太平洋戦争末期、長野市安茂里地区で旧海軍によって掘削された地下壕(ごう)を巡り、工事を担当した当時の部隊長が、本土決戦に備えて海軍中枢の軍令部の職員1000人が使用できる壕を掘るよう旧陸軍側に求められたことなどを記した書簡を、地元住民らのグループが見つけた。
同様の証言は県史の執筆者の論考に掲載されているが、出典は分かっていなかった。 6日、地元で講演した専門家は「大本営海軍部が長野に移転しようとしていたことや、その工事の一環で地下壕が掘られたことがほぼ裏付けられた」と評価した。

 書簡は、当時工事に当たった海軍の「第300設営隊」の隊長ら2人が1984年、防衛研究所の研究者に宛てて書いたもの。地下壕の調査や保存に取り組む「昭和の安茂里を語り継ぐ会」が見つけた。県史執筆者の1人(故人)が自宅で保管していた。本土決戦関連の公文書は少なく、海軍が壕を掘っていたことは住民の証言などで知られていたが、海軍中枢の長野移転計画については、この執筆者が2人の証言を書籍で紹介していたものの原典が分からず、評価が定まっていなかった。

 書簡によると太平洋戦争末期、上司に命じられて、長野市の旅館で旧陸軍関係者と会談した。
陸軍は政府中枢の移転のために、現在の長野市松代町に松代大本営を造営しており、陸軍側から「海軍も軍令部職員約千名用のものを作れ」と言われた。
また松代の大本営に「海軍のはいる余地はないから 之(これ)から別に作れ」と求められたとし、先遣隊を出発させたとしている。

 語り継ぐ会の調査などではこの後、1945年6月末に先遣隊が派遣されて地下壕工事が始まり、約100メートル掘ったところで終戦を迎えた。

旧海軍「中枢移転計画の裏付け」書簡発見 長野で地下壕掘削命令
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