秀吉、政宗の首を扇子で叩いて一言「もう少し遅かったらお前の首はなかったぞ」 [194767121]
戦国最強武将は謝罪の方法もすごかった…遅刻に激怒していた豊臣秀吉が思わず許してしまった伊達政宗の服装
https://trilltrill.jp/articles/4107617 現代の会社でも同じよな
大人数を纏める立場の人は、だいたい人たらしの能力が備わってる
伊達家って仙台のイメージ強いけど、本領は山形の米沢なんだよな
信長の野望だと何故か岩出山スタートだけど
それで首切ったら洒落の通じないキチガイだと周りの家臣達から思われるしな
上手いこと人間の心理を突いている
伊達政宗は辻斬りが趣味の家光に名刀献上する嫌な爺さんだじぇ
ウズウズ試し斬りしたい
独眼竜政宗 は面白かったね、中学生のガキんちょだったけど、楽しみにしてたよ
あとになって「伊達政宗の手紙」を読んだときは、アッーーーな気持ちになったけど
秀忠家光にも信用されてたし
人タラシだったんだろうね
本気の戦にならない気心の知れた親戚だらけの奥州諸侯に片っ端から喧嘩売った狂犬
平和な江戸時代に戦を知らない若者の生字引だった
長生きした最後の戦国武将というか大名やしな
時計なんか無かったから重要な会議は何日も前から現地入りしたんだよな
秀吉のイメージとは全然違うのに
勝新太郎の秀吉役は迫力があって凄く良かったねw
でぇじょうぶだ、秀次にあってなくても打ち首にされっぞ
レッツパーリィの印象しか無い腐女子も多いと思うが長生きしたから爺さん時代もあるんだぞ
衆道もあり料理の趣味もあり手紙魔でもある
誉田の戦いで真田隊と激突した時点で既に御年48歳だぞ
小田原に遅参しても一揆扇動しても味方勢射殺しても改易にならなかったのは凄い
家光にフカシまくって尊敬されたとか立ち回りが上手すぎる
真田の子も保護してるし、何か通じるものがあったんだろうな。同い年だしね
これは有名な話で晩年に政宗が「熱湯掛けられた気分だった」と
>>18 立花宗茂も生き残りとして有名だった
島原の乱でも経験者ということで担ぎ出されてるしあの頃になると櫓の組み方さえ分からない武士ばかりになっていた
>>25 普通に114万石から約72万石に大幅な減封されてるし、本領の米沢も取り上げられてる
娘の名前に五郎八と書いて、いろはと読ませる名付けのセンスは良いと思う
>>20 そうか?あれだと信長にサルだハゲネズミだ言われた秀吉から繋がらない
若造であってもあんなのには信長も気を遣うわ
>>31 普通に惣無事令に違反していたからなぁ。
長男の気性の荒さは親譲りかな?
宇和島藩で父から譲り受けた家臣を成敗して、父を激怒させとる
>>31 そこからさらに減らされて最終的に63万石
>>38 長男は庶子だから後継者になれなかった
それでグレてあんな非行を
別家建てさせてくれただけでも長男は優遇はされてる
この場面の秀吉役に勝新太郎を起用した外道がいるらしい
豊臣秀吉って、DT松本みたいにおもえてしかたない。
「正宗から見た視点の秀吉」 なんだから勝新太郎で正解だろ
>>43 あのシーン扇子で叩いてっていう勢いじゃなかったね
>>36 世間一般や信長とかの世代視点で見たら調子の良い猿のイメージやけど、
あの当時の政宗の立場からしたらあれくらいの貫禄ある大物のはずやから勝新で正解やろ
>>11 漫画の元ネタは可観小説という随筆だから信用度は低い。一応他にも米沢藩の記録にも同様の話が出てくるらしいが、ドチラも上杉家ゆかりの話でソレ以外には出てこないので何処まで本当の話だったかは判断難しい。
ちなみにこの可観小説は五代将軍綱吉の頃に書かれたモノだが「竹島が朝鮮に奪われたのは将軍・綱吉のせい」と批判している。
勝新の秀吉が大物過ぎで津川の家康が小さく見えてしまうw
>>25 政宗はいろいろ画策するわりにバレるから、とりあえずはこいつでエエかってなる
これが変に策略うまいと危険視されてすぐ潰されてた
>>52 大崎一揆扇動しているとか言われていたね。
>>6 政宗はなんで総髪なの?拝謁なのに烏帽子もかぶってないし
伊達政宗って強いイメージ全くないんだが。
遅れてきた戦国大名、世渡り上手って感じ
何をもって最強の大名(武将)とするかの定義がメディアでも研究者の間でも統一すらされていないのに
実際東北統一すらしてないのになんか統一してるイメージすら付いてるよね
https://i.imgur.com/vwnY07g.jpeg 大名屋敷地図に普通なら最上出羽守とか書かれるものなのに、
政宗とだけ書かれたみんなの政宗
>>64 誰がいなかったら天下統一されてなかったか考えたら
必然的に信長だろ
>>50 そりゃ一度大爆笑してしまったらもうその場での処断は出来んだろ
オマエもこれからガチで怒られるって場面に出くわしたらいっその事笑いを取りにいくのも「手」かもしれんぞ
>>40 YouTubeに勝新の秀吉と家康の動画あるけど
マジで勝新すげええなと思った
かつしん見てきたけど、秀吉っぽくなさすぎる。
実際の秀吉がどんなだったかしらんけど。
首筋を叩いたのは扇子じゃなくて馬の鞭だよ
あれ台本にはなかったらしくいきなりやったから渡辺謙もガチでビビった顔してたな
勝新の希望であの撮影の時がガチの初対面だったらしい
渡辺が楽屋に挨拶に行ったら振り向きもせず鏡越しに右手をあげて「小田原で会おう」と言ったそうな
まあ政宗の勝新は確かに秀吉らしくはないんだけど
ようは降ろされた黒澤の影武者のリベンジをやってるんだな
つまり勝新が考える最高権力者というものを体現してる
あの大河、いつも秀吉だけちょっと変わった演出するんだけどあれかなりの部分が勝新のアイデアだと思う
そんなことばっかり言ってるから関白にしかなれないんよ
>>69 同数で同様の練度で同様の武装で条件も等しい時にどっちが勝つかの話題が飛び出してくる
しかも野戦と籠城戦(攻・守)バリエーションまで出てくる
そこに「天下を統一したのが最強だ」「天下統一とか関係なく戦で強い方が強いのだ」という話もぶっこまれる
要するに土台が何も決まってない
秀吉は痩せている印象あるのに勝新は太っててあまりにイメージと違う
隻眼の大名てだけでカッコいいよな
実際はかなりチビみたいだけど
上杉とか武田みたいなDQNとはちょい違うキチガイ感あるね。
乱取りはさせないとか、戦国当時の価値観ではない感じ。若めだからかな。
大河もそろそろ、地獄の遣いみたいな武田とか上杉とか、のちの徳川とか描いて欲しいね。
政宗は今まで当たり前だった奥州の馴れ合いをちゃぶ台返ししたんだよな
今のトランプとよく似ている
政宗は戦国大名より江戸時代の優れた政治家よ
戦国武将なら三流で戦じゃ使えない
岩下志麻のお付きの侍女のおちゃこやってる人って大奥スリーアミーゴズの年長の人だよね
顔見たらすぐわかったわ
昔からこういう感じなんだ
>>93 地方大名とか親戚縁者の集まりだからな
身内同士で領地の縄張り争いていうかプロレスしとるだけ
信長とか天下狙うようなガチ勢とは違う
>>10 いまだに
伊達政宗=渡辺けん
のイメージだわ
あの時代劇より面白い時代劇あったら教えて
ぶっちゃけ独眼竜政宗で面白いのはこのシーンまでだよな
>>1 伊達政宗は遺骨が残っているせいか身長が判明してて(159センチ)、武将の身長書いてるサイトだと基準になってる人のイメージ
そういえば前田慶次は身長160センチくらいだったので伊達政宗から見たら大男だったから漫画では巨体に描かれたんかね
政宗はそれほど強くは無い
政宗登場までは今の福島県はほぼ 常陸の佐竹支配下
政宗が押し戻したのが東北人のプライド
しかし現実は佐竹は北条氏に手間を取られて東北どころの状況に無かった
同盟者の上杉も壊滅状態
佐竹滅亡の危機
そこに秀吉の小田原攻めで形勢逆転
政宗は乗り遅れる
まあその後、家康側に着いたのは政宗の判断か家康が上なのかは分からんが
佐竹義宣と政宗は従兄弟
両者が西軍側だったら結果は変わったかもしれない
>>75 あの腹の底から出る重厚な話し方や仕草
昔はあーいう怪演俳優が居たんだけどね
今の薄っぺらい学芸会俳優共じゃあーいう演技は望めない
伊達政宗って、なんか、領土拡張の最年少記録を持ってるんでしょ
全盛期まで、織田信長を越えるスピードで焦土を拡張していたらしい
あと20年早く生まれていたら天下を取れたとか言われてるけど、絶対関東の北条氏を突破できなかったと思うけど
まあ、奥州に生まれた時点で運がなかったかもな
>>110 豪雪地帯の大名は上杉もだが冬場は全く兵を動かせんからな
秀吉も出来るなら関東でなく奥州辺りに家康を転封したかっただろう
戦国に産まれバリバリ現役を謳歌し、平和な江戸時代に家光の世代まで生きてたからな。
30年遅く生まれたから名が残り今でも愛されてるんだと思う。
ここには政宗=すまけいってイメージの人は居ないのか!?
同じジェームス三木脚本なんだぞ!
政宗が戦争上手っていうのが嘘
どうも周りにうまい人がいたらしい
だから後半は多分その人がいなくなったせいで
同一人物とは思えないくらい下手
>>77 NHKのバラエティ番組で渡辺謙が説明してた通りを
文字に起こしたんかい!
NHKも勝新太郎とか沢尻エリカとか危なっかしい俳優好きだよな
おくすり以外でも、性加害とか怪しいヤツいるもんな
円盤売り出せないと、NHKエンタープライスに出向した仲間の給料払えないもんな
>>108 また他を貶めて褒めるのかよ
本当に薄っぺらいのはお前の方だろアホめ
>>119 現にジャニやら出るようになってから薄っぺらいじゃん
>>1 その後くるりと背を向けて
小田原城を見ながら立小便
オープニング曲と葛西アナの語りが良かったなあ
あと渡辺謙のメヂカラ
その時、正宗の左手は何をしておったのじゃ?
たわけめっ!
政宗の最終回は梵天丸と並んで夢を見るシーンだったような
秀吉もそうだけど、畳の上でタヒぬ主人公の作品は最終回が近づくと 尻つぼみ なんだよな
>>127 ママがやって来て梵天丸と藤次郎と三人で旅立つ
>>127 秀吉、家康、利家、元就、清盛、とか死の床で夢や回想しつつ死んだ人やら出て来て終わるて共通END
信長が主人公の場合は炎の迫る中で敦盛を舞ながら消えるか、舞の後に自刃で終わる。まあ、仕方ないけどさw
大河:伊藤博文をやるとしても朝鮮に向かう船に乗るシーンで終わりそう
>>128 政宗はママンに毒殺されかけたエピソードが強烈だしな
母とは完全な絶縁では無いよね小次郎成敗の後に、伊達家を出ていってからも文通はしてるしね。
ワシの死後に作られるワシの像や絵には両目を入れてなと、言い残してるのに後世の連中と来たら・・・
ま、格好良く描かれてるんで苦笑いして許してくれるよね
>>113 ジェームス三木ってご存命なのな…89歳
>>114 人取橋や郡山合戦見るとなあ・・・ 戦はそれほど上手ではなく、外交謀略の人だったのではと
ニューギン製とか、カプコン製格ゲーだとクソキャラ過ぎてビビるだけどね。
こういう脅し的なことを言っても、秀吉は後で笑いながら冗談のように振舞う人たらしだから出来ること
家康が同じようなこと言ったら相手は怖すぎて、領地に引きこもって敵対してしまうだろう
畠山義継の声なんか聞いたこと有ると思ったらコロンボだった件
>>139 カリオストロの城のロリコン伯爵もやぞ。AKIRAのモヒカンの大佐とかな
いかりや長介が俳優業に進出する第1作目だったよな
桜田淳子が正妻役で秋吉久美子が側室
岡本健一が弟
>>130 信長とか龍馬は最終回がクライマックスだから盛り上がるよな
そういう点では武田勝頼や茶々が主人公の大河ドラマは良いんじゃないかと思うけど
小田原城攻めの遅参で正宗を打ち取ってしまうと
ようやくまとまった奥州をもう一度戦乱に巻き込んで
秀吉(徳川)が数年手を焼くことになるから、
最初から首をとるつもりは無かったんじゃないか?
>>134 めごたん<「うちの主人の像と絵は眼帯姿でお願いします」
人取橋→摺上原→心尽くしの膳→弟殺し→小田原
クライマックスだよね
九州征伐でも島津義弘が剃髪して秀吉に土下座してたし
秀吉つええよ
>>127 風林火山の最終回
川中島の合戦で万単位で雑兵おるはずが一人芝居状態やったぞw
エキストラで雑兵部隊は初回限定で予算使い果たすのが大河
>>150 キリン斎藤道三の最期も義龍兵に囲まれるけど人数スカスカで
暴走族のケンカみたいやったな コロナってのも不幸だったけど
独眼竜政宗の勝新秀吉であの風貌なら信長はどんなバケモノなんだよ!って思った
独眼竜政宗って今NHKBSで再放送してるんだな
全然知らなかった
もう17回目…
最初から見たかった…
小判見せびらかしてたら直江兼続にイヤミ言われた話しが良い
嫌みを言った方が米沢三十万石に減封させられたけどね
>>76 逸翁美術館蔵の秀吉像は「本人によく似てると聞く」という書き込みが下の方にあるらしい
>>59 政宗はグルメだったという通説通り、歯がボロボロというか、ほとんど残ってなかったというのも証明された
>>12まあ戦国時代で生き残ってるだけでも大したもんですがな
愛姫は子供ができないことを苦にして壺を売りつけるカルト宗教にはまっちゃうんだよね…
>>12 逆に毛利元就とかが過小評価過ぎるんだよな
家康は海外じゃ過大評価され過ぎ。まあ、天下を統一したのは確かだけどさ・・・
反抗勢力は信長秀吉で粗方片付けて貰ってたからやり易くなってたのも事実。
その天下泰平の維持を266年もしたんだから称賛されるべきだ
徳川幕府の次の明治新生府は最悪だぞ。迷走と暴走を止められず太平洋戦争の敗戦まで行き着くからね。
江戸の町を戦禍に巻き込まれたくないから、将軍職を辞退したのにな。
徳川幕府と明治新政府はベクトルが逆だと思うけど
徳川幕府は配下の大名に徹底的に軍備を認めなかったけど明治新政府は軍備の近代化と国民皆兵化しとる
家康は槍に刺されて死んだからな
影武者が引き継いだ
>>168 天下を統一したのは豊臣秀吉
家康はそのインフラに丸ごと乗っかっただけ
しかも思考停止の儒教強制で長く進歩を止めた暗黒時代を招いた日本史上最低の大罪人
つっても秀吉は惣無事令を発して天下統一したまではいいものの朝鮮出兵をしちゃって
各大名を疲弊させて恨みまで抱かせたからねえ
>>171 でも家康のおかげで今の日本国民の倫理観や民度みたいなものはあるだろう
秀吉のままだったら金至上主義で派手好きな国民性になってたかもしれない
>>173 しょーもない米本位主義の固定農村社会で「お上ごもっとも」な狭小な世界観の国民性 で良かっただと?
現代にまで続くグローバル世界に適応出来るのは間違いなく豊臣秀吉型商業主義社会だろうが
>>174 かまわんね
秀吉なら現代で言うと韓国のような拝金主義社会になってただろう
秀吉の朝鮮出兵を家康が終わらせなかったら、
今以上に在日韓国人のような人も多かっただろうし
>>174 あんたは頭が良さそうだが色々拗らせてるな
>>171 物を知らないカッペか?
ノビナガ、猿吉を歴史から抹殺しても、日本の歴史は三河最強で成立する
日本の歴史(中世~近世)
◆鎌倉幕府(1185~1333年)◆
【勝者】源頼朝:藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338~1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467~1477年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603~1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614~1615年)◆
【勝者】徳川家康、清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
日本は三河が回し続けたわけだが
それは現代のトヨタグループでも変わらない
源頼朝のロイヤルファミリーなんだが、3代目鎌倉将軍の正室第1候補は足利義兼の娘だった
仮に実現していたなら、こうなる
全ては三河の源頼朝が構築した三河システムの存在にある
三河システムとは三河縁故の武士が武家社会を支配する体制であり、家康はそれを踏襲したにすぎない
・源頼家(2代目鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→由良御前→源頼朝 →頼家→公暁
・辻殿
足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)→辻殿(母は源為朝の娘)→公暁
・源実朝(3代目鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→女→源頼朝 →実朝
・足利義兼の女
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→女→足利義兼→女
辻殿の兄貴の嫁は三河守護たる安達盛長の娘、盛長のもうひとりの娘は三河守たる源範頼の正室だった
そして実朝正室第1候補の足利義兼の娘の弟は、後世、三河守護になった足利義氏
源頼朝の構想はロイヤルファミリーを三河でガッチリ固める事だった
秀吉「もう少し遅かったらお前の首はなかったぞ」
ぼく「もういっぺん言うてみぃオラァ!」
秀吉「ごっ、ごめん」
(´・ω・`)若い頃、祇園で「お前殺したろか!」とヤクザに怒鳴られ、正直ションベンチビりそうなぐらいビビってしまったが
俺はアホなので「もっぺん同じ事言うてみぃ!目玉くり抜いたろか!」とヤクザの胸ぐら掴んで片手の親指で目玉を・・・
(´:ω:`)今なら分別つくから出来ないけど
>>5 どこがやねん
伊達政宗なんて親すら撃ち殺す
サイコパスだろ
あとこの時代の日本人は伊達政宗のように
同族日本人を皆殺しにするサイコパスや
織田信長のような空気を読まない
ハッタショが非常に多い
人たらしと呼べるような武将は
ハッタショ織田信長に寄生して
サイコパス武田信玄にウンコ漏らされた
徳川家康くらいだろ
徳川家康は凡人の類いな
今の日本人管理職に近い
というだけの話
実力主義の時代に人たらしなんて
よほど運の良い人間くらいしか
生き残れてないよ
>>170 家康が夏の陣で討ち死にした説は割とマジだと思う
愛用と伝わる駕籠にはなぜか鉄砲か槍が貫通した穴
鯛の天ぷらを家康に進めた茶屋四郎次郎は何のお咎めも受けていない
>>168 家康の積極貿易路線で良かったのに家光がキリスト教を警戒し過ぎて鎖国なんて始めたがいけない。
貿易の利益はオランダに独占され幕末には立派な後進国になってしまった。
キリスト教のせいで植民地になった国なんてアジアには無いからな。
みんな19世紀に入ってから軍事力で正面から征服をされていった。
女が強い時はろくな政治にならんよ
秀頼しかり、家光しかり。
家康「駿府に来てくれなかったら謀反人として討ち取ってたぞ」
>>184 最悪だね、日本古代史捏造の主犯者
ちなみに日野富子も最悪
日本史で評価出来る女性リーダーは北条政子くらい。
北条政子は実家の為に息子殺しとるがな。人として母親としては問題ある。
物を知らないカッペか?
政子ちゃんが頼ったのは三河の源頼朝縁者
政子ちゃんは北条の為にやったわけではない、頼家の振る舞いは三河システムの邪魔だったからである
北条氏が乗り越えられなかったのは、源頼朝が構築した三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)
男系、女系共に源頼朝に近い足利氏が使命感をもって、武家の世界を源頼朝の三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)に戻したわけだ
その三河システムの存在は政子ちゃんも周知の事だ
頼朝やその息子孫がいなくなって、政子が頼りにしたのは三河で繋がる人々だったのは明白だろう、政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった
金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成)
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める
・源実朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝
・葛山景倫(願性)
藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
・安達景盛
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?)
・足利義氏
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護)