視察もさることながら故吉田所長が吉田調書に残した『誰も助けに来なかった』これが菅直人の失敗の全てだろう

原発は地震にも耐えた、しかし地震で冷却用の電源を失った
それでもなお原発には冷却器を維持する緊急用の装置が備えられていたが、1号機は弁を開けるのが間に合わず、また2、3号機はこれが作動していたが、緊急装置が稼ぎ出した3日の間にも電源の復旧はできなかった

福島原発の電源が回復出来たのは何と10日も後だった

現場に残り対策を支援するはずだった保安院はさっさと引き上げ、孤軍奮闘の東電社員はバッテリーの入手すらままならず自家用車やDIY店を回ってかき集めた。ようやく弁を動作させてベントして温度を下げたタイミングで注水を狙ったが、ガス欠で注水車が動かなかった

国が見殺しにしておいて、事故後調査委員会は一切の情報を封印し、その結果今でも多くの人が分かりやすい堤防が低かったという事だけに原因があったと信じている

大罪人のご本人は今でも立憲の重鎮で農地に太陽電池をとか言ってるわけだ