(モーリーはwokeへの危惧は表明済み)


モーリー・ロバートソン @gjmorley
一つのパターンとして「日本は多様性が遅れている社会で、差別だらけだ。欧米に遅れている。直さなくてはいけない。モーリーさん、どう差別されたのか、どう直せばいいのかを教えて」という組み立てです。このフレームワークには正直言って、辟易しております。と申しますのは

大前提として多様性が「国民一丸となって達成すべきゴール」と認識されている点です。キャッチアップの昭和パラダイムを抜け出しておらず、どこかに「日本は欧米に遅れていて恥ずかしい国。早く新しい時代のルールに追いつかないと国際社会の笑い者だ!」という強烈なフィルターがかかっているのです。

多様性とは文字通り、みんなの価値観やゴールが違ってもいいという考え方です。国是に叶ったエリート層の利権が保証される一方でマージンへと追いやられたさまざまな属性の人が理不尽な理由で不利益を被る画一型の国家主義だけでは環境を含めて持続可能性がない、との認識が広がり、

「みんなで一つの方向を向く幸福モデル」から離脱することを意味するわけです。したがって「成功者が教える、次の時代に生き残る鍵となるSDGs」は自己矛盾しています。なにをもって成功とみなすかを学歴、肩書、収入といった「外から見た物差し」だけに収斂させず、自分が本当は何をしたいのか

というところに徐々に軸を移し、かつ大量生産、大量消費、過剰なサプライチェーンへの依存、労働力・資源・エネルギーの依存から脱却していこうという指向性だと思います。「脱炭素」も気候変動のみに絞ったリニアーな対策ではなく、有機的に価値観も経済構造もシフトさせようという試みです。

つまり「こうすれば解決する」という単純な「正義」がない。みんなで目指すべきお手本もない。ただ、インスパイリングな事例はどんどん出てくる。それが新しいのです。複雑な状況を単純化して本質を掴むという方法論ではなく、複雑なものを複雑なまま受け止めることが必要になります。