この積み重ねを、仏教では「業」(いわば身についた性)といって、とくに「悪業」を積むと地獄におちるぞと戒めてきた。また「身口意の三業」といって、意識(こころ)→口(ことば)→行為(おこない)の浄化こそが、自分をも他人をも真に幸福にする鉄則で、なかんずく⑧「自浄其意(じじょうごい)」、つまり自らの心を自ら浄化する努力がスタート・ポイントだと説いている。
  「⑨腹を立てることと、物事を苦にすることの二つは、汚れの中の最大のものなり」これは黒住教の開祖・宗忠師(1780~1850年)の不朽の名言である。われわれにとって、この内なる公害をまず排除することが、身心を軽やかにし、丸やかにして平らな心となる極意だといえる。

● 観念の世界

  われわれの想念(念や思い) の作用は、驚くべきものがある。釈尊はこの働きをズバリと「⑩三界は唯心の所現」、つまりわれわれの体の具合も環境も、さらには運命も、すべてわれわれの心(想念)の状態の反映だというのである。
  N・V・ピール牧師も名著『Thought coditioners』(Foundation for Christian Living刊)の序文で、「⑪あなたが生きる世界は、あなたの外界の環境によって決定されるのではなくて常にあなたの心に占めている考え(想念)によって大半が定まる」だから「あなたの考えを変えなさい。そうすれば、どんなことでも変えることができる」といいきっている。
  昔から「感謝の心は幸福を生み、不足の心は不幸を生む」などといわれてきたが、われわれの心をどういう状態におくかが、実はわれわれの人生を左右する重大な要因なのだ。われわれが外面だけは、たとい平生を装っていても、心の奥底に怒りや怨念を秘めているならば、その怒りや怨み心で自らが何らかの形で、さいなまれることになるのである。