ところが晩年は「ネトウヨ用語」や嫌韓嫌中の言葉を日常的に使うようになる。息子との会話は途絶えがちになり、そのまま77歳で亡くなった。
 いつから父は「ネトウヨ」になったのか。嫌悪感と喪失感が交錯するなかで、答えを求めた息子は「敢えてパンドラの箱を開けよう」と腹をくくる。父のパソコンを開いたのだ。
 出てきたのは予想通り、ヘイト動画や記事、保守系のサイトの数々。


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