虎のソナタ 記者生活ウン十年、初めてナマで見た優勝パレード 日本で最初に行ったのは1959年・南海ホークス
11/4(金) 10:00

中嶋監督が、吉田正尚が、山本由伸が…。誇らしげなオリックスナイン。沿道を埋め尽くしたうれしそうなファン。ナニワの夜、御堂筋の光のイルミネーションの中で、2022年プロ野球界のフィナーレを飾るにふさわしい祭典が盛大に行われた。

優勝パレードって、いつ見てもいいもんだなぁ! 日本一のパレード、何度味わっても感激だなぁ!

そうつぶやいて、ふと気付いた。記者生活ウン十年、優勝パレードってものをナマで一度も見たことないのではないか? よ〜く思い出せ! ない。やっぱり、ない。パレードと言えば…ディズニーランドのエレクトリカルパレードぐらいしか思いつかない。

03、05年の阪神優勝は、会社の中で仕事をしていた。阪神を含めて3球団の担当をしたが、自慢じゃないが、自分の担当チームが優勝をしたことがない凶運≠フ持ち主だ。優勝パレードに縁がないのも当然か。

11月1日付で運動部次長に昇進した長友孝輔がサブデスク席に居心地悪そうに座っていた。初々しいデスク1年生は、虎番時代の優勝はないが、強い強いソフトバンク担当を経験しているから、Vパレードは珍しくもないらしい。

「福岡のファンも優勝に慣れっこでしたから。絶好の撮影スポット確保のため、カメラマンと真夜中に場所取りしたのが一番の思い出ですかね」

何となくさめている雰囲気を、逆にうらやましく感じてしまった。

今ではすっかりおなじみになった、シーズン終了後の優勝パレード。日本の発祥は、昨夜の舞台でもある御堂筋だ。日本で最初に行ったのが1959年の南海ホークス(現ソフトバンク)。伝説のサブマリン杉浦忠が4連戦4連投4連勝で巨人を下した、関西人にとっては忘れちゃいけない痛快なシリーズ。かの有名な「涙の御堂筋パレード」だ。

余談だが、Vパレード以外にも、この年の南海が優勝決定時に日本で初めて行ったものがある。今では当たり前になっている、それは、ビールかけ。いかに、この年の南海ホークスが最先端球団だったかがよくわかる。

ただし、写真に残るビールかけの光景は、上半身裸のパンツ一丁の選手に、となりの半裸の選手がビール瓶でぶっかけている…という、何ともシュールなもの。今のようなド派手なショーには、ほど遠い。

当時の指揮官が、これまた伝説の名監督・鶴岡一人。「親分」と親しまれた。「グラウンドにはゼニが落ちている」はいまに残る名言だろう。そして監督通算1773勝は、おそらくこの先も破られることのない歴代最多勝だ。

そんな親分が、子供たちにも野球を普及させたいという思いで、大阪の地に作った少年野球チームが「大阪南海ボーイズ」。野球王国・大阪の原点になり、何人ものプロ野球選手を生み出してきた。

この少年チームの2期生が、現タイガース監督・岡田彰布。最強の虎DNAの持ち主でもある新監督の出発点が、実はホークスであるという不思議。大阪の野球界の奥深さを感じる。

安芸キャンプは2日目。地元・大阪でのVパレード。新監督は遠く高知の空の下、何を思うのだろうか。

https://news.yahoo.co.jp/articles/918750d58f773342a9e19cde67f910b9e9f37172