頭が良いと思う戦国武将・大名ランキング! 天才軍師「黒田官兵衛」を抑えた1位は? [837857943]
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All About編集部では、「戦国武将・大名」に関するアンケート調査を実施しました。同調査は、全国の男女363人を対象に、
インターネット上で実施(調査期間:2月9日~3月2日)。武力だけでなく、知略によって戦を制した戦国武将たちの中から、
回答者が選んだ「頭が良いと思う戦国武将・大名ランキング」を発表します。
第3位:織田信長
第3位は、織田信長。豪雨の中で行った奇襲作戦が功を奏し、今川義元を破った「桶狭間の戦い」や、大量の火縄銃を用いた
「三段打ち」戦術を取り入れ、武田勝頼が率いる大軍を制した「長篠の戦い」など、革新的な戦略で天下統一の土台を作った戦国武将です。
回答者からは、「時代の先をいく独創性をもっていたから(37歳男性/宮崎県)」「新しいものを取り入れようとする姿勢が
今の現代においても生き抜けそうだから(34歳女性/山形県)」
第2位:黒田官兵衛(黒田孝高)
第2位は、黒田官兵衛(黒田孝高)でした。主君の小寺政職に織田信長に通じることを勧め、その後は豊臣秀吉に仕え、
備中高松城への「水攻め」など、優れた戦術で大活躍した“天才軍師”です。2014年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』では、
岡田准一さんが官兵衛役を演じました。
回答者からは、「策士の中の策士だと思います。人の気持ちを読み、先を見据えたことを成し遂げたので、
頭がいいと考えます(53歳女性/宮城県)」「軍師として様々な戦を勝利に導いたから(40歳女性/千葉県)」
第1位:豊臣秀吉
第1位は、豊臣秀吉。織田信長の奉公人として功績を残し、信長の天下布武(てんかふぶ)の足掛かりを作った要人といわれています。
本能寺の変で謀反(むほん)を起こした明智光秀を討伐した後は、朝廷の最高職である太政大臣の地位にまで上り詰め、
天下統一を実現しました。
回答者からは、「人たらしの力がすごい。馬鹿を演じたり、いろいろ人によって使い分けることのできる能力がすごい(52歳男性/埼玉県)」
「人からの好かれ方が分かっていたから(33歳女性/愛知県)」「人の懐に入るのがうますぎると思う(26歳女性/埼玉県)」
https://news.allabout.co.jp/articles/o/57730/
TOP12
https://imgcp.aacdn.jp/img-a/1507/1534/aa_news/article/2023/03/10/640afe2fed3c9.jpg 桶狭間はさほど兵力差無かったんじゃないかって言われてるし
三段撃ちは今じゃ否定されてるやん 明智光秀だろ
信長を討ち取り
その後天海上人として
天寿をまっとうひた 豊臣秀吉
統率:75 武力:70 知力:85 政治:90 魅力:60
黒田官兵衛
統率:80 武力:80 知力:95 政治:85 魅力:75
織田信長
統率:90 武力:95 知力:80 政治:60 魅力:90 豊臣秀吉は、現代の庶民に生まれても結局大成功しそうだもんな
存在自体が、時空を超えた存在 >>18
調略合戦で安国寺に負けて牢屋にぶちこまれてるしな >>27
誰が人気なの?
石山本願寺があったから顕如とか? 秀吉よりは信長のほうが頭いいだろ
秀吉は育ちや信長に仕えたからこそって印象 武将のイメージは城だからな。
信長は清州城、岐阜城、安土城
秀吉は大阪城。愛知に城のイメージないしな。
三河方面じゃ家康が人気だし 弟が死んで秀次や千利休を切腹させて朝鮮出兵したあたりから秀吉は変。晩年の蛮行で全て帳消し 秀吉は気難しい信長に仕えるだけでも凄いのに逆にコントロールしてたからなw >>27
生誕地の中村区には豊国神社あるし豊公橋や豊臣小学校と秀吉ゆかりの名前は多数や。 >>54
蛮行()
徳川・NHK洗脳されてませんか?w 諸葛孔明みたいな文句無しに知力100みたいな武将は居ないよな。 >>18
まあそれを使いこなして実際に天下人になったのは素直に評価すべし >>55
信さんめっちゃ優しい武将やで。
多分優しい武将ランキング相当上位やで。 >>52
史実と全く違う一夜城こと墨俣城があるにはある >>61
優しくは無いだろ。焼き討ちをしたんだから >>25
内政あんま必要ないくらい越後に金あったからね仕方ないね >>62
粗暴なアホからスタートして築城の名人となって外様でありながら家康の絶大な信頼を得たもんな
義理堅い人間なのにゲームだとギリワンにされるという面白い人間 竹中半兵衛は諸葛孔明と被る
黒田官兵衛はウッカリさんのところとか智多星の呉用みたい >>20
官兵衛はさ、足使えないんだから武力60とかでも良いよな >>59
トップが優秀すぎるとその国は滅びるよ。トップが死ねば終わるからな。孔明が年取っても現場に居たのを司馬懿見て時間の問題だと見抜かれた >>76
武力って個人的な戦闘力ちゃうやろ
関ケ原の戦いで官兵衛は百姓どもを率いて近隣の城をめっちゃ落してたから >>34
御老公一味を裏で操っていたのは八兵衛だった説 >>51
頭が良いの基準はわからんが
ほぼ確実に大した教育を受けてないはずの秀吉があそこまでいったのは相当だぞ 明石家さんまの調略 陽キャ力
秋元康の部下持上げ プロデュース力
田中角栄の寝技 政治力
長友の体幹 仕事量 そして
国内では例える人材が居ない程、時代を超えた発想力 を兼ね備えた存在が豊臣秀吉
「賤ヶ岳七本槍」「天下を獲るのは官兵衛」「利休」・・・等
プロデューサー秀吉の煽りの上手さのお陰で麾下武将は必要以上に高評価される傾向も >>60
あ、軍師ランキングだと思ったら頭が良い武将・大名ランキングなのか
それなら秀吉一位納得
人材を適材適所に配置するってとんでもなく難しいことだもんね なんと―――!!!
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`//|| ̄ ̄ // | 竹中半兵衛、黒田官兵衛、山本勘助やっぱここらじゃね
知名度は劣るけど蒲生氏郷もなかなか 姫路人が黒田官兵衛と同郷と思ってることが胸糞なんやが 元就さんかねぇ
統治体制に特に目新しいものはないけど >>90
東北の雪国で裸行軍して早死にした蒲生頭いいかなあ? >>83
それも結局は信長ありきだからな
晩年の秀吉が狂ったのは、信長とい主君が消えて本性が出ただけとも言える >>3
黒田官兵衛が出るくらいならこっちだろうに… 信長の三段撃ちとか嘘で、その他施策も
だいたい誰かのやったことの受け売りだったらしいね >>107
いいものを見抜く戦略眼と、それを積極的に採用しようとする柔軟さ
それが信長の真骨頂だからな >>85
そりゃスッカラカンの九州を狙っただけだろ
それに攻城が上手けりゃ武力高いなら知将はみんな武力高くなる
やはり武芸の実力が武力だろ >>110
漫画のセンゴク見てると分かりやすいよね
明智光秀の政策をよく取り込んでいたらしいけど
まさか越前攻めが 日本海と太平洋を結ぶ 経済繁栄ルートだとは
現代人でも分からんかったわ (´・ω・`) すげえな
「楽市楽座」も名前だけは知ってたけど 世の中ひっくり返すとんでもない政策戦略だった いやはや >>112
戦下手だからね
内政力はあったから大人しく大名やってりゃ良かった 司馬遼太郎的には、斎藤道三とそのあと次のような感じで
織田信長って感じじゃないか >>112
堤防壊して酒飲み干して干し柿食わなかっただけだろあいつ あ、でも司馬遼太郎はこんなあほなアンケートこたえない気がする 悪人のイメージで人気ないけど松永 久秀は
頭いいといっていいんじゃないか >>20
信長は地力も政治も90くらいあると思うぞ
織田軍団強すぎ
徳川軍団脳筋 そりゃこの時代に百姓からここまで成り上がったわけだし じゃあ後北条で給与計算やってて公用枡作って二種類あった暦のどっちが正しいか計算させられた安藤良整 >>12
いつまでそんな吹かし信じてんだよ
チンギス・ハーンは義経かい 竹中半兵衛はやっぱ苗字が極悪人と同じなのがダメか・・・ 戦国三傑はどこの天才小説家が書いたんだよって流れだよな >>9
竹中半兵衛クラスなら1年勉強させたら普通に東大受かりそう >>100
蒲生氏郷って伊達政宗にこてんぱんにやられたよね
でも秀吉が恐れた武将の1人でもあった >>66
信行殺したイメージ強いけど敵対した親族めっちゃ許してるし、ねねが秀吉の女癖の悪さを信長に訴えた時も一生懸命宥めてるやで
やらなきゃいけない時は躊躇わないけど基本優しいよ >>115
文官だよね、もし官僚なら有能だったろうに >>64
三国志の「知力」と信長の野望の「智謀」は違う
行政官タイプの武将は政治全振りで智謀は低いことが多いし
石田三成とか最近は評価されてるけど昔は酷かった 東大教授が「戦国時代で最も優秀な戦術家」と断言する武将の名前
https://president.jp/articles/-/66142
信長でも秀吉でも家康でもない
それは毛利元就だ。元就は圧倒的に兵力差のある戦闘にも勝ち続けた。
一方、徳川家康にはそうした華々しい戦績はなく、戦術面では平凡な武将だった 井沢元彦に言わせれば織田信長が天才ということになるのだろうが、すごさが伝わらない >>128
信玄は侵攻ルートが東、南、北と全く京都を意識していない戦略をとっていたから
あとちょっと若くても、天下を取る戦略意識が希薄だったから
天下を取っていた可能性は薄いと思われる 信玄はその気になれば信濃から岩村城以外の尾張出れたのだが三河に固執してるしな 本当の意味での天才は上杉謙信だよ
文武義に長じたあの時代じゃ神様みてーな存在だよ
それにしても政宗が上がってるのに片倉小十郎が出てこねえのは片腹痛いのぉ
オレとしちゃ竹中半兵衛といい勝負する軍師だと思うけどな
黒田だの山本だのはもっとランク低いよ >>66
?「わしは信長のように甘くないぞ」
と言われたくらい身内には甘かった >>144
まず遠山一族全然服属させれてないし
岩村より先の土岐以西は濃尾平野なので
弱いとはいえ美濃尾張から大軍団が
補給網万全で襲いかかってくるので
木曽谷から細い補給網では
とてじゃないが維持できないよ >>139
>一方、徳川家康にはそうした華々しい戦績はなく、戦術面では平凡な武将だった
モグリだな 宇喜多はやり過ぎて弟まで常に粛清の危機を怯えて鎖帷子着てたという >>75
大韓民国を侵略した犯罪人だぞ
魅力は3でいいだろ 韓国に唐辛子を伝えたのは日本人だ
https://news.nifty.com/article/world/china/12190-20210815_00015/
1592年の朝鮮出兵の際に日本人が朝鮮半島に持ち込んだ。
では、なぜ日本ではキムチ文化が生まれなかったのだろう。
「肉食文化」の有無が日本と韓国を分けた。肉食禁止令が長かった日本では、唐辛子はあったが
「七味の1つ」でしかなく、肉の臭みを取るニンニクやコショウのような「香辛料」の需要は少なかった。
さらに、朝鮮半島ではチンギス・ハーン率いる元の侵入により肉食の習慣が広まり、いろいろな
動物の肉を食べるようになったとし、その点で抗菌・防腐作用のある香辛料はなじみ深かった。
そのため、唐辛子の効能が認められると広まるのも早く、漬物にも唐辛子を使うようになった。
いずれにせよ、日本と韓国とでは、漬物文化がそれぞれ別の発展を遂げたと言えるだろう。
これには歴史的な理由のほか、気候の違いなども関係しているのかもしれない。 伊達政宗だな
文武両道
時の権力者に逆らわず
伊達家を護った 竹中半兵衛
黒田官兵衛
真田昌幸
宇喜多直家
大谷吉継 >>23
老いてやっとできた実施がすげーかわいいてことだ
天才すら揺るがす そういや名古屋に出張何度も行ってるけど、太閤通口の方って行ったことないな >>128
所詮は寒村を従えたお山の大将、良くて勝頼で終わり。
信玄が死んだら、各地で反乱が起こって戦国時代に逆戻り。 神奈川県に本社がある、信長の野望などを作ってるコーエー
本拠地の神奈川の大名強くするか
北条早雲
北条氏康など
能力値100とか98とかw
韓国ステマ並みに醜いよね 秀吉の才能って図抜けてないか
使われる立場でも中間職にいても人を使う立場になっても
どんな立場でも才覚を発揮し続けて
己の環境も周囲の環境も激変する中で
黒田官兵衛みたいな天才の才能も遺憾なく発揮させて
とか有り得なくない? >>105
戦術は凄いが、戦略はほぼカラだぞ。
頭が良いのとは違うと思う。 秀吉は確かにすごいと思う
まず人材を見抜く目とその活かし方
普通自分が有能だと全部背負い込んで目の敵にされがちなんだけど
バランス感覚と調略にも長けてたんじゃないかと思う 秋山真之連合艦隊参謀と堀悌吉
海軍史上最も頭がよかった2人
相手にしてたのはロシアとアメリカ >>80
いやそれ魅力っていうかカリスマの話でしょ 1番頭が良い戦国武将となると諸説分かれるだろうけど
1番頭が悪い戦国武将なら福島正則で確定だろうな >>123
織田軍弱いでしょう
おれほど負けた武将もそういない
最後も敵だらけで死んでしまった 家康ってなんか頭良さそうに感じるイベントあったかね? 福島正則はなあ、アル中だけど
西国街道と広島と出雲をつなぐ縁結び街道の大整備をやったからなあ 【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 >>139
物を知らない田舎者だな
家康のポジションは守旧派
三河の源頼朝、三河の足利尊氏から受け継いだ伝統と歴史を継承する責務を受け継いだだけなのが三河の徳川家康
源義家は郎党NO1NO2が三河武士と伝え、嫡男義親の生母は源隆長(三河守)の娘であり、実は義家実子と言われる為義の生母も源隆長(三河守)の娘と思われる
そして義国の正室は三河国造家中原季成の孫娘
源義家(1039~1106)
藤原季兼(1044~1101)
生没年がほぼ同じの、この二人、三河を舞台に繋がり持ったとしか思えないのである
義家の曾孫は源頼朝、足利義兼であり、季兼の曾孫も源頼朝、足利義兼なのである
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼を生む >>144
それは単なるゲーム脳
信長の野望だったら木曽から岩村城を取って、美濃を狙うんだろうが、
残念ながら甲斐信濃から美濃を取りに行くってのは現実的でない
木曽山中の兵站ではとても大軍は支えられないし、却って美濃尾張から大軍を向けられて苦戦
木曽義仲の侵攻路は越後から北陸道
信玄が目指したのは駿河遠江から三河を抜く侵攻路
木曽から西上できたのは承久の乱ぐらいだわ(それでも東海道の西上軍と合同してだ) 頭が良い人って人気や人望無いんだよね
不思議だよね >>175
明智光秀を破ってから、確か謀反・離反をされていない
晩年は豊臣家を見限った将の何人かは徳川と昵懇となったが、直接は裏切られていない
それだけでもスゴいと思う
人物的にかなり魅力があったのは確かだろうな 毛利元就か真田昌幸
真っ先にこの二人が浮かばないのはいかんぞ テーマ的には石田三成とかそっち方面だと思ったのに、
ランキングみたらただの人気投票だったw 毛利元就の息子を外に嫁がせて家ごと乗っ取っていくの最強だと思うんだが
兄弟間で仲間割れして本家を裏切らない前提だけど 真田幸隆
有能揃いの真田一族のビッグパパにして頂点 雨ですがお履き物はいかがなされます
秀吉「草履でよい」
家康「拙者も草履じゃ」
信長「おらゴム長」 三英傑で政治的、政略家としてバカ頭いいのは秀吉、家康でしょう
戦争だと秀吉が及第点くらいでどれも大したもんじゃない
信長はどっちでも大したことなかったけど信長の野望っていうくらい
野心家としては当時で異常な存在だった
ただ日本全国統一とかそんな大それたことじゃなくて、あくまでも畿内統一
全財産の3倍借金してそれに挑んで最後は敵だらけになって死亡したのが異常。毛利元就みたいに安泰の道があったのに
家康とくに秀吉はそのぼた餅をうまく掴んだ
信長ってのは巷で言われるほど大したことないというか、別の人物像が一人歩きしてて可哀想 元就は天下布武なんかすんな派
そんな畿内のことより博多湾の利権のほうが気になる木 >>203
頭の回転早いのに何も生み出せないんやね
あなたのいう頭の回転って何? >>196
最高のグルメって何ですか?
家康「鱚の天婦羅の天婦羅
信長「砂糖たっぷりな甘いもん
秀吉「腹減って死にそうな時に食った麦粥 自分に似てるなと思うのは織田信雄だな
胡乱天下一とアホ認定されていた 織田信雄は2度改易されども、復活して
けっきょく信長直系で最も繁栄した大名家として家を残したあたり
全くの無能ではない説もある 徒手空拳から天下人になった秀吉がダントツの天才
生まれつきの大名と違って与えられたものがなく全部自分で決断した結果だからな >>198
信長は守護代の家臣の家柄から1代で近畿統一してるんだから十分とんでもないかと
野心だけでそこまで大きくなれる筈ないよ
信長に匹敵するのは毛利元就と北条早雲位だと思う あとやっぱり中国大返しから明智討伐までのスムーズさがやばい
明らかに光秀に与するであろう勢力も既に寝返らせてる手際の良さと宣伝効果の使い方がすごい >>176
桂太郎首相山本権兵衛海軍大臣小村寿太郎外務大臣
日露戦争の内閣上層部だろう ただの農民から天下取りってまさしくアメリカンドリーム >>7
そんなこと言ってる歴史学者はまともに勉強してない。
薩摩の鉄砲隊も三人1組で鉄砲打つ手法が現代でも残っているし、そもそも鎌倉時代に作られた弓術の兵法書に弓の三段撃ちって既にある
信長の違いは経済力を高めて大量の鉄砲を持たってこと他の大名がせいぜい数100しか持って無い鉄砲を3000持って弓術で当たり前の
集団戦法に利用できたってことだよ。 秀吉は信長配下の中では戦闘の場数と勝率がずば抜けるからな、信長でなくても重用するのは当たり前だろう >>214
自分で立案計画したことだからできたんだよ
光秀と家康は踊らされたに過ぎない
こういった大きい作戦の裏にはたいてい蜂須賀家が絡んでるよ 色々含めて竹中半兵衛なんだよなぁ
半兵衛を得なかったら秀吉は大名レベルにさえなれてない 前から思ってたんだけど三段撃ちって
ちょっとタイミングがずれていきなり前の人が立ったりしたら「あ、ちょっ!」って誤射したりしないのかな?
最前列は恐怖しかないと思うんだけど 宇喜多直家抜群と思う。成長期は当然として引き時のわきまえ方。 まぁ真田だろ
真田昌幸と矢沢頼綱と
頑張ったけど報われない真田幸村と
頑張ったから報われた真田信之と
いっぱいいるわ
真田家なら知将だろ こういうのヒーロー伝説だからなあ
まあ、若いうちはよけね 鳴かぬなら殺してしまえホトトギス
鳴かぬなら鳴かしてみせようホトトギス
鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス
江戸時代の川柳だけどけっこうやくだつ
意外だけど即効性あるのは殺してしまえホトトギス 秀吉は家康をあんな大勢力で残した時点で頭は良くない
ただの人たらし >>235
>>219を見たからさ
弓の三段撃ちが元祖ってことは昔から漫画であった1段ずつ時間差で立ち上がるスタイルになるよな >>214
光秀が突然裏切るから筒井も細川もついていけないだけ
現状を挽回したい武田や京極は光秀についてる >>1
もし海外の武将も入れるのであれば、韓国の名将、李舜臣が1位になっていただろう
彼は100倍以上もいる日本軍を相手にしながらも、緻密に計算された水軍の指揮を通じて見事撃退してみせた
古代中国の兵法家にも勝る知略の持ち主だった 信長秀吉家康って前任者の良い部分を採用し駄目な部分を捨てた事が大きかったな >>241
成る程
その名将が講話後の騙し討ちという
卑劣な策を用いて戦を挑んだのに
圧倒的な兵力差をものとのせず
その名将を討ち取った島津義弘は宇宙一の武将って
事でいいんかな? >>180
秀吉も家康もいて
柴田も滝川もいる織田軍団が弱いとかw >>219
武田軍も鉄砲の数は織田軍に引けをとっていなかったよ。
違ったのは玉薬。
当時硝石はほぼ輸入に頼っていて港をもっていなかった武田は火薬を手に入れるのに苦労していた。 これっていわゆる歴史作家によって印象付けられた人物像として理解してるだけで、どれ一つ事実を理解していない。
単なる武将のレッテルだけの判断、、、 長篠の戦って現地の地形見ると、
長篠城方面に向けた信長の横一列鉄砲陣を武田騎馬兵は南に迂回して信長本陣に突っ込み、
そこで回りから十字砲火を浴びて全滅ってのが真相何じゃね
北側の迂回路には秀吉の陣があり、
南の鳶ケ巣山は酒井忠次が抑えて
長篠側の勝頼本陣からは信長眼前で行われる戦況が見えない
横一列陣に波状攻撃しかけたら全滅って
流石にあり得んわって思った推察 >>245
騙し討ちをしたのは日本軍の方
それでも李舜臣は日本軍を見事撃退した
その武勇は日本でも讃えられたほど >>2
武将風雲録の半兵衛
政治 77
戦闘 94 まず武田騎馬隊の実在が疑わしいから
それを三段撃ちで対抗したという前提が創作ではないかという話 竹中半兵衛って
そんなに有能だったっけ?
イメージ先行してて
実はそれほどでもなくね? >>198
大した事ない奴に滅ぼされた大名家は……… >>257
武田騎馬隊は下馬戦闘なのでイメージとは違うんだよなw
あと、三段撃ちも現場の狭さから否定されてる。
↑
信長軍だけでは無いが、この当時の鉄砲隊はベテラン射手と見習いで構成されてたため、実戦時はベテランが射撃し部下が弾込めをした鉄砲を渡すと言う運用になってた(入れ替わるより合理的で射撃精度も高い)。 >>223
だな
半兵衛いなかったら黒田家も断絶していた >>262
如何にも半兵衛らしいって策だって話もある。
仮に官兵衛が裏切ったのが事実なら密かに長政を殺せばいい。
寝返らせる余地があるなら最高の人質になる(伝えたかもしれない)。
裏切ってないなら史実の通りで信長は許すだろう。
どちらに転んでも得。 竹中半兵衛が死ぬまで付き従ったのだから、秀吉の才覚は相当なもの。
その秀吉の才能を見抜いてさほど出生してない頃から、秀吉の与力となった蜂須賀小六も
たいしたもの。 豊臣秀吉はマジで気持ち悪いからな
織田信長からべた褒めされるくらいキレイだったねねがいるのに
側室は夫婦共々自殺に追い込み、信長の命令で幼い弟を処刑した淀君
他にも仲が良かった同僚の前田利家と松の娘もいた
他にも側室いても飽き足らず、天下統一後は大名を呼び寄せる間に
大名の家に押しかけて正室側室に手を出してたからな
そこまでやったにも関わらず、子供は淀君との間しか産まれなかった不思議 信長公記という、織田信長の信者のような家臣の太田牛一が織田信長の生涯を書いた書物があるけど
そのには竹中半兵衛と黒田官兵衛についてはほとんど出てこないんだよな
代わりに今まで役立たずとかボロクソに叩かれてたけど
武田軍への調略に成功したことで大逆転した滝川一益 >>266
信長公記は信長さんの話なので秀吉配下の活躍は「秀吉の活躍」で一括りにしてると思われ。
あと、秀吉は(両兵衛がキッチリやってるくせに)毛利攻めに対して頻繁に信長に謁見しており「これこれこれで苦労してます」「お知恵を」をやってる。
これにより信さんは詳細な進捗を知ると同時に秀吉の苦労を知り、同時に自分の指示で動いてると言う気持ちよさを得てる。
佐久間折檻状のここを良くわきまえてるとも言える。
↓
武篇道ふがひなきにおいては属託を以て調略をも仕り、相たらはぬ所をば我等にきかせ相済ますのところ、五ヶ年一度も申し越さざる儀、由断曲事の事。 >>268
信長公記読んでるなら三木の干殺し知ってるだろ?
ちなみに信長からは時間がかかると何度も呼び戻して説教してるが 戦国当時の資料だと
毛利元就が全国的なスーパースターだったみたいよ。
その影響で信玄や信長が出てきたみたいな感じ。 >>269
三木城が落ちるまでに2年近くかかってたんで、佐久間みたいに漫然と囲んでるだけだったら折檻モノだけど、呼び出されたり、行ったりで頻繁に相談してたって話だね。 >>11
親父と祖父だろ。
頭が良いというと、北条早雲もなかなかのもの。 >>241
チョンのファンタジー歴史か (´・ω・`) どこでもシャシャリ出てくるな 秀吉が出てるからか
ネビラピン(ジパング) [ニダ] ←まんま日本人を偽証してるチョンコみたいでワロタw >>49
パワハラ、モラハラの血が現代まで引き継がれてるってロマンだな >>272
2年もかかってたのか 知らんかった
1年くらいで落ちたと思ってた (´・ω・`) 長いな >>268
そういうところが本当に上手いんだろうな
>これにより信さんは詳細な進捗を知ると同時に秀吉の苦労を知り、同時に自分の指示で動いてると言う気持ちよさを得てる。
最前線の足軽から敗北戦の殿軍指揮から、大名外交から毛利との謀略戦、九州、小田原での20万の大軍の司令官まで
あらゆる役割もこなして武士のトップ通り越して貴族にまで気に入られて関白ってどんな智謀、人柄なんだか 小領主で必死に世渡りしてどうにか領土と命を永らえたタイプの賢さはどう評価されるんだろうな >>276
うろ覚えだったんで心配になってググってみたら1578年5月から1580年2月までなので、おおよそ2年だね。 会社でいうと武田薬品とか上杉建設とか足利銀行とか名門企業の間にベンチャー企業ODAが割り込んで行くから、そりゃブラック企業になるわな
別の上場企業からヘッドハンティングで転職してきた明智専務取締役が代表社長からパワハラ受けたらキレるわ >>238
3段撃ちが無いって抜かしてるのは軍事に疎いイデオロギー満載の馬鹿なんだよ。
弓術の兵法書には、スナイパーみたいに点で撃つ一撃必殺の射法、線で撃つ鉄砲隊みたいに縦列射撃、応用で三段撃ちみたいに連続射撃
ランチャーみたいに斜め上からの立体的に面で撃つ射法、越矢と言って城砦の壁を超えて縦方向に撃つ射法もある
射程距離が伸びた鉄砲だって同じ使い方するよな。
更には信号弾と同じ鏑矢使う方法もあるよな。
ここでしたり顔で三段撃ちは無かったって抜かしてる奴も何処かの本読んでスノップ気取ってる奴なんだよ。 劉邦と蕭何みたいな例外もあるけど
どちらかといえば項羽のところに兵站の人材がいなかったようにトップに兵站の認識がなかったらそれ向きの人材が抜擢されることもないと思うんだが >>285
三段撃ちは多くの学者が否定してる。
書物の点では、三段撃ちを記述した信長記が戦闘から数十年後に書かれたものであり信ぴょう性に薄い事と、信ぴょう性が高く効果的な作戦を描きたがる信長公記に三段撃ちが書かれて無い事、長篠合戦図屏風に至っては300年後に書かれたモノだと言う点。
戦術面で言うと、信長が作った馬防柵は安易なモノではなく、野戦築城とも言えるほどしっかりした作りで、武田の資料でも城攻めに近かったと記述されてる事、そもそも武田騎馬軍団は下馬戦闘が基本である事、これにより射撃を焦る必要はない事がわかってる。
また、防御を固めた事により三段撃ちのスペースがなくなってるし、合理の点でも精度の点でも腕のいいベテラン射手が撃ち、部下が弾込めをした方がいいとなってる。 >>285
ちなみに、500丁の鉄砲を持つ長篠城に救援の酒井忠次が500丁の鉄砲隊を従えて入った事により、武田軍は前後を塞がれた状態となっており、これにより前進を迫られた状態になってる。 >>13
清正「俺の城なんて如水の城と比べたらダメダメやで」 >>290
話が合わないと思ったら人が入れ替わる三段撃ちに固執してるのかw
弓術の兵法書の基本の線で撃つ水平射撃の連続撃ちは無かったとか抜かしている訳じゃないよね。 今川氏真
親父の超ド級やらかしスタートからの無理ゲーを無事に脱出
割と楽して戦国時代を生き抜いて天下人の友人的ポジションで悠々自適の人生 1位は石田三成
葦の税金などやった事は素晴らしい。
大谷吉継とのエピソードも良い。 >>296
むしろ弾があたってナンボじゃなくて
火縄の火薬
の臭と炸裂音でウマが驚いちまったってのが
史実なんだろうと思うは
バラ撃ちなら合戦の喧騒で消えてしまいそうだが
タイミングを合わせることでより大きな炸裂音を出せるからな
相手が混乱したのを見計らって長槍で刺しまくったってとこだろうな
そういう集団が3方向に潜んでいて順次炸裂させたとすれば
立派な戦術だよ
正面に3列並んでもあんま意味がないと思う >>303
武田騎馬隊は下馬戦闘なので馬が暴れても関係ない。 >>296
連続射撃と言う点では射手1人対して複数名が弾込めをするタイプの複数段撃ちはやってたと思われる>>260 下層階級から覇権握った秀吉とか朱元璋みたいなのは
欧州では出てないらしいな。階級社会が厳しいから 加藤嘉明が主君を差し置いて従軍したので寧々が激怒して放逐してくれと
頼んだら直臣にしたんだな >>304
まだこんなこと言ってる奴が居るんだ、乗馬戦闘だけしかやらない騎兵なぞ世界中どこにも居ない
乗馬襲撃するか徒歩戦闘にするかはその場その場の戦術判断に過ぎない 今川氏真みたいなたいして仕事しない奴を持ち上げて小笠原貞慶みたいな頑張って大名に復帰した連中を評価しない日本人 両兵衛ってのは日本の伏龍鳳雛だからな。
秀吉が天下取るのも必然だ。 凹凸が激しい設楽ヶ原の地形から武田の乗馬突撃もありえないと言われてるけど >>310
信長公記によると、最初に攻めたのは山県昌景隊で徒歩、二番手が武田信廉で徒歩、どちらも散々に撃たれて戦死者多数、三番手が小幡一党の赤武者でこれが唯一の騎馬突撃だが斉射で馬だけになったと記述されてる(人が落ちた?)、四番手が武田信豊の黒武者で徒歩、最後が馬場信春も徒歩で、これも鉄砲で撃たれて敗退したとなってる。
武田側の資料でも「城を攻めてるようだ」と記述されてるため、ケースバイケースで言えば騎馬突撃は無茶で、赤武者の騎馬突撃はヤケクソだろう。 >>310
野戦築城して鉄砲で防御してる相手なら、竹束で銃弾を防御しながら徒歩で攻めるのが良作って事なんだろう。
奇襲や追撃戦なら騎馬最強だろうけどね。 内閣総理大臣:織田信長
総務大臣:武田信玄
法務大臣:上杉謙信
外務大臣:小早川隆景
財務大臣:石田三成
文部科学大臣:細川藤孝
厚生労働大臣:徳川家康
農林水産大臣:北条氏康
経済産業大臣:羽柴秀吉
国土交通大臣:羽柴秀吉
環境大臣:千宗易
防衛大臣:真田昌幸
内閣官房長官:丹羽長秀
国家公安委員長:毛利元就 中卒だけど本社勤務から社長へ上り詰めたのが秀吉
孫請けの零細企業から業界一のリーディングカンパニーまで育て上げたのが信長 >>319
細川幽斎「あの人たちはそりゃ実力はあるのかも知れないですけど、教養はちょっとね、、」
明智光秀「細川さんのおっしゃる通り」 >>319
信長の親父である織田信秀は朝廷や伊勢神宮に多額の献金をして位を貰ったりしてるんで、零細ながら金回りの良いベンチャーって感じかもしれんな。 信長は誰もやらないことを狂人だからやった。狂人は敵を作って死んだ
秀吉はこばんざめのごとく優秀な人物に乗っかり続けた。乗っかるやつは人に期待しすぎて終わる
家康は時世を図りやるべきことをやって以降200年の長期政権を樹立した
歴史は結果だ いやいやw
ここまで天海が出て来てないって、お前らニワカにも程があるぞw
中学生かよw >>302
石田三成ら豊臣政権が作った米を統一通貨とする年貢システムがめちゃくちゃ過ぎて
150年後に田沼意次が気付いて米以外を年貢として認めるまで日本破綻してもおかしくなかった
あと徳川幕府は「短期間で江戸開梱出来たのは米と塩分濃い食事」だとして
江戸では濃い味付けが当たり前みたいになったけど、そのせいでバカ舌多いからな
今は丸亀製麺のお陰で薄味が認められてるけど、東京の蕎麦店とか味濃すぎ
しかも醤油も濃すぎ 織田弾正中家の信長はどんな位を貰ったのか
大和守や伊勢守よりも上の位なのだとは思うが >>325
江戸時代になるまでルール決まってなかった官位なんてどうでも良い >>304
馬がどっか行っちゃったら末代までの恥だろ
下賜品もあっただろうし 右大臣なのは知ってたが正一位なら
豊臣秀吉も関白だから生前に貰ってたな >>324
司馬遼太郎の徳川家康 評 オランダの刺激 抜粋
徳川家康はあくまで三河人でした。
お百姓の親玉みたいなところがあり、秀吉から受け継いだ日本に、彼が付け加えたものは何もなかったのではないでしょうか。
困ったことに家康は、近世と言う時代にあってなお、米でもって日本を統一しようとしました。
百姓がつくる水田の上に武士、大名が乗っかり、その上に将軍が乗っかるという支配の形です。
人口比率でいうと七パーセントほどの武士が、百姓に米を作らせて取り上げ、養われている。
それで世の中はうまくいくと考えたのですが、ところが江戸時代も進むと、家康などが思いもよらないことが次々と起こり始めます。
ひとつにそれは秀吉が遺した貨幣という制度のおかげでした。 >>329
貰えていない
基本、正一位は死後の追贈
なので家康も秀吉も生前は従一位止まり 関白は自動的に正一位だろ
太政大臣は従一位、左大臣、右大臣は正二位
内大臣は従二位、大納言は正三位 >>332
Wikipedia見ると秀吉も死後みたい お前らの後出しジャンケン自慢はすこいな🙄
全部結果が出てる昔の武将の評論家気取り🙄
信長どころか農民の一揆くらいに何か頑張ったことあるの?🤗 >>2
大河ドラマ秀吉の竹中半兵衛が良かった!
古谷一行がはまったな >>336
その地区の立法をするんで(やってる事は同じでも)反社ではないな。 >>330
司馬遼太郎笑
司馬遼太郎って歴史ぶち壊しまくりだからな
坂本龍馬が良い例な 頭が良いなら、今川氏真だな。あの立場で頭悪かったらジジイまで生きられないし。 秀吉が一位なのは妥当だろ
晩年以外は立ち回りが完璧すぎて気持ち悪いくらい >時代の先をいく独創性をもっていたから(37歳男性/宮崎県)
信長のどこにこんな要素あるんだ
むしろ他人が考えたものでもすぐに取り入れるところに優位性があったんだと思うが 蜂須賀正勝
竹中重治や羽柴秀長が死んで秀吉ががたがたになったとはよく聞くが
実働部隊としては小六が最重要だった
戦国を生き抜く才覚もあるし、しっかりした後継も残した >>340
小説と史実の 区別もつかない ヤカラって未だに 存在しているんだ (笑) ノブヤボだとほぼ毛利元就トップか
元就の生涯見るには何が良いんだろ? おすすめの漫画教えろ
センゴクとへうげものは読んだ >>351
信長のシェフ
醤油が無く、砂糖が貴重だったためゴツい武将もとろけるってあたりのトリビアがいい。 信長の野望の北条氏康北条早雲のステマ能力値笑えるw
天下人より上とかw
韓流ステマかよ >>351
新九郎奔る
北条早雲を老獪な経験豊富な奸雄でなく
応仁の乱等乱世に翻弄される未熟な青年として
最近の研究を取り入れつつ描いてる意欲作
当時の関東情勢や応仁の乱を丁寧に描いてるから
結構勉強になるのもポイント高い
後は長尾景春や畠山義就みたいな
乱世の奸雄がイキイキしてるのも良い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています