>>175
そりゃそれ以前はソ連時代だからなwおまえほんと馬鹿だなw

ホロドモール当時(1932-33年)の認識
当時の状況: 1932-33年のウクライナ大飢饉は、ソビエト連邦の農業集団化政策と過剰な穀物徴発による人為的な災害で、ウクライナを中心に数百万人が死亡しました。しかし、ソビエト当局は飢饉の存在を公式に否定し、情報統制を行いました。国外では一部のジャーナリスト(例: ガレス・ジョーンズ)や亡命ウクライナ人が飢饉を報告しましたが、ソ連のプロパガンダや一部の西側報道(例: ウォルター・デュランティの否定記事)により、広く知られることはありませんでした。
「ホロドモール」という言葉の使用: この時期、「ホロドモール」という言葉はまだ一般的に使われていませんでした。ウクライナの農村では「飢餓(Голод)」として語られ、生存者の間で口承的に記憶されましたが、公式な歴史用語としては確立していませんでした。

初期の使用(1940年代~1960年代)
「ホロドモール」という言葉は、ソ連から亡命したウクライナ人コミュニティで1940年代以降に使われ始めた

ソ連崩壊後(1991年以降)の定着
ウクライナ国内での公式化: ソ連崩壊(1991年)後、ウクライナが独立すると、ホロドモールの研究と公的議論が本格化。1990年代初頭から、ウクライナ政府や歴史家が「ホロドモール」を公式にジェノサイドとして扱い始め、国内の教育や記念碑設置などでこの言葉が普及。