の保守層に嫌厭されたんだろうな。
天皇は神道の祭主でもある。
歴史ある万世一系の天皇制廃止と神道の根絶はイエズス会の本望だろう。
イエズス会としては
日本分断統治の下拵えとしての
革命分子織田信長を利用しての現王政(天皇制)廃止画策。
当時、戦国時代の日本陸軍は世界最強。
その日本を植民地支配するなら、
先ず、革命分子織田信長vs.日本の保守層で殺し合いをしてもらい
日本が弱体化してもらいたい。
イエズス会としては、
新幕府で安定政権になり、天皇制も神道も存続して
日本が安定し繁栄してもらっては面白くないからな。
断片的にxファイルみたいな情報を晒す慣習なのか
自分的には藤枝市の廃れた某温泉と藤枝梅安も一見関係無さそうである感じ
>>22 まあ普通に考えたら近畿から領地替えされそうになったんじゃねえの
直近の年始で火事になった寺院も
ネットの個人ブログで昔話を確認するだけで理由判明しちゃうし。
もちろん、そういう人間は心得ているから5chに書き込みなんてしない。
お前らだってムカつく上司が丸腰で目の前にいて、下剋上上等の戦国時代だったら、いっちょやったるかと思うやろ
>>21 つまり、信長は将来的には光秀に九州を任せるつもりだった訳か
明智がいなかったら
現在は、中国やロシアなど存在せず、全部大日本帝国になっている
>>4 いいなぁボクは降格されて窓際業務さ(´・ω・`)
名前と役職の差が今より曖昧であり明確でもあった時代
大事なのはその人の立場であり個人としての存在など必要とされていなかった
>>8 でも実際は3日じゃないんだよな大嘘じゃないか
>>29 信長は官職に関してあまり興味がなくて無知だったっぽいからな
響きとかで適当にばらまいたんじゃないかな?武士の~の守とかそんなのばっかりだし
>>14 こりゃ、信長やりすぎだよ
殺されても文句言えない
>>17 成功するかどうか判らんような謀反を遥か遠くから操ったりグルだったなんてのは、電話が発明された以降の発想よ
>>22 まあ、結局、個人的な野望説が一番可能性が高い
もう歳だから、死ぬ前に大勝負してみたかったんだろう
巻き込まれた家臣は可愛そうだけど
まあ、裏切りなんてそんな珍しくもない時代だからね
信長も何度も裏切られて、たまたまうまくいったのが光秀
>>29 秀吉には筑前(福岡北部)守の冠位を与え、丹羽長秀には光秀同様に九州の名族『惟住(これずみ)』の姓を与えているので、
まあ光秀1人に全部任せるつもりだったワケじゃないんじゃないかな?と。
信長を討ったからってそいつの天下になる訳じゃないのが日本
中華思想では討った=天が選んだ、になるのでそこが違う
息も絶え絶えで帰ってきた秀吉軍に負けるてどんだけだよ(;´Д`)
結局天守閣はあったんかな坂本城
一般に安土城前後で城郭のありようが語られてる所だけど
>>40 俺もコレを支持する。
最近NHKが「突発的にやってみただけ」説を放送して以前別のスレでコレを支持してる奴が多かったが、
早い話同じ事だ。
ようは普通の大名家の家臣なら思い付いても「思うだけ」で実際にはやらないような大それた事をやってしまう、
『大胆な発想』と『高い出世欲』を持った人物ばかり召し抱えたり出世させたりしてきたのは織田信長本人であり、
その結果、信長家臣団には「チャンスがあればヤッちゃうよ?」連中が多かった。
だから秀吉も
黒田官兵衛「敵討ち出来たら天下取れるカモよ?」
羽柴秀吉「じゃあヤッちゃう?」
柴田勝家「おい!織田家を尊重しろ
」
豊臣秀吉「うるせぇ!オマエ滅ぼして俺が天下取るわ」
って成ったワケで。
>>45 しかも、日向守だから南九州担当っぽい
島津に当てるつもりだったとしたらイジメレベルだな
そして光秀の背後に筑前守秀吉という念の入れようだ
>>46 明智軍も、
安土城占領しに行こうとしたら途中の橋を信長家臣の甲賀忍者達に破壊されて、ソレを休まず直して安土城までワザワザ行って宝物を家臣達に配って、
ソコから帰ってきて秀吉と戦ってるからヘロヘロなのよ。
>>1 ●織田信長の史実に最も近い肖像画
信長の肖像は従来緑色の服装の肖像画(長興寺蔵)が有名で教科書にも載ってきたが
近年の歴史研究の書籍ではこの肖像画(大徳寺蔵)の採用が増えている
https://i.imgur.com/h65CHtZ.jpeg https://i.imgur.com/z2xNjN9.jpeg この大徳寺の肖像は生前の信長に面会した絵師の狩野永徳本人が制作したものでより写実性に優れ、
信長は丸顔ではなく痩せた面長な顔であったことが伺える。
(長興寺蔵)は永徳が安土に赴く間実家の留守を預かった弟・元秀が(大徳寺蔵)を模写して描いたものと考えられ、他に残る信長の肖像もこれらの模写と考えられる。つまり全ての信長肖像のオリジナルがこの作品である。
また一部で"宣教師が描いた信長"と流布される写真のような「肖像画」は、当時の西欧にこのような画風は存在せず確実に偽物であり、まともな書籍には採用されていない。
作品には明治創業の写真館の所有印が残り、既存の肖像画からイメージして作成したモンタージュの類いだろう。
"我らが知っていることは、その声だけでなく、その名だけで万人を戦慄せしめていた人間が、
毛髪と言わず骨と言わず灰塵に化さざるものは一つもなくなり、彼のものとしては地上に何ら残存しなかったということである。"
~ルイス・フロイス『日本史』~
信忠が生きてたら織田政権が続いてただろうな
実際頑張れば逃げれる状況だったからもったいない
>>22 朝廷黒幕説
明智は罪をなすりつけられただけ
その証拠に本能寺の変のあとの動きがあまりに遅い
周辺大名の取り込みもことごとく失敗してる
結構言われてたパワハラ酷かったとかは何から来てんの
その後安土城が火事になって、石垣も叩き壊されてるとこ見ると
実は信長すげぇ嫌われてたんじゃないか!
>>36 上総守名乗ったり秋田城助を息子に与えようとしたり微妙にずれてたみたいね
>>29 官職名は与えた側から見たその人のランクを表すもので、守護の官職名は最高ランクの名前ということ以外の意味を持たないことが多い
鎌倉時代以降は朝廷が任じた正式な官職も役職ではなく人物ランクとしてしか使われてない
「武家官位」でググれ
当初は朝廷から任命されていて、
後に豊臣秀吉や江戸幕府が朝廷の代理として統治する体裁を示すために朝廷の官位を利用するようになった。
信長は天才だったから他の武将がバカに見えた
信長は歳上の部下を人前で叱ったから恨まれた
>>58 安土城って明智が死んでから燃えてるんだよね。
誰が燃やしたのかそれも謎の一つ。
落雷説、信雄説、明智残党説、いろいろあるよ。
パワハラ上司ならではだよね
『オレはお前を可愛がってるんだから多少の理不尽は受け入れろよ?』
>>57 織田宿老である林佐渡守や
佐久間信盛を「役立たずだから」と言う理由で追放処分、
あるいは新規採用だった荒木村重が謀反した時に対する徹底弾圧(荒木村重と初めて会った時に饅頭を刀に刺して「食え」というパワハラをやったのは有名)
信長が留守の間に近くの寺の祭りに遊びに行った女中達を全員処刑、ソレを弁護しに来た寺の坊さんも処刑。
夫の死後、その城の管理を任せていた血縁の叔母が間道を通って攻めてきた武田信玄の家臣・秋山ナントカにアッサリ降伏して挙げ句に秋山と再婚。
後に信長が城を奪還した際に叔母の指を1日1本づつ切り落とすという陰湿な処刑方法をとった。叔母は3日目に死んだ。
その一方で、お気に入り家臣に対する依怙贔屓
(森蘭丸の兄・森長可が味方の関所を通る際に停めようとした味方の家臣複数人を斬殺、コレを聞いた信長は「鬼武蔵(森長可)なら仕方なし」と何の処罰も与えなかった)
家臣から見れば
「好かれれば天国だが、1度嫌われたら地獄。一生媚びへつらってご機嫌を伺い続けなければ成らない嫌な上司」
であり、年下の秀吉ならいざ知らず、年上の光秀にとっては「年とってもまだゴマすらなければイカンのか?」という考えはあったカモ知れない。
>>63 俺は地元DQN領民による略奪行為中のノリノリの放火だったと思う
>>4 ワイの役職名「部員」
ただ、待遇は課長
外に対しては弱い
惟任(姓)日向守(官位)
姓と官位を両方貰ったのは明智だけ
…と最近、本で読んだ
>>4 俺は日当たりの良い窓のすぐそばでゆっくりしてくれって言われて、一日中静かに座ってる、ああ、俺は大事にされてるって感じるよ
>>34 三日坊主も1週間でやめた奴にも言うじゃん
理想の明智
果ての無い戦国の世を終わらす為に諸悪の根源である第六天魔王信長を討伐し
器をわきまえ秀吉に天下を譲った後天海と名前を変え徳川と共に日本を平和へ導く
実際はハゲを馬鹿にされたので謀反
>>75 いつも思うけど信長の肖像画だってハゲじゃん?
信長は息子の信忠に代替りしたら古参や年寄幹部は邪魔になるから京から遠い地域に飛ばしたかったんだろう
もっとも、最近の研究では四国攻めの責任者から外されこれまで長宗我部や三好ら四国勢と調整してた領土安堵案をちゃぶ台返しされ面子潰された恨みが理由らしいが
あそこまで盛り上げておいてドリフターズいいかげんだせよ
ハゲで髷が結えなくて作り物の髷付けてるの馬鹿にされたんじゃなかったっけ
ミッツがフサフサだったら魔王の國が視られたのに誠に残念でならない
滝川一益は武田攻めの褒美が北関東の痩せた土地しか貰えなかったと嘆いてた
古参家臣体よく地方に追いやって近畿東海は織田一族で固め天下統一完成の予定だったんだろう
食い物の恨みは恐ろしい
史実では出ていないが、新し物好きの信長は南蛮渡来の大量のパンを明智光秀に無理矢理食べさせて恨まれていたんだよ
>>82 その辺をずっと争ってた上杉が馬鹿みたいじゃん
>>84 上杉謙信は土地いらない人だから。
前頭部や頭頂部が禿げてても髷が結えるけど
光秀は全スカ系のハゲだったから
側頭部や後頭部の髪で髷が結えなかったんだよね
>>22 光秀が、あれ今の状況ってひょっとしてイケるんじゃね?って単に思いつきでやったら成功しちゃっただけだろ
>>76 ノッブ「俺は剃ってただけで生えてくるもんね」
へうげものの流れが実際にそうだったんじゃないかってくらい説得力あるけど、歴史詳しい人的に他に良い説ある?
>>22 「キンカン頭」って一発ギャグのために亀頭にキンカン塗られたので謀反を起こした
「狡兎死して走狗烹らる(こうとししてそうくにらる)」とは、
「ずる賢いウサギがいなくなれば、猟犬は用済みになって煮て食われてしまう。転じて、国が滅びれば、そのために尽くした功臣も不要とされて殺される」という意味の故事成語です。
これだろ
信長が天下統一を成し遂げたら、次は自分が危ないと思ったんだよ
本能寺の変の前から織田家の有力家臣たちはいろいろと
粛正されていたからな。次は自分なのじゃ無いかと
疑心暗擬に皆が怯えていたのは間違いない。チャンスが
あれば、自分がやられるまえにやってしまおうと考えても
不思議では無い。
坂本龍馬が明智光秀の子孫という説はどうなんだろうか?
亀山城とか偶然の一致なのか?
天王寺の戦いで命懸けで信長は光秀を救ったのにな
有能な光秀にしては行動がお粗末すぎるし、某YouTubeチャンネルの濡れ衣説とか、刺し違えてでも命を奪いたくなるようなことを何か信長が言ってしまったんじゃないかってところを考えるわ
小説なら、信長によって伊賀の村を壊滅させられた
伊賀の忍が信長に報復するために、光秀に成りすまして、
「敵は本能寺にあり」と勝手に兵隊を本能寺に向かわせて
しまったかもね。下っ端は忍者の扮した偽の光秀を見破る
能力がなく、上から命令されたとおりに動いただけ。
こういうの映画にできないかねぇ。
>>77 EUとウクライナの領土安堵案をちゃぶ台返しにするトランプと同じかな?
全然詳しくないけど
実際は秀吉ばっかり可愛がってて
それに嫉妬したとか、男の嫉妬は怖いぞ
信長は明らかに秀吉よりも光秀を可愛がっていた
羽柴「筑前守」秀吉と名乗り始めたが、秀吉のように〇〇守と武家官位をもらった人と
丹羽長秀が「惟住」の苗字をもらったように苗字をもらった人がいた
「惟任」「日向守」光秀と、苗字と官位の両方を貰ったのは光秀だけ
秀吉が近江に横山城をもらったのに対し、光秀は近江志賀郡を与えられ、坂本城を築く
横山城よりも坂本は比叡山延暦寺に近く、京都にも近い
当時の人の価値観では京都に近いというのが価値基準でありステータス
…と、最近本で読んだ
>>96 明智はついかっとなってやった
羽柴はオロオロした
黒田が好機とみた
その程度やと思うよ実際
>>107 家柄と手柄が揃ってたのが明智だけだっただけじゃね
「国盗り物語」の中で信長か「おのれが何をしたと言うのだ!」つって光秀の頭を橋の欄干にガンガン打ちつけて「こ こいつを殺してやる!」というシーンが好き
本能寺の変というとすぐ裏で誰かの陰謀ガーって話になるけど 案外そういう単純な理由なのかもしれんな
人間とはそんなもんだ
フロイスの記述絶対視する馬鹿いるけど勘違いとかキリシタン嫌いへの酷い書き方とかで全然信用できないんだよね
家の先祖は平家の落ち武者なんだけど、先祖が地獄に落ちてるので
子孫が浮かばれることはありません
悪運にノッて立身出世する見本が平信長です
必死で頑張ったら最後の最後に副官・ブルータスに裏切られて
バカみたいな死に方をするように呪われています
大本教で先祖供養するしかありません
玉串代は相当な額になります
是非に及ばず
相撲部屋の可愛がりかな
相撲好きだったんだよな信長
謀反だらけだったから
家康は朝鮮から朱子学導入する羽目になった
が朱子学効きすぎて赤穂浪士事件が起きたんで
荻生徂徠の献策、浪士は本懐を果たした
後は法で裁くのみ、が採用され
人治朱子学から法治陽明学に代わった
>>110 そのあたりは否定されてる。
例えば信長が光秀を叩いたらズラが飛んでハゲがバレたなんてのはその場に居合わせた稲葉一鉄が書いたと言われる稲葉家譜がソースなんだけど、この稲葉家譜は江戸中期の創作だったりする。
↑
江戸中期に戦国歴史ブームがあって、それらしい資料を自作して「信長は怖い」「本能寺の変は恨みから」を演出した。
>>96 本能寺の変研究者を集めて討論したBSNHKの「本能寺の変サミット」と言う番組だと秀吉説を完全否定してた。
高松城を水攻め中で、湖上に浮かぶ美しい城を信さんに見せる準備が終わっていた。
これにより筆頭クラスの立場になるウキウキ状況だった。
信さんが高松城に至るルートは広く平坦に整備し、土豪を懐柔して安全を確保して付け城まで整備。信さんの移動に合わせた休息所と馬糧も用意してあった。
↑
ここを逆走した。
>>116 まあ、パワハラすごそうだし、ズラうんぬんは創作にしても、恨みはあったんじゃないの
少なくとも忠誠心はなくなってたわけだし
まあ、信長なんて粛清凄そうだしなぁ
天下を取った後は用済みとして、有能なヤツから殺されてただろうな
光秀も秀吉も家康も理由つけて殺されそう
秀吉の妹の朝日姫の最初の亭主も日向守だった
日向守の位置づけって?
>>54親父信長の往生際の悪さに対して息子信忠は良い意味でも悪い意味でもお坊ちゃん、明智軍に攻められて逃げるか戦うかで逃げて捕まる確率より戦って散る選択を性格的に全うしたんだろうね。
信長はイメージと違って身内には甘々だったとか聞いたが
>>118 江戸中期の戦国ブームで「信長はパワハラが凄い」を軸とした証拠捏造が多発したんだけど、それを示す証拠は意外にないさ。
例えばサボった女中を斬殺したってのは嘘だったりする。
↑
匿った坊主と女中を成敗したの「成敗」は「解雇」だろうとなってる。
ちなみに匿った坊主は天寿を全うした事が書類に残ってる。
押切長谷部(失礼を働いた小坊主を押し切った)は本当だけど、この手の失礼を手打ちにするのは当時の武将なら普通で、これを贈られた黒田官兵衛も切れ味自慢をしてたりする。
>>122 あと、信長の娘の嫁ぎ先選びが面白い。
温厚で有能である事。
女癖の噂が無い事。
猪突猛進タイプはダメ。
気を見て逃げるタイプが好き。
出世欲は不要(自分が出世させるから)。
>>91 「ワイン」とか「カステラ」とか「金平糖」と言う美味しい物を自分の物にして、当時のパン(現代の物と違って、酸っぱくて固いパン)を押し付けられたら明智光秀だってキレるだろ
しかも、当時の食べ方はパンをワインに浸して酸味を抑えて柔らかくして食べる方法
いくら宣教師からの贈り物でも信長から貰った以上、捨てる事も出来ないだろうし
国司は従五位か従五位の下。
立派なお貴族さま。
馬場美濃守とか真田安房守とか勝手に名乗るにしたってちょっと背伸びし過ぎでは。
>>96 上で書いた本能寺の変サミットの結論は「思いつき説」だった。
この段階で家督は信忠であり、信忠の実績とカリスマ性から信長を屠っても謀反人になるだけ。
この時期の信忠は家康接待予定だったが予定が変わって京都に滞在する事になった。
同時に屠るチャンスではあるが少ないながら手勢を連れており、いざとなったら単独ででも逃げ出す信長を考えると数万の兵力がいる。
そして、その全てのチャンスが光秀に与えられた。
三職推任問題・当時信長は無官=朝廷に従っていない状態が問題だった
鎌倉以降、武士が実権を握ったが
どの武士政権も朝廷から官位を賜り、朝廷配下として幕府を開いた
朝廷配下じゃない状態で幕府を開く、ってのは革命政権誕生を意味する
日本史の中でも、それを目指したのは平将門ただ一人、で朝敵認定され滅んでいる
信長は「二例目」になるはずだった
朝廷としては、それを避ける為に三職を提示した
勿論信長としても朝廷と敵対するつもりはない
ただ日本統一後の過剰な兵士の処理をどうするつもりだったのか?
その答えは目の前にあって
西洋の大航海時代はイスラムとの停戦後に余った兵士が船乗りになったから成立できた
西に行った奴はインカ帝国とか滅ぼしているし、東に行った連中が日本に鉄砲伝来
テルシオという戦術も同時期に渡っているはず
その日本版大航海時代の幕開けには国家元首の地位が必要だった
外国との交易には国の代表同士で調印を交わす必要がある
将軍の地位は現代風に言うなら防衛大臣、防衛大臣では外国の元首と調印を交わせない
だから朝廷には政治舞台から引いてもらい、国家宗教として祈りを捧げてもらおうとした
日本国王という称号はあったが、これは明・中国から認定されたモノであって
信長が目指す、南蛮相手には通用しない
けどこれは近衛前久みたいに天皇が政治の中心と考える王政復古を目指す公家からしても
到底、受け入れられる話じゃない、だから朝敵認定をちらつかせて、光秀を脅したんだろ
公家の脅しに負けたから信長に叱責されたわけだ、で光秀は公家の方について本能寺の変に
でも当の公家が一番驚いたろう
信長が朝廷の下に付けば解決する話なのに、謀叛を起こすとは思ってなかった
光秀自身、今後の方針もあやふやと
これは遺憾というわけで帰還中の秀吉と接触し朝敵光秀を討て、という宣を下した
で安土城の天守閣は焼かれたわけだ
日ノ本の代表は朝廷ただ一つ、それ以外は一切認めない
>>130 だからって天皇が実権を持つと毎回国が荒れるからな…
当時の公家って王政復古なんて目指してたっけ?
横領された荘園が戻って来たらなんでも良いのでは。
>>133 武士が実権を握って以降、常に権力奪取に邁進してたぞ
承久の乱に始まり、南北朝の動乱、最終的に成功したのが明治維新
近衛前久は若い頃、上杉謙信と盟約も結んでいるし信長包囲網にも参加している
朝廷に権力を取り戻す事を模索していた者が
信長と親交を深めたからといって、若い頃の情熱を断念出来るものなのか
まだ残っていた室町幕府の将軍が光秀に命じた可能性。
織田家四天王
・柴田勝家→権佐
・丹羽長秀→?
・明智光秀→キンカ頭
・羽柴秀吉→猿orハゲネズミ
丹羽長秀は信長に何て呼ばれてたんだ?
>>136 米五郎座
朝廷から官位をもらうんじゃなくて
勝手に自分で名乗ったり、部下に与えちゃったりしてるから乱立
>外国との交易には国の代表同士で調印を交わす必要がある
この時点で結構微妙じゃね
貿易なんて港の管理者がお前入港していいよって言ったらできちゃうもんだろ
>>105 信長が畿内で信長包囲網相手に悪戦苦闘してる間に三好を四国から駆逐できなかった長宗我部が悪い
畿内での戦いが終焉に向かって三好が信長に降伏してきた時点で長宗我部何やってんの?ってなるのは当然だから
>>135 その後の義昭のグダグダな動きを見るに連携してたは無理がある
次の大河の光秀はどう家路線のイヤなヤツと
秀吉や麒麟がくるみたいな悲運の名将
どちらになるかな
>>130 NHKの番組『決戦!アフター本能寺 ~光秀VS.秀吉 天下人への道~』が面白かった。
近年の研究で謀反後の朝廷は光秀を京都守護代(京都所司代)に命じたとわかった。
これは光秀にとっては行幸だったが、京都を無視した戦術が取れなくなり、京都を守るための部隊配置がネックとなったと番組は語ってる。
↑秀吉サイドは「なんなら京都焼いてやんよ」ができるワケだな。
朝廷からすれば安土城の信長部屋から見下ろせる位置に引っ越せと言われて「日が悪い」だの「方向が悪い」だので逃げてたのがそろそろ引っ越しだった頃なので渡りに船だったんだろう。
>>146 それは言ってない。
>>116 江戸中期の戦国ブームの中に「本能寺の変はなぜ起こったか」と言う何度も語られるテーマがあり、「髑髏の盃で一杯(嘘)」や「信長が叩いたら光秀のズラが飛んだ(嘘)」などが面白おかしく書かれた。
中でも「ズラが飛んだ」は、それを書くために現場に居合わせた稲葉一鉄が書いたとされる「稲葉家譜」を捏造してソースにすると言う凝った作りをしてる。
>>147 ちなみに神君家康公を馬鹿にすると処刑されるため間違っても書けない。仕方ないのでいい話しか書かないため💩を漏らした話ですら美談にまとめてる。
>>119 本能寺の時も明智軍の雑兵が、てっきり家康を殺すのだと思ってた、みたいな記述が残してるぐらいだからね
信長と光秀のエピソード
・良い働きをしても家臣が大勢いる前でハゲと言われまくる
・光秀は自身にゆかりある城を求めたが信長は蘭丸に与えた
・仏教寄りの光秀に比叡山の焼き討ちをさせて忠義を求めた
・家康の接待を任された光秀が珍味を出したら腐っていると
信長に勘違いされてブチギレさせてしまい刀を向けられ
その後しばらく冷遇されしまい家康に同情される
>>152 概ね江戸期の創作。
ズラの話は
>>147 蘭丸の話は知らない。
比叡山は光秀軍が積極的になで斬りをしてたと言う記録がある(秀吉軍は比較的寛大)。
光秀が家康に出す予定だったのは癖のある鮒寿司と言われてるけど、安土城に面した琵琶湖名産なので信長は良く知ってる。健康志向の家康なら滋養強壮にいいと聞けば喜んで食べただろう。この説も信憑性が薄い。
光秀が接待役から降ろされたのは秀吉の緊急助力要請が原因だが、これは何としても見せたい人口湖に浮かんだ高松城がギブアップしそうなため ←下手すりゃ米送って持たせるレベル。
>>147 浅井長政ら3人の髑髏杯を披露したのは信長公記の記述
ルイス・フロイスの日記にも本能寺の変の少し前に信長が光秀を殴打したとあり何かしら確執があったのは間違いない
体力もガタガタになって来たから無理は出来ない、でもまだ幼い長男に家督を譲れない譲れたとしても信長の元で働かせたくない。それを知ってか知らずか信長にはどんどん仕事をふられやって行くのが精一杯。九州名族の苗字かなんか与えられ確実に中央から除け者、そんな時信長親子が本能寺に。一か八かやるしかない!
麒麟が来るは光秀にとってノッブは自分の能力認めてくれて引き立ててくれた人だが何考えてるのかよく解らん年下のワンマン社長てのだけはよく描けてた
>>154 信長公記の記述は「白濃」だね。
白濃は武将の頭蓋骨に装飾を施し生前を偲ぶもので尊敬を表す。
数多くの戦死者を出した強力な敵を尊敬すると共に倒した喜びの象徴として酒の肴にしたと記述されてる。
↓
信長公御機嫌宜しく三献の御酒宴あり、其後又此肴にて、一献めぐらすべきの由御諚ありて、黒漆の箱を取り出され、列座の中に指置き給ふ。
柴田勝家是を見て、いかなる御肴にて御座候ぞと申上ぐる。
信長公自身其箱の蓋を御ひらき成され候へば、金銀の箔にて濃付けたる白頸三つあり、各札を付けられて、朝倉義景、浅井久政、同長政三人の頸なり。
出仕の面々皆以て、あはれ是はよき御肴と申上ぐる、信長公御諚には、何れも大身小身の面々多年軍功を励まし、忠節を画すに依て、此の三敵を亡ぼし、今春は心安く是を肴にして酒を酌むの時に至れり、何れも各の満足、我等が大慶之に過ぎずと仰せられ、それを肴にして列座の面々又盃をめぐらさる
可愛がりたいんだけどその特別感がもらった側的には別の新たな恐怖になる
心からの腹心と言える存在がいないある意味哀れな存在だな信長公
大河ジャニーズ同士ながら岡田くんから松潤に下された文句は本気で漏らしててもおかしくないな
最近じゃ本能寺の動悸は四国問題説が主流になってるな
長宗我部との交渉を任せられたが顔を潰させれた
そこから来る光秀の将来不安説も複合的に関わってくる
そして、千載一遇のチャンスが来た
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