932年6月から1941年12月の日米開戦の時まで10年間駐日大使を務め、戦争末期には国務長官代理を務めたジョセフ・グルーは、スティムソン論文が発表された後の2月12日に9ページにも及ぶ次のような要旨の長文の手紙をスティムソンに送り付けた


■原爆投下は必要無かった。グルーの勧告どうりにトルーマンが日本に対する最後通告(のちにポツダム宣言となる)を1945年5月の段階で発していたなら、日本は6月か7月に降伏していたからだ。

■この最後通告はグルーが部下に作らせたもので、グルーがもっとも重視した日本国民が選択すれば天皇制を存置することができるという項目を含んでいた。

■従ってスティムソン論文の要旨「2度に渡る原爆使用だけが戦争を終わらせ、日米の将兵の命を救う道だった」は、「天皇制存置条項を含んだ最後通告をトルーマンが発していれば、日本は6月か7月には降伏していた」というグルーらの見解に
反しているだけでなく、早期終戦をもたらすために彼とその部下がトルーマン政権内で懸命にしていた努力を全く無視するものだ。

■しかも、スティムソンはまるで天皇制存置を唱えたのは自分であったかのような書き方をしているが、実際これを彼よりはるか先に、そしてもっと強く主張し続けたのはグルーだった。