織田信長←「父親が凄かった&領地ガチャ成功した」だけの男らしいぞ [237216734]
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領地に関してはハズレだろあんな立地
東西南北全て強豪の敵の真ん中にいるとか
今の時代に生まれてたら英一郎になってた可能性もあるって事?
有能な家臣が全部やってくれたという説も有り得なくは無いか
父親が凄かった=代替わりで兄弟と血肉の争い、領地ガチャ成功=美味しい土地を狙って四方八方から凸
どう考えても貧乏くじなのよね、家臣にも裏切られまくってるし
>>3 熱田神宮と港からあったから、EU4のCoTを押さえてるようなもん。銭が集まれば人も集まる。
>>9 あの時代に能力主義で抜擢できるってだけで天才なんじゃね
家老職に仕える家老の家柄
津島湊くらいしか持ってない土豪並レベル
金だけは有ったし、精力的有能親父の時代に旗頭を務めてた程度で、領主レベルでも何でも無い
残虐でサイコパスのクズで黒人家来にする変人だったんだよなw
日本史上最高の天才、豊臣秀吉を泥の中から拾い出しただけでも
新興ブラック企業の超有能社長 が織田信長
>>9 その有能な家臣を見出したのは信長本人の好みで選んでて家柄的に無名だった家臣も少なくないから
信長の人を見る目は本当に凄いという評価
>>20 明智から発せられる強烈な憎悪には気づかなかったけどな
領地ガチャっ四方八方巨大勢力から囲まれてるから
キチガイにならんと命を守れんわな
人を見る目は間違いなくすごい
ふらふら高齢ニートの明智光秀とか評判悪ジジイ松永久秀とか普通とらんやろ
>>22 みんなが憎悪してた中で、やってみて成功したのが明智ってだけ
領地ガチャっていうけど、信長が家督を継いだ時は
守護大名の家臣の家臣くらいの家だったんだし、そこからの怒涛の連続下剋上と桶狭間を乗り切ったのは
素直に信長が凄いと思うわ
戦国時代の将軍なんてみんな暴力団の組長みたいなもんだろ
名古屋と岐阜で100万石超だもんね
元々何万石だったのか知らんけど山梨や新潟北陸、広島よりは有利だな
そう考えると秀吉優秀すぎん?
欲張らんと秀次を後継者にしてたら幕府ひらけてたんやろなあ
楽市楽座の基礎は親父だが、強豪が周りに居るし尾張兵は弱兵だし、港の利権ぐらい無かったら速攻で滅んでるだろ、その後畿内を制覇した時点でもう天下取ってるんだよな。
唯一まだよかったのは京に近かっただけで
今川とかまともにやったら即死よ
今の愛知から静岡にかけては米がたくさん取れて、領地として豊かだったから、天下取れたのは必然って話は最近読んだな。
上洛しようとしてた今川しかり、織田も松平も。
楽市楽座は信長の発案じゃない~とか、誇張された人物像へのアンチテーゼを出すのが間違ってるとは言わんが、
その結果、有能じゃないって話になってくると完全に過小評価だろ
尾張 東国が京都行くのに最重要地点 物流のハブ地域として経済ボロ儲け状態
美濃 豊かな土壌と水資源によって莫大な耕作面積を持っている
濃尾抑えたら金と米で困ることがない
逆に耕作地全くなく、地方病で死に体の武田(笑)が強敵扱いされる理不尽さ
>>37 滋賀とか無図はほぼ無限に取れるし盆地で平野も結構あるのになんであんまり栄えなかったんかな
義元をラッキーパンチで討ち取ったり義龍が早死にしたり信玄や謙信が上手いこと死んだりと運もよかった
>>31 だいたい1万石からのスタートだぞ
津島を勝手に抑えてたから金銭収入は大量にあったと思われるけど
秀吉のすごさが際立つ
バイトからトヨタの社長になるよりスゴい出世
祖父の信貞や父の信秀の代から
要所の津島湊を抑えてたから豊富な財力があったんだよな
>>3 津島とか収入源の土地を奪ったのが織田家の中で力持てた理由の一つだからな
>>44 家康だけは家臣に恵まれてた
少年期の人質と三河一向一揆があったくらいで
犬のように少ない餌で良く働く三河衆の存在あったからこそ。
本人の能力よりも家臣団のお陰だけで成り上がったようなもの
あと、武田信玄とか上杉謙信みたいなちょっとキツイ相手か早く死んでくれたのが大きい
2人があと10年は生きてたら秀吉も家康も天下取れなかっただろうし
>>59 家康が信長に全く反抗しなかったのは何故なんだろうな
家康が武田信玄と組んでたらまた違う歴史になってたのに
秀吉に関しては信長のおかげだな
どんなに優秀でも本来城持ちになれんし
>>62 桶狭間後に同盟結んだが信玄が裏切ったから
ご破算
いや、相当に有能だろ
人格に関してはサイコパス感あるけど
戦に関しては先見の明があるよね
弱いと言われた尾張の兵を上手く使いこなすために、弱兵でも戦えるシステム作りに注力した訳で
三間槍による槍襖や、鉄砲重視なのも弓より習得が簡単だからってのが大きいし
大半の大名が兵士を精強に育てる事に重点を置いてたのに、信長は消耗しても替えが効く事に重点を置いた
これは自分の領地を守るだけでなく、この先もっと多くの戦いを戦い抜かなきゃならないというビジョンがあったからだろう
>>1 三好家の没落で
畿内に大きな権力の空白が生じていた
そこに一番近かったという幸運は無視できないね
信長はまじめで野心はなかったとか運がよかっただけとか最近よく言われるが
それでああはならんやろ…
信長は旧保守派だった!系 最近多いの
売名したいだけの新参学者が珍説を次々と繰り出してくるからねw
研究者の世界、学会でも新説()で名前売って手柄みたいな所もありきっていう
近年の研究では、信長は理性的な常識人だった説が出てきてるな。
織田が佐渡ヶ島だったり北海道だったら天下布武は法螺話だったろう
運はある
>>71 その上で信長が勝ってるからそいつらよりは有能
信長は桶狭間に向けて出陣後、途中で
1000人の兵を砦にいれて
ただでさえ劣勢な兵力を更に減らして
挑んだのが恐ろしい
自分の首を取りにくる数万の敵軍を前に
そんな決断を下せるのは常人と思えない
>>78 他勢力とは極力戦を避けようと努力してるもんな。それでもどうしようもない場合武力衝突してるとこはある。
>>52 そんな秀吉を最初に取り立てた松下嘉兵衛と秀吉の関係を詳しく知りたいが史料が残ってないんだろうな
領地ガチャ失敗してるだろw
周りは強豪だらけで弱小尾張はいつ滅んでもおかしくない位置だぞw
弥助のハリウッド映画まだかいな?
割と楽しみなのだが企画ポチるのはよくあること
>>78 実は残忍じゃないって話もでてたが
歴史学者にあの規模の虐殺した人間は日本史においては稀とか一蹴されて吹いた
世上言われている一部の業績が否定されたら全否定かよ
極端から極端だな
>>52 ある程度の家柄出身なら親戚や家来のコミュニティがあって先祖代々の家来筋としての信頼感がある団体が存在するもんな
秀吉は親戚弱いし子供もいないしで大変だったと思う
子飼いは本人の死後に殆ど寝返っちゃったし
>>90 弟の秀長が長生きしてたらもう少し豊臣の天下も長かったかもしれないんだけどな
包囲網、特に宗教勢力を敵に回して打ち破ったのはそれだけで革新的だと思うけどな
マンガみたいな人物じゃなかっただろうが、普通に強いね
今ひとつ信玄の凄さが分からないんだけど過大評価じゃない?
廻りが強豪と言っても斎藤は主家を追い出した成り上がり物で一枚岩じゃないし
今川とは本拠地の駿府から名古屋は遠いしでそんなにキツい状態じゃないだろ
むしろ伊勢の北畠のが怖かったんじゃないか?それとも剣術ばっかり習っててダメ殿様だったのかも知れんけど
当時大名のボンボンなんて腐るほどいたのに信長だけ成功した理由は?
>>63 太閤さんの出生地は山口組の要塞みたいなヤツがある
なんなら外国の領事館並みに警察が警備してる
津島がめちゃくちゃ力があったから勝てたようなもんだろ
教科書にもわざわざ書いてあるくらいだし
伊勢新九郎→官僚→今川→独立大名
織田信長→最初から大名
タヌキ→最初から大名
サル→農民→足軽→大名
ハゲ→無職→足軽→官僚→転職→本能寺
生まれは大切
>>86 状況に応じて残忍だったり寛容だったりするんだよな。
裏切り者は必ず殺す、みたいな事はやってないし
初期配置は尾張3分の1程度の領土、官位権威もほぼない
最初から超名門甲斐一国の信玄と比べると恵まれてはない
弾正織田氏は転勤して尾張に来たから尾張じゃ新参で地盤が弱い
当時はカリスマで、軽くどっか指さしただけで500の家来が一斉に同じ方向みるとか
声が甲高く癇癪もち且つ忍耐強いとかルイスフロイスの本に出てるよ
>>45 >>49 そのまま読んでみると東北訛りみたいな印象 w
>>22 あれはハゲイジリが悪いんじゃねえかな
お前らも気付けろよ
秀吉も信長のブレーンの家で奉公してて、
加藤清正も向かいの家に住んでて親戚
全部津島だよ
>>104 初めては信長じゃないよ
ちな、兵農分離は無かったことになった
海と京と堺が比較的近いのはマジで有利だったな
武田信玄はマジで縛りプレイだなと思うもの。
>>98 神君家康公を脱糞させたんだから凄いんだよ
運は強かったと思うぞ
「ガチ詰んだ」と言う場面を何度も切り抜けてるからな
その所為で油断して最後はやられてるけどw
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/6645/ 織田家は、大名の斯波(しば)氏に仕えていました。斯波氏は室町幕府で管領を務めることができる、三管領家の筆頭です。
格付けでは、細川氏よりも上です。尾張(愛知県西部)の守護を務めており、織田家は斯波家の家来でした。
織田家は三奉行と呼ばれる三つの家に分かれていました。
めんどく さいので、織田一号、織田二号、織田三号で(笑)。
信長の家系は、織田三号家でした。ちなみに本当は、弾正(だんじょう)の忠家(ちゅうけ)というのですが、
そんなマニアックな解説は後回しにしてよいので、とりあえずここは三号家でお願いします。
この斯波さんが、全然頼りない。加えて、織田一号、織田二号も全然役に立たない。
というのが、信長が織田三号家を継いだときの、尾張の有様でした。
そこで信長は、「じゃあ、織田三号の私が頑張らせていただきます」と言って斯波さんの命令で織田一号・二号を潰していき、
最後に斯波さんがあまりにも我が儘ままで聞き分けがないので「じゃ、尾張を出て行ってください!」とやりました。
こうして尾張統一は完成です。
六角と三好が勝手に滅亡したのもデカかった
普通に考えりゃどっちかが覇権を握ってた
明智が切れたのは料理に金使いすぎてブチ切れられ、
さらに妹の家族を殺されたから恨みがあったんだろう
足のサイズが24センチとかなんだよな滅茶苦茶小さい
オヤジが血縁に甘々でノップのとき反対勢力の血縁全部粛正
>>106 グーグルマップ見てみな
「使える平地」見りゃわかるが
尾張3分の1がどれほどのモノかよくわかる。
全部使える土地だぜ。
港(貿易)も熱田神宮(一場&金貸し)もある
東は豪族のみ、西は属国、北は脅威だが嫁の実家になって楽勝。
最強の立地。
>>22 親近感湧くわ
ちな、ハゲは元幕臣
足利幕府の幕臣たちも丹後京都に多かったので皆ハゲの配下に組み込まれた。
本能寺は旧幕臣たちの報復だと思ってる
信秀は今川義元と斎藤道三に挟まれて生き残ってたくらいだからな
織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに 食ふは徳川
家康が座りしままはちょっと酷いけども流れとしては事実だよ
>>96 熱田や津島がついてるとはいえ自分で持ってる領地がすごく小さくて保証が無いから
ちょっと旗色が悪くなったらあっさり手を引かれる危険を常に背負ってた
>>120 当時の成人男性の平均身長って150くらいだぞ
>>107 癇癪持ちで忍耐強いってどんな性格なんやろ
信長の弟とか、なんで本能寺のあと家督継がなかったんだろうな?
信長といえば安土城
だから信長は愛知でも岐阜でもなく滋賀のイメージだわ
>>130 あれ?165~170くらいあったんじゃなかったっけ?
150は江戸時代に入って肉食わなくなって小さくなったって聞いた
>>132 秀吉が信長の赤子の孫を担ぐ有名なシーンがあるだろ
武将といえば光成~♪
1・5・6・0滋賀県生まれ
配下にするなら光成~♪
>>123 その構図の大部分は織田が作り上げてるのでは?
親父の尾張1国から信長は日本の半分以上領土にしたのに父親の七光りはねーわ
他の大名とか精々多くて5ヵ国程度しか増やせてない
秀吉は信長有りきで後継しただけ家康もその秀吉の後釜に就いただけ
信長居なかったら戦国時代が後100年は続いてた
スケートの織田信成の家では
信長を織田家の初代にカウントしてるんだっけ
>>3
日本で有数の穀倉地帯なだけでも恵まれてるんだわ
>>133 滋賀の俺からすれば信長は岐阜、秀吉は大阪か愛知
滋賀は井伊か浅井かな
>>64 武田に滅ぼされた小笠原を厚遇したらその末裔で老中の唐津小笠原長行が討伐軍を率いるも
安芸武田の庶流の高杉晋作の奇襲に驚き敵前逃亡して討伐に失敗。そのまま大政奉還というのは因縁めいたものを感じる
大阪の大名って本願寺やから信長の野望だと地元愛が削がれる
>>112 甲斐国、今の山梨でも人口80万人しか居ないし甲府市は県庁所在地で1番人口の少ない市だと聞いた
廻りは山に囲まれてて少ない耕作地にやっと最近根絶出来たような風土病も有るわと
平安時代に先祖がやらかした罰で甲斐国にやって来た重いツケを払わされたなとw
家来ガチャにも恵まれてない?
猿とかいなきゃどーもならんし
>>140 強敵が先に死んでいったからな
あと、京都に近かったのも大きい
>>115 スナイパーに狙撃されてよく無事だったなぁ
武将なんて元々地盤があった七光りばっかだろうけど、その中で抜きん出たってのが凄いんだよ
>>147 秀吉も他の大名に仕えてたらあそこまで成り上がれなかっただろう
>>134 伊達政宗は159、家康も同じ位の身長だったと記憶
ヤンマガの『何度、時をくりかえしても本能寺が燃えるんじゃが!?』が微妙に面白い
>>134 信長が当時長身の部類で170弱くらいだよ
一般庶民は150~155くらい
武士はもうちょい高めかもしれないが160は無かったと言われてる
父親の信秀は尾張国内に敵を抱えたまま斎藤家と今川家と同時にやり合い四面楚歌
凡才なら異世界転移モノで腐るほど題材にされんよ
革新的な発想と実行力があったのは史実
>>3 大当たりだろどうみても
尾張美濃南近江北伊勢で160万
これに港だなんだで更に上乗せされる
周りの「強敵」とやらなんてこれだけで圧倒できる
>>147 家臣も親父の時代の古参より自ら取り立てた家臣の方が有能やったし
農民足軽出の秀吉や元は他国の家臣だった光秀や敵国の武将でも有能と見れば積極的に家臣にした
他の大名とかなら秀吉みたいな血筋もわからん馬の骨とか手柄立てても絶対出世出来んしな
家の価値が現代より遥かに重いあの時代なら家督相続で殺し合いもそりゃ普通にあるわな
現代だって百万程度の遺産で大喧嘩になるんだし
信長さんの功績
天守をもつ城の創造とそのライトアップによる城を権威の象徴として見せる手法を考える
長槍や鉄砲、鉄鋼船など弱兵でも強兵に勝てるようにする戦略家 軍事専門部隊の作成
これにより多方面同時攻略可能
僧兵をようする寺社への容赦ない攻撃 出自にこだわらず能力主義&合理主義&自由経済
経済に明るく金を生みだす貿易港の重要性を把握
情報の重要性を最優先にしており桶狭間では義元を討ち取った人物よりも情報をもたらした人物
を第一の手柄とした 情報がなければ長政の裏切りで死んでいたかもしれない
ただし最期は光秀謀反の情報を得ることができず死ぬ
当時武士の間で流行っていたお茶を政治利用 それにより茶器や千の利休など茶人の重要性が高まる
あとはいうまでもなく長らく続いていた戦乱の時代を天下統一の道筋を立てた
全国を短期間のうちに武力で平定となると謙信や信玄でも無理だったろう
>>164 六角は京都のイメージかな
六角堂もあるし地名にもあるからね
へうげもの的な視点で見ると、ファッションリーダーとしてのカリスマ性は凄いよね
南蛮物のマントとか甲冑を着こなしたり、かと思えば茶道を流行らせたり
たかがファッションじゃなく、こういう事でも部下の心を惹きつけてたんだろうなと思う
多くの家臣が「ああいう風にカッコ良くなりたい!」って気持ちで付き従ってた部分はあると思う
>>165 武田、上杉、北条、毛利、島津
当時信長以外この辺が有力大名やったが
まあどれも天下統一出来るだけの力や統治力は無いね
所詮は足利と同じ鎌倉、室町から続くような古臭い武家思想やし
多少盛られてたとしても、織田信長的思考は組織の長として憧れるよなぁ
>>168 六芒星+織田信長
織田信長はユダヤの傀儡
という陰謀論
付城築いて本城囲んで
支城は調略で抜いて、ってやり方に長けてたのはいいよね
小田原城を難攻不落だと言い張っても結局孤軍になったら意味がなかった
よく信長 秀吉 家康を戦国の三英傑と言うが 本当の英傑は秀吉のみ
なぜなら信長は織田家 家康は松平家というベースがすでにあり さらに長男として生まれているからだ
家康は長男だからこそ 今川家の人質となっても「いつか松平家を再興して岡崎に戻ってくれる」と信じて 結束の固い三河武士たちはついて来てくれた
もし信行が長男で信長が次男だったら 信長は単に「尾張のうつけ者」として誰にも相手にされず 下手すると邪魔者として殺されていたかもしれない
その点秀吉は本当に何も持たない 頼るべき人もいないし金も無い 乞食のような生活から己の才覚だけで天下人にまで成り上がった 他の二人とはスタート地点が違い過ぎる
秀吉は中村の実家を飛び出してから信長に仕えるまでの事を あまり他人に語りたがらなかったと言われているが 思い出したくもない よほど惨めな目に遭っていたのだろう
父のお葬式で大暴れしたうつけ物は
漫画で覚えてるけどw
軍事力にモノ言わせて天下統一を指向する政権を作った、ってのがデカいだろ
その発想自体が鎌倉室町の過去含めて絶無だし
信長の孫:三法師が関ヶ原で西軍に付いたのが解らんのよな
豊臣家ていわば織田家を踏み台に天下を取って家臣扱いにされてるのに
>>9 秀吉は農民出身だしその農民を最終的に軍団長にまで昇格させてるし人を見る目はたしかでしょ
他の大名だと農民なんかをそこまで出世させない
>>182 隣国が福島正則の尾張だからそのパワーバランスでじゃないか?
諸侯が領地を安堵できればいい、くらいに思ってる中で天下統一の意思があった
これだけでも偉い
>>10 >>29 家中統制して桶狭間の戦いでは裏切り者を出さなかったのは流石
これにより信長に逆らえる宿老は居なくなった
周りの頭が切れる連中が忠告するのを無視して
キリスト教勢力と手を組んだところが凄い
海を越えてこの国を攻めるのは不可能だと読み切ってた
秀吉はそこまで英断できずに朝鮮出兵で確かめる必要があった
結局信長の言う通り攻めて来ないでやんの
クソ雑魚兵士率いてクソ強武田上杉軍と戦わなきゃいけないハードモードやぞ
[ ::━◎]ノ 光秀も出自がよく分からん奴なんよな.
美濃攻略戦からずっと信長の伸張も秀吉の働き活躍ありきな所もあるし
天才秀吉を見出してこき使う事が出来た信長の慧眼の凄さ
信長・秀吉で、天下統一
2人で1セットだと思ってる
>>182 三法師は幼少時から秀吉の傀儡やしな
傀儡にする代わりに豊臣政権下でも色々優遇されてたんで
おいそれと徳川に寝返れんかっただけ
>>182 戦力も大したことないし旧い主筋なんか疎ましいだけで家康が誘わなかっただけでは?
俺<永遠に超えられない壁>織田信長これ位の差があるだろ〜なHaHaHaHa
>>15 それは環境によるところが大きいだろう
普通の大名家だと力を持った一門衆やら累代の重臣が必ずいて
新参者やよそ者を能力本位で重用すると必ず対立が生まれるんだが
織田家にはそういうのがいなかった
絶対的な権力体制を作れたことが本質だと思う
>>25 どちらにも裏切られていてワロタw
それ、人を見る目あんの?
>>189 光秀は浪人として諸国放浪して情報収集する足利や朝廷の忍やった説もある
有力大名に近付き足利幕府再興に利用しようとする工作員
信長暗殺も黒幕は足利義昭や朝廷がスパイの光秀をけしかけてやらせた
父親が凄かっただけとか言うのなら、六角は滅びないよね。
父親が凄くて、領地に恵まれてた三好はどうなったのか?
常滑などの収入が大きかったのは確かだが、今川破ったジャイアントキリングは素晴らしいよね。
>>22 本能寺の1年前でも信長に感謝しまくってるから、憎しみで撃ったわけじゃないだろ
野心と状況が噛み合ってしまった勢い
だからその後の対応がクソで秀吉に全て奪われた
>>1 ああ、親ガチャの波がついにここまで
バカのイマジネーションは無限大だなww
>>201 それいうたら、プーチンの業績すらも凡人には無理だわww
ガチャ成功しただけアホは安倍晋三だろ
よくぞここまで日本を没落させれたわ
>>210 事前の根回しができてなかっただろうからな
あるいは梯子外されたか
三好か
三好長慶は晩年の心境を想像するとこっちまでつらくなる
>>213 プーチンは今川義元やな
大国の慢心で大軍で小国潰しにいったら大敗して討死
秀吉、明智、滝川を軍団長までしてるだけで有能
給料払って領地経営しなくていい武士がいるだけで有能
商業地を重点的に取りにいってるだけで有能
尾張は常滑も忘れちゃ困るぞ
今川は上洛ではなくて常滑を取りに来たって話もあるし
尾張しか統治できてない父親がすごいの?
今川義元にすら勝てんのに
今川義元をまぐれで打ち取っちゃう
斎藤道三と斎藤義龍が都合よく死ぬ
都合よく三好が弱体化する
武田信玄が都合よく死ぬ
ついでに上杉謙信も都合よく死ぬ
まるで創作主人公のご都合主義的展開
>>216 秀吉と結託してたけど梯子外された説は面白いよね
秀吉が信長を誘き出して、それを明智が討つと
光秀も当然梯子外される可能性は警戒してたけど、物理的に離れ過ぎてるからそれは無理って事が根拠になって信じたと
ところがどっこい、通常じゃありえない速度で戻ってきて秀吉に討たれる訳だ
つまり光秀に「無理だ」と思わせる事が秀吉の策略だったと
>>193 難易度高いのは桶狭間制して尾張制圧するまでだろ
美濃は自滅してもうこれで百万石+徳川バリアゲット
本願寺と当たるまで敵なんていない
那古屋今川家って分家が信長の親父に領地乗っ取られてるんだよな
当時の当主が一説には今川義元の弟って話だけど
親父が優秀だったのは確か
>>225 まず最初の桶狭間がムリゲーなんだよ
あの結果引くまで何回やり直してんだってくらい負け戦
信長包囲網で普通なら詰んだのに
挽回するの凄すぎやろ
>>229 まあ鳴海まで落とされてたからかなり厳しかったのはたしかだな
無理ゲーかはしらんがいきなり打ち取って逆転はちょっと普通ではない
領地の拡大に合わせて、本拠地を移動させる。
当時の大名でこれが出来た人はいない。
>>229 あれは信長の力ってよりも桶狭間で隊列が伸び切った今川方のミスと今川方の鉄砲が濡れて使えなかった(逆に信長の方は砦で雨が避けられたから使えた)のが最大の原因
信長公記の記述を見る限り、実は正面からぶつかって倒してるからな
>>198 信広は側室の子やしヘタレやししゃーない
やることが当時の人間の発想じゃないんだよな
織田信長は多分未来人だわタイムスリップしてる
>>223 道三が都合良くww
歴史をもう一回勉強し直せww
信長が継いだときにはたまたま周りは内部のゴタゴタとか他の国との話なんかでいつでも潰せる弱小尾張なんぞにかまってる場合じゃなかっただけだろ
周りの国が万全体制だったら今川と戦いにすらならなかっただろうな
一斉に飛び掛かられて終わりだろ
更にガチャ成功させてた義元さんヤッたから、やっぱ神だろ
>>232 散々擦られた信長主役の映画もキムタク主役ってだけで客入るのかな?
一応観に行こうと思ってるんだが
信長の野望で桶狭間イベント起こして楽勝とか言ってそう
>>237 その状況に追い込む
伸びたところを察知するのが戦略なんじゃん
>>240 織田信長「なぜかタイムトラベラーが俺んとこに、次から次へとやってくるんだよね・・・。」
会社でもだけどあのスケールはトップがしっかりしてないと無理だろ
>>160 秀吉の夫婦喧嘩の仲裁までしてるし、かなり目をかけてるのは間違いないよな。
>>248 ノッブ「きみ持ってんのiPhone14?ずいぶん古いやつだね」
信長が凄い処は尾張統一を達成した処が第一で将軍を擁して上洛を敢行した点が第二。
そこから先は勢力の拡大に伴い兵力の集中による内線戦略に成功したのみで猜疑心と復讐心と嗜虐趣味で色々とぶっ殺しまくって家臣の離反を止められなかったぞ。
戦国の英傑の子孫がフィギュアスケーターなの何か不思議
>>1 Nobunari ODAがガッツリ織田姓遺すため頑張り中
4〜5子のパパでありスケートまだまだ宣言も直近に
織田イズム、先々まで安泰かと
信長さん、ご安心を
弥助は信長があのまま生きていたら黒人大名位にはなれたのだろうか
いきなり桶狭間は難易度高いだろ、普通に相手が鼻くそほじってても蹂躙されるわ
>>202 フィリッポス2世が信長っぽいけどなあっちは
長槍部隊のサリッサとか金貨鋳造とか
美濃の斎藤道三も織田のブレーンが個人的なつながりがあったから
濃姫との縁談を決めたんやで。信長が決めたんじゃなくてな
津島、伊勢、熱田〜知多、の三角貿易に加えて
美濃も川で繋がってるからマジで最強中の最強
>>257 織田家の末裔が信成の家のこと知らねえって言ってたよね
京都や大阪が飲めや歌えで遊んでる間
関東の治水に励んだのがエラい
その結果の今だろ
信長の野望やると糞弱くて糞貧乏で始まるんやが嘘なんか
>>40 今も、岐阜と愛知が組めば独立国家としてやっていけると言われてるしな
桶狭間はピンポイントで義元の居場所掴んでたから勝負出来たんだろ、情報持って来た奴が偉いわ
国ガチャハズレといえば武田氏(信玄)だな
家ガチャはアタリだった
長尾氏(謙信)は国ガチャは大アタリだけど
家ガチャが微妙だった
>>25 そうか、光秀は今で言えば空白期間長過ぎの高齢ニートみたいなもんだよな
当時から黒人登用したり
ホモに理解示したり
ジェンダーフリーの魁だな。
三好長慶が元気だったら、そのまま畿内四国を固めて織田家は武田三好に挟撃されたであろう
>>275 国ガチャっていうか謙信みたいな合戦オタクに目を付けられちゃったのがねぇ
>>251 日本住血吸虫症のことなら中間宿主が武田領内にしかいなかったからじゃね
>>276 信長の嫁と明智が縁戚だからな
だから将軍家の足軽から織田家への使者に抜擢された
>>275 国ガチャハズレは伊達、最上の東北勢や島津、大友らの九州勢じゃね
中央から遠すぎるうえに周りが一定の強さがあるから統一する頃には中央からもっと強い連中がやってくる
>>1 信長公記読んでから言えバカ
織田信秀と斎藤道三の戦でお互い多くの死者を出したせいで
織田信秀の親族のほとんどが造反した中で、織田信長が家督を継いだ
織田家全部から反目されただけじゃなく実の弟の織田信行も敵対することになり
8年かけて親族の城を攻めて落城させ尾張を統一した
落城って織田信長の落城は昔からの落城で
城下町を焼き討ちして裸城にした上で城攻めをして落とすから
城と領地を手に入れてもそこから城と城下町を復興しなきゃならん
>>267 そもそも織田信長の末裔は複数系統あるから全部把握してるわけでもないと思うよ
強ければ奥州から畿内まで戦い続けるのは可能
ソースは北畠顕家
伊達、最上を従えて鎌倉の足利軍を撃破、600kmを半月で踏破して京都を回復した
>>252 毛利中国攻めを任せた時点で秀吉はめちゃくちゃ優遇してるんだけど
毛利攻めで兵糧攻めを選んだせいでめちゃくちゃ時間掛かるから
織田信長がキレて何度も安土城や京都にまで秀吉を呼んでは
近況を報告させている
そのせいか秀吉は京都までの素早い帰路を覚えたせいで あっさり大返しが成功した
せやな
立地も戦力も財力もあるやろな
それに一応は名門斯波氏の家臣だしな
幕府とのコネ無いと平定も容易じゃないし
そう、大義なく戦をしたら帰る家なくなるからね内乱下克上起こるから(´・ω・`)
>>282 辺境組は何だかんだ生き残っているから生存率高め
アウトオブ眼中は強み
一方、甲斐は360度大国に囲まれていて、山しかない最貧国
それでいて交通の要衝であるから大昔のスイスみたいな国だぜ
むしろ言うほど変人でもなくわりと常識あってまともで優しいイメージ
政策や戦略は多少革新的なことするけど人間とステは結構まとも
>>291 貧困地域でめちゃくちゃ外征したので超重税国家やった
逃げる農民許さない定期
領地ガチャは大外れだけど桶狭間で1発逆転したからだろ
あんまり勝ってない印象負けてばっか
でも長篠とか桶狭間とかポイントは掴んでる感じ
(´・ω・`)手紙読めよ ノブはめっちゃいいやつだぞ
朝倉義景は富田長繁を起用しなかったから滅んだ
富田長繁は織田信長との戦いではパッとしなかったんだけど
朝倉義景死後に越前を支配しようと農民をも巻き込んだ争いになって
全ての戦いで勝ったんだけど、兵士を3日間休ませずに戦わせたもんだから
家臣に射殺され反乱があっさり収束した
大内氏
国ガチャ大アタリ+家ガチャ大アタリ → 滅亡
徳川の三河武士や、武田の甲州、上杉の越後、それに島津の薩摩なんかは兵が精強だったというよね
それに比べると尾張の兵は金で雇われた者が大半で、不利になれば一目散に逃げ出すと言われてた
信長の考え方は大規模チェーンみたいなもので、末端はマニュアルに沿って動くだけで良いと
だから敵と距離が取れる三間槍を標準装備にして、扱いが難しくなる分、みんなで一斉に振り下ろすだけという運用にした
個人個人で勝てなくても、数とそれに伴った組織力で勝とうという考え方なので、戦で兵力が消耗しても
金で集めればまたすぐに戦力になった訳だ
これが他の精鋭主義の国であったら、同じレベルまで育てるのにどれだけの時間がかかるか
>>292 それが成功できた原因の一つだと思うわ
真面目過ぎて許容範囲が狭く厳しいところもあるけど
>>298 コレ実際は誰も殺してもないからなw
追い出しただけだから信長公記でも叩かれてない
ちなみに信長公記の太田牛一は秀吉についてボロクソに言ってるのは
バンバン人を処刑しまくったせい
荒木村重の時は逃走した荒木村重以外の親族が子どもどころか赤子も殺したので
処刑された人の氏名を上げて哀れんでいた
>>295 ノッブは絶対勝たなきゃいけない戦いは必ず勝ってるから。
逆に勝率高いナポレオンは絶対勝たなきゃいけないワーテルロー一戦で負けて全てを失った。
>>298 実際は信長さんの留守中に人質の女達が最重要軍事機密である安土城をつぶさに見て回った為に成敗された
>>302 身分賤しきサルの外道さは異常
ロリコンですらある
ルイス・フロイス
「容貌の醜いサルが大阪城に美少女ばかり300人も集めている」
>>3 初代信長の野望やれば地獄だって良く判る。普通?にプレイしたら半年~一年半で滅ぶ。
濃尾平野と甲府盆地では100倍くらい経済規模が違う
>>305 あと常勝だったのに最後の一戦を落として人生終わった人物としてはポンペイウスが有名だなw
豊臣秀吉の戦が1番残酷なのを知らんよな
豊臣秀吉は味方の兵士を極力死なせないという戦いを選んだため
敵城の周囲を囲んで食料が尽きるのを待つ
地元民の農民が飢えて助けを求めて柵に近寄ると槍で殺すんだけど
柵の中にいる別の農民が死んだ農民の首を切断して持ち帰る
信長公記によると生首の脳とかが美味いらしい
それでも3ヶ月も飢えさせ、城主の降伏も無視するので
本当の意味で地獄絵図だったらしい
しかも生き残った住民や兵士に飯を与えると
今までずっと空腹だったせいか急に栄養を採ったことで
リフィーディング症候群に陥り生き残っても死ぬという
>>308 豊臣秀吉知らんだろお前
ロリコンじゃなくて超極端なサディストだぞ
セックスをした人数は300人超え
参勤交代を持ちかけ藩主を呼んだ裏で、藩主の嫁や娘に手を掛けるのは当たり前
同年代の前田利家の娘を側室にしたり、淀君なんざ父親を自ら処刑をし
母親を自殺に追い込んだ上で側室にしたからな
両親の仇だと知りつつ側室にするのは豊臣秀吉だけ
>>315 淀君の父親は自殺だったな
淀君の末弟を秀吉自ら処刑した
しかも10歳も満たないような年齢だったのに
子どもの頃に習った日本史の残虐なノッブのイメージは、今の日本史だと緩和されてるらしいがどこまでが本当なんだろう?
>>1 パヨの次のターゲット?
その次は頼朝かな?
>>278 いやその場合武田信玄は信長と戦わない可能性が高い
>>317
淀の方 ○
淀殿 ○
淀君 ☓
ニワカの典型
生きてて恥ずかしいレベル 人口密集地
交通の要衝
交易に適した港あり
魑魅魍魎の畿内から程よい距離
中国故事の処世術を他のどの武将よりも
実戦に適用し
下克上真っ只中で明智に打たれるまでは
部下を統率してリーダーシップをとった
ということは称賛に値する
>>317 ちなみに江戸時代になってから「我は浅井長政の子」と名乗る坊さんが現れて徳川幕府によって改めて処刑されてちる
>>112 信玄の財産は、優秀な家臣団だな。
信玄の代は揃いも揃って、人材の宝庫なのはどういう訳だ?
ひょっとしたら信長なら朝鮮征伐成功させてたかなっていう夢はある
>>329 信玄自体が優秀だったので
家臣が学んだのと
広く優秀な人材を取り立てたから
津島港&熱田港の収入がすごかった
下手な金山や銀山よりすごい
掘りつくされることはないしな
>>98 戦の勝率はかなりの物では?
十分に名将。
ただし数少ない負けは、かなりの損失出して立て直しに苦労している。
地盤の強力な信長は、負けても負けても、直ぐに建て直せる。
>>329 武田信玄の家臣は優秀だったけど
武田信玄自身はかなりの病弱で人生の半分が病気療養だからw
父親よりも先に死んじゃうし
ただ鬼怒川温泉支配できたのは羨ましい限り
うむ!
淀君 とか書いちゃう知識レベルの輩はお察しw
信玄は外交で色々とやらかしてる印象
そのツケを後代が払わされた
>>333 金があるからね
他の国では金だけでは軍の立て直しは難しいが、尾張は大半が傭兵だし、歴戦の勇士みたいな兵士じゃなくても戦える戦法を用いたから、
金で兵士と装備を整えたら短期間で軍が立ち直る
>>319 日本人に不動の一番人気の歴史上の人物だからな
>>303 不敗のダヴーをパリに置いとかなきゃいけなかったからなナポレオン
>>114 謀反を起こして、一度は許されての二度目だぞ。
後見人の柴田勝家すら見捨てた暗愚。
>>303 つか、それ常勝将軍でもどっかで負けて滅びたなら「その一戦がキモだった」になるし
常敗の雑魚将軍でもラッキーパンチの一勝で天下取れれば同様に「その一戦がキモだった」になる
スポーツみたいな勝利条件みえてる戦いならともかく、現実の戦争ならどの戦いもアキレスの踵への一矢になりうるわけで、結局勝負強い・勝負弱いは結果論でしかないんじゃないかな
勝敗は兵家の常、とも言われるわけだしね
>>59 三河衆は同時に「自分等の理想に合わないことするなら主君だろうが容赦しない」という苛烈さも合わせ持ってる
(実際二代に渡って主君が家臣に暗殺されてる)
家臣はプリンスメイカーに打ち込んで、主君が期待されるロールプレイの範囲を逸脱しないという縛りの緊張感の中で大きくなったのが徳川
家康が最後は地元とは縁を切るかのような動きしてるのは単に事務的な問題ばかりではなかったであろうな
「落とせない城はない!」天才豊臣秀吉と圧倒的土木事業と現代的物量戦
上杉謙信でも落とせなかった自称 難攻不落の小田原城を、あっさり開城させられたのが北条氏
まぁ(神奈川県)が悔しくて叩くのも分からんでもないがw
信長が織田弾忠家を継いでから弟や親戚と尾張統一するまでにどれだけ戦ったか
地元でもあまり知られててない
>>302 悪い。竹馬島の件はずっとブッコロで信じてたんだが何か具体的な反証や論文ががあるの?
>>326 出奔から離反から謀反から山ほどされっぱなしじゃない。学んだ光秀が成功したのでそこだけ有名になってるけど。
>>348 キムタクのドラマ『レジェンド&バタフライ』でも端折られるんじゃない?。(色々端折って)いきなり桶狭間(色々端折って)斎藤道三との会見スタートかなーって。
>>330 本能寺で落ち延びた信長が李舜臣になったという説が有力
今川破った事で名を挙げたんだから無能じゃ無いでしょ
アレ一発ならフロックかも知れんが結局天下取りまであと一歩だったんだし
>>347 そもそもいつ死んだかも判っていないんだよ
>>348 逆にそれが信長の強固な権力基盤を作ったんだよな
織田一門を手を結んでもその後には倒したり追放したりで
元々の重臣だって佐久間くらいしかいなかったわけだし
尾張統一後に借りのある奴がいないから好き勝手にできるようになった
>>286 織田家の末裔の会みたいなのがあってそこに含まれてないって話だな
対今川が無理ゲーだっだけどあそこで討ち取れたのはデカい。
>>75 本当のとこは良くわからん。
たぶん自分が天皇に代わろうという考えはなかった気はする。
あくまで既存の枠組みの中で権力を可能な限り手に入れようとしてたように見える。
>>361 基本全部別ゲーなので人によるとしか
Koei信者じゃ無いなら適当なプレイ動画でも見て面白そうと思えば買えばええし微妙そうならスルーで良い
一応新作の売りにしてるAIはまともな動きはする、が敵もまともなので普通に強いAI化してる
>>358 佐久間以外にも居たけど
信長鉄砲師範代が織田家同士の争いで弓の名人と戦って相討ちで死んだけど
師範代には息子がいで、息子は城主になるまで出世した
ただ朝鮮出兵前に病死
人は状況により簡単に裏切るし信長だけ言うのもどうかなと
へうげものの信長がしっくり来るんだよな身内贔屓が過ぎだから殺られたって所
>>363 プレイ動画見てみて面白そうだとは思った
ムズすぎないんなら買ってみようかな(´・ω・`)
>>217 近畿取っただけでいきっちゃったのがな。
もう天下取ったと思って内輪揉めしてるんだから世話無いわ。
>>236 軍政も今風だわな。
戦国時代まではどっかの一族郎党ひとつで軍を形成してて、当然当主が頭をやる。
スペインの宣教師から情報得たのかねえ。
資産の3倍の借金してまで畿内統一しようとした人間をただのボンボン扱いするな
信長のあのスタイルも周りが物凄い強者ばかりだからヤバイ感じを出して攻められないようにしたって話もある
結局、何言ってもいいわけでしかないわけで
最後に天下を取ったのが今川の太原雪斎の弟子の徳川家康なんだから
最強は今川系の徳川家康
それ以外は雑魚w
領地ガチャ最大のハズレは
地震で山体崩壊起こして城ごと土砂に埋まり一族滅亡した内ヶ島氏だろう
信長が他と違うのは天下統一を明確に意識していた
他の大名でそれ考えてた奴おる?
もしかしたら今川はそうやったのかも知れんけど
その末裔
源家 - いるんだろうけど、ただ昔の先祖がそうだったけイメージ
平家 - ヒソーリといるかもしれん
北条家 - いるのか?
足利家 - いないんじゃないの
豊臣家 - 完膚なきまでにお家お取り潰しになったからいない
織田家 - いるんだろうね?とは思う
徳川家 - いる。いるってだけ
うーんなんとも。公家についてはなんとも言えないから言わない
織田の息子が勇猛果敢で今川の息子がボンクラな臆病者が際立つよな
父の義元討たれたら直ぐ後を継ぎ軍勢を立て直してリベンジするべきやった
なんもせんで武田と徳川に食われるとか無能氏真
実際は超人的な人物ではなかったものの、準備をしっかりして政治軍事を無難以上にこなし続け、例え失敗しても被害を最小限に抑えられた
普通に超有能
まあ武田上杉など外交ではしくじりが多いが
今川があのまま秀吉を仕官させてたら歴史変わったのかな
まあ家臣が優秀だったんだが
その家臣揃えられたのも優秀だったからなんだろうけど
信長じゃなかったら桶狭間の戦いで負けて今川に滅ぼされてるわ
斯波氏は尾張、越前、遠江と離れてなければ簒奪されて惨めな思いしなくて…無理か
>>390 部下が優秀な場合、それ以上の能力がないと部下は従わないし、統率できない
>>391 中国の故事を知らないと、そういう戦法は思いつかないだろうな
うつけ時代の振る舞いも楚の荘王の逸話に似てるしな
家臣がすごかったのはその通りだけど
その家臣を見出して動かしたのは信長の功績だわな
戦場では信長自体は前線にガンガン出たがった無能だったけど人を見る目がずば抜けてた。
桶狭間の戦いはまぐれ
>>398 下克上が当たり前の時代だからね
少なくとも何か一点でも飛び抜けてないと、有能な部下はついてこないよな
天翔記だと南部か島津が当たりだな
後ろから襲われねえからな
本願寺との和解がもっとはやけりゃ歴史は変わっただろう
>>182 建前はどっちも豊臣家家臣として奸臣排除の戦いだから
毛利元なりも、凄いあつかいされてるけど
お家そうどうで大内の領土がころがりこんだだけやん
あの時代なんて親ガチャが9割だろ
大名家に産まれないとスタート地点にすら立てないわけだし
明日、岐阜にキムタク信長が来るってんで、美濃の国は大騒ぎよ。
人口の倍ぐらい人が集まりそうだって。
バテレンに取り入られて野放しにしたアホ、家康と秀吉居なかったら日本終わってた
信長は、織田家相続、尾張統一の過程で家臣、親族の敵対者、邪魔者を一掃出来たのが大きい
これで信長にクチを出せる家臣がほぼ居なくなったので、やりたいようにやれた
>>411 信長の統治下で何の害も生じていないから当然だね
家康なんて24歳で死んだ祖父が敵の奥さんを和睦の条件で貰って
その奥さんの前夫との間の娘と、自分の息子を結婚させて生まれた子だろ
>>416 キリシタン大名とかいうミーハーが沢山出ちゃって混乱を招いた
>>399 その家臣にゴミのように雑魚丸出しで負けのが織田信カスww
弱すぎww
>>416 当時はまだ仏教のほうが害があったからな
仏教への対抗のためにキリスト教を優遇したという説もあるし
>>414 信長が能力本位の人材登用できたのもこのおかげよな
大内は相良武任みたいなよそ者を入れたせいで滅びてしまった
信長が容赦ないのは孔子の思想
処刑は力を誇示する1つの方法
本来なら家康と一緒に義元の家来になって上洛してたくらいの微妙さだけどな
>>396 そもそも応仁の乱で守護が京で十年も小競り合ったりにらみ合ったりを続けた結果地元で精を出してた守護代に実権を奪われたのが下剋上の始まりだからなあ
柴田勝家→跡目争いで対立してた側
佐久間信盛→跡目争いで対立してた側
林秀貞→跡目争いで対立してた側
羽柴秀吉→今川家に仕えた足軽の家の出
明智光秀→素性不明
滝川一益→素性不明
丹羽長秀→譜代の家臣
前田利家→譜代の家臣
村井貞勝→素性不明
荒木村重→元池田家の家臣
徳川家康→元今川家の家臣
ノブの人材抜擢すごいわ…
>>427 佐久間はずっとノブの味方じゃなかったっけ?
自分で採用したわけじゃないから追放されたのかもしれんねw
>>427 勝家も光秀も父親の名前もいつどこで生まれたかも判らない素性で秀吉のこと馬鹿に出来ない生まれよな
糞もらし狸が家系図偽造してようやく将軍にしかなれない所を猿はチョロく関白になれるんだから、松平とか得川どんだけショボいんだよってこったな。
戦国中興の祖
島津忠良
龍造寺兼家
大友義鑑
宇喜多直家
織田信秀
武田信虎
長尾為景
佐竹義重
最上義光
南部信順
>>436 秀吉も官位はともかく経済的にはそこそこだったんじゃないのって言う説はある。
信長も守護職の斯波氏が転がり込んでくるまでは本家の清洲織田家に頭の上がらない成金程度の家柄だったし。
信長の人生を予備知識無しで1000回やったら999回今川に滅ぼされる
>>438 信長の人生、光秀にやられるまではずっとその連続だった感じだな。
ドリフターズで島津が「よう、生きとるな」と言うのもよくわかる。
>>404 熱田神宮押さえてた家系から見たらカルト信者相手には全員殺害しか選択肢がないって長島願証寺で知っとったやろ
子孫を宣言する人が多いが、怪しさ満点だよなぁ。
先祖代々受け継いだ何かはないのかと。
最上を引き当てても輝元はアレだし
本人に能力がなきゃどうしようもない
>>438 信長はタイムリーパーだったんだよ!
ΩΩΩ
>>427 徳川家康はタダの同盟で家康に利用されてただけなのに
かってに家臣とか言い出す所が朝鮮人みたいでかっけぇwwwwww
他にも、恵まれた領土の生まれた人は
何人もいるだろ
当人が優秀だったかどうかなんてのはわからんけど
結果から見たら、そう思うのが順当ってところじゃないか
>>443 > 最上
「さいじょう」か
レスの意味がわからなくてしばらく悩んだ
>>441 小牧長久手で猿の狸絶対滅亡に恐怖の余り漏らした糞が大地震引き起こして助かったとか
黒人奴隷を始めてみて元から肌が黒いと言われ訝るな墨を塗っただけだろうと家臣に肌を洗わせたが
当然地肌なので落ちずに黒人という人種を知り腕自慢と相撲対決させなぎ倒し
その強さにほれ込んで家臣に仕立て上げ弥助という名前を与えたり
地球儀を見せられ地球は丸く太陽の周りをまわっている地動説を理にかなっていると悟る
世界地図をみてオーストラリアを四国南アフリカを九州ユーラシア大陸を本州とおもっていて淡路島と思っていたが形状を不審に思い
まさかこれが日本の国か?と一瞬で察知するヤベー奴
ホトトギスでは残虐性でジェノサイドのサイコパスと言われているが実際は温厚で家臣思いの気立てのいい奴
酒の席では無礼講で頭叩いても笑って許すいい上司 しくじってもサーセン!と謝れば許す器の大きいやつ
明智光秀はただの糖質ってのが有力説
一番イラチで常にピキっているのが家康 イライラすると爪を噛む癖が治らずつねに爪を噛んでいた
>>22 憎悪じゃないよ。
信長 「朝廷ってもういらないだろ。辞めてもらおうよ」
明智 「それはいくらなんでもまずいんじゃ・・・」
本能寺の変
>>454 おねに当てた手紙や乞食に情けをかけた話は有名で領民に親しかった逸話は聞くが家臣思いの逸話って例えばどれ?佐久間信盛の諫言?
まあ、いちおう、近畿を制圧しただけでも大したもんでしょ
そりゃ、幸運にも恵まれただろうけど
そもそも大名の仕事なんて一個人の能力だけでどうこうできるもんじゃないし
人材、土地、運に影響されるの当たり前でしょ
>>456 佐久間のヘタレっぷりにぶちぎれたが素直に謝ったので許した
秀吉なら貼り付け獄門 家康はシチュー連れまわしに一族斬首
秀吉がどんだけ謝っても許さないねねに許してやってクレメンスと手紙送ったり
人質だった家康の誕生日に好物の天ぷらをふるまった当時は正月に誕生日祝いするんだが
家臣の配下の祝言や元服祝いに空の酒樽送って入ってると思った?残念でした草ァ!と手紙送ったけど本当は底にちゃんと酒いれたり
結構お茶目な一面がある
その一方で裏切り者は容赦なく処罰する一面もある
キリスト教保護はキリストって月詠の尊の末裔じゃね?と察したからという説まである
>>442 明治になって没落した家もあるだろうからなんとも言えないな
>>455 正親町天皇は引退して上皇になろうとしてたが費用の捻出が出来なかった
ノブがようやくGOサインを出す気配を見せたのが本能寺の変直前だったという話
本能寺の変の4年後に誠仁親王が急死したので孫の後陽成天皇を即位させて引退が叶った
秀吉が費用を出した
仮に信長死なずに天下統一してたら日本はどうなってたやろ?
徳川のように鎖国せず西欧みたいに開かれた海洋貿易国家になってたのではないか?
明治維新を300年前倒しに出来た可能性
>>459 ほう、ありがとね。裏切り者にはの下りは同意しかない。それを知らされてますます離反したくなる家臣も出るだろうに。
>>460 大東亜戦争後の土地没収で没落は結構多いし戦死も多いから末裔没落はあながちホラでもないよな
いまだと由緒ある家系なのに受け継がれずにこどおじヒキニートで一族滅亡は多々あると思う
親父の家系は長宗我部元親の軍勢をフルボッコにして首を送りつけたり日清戦争で猛攻したり和歌を詠んで明治天皇から賞賛されたり
飢饉の時は米くばったりしてるし幕末ではエジプトいってスフィンクスの前で写真撮ってる
明治天皇からの賞賛された褒めの書類もエジプトの写真も金に目が眩んだ親戚が盗んでいってドロドロ状態
俺は派遣底辺のどクズだしな兄なんてこどおじヒキニート童貞のアラフィフだし
ご先祖様が偉大すぎて俺が末代になってしまうから申し訳ない
本能寺の変がなく信長が健在だったら、キリスト教の布教の扱い次第で世界史までもが変わっていたよな
>>438 これ。
桶狭間の時点で敵に囲まれまくってぎりぎりの状態だからな。
>>467 日本もアジアだけでなくヨーロッパを行き来し
アメリカ大陸やら上陸したり
世界にも影響与えてたかもね
>>463最初にやったことは対外交易の唯一の窓口になる対馬海峡周辺地域の安定、要するに朝鮮南部への侵攻やろな
そしてフィリピン介入やろな
>>467 夢、広がりまくり
アジア制覇まで行ったかどうか?は微妙だが
少なくとも、世界との交流は続けてただろうなあ
日本は、江戸鎖国さえなければねえ・・・。
>>469 つっても明治維新て世界情勢が戦乱の中でいい時期だったんだよな
その前に発明禁止法が無ければキテレツ大百科のキテレツサイのような偉大な発明家がゴロゴロ出ていたと思う
自転車の発明も日本が世界初だし、リリーエンタールやライト兄弟より前に飛行機を発明できていた可能性はおおいにある
麻酔技術も凄い
パラオの悲劇も回避できた可能性は十分にあり得る
>>427 柴田、佐久間、家康あたりはともかく、
他の奴らは信長に仕え続ける義理もないのでいざとなったら寝首をかいてくるわな。
300年の鎖国は良いところは外国と極力かかわらんから
侵略されずこちらからも侵略しないから国内だけ見れば平和
悪いところは外国とかかわらんから何時まで経っても同じ文化で発展せんから
時代遅れで取り残されてしまったが
明治維新以降は驚異的な早さで近代化し西欧列強と肩並べるまで発展したが
>>476 柴田も信行を裏切った程度の適当な家柄やろ
>>419 キリシタンはともかくキリシタン大名は割合忠誠尽くすからな。
裏切らずに豊臣家に殉じた小西みたいに。
特に信長を一番悩ませたのは一向宗とか仏門。
光秀は仏門もつぶしたぐらいでなんでもありだろうな。
弔い合戦で明智軍打ち破った高山右近はキリシタン大名。
>>475 江戸は文化とかでは面白かったが、
秩序維持のために儒教的な前例踏襲、
特に「新規ご法度」があったのが痛かった。
世界初でグライダー飛んだ奴も逆に世間騒がせたって処罰されてるし
弾正である織田家であるということ
群雄割拠の戦国時代に多数の名だたる武将を従えたということ
全国統一寸前まで成し遂げたこと
絶対にアホやうつけではないわな
尾張が最強ってアホでわかるやろ
美濃の斎藤道三と駿河三河の今川義元に挟まれて、同時に相手しても互角にやりあっていたのが織田信秀なわけよ
有能だけでは説明できない。
尾張は最強の経済都市と港をあり石高は尾張単体で60万石よ
信長は尾張と美濃を制圧しただけで石高130万以上。これだけ当時最高の石高の大名になる
さらに美濃を制すると東の流通も抑えることができて伊勢の港を抑えると東の海路も抑えることができる
こうなると東への流通は北の海路しかなくなるわけで
だから越前や越後の上杉が強かった。上杉謙信が強かったのは戦争が上手かったのはなくて経済力が凄まじかった
武田信玄なんて30年掛けて甲斐信濃と美濃上野の一部と駿河制してやっと石高100万よ
話にならない
信秀も傑出はしてただろうけど下剋上すらできてないレベルだからな
織田の弾正家の嫡男に生まれたというのは運だろうがな
>>484 パパの時代から経済の重要さをよく理解していたね。武田信玄も親の偉業を継いだ形となったけど、金山があったので粘れたという辺りか。謙信ともっと早期に和睦をする戦略をしておけば。
>>485 簗田政綱が勲功第一とされた確実な資料が存在しないよね。後付けで推測は出ているけど。後々パッとしない事を考えると今川にも「どうぞどうぞ」といい顔をしておいて、本陣の場所を知らせて称えられた程度かと。
戦国時代のケケ中田沼意次、偏ってる嫌儲ネトウヨが見れば極悪人よ
その信長についてただけの秀吉
秀吉が死んだだけの家康
すごいやつ誰もいないじゃん
>>489 北条早雲が一介の素浪人から成り上がったてのはもう完全に否定されてるしマムシの道三も道三のオヤジから親子二代で美濃を乗っ取ったのも解ってる
本当の成り上がりなんてそんなドリームないんだよ
信長の偉大さは以下の2点
・義元を破った後、義元の領国には目もくれず京都を目指したこと
・身分に関係なく実力主義で家来をこき使って働かせる体制を構築したこと
これらは他の大名にはできないことだった
>>492 とはいっても宗教各派を平等に保護した訳でもなく、浄土宗と熱田神宮には手厚くてキリストの教えにも関心を示したが法華宗は安土宗論後に普伝の首を刎ね、
天台宗(延暦寺)は中立にならなかったという理由で一部焼き討ちして一向宗は一揆衆が降伏申し出後に万単位で老若男女の別なく焼き殺されて越前でも万単位で殺され一部は釜ゆで。
後者の2つは現世への政治にも影響力が大きく不安定要素だったのもあるけど、信長は一度受けた恨みは絶対に忘れない事を示唆するものでもある。
父親の代で果たしきれなかった尾張統一を成し遂げ、機に乗じて今川を討ち、
家柄に囚われず有能な家臣を重用し、天下を粗手中に収めるところまで行ったのって、普通にすごくね?
現代の経営者だって与えられた環境や人材を有効に活用できるは人が成功してるし、そういう人は意外と少ない。
>>35 楽市楽座は六角とかのほうが早いけどな。
信長はその政策を上手く使った。
信長って人でなしとかそういうイメージにされてるけど謀反を起こしたやつを結構許してるんだよな
松永とか荒木に書状を出して許してやるから戻ってこいって送ったり弟についた柴田勝家も許したし兄の信広も許した
ただ自分の叔母であるおつやの方の裏切りには厳しい対応したけど
>>497 ・叔母(おつやの方)を逆さ磔で処刑(もしくは自ら斬った) だね。他には逸話レベルもあるけど信長に背いて許されなかった例では、
・浅井久政の妻を、指を一本ずつ切断して処刑
・万福丸串刺し
・朝倉義景、浅井父子等の髑髏を薄濃にする(酒は飲んでいないとも) ←近年信長再評価の流れで見直されつつあるけど、通常の感覚の大名であれば背いて籠城して滅んだ大名の首級なり髑髏なりを「そのまま」酒の肴にすると思うのだが。
・降伏した波多野秀治らを磔刑
・荒木村重の親族を小屋に押し込めて焼殺、京では車裂き
・天正伊賀の乱。伊賀の人口が三分の一となる
・本能寺の変
細かいレベルで言えば磯野員昌の出奔と、信長には主立った家臣ほど「この殿にはついていけない」みを感じさせるものがあると思うよ。
言い様が余り良く無いが、信長は浅井長政の裏切りから精神を病みだしていたとは思う。何故周辺勢力が信長になかなか従わなかったかの答えは光秀の丹波攻略に要した年数に潜んでいると思う。
>>495 別に無理して尾張統一せんでも織田に臣従させとけばよかった
甲斐の武田とか守護代に乗っ取られて当時の武田の当主は京都に逃げて四国に滞在していた
そして幕府は今川や北条を牽制するために武田を甲斐に戻そうとするが守護代や穴山小山田が怖くてこれを拒否
しゃーないから幕府が守護代跡部と話を付けて跡部は殺しませんよって誓ったがそれでも拒否。
しゃーないから小笠原に頼んで護衛してもらってやっと甲斐に帰国。
そのあとの信虎の爺さんが頑張って跡部から甲斐の守護の立場を取り戻す。だが国人は従わない
そのあと甲斐は北条と今川の代理戦争の場に突入して
爺さんと信虎の叔父vs信虎の親父と信虎で内乱に突入。これに信虎が勝利して、ここでやっと武田は甲斐での実権を握る
そして信虎が甲斐を統一したのが信玄が産まれた時で、ここで武田はやっと戦国大名になれた。
が穴山は甲斐の経済地域を抑えていて今川寄り、小山田も独立性が高く領地を守る為に武田と北条を天秤に掛けていた
この状態で信濃や諏訪と揉めて信虎の立場が微妙な状況になって板垣や甘利やオブなどが信玄を担いでクーデターを起こした
つまり信玄の家督相続時はなんの実権もなかった。上田原で板垣甘利が死んで一気に掌握した
どう考えても織田より武田の方が面倒
>>499 だから丹波を舐めすぎなんだよ。もうね足利細川三好が失敗したのは丹波にある。
みんな丹波の制圧に失敗した。攻める方には厳しく守る方にはやりやすい地域。
昔から争ってきたから丹波の人間は鍛えられて強かった。三好最強の武将は松永の弟で
この弟は人格者で戦も上手く三好で功績を上げて出世していく久秀の成功は弟のおかげでもある。
この三好最強の弟が丹波を担当したが失敗して死んでしまう。
三好がグダグダだったのは三好の有能な兄弟が連続で死んだより丹波の支配に失敗したから
この最重要の丹波の制圧に成功したのが明智光秀でなわけで。織田の躍進は光秀のおかげといってよい
光秀の丹波攻略成功はそれだけ凄かった。だから織田の中心と言っていいレベル
光秀がいなかったら織田も足利細川三好と同じ道を辿っていた。っていか本能寺で似たようなもんw
この丹波が京都の隣に存在するから政権がまったく安定しない。
鎌倉幕府は関東だからいいとして、足利は義満時代にめちゃくちゃにし6代将軍がやらかして以降
政権は150年グダグダになる。
守護代の分家の大うつけ息子だからな
今でいえば、副知事の親戚のブチ切れ息子からのスタートして、国家元首まで昇り詰められるか
庶民からすれば相当に恵まれてはいるが
ID:vPP5PiIq0
ID:i4+Amt5t0
織田幕府は、朝鮮半島は、スルーしそうw
織田幕府は、
フランスやスペイン ヨーロッパ大陸を諦めて、
世界覇権を獲得した、イギリスみたいに、
北米やオーストラリア、東南アジアへ、日本の版図を拡大。
いわゆる、太平洋の魔王エンドでいいだろ
この前初めて岐阜城の近くを通ったけどあんなに山の上にあるんだな
びっくりした
ニュー速の人って一文にまとめれば枝葉末節理解した気分になる人多いよね。
>>474 後金のヌルハチが女真族統一で
サファヴィー朝のアッバース1世が即位って
英傑でてくるからなアジアの大国
>>183 貧乏家系は権力に溺れるおそれがあるからな
武士道を知る家系が優先されるのは仕方ない
ただ豊臣秀吉はボケるまでは偉人
教科書が迫害してるのは許せない
>>512 道三が二代で美濃を〜ってのと同じで
織田に関しても二代目でようやく尾張統一を成し遂げたってことなんじゃない?シランケド
タイトル通りガチャ運が良かっただけにしても
その当たりガチャを無駄にすることなく成果は出してるのは事実なんじゃない?
>>463 そんなすごいことできるわけないじゃん
信長よりも何倍も権力あった秀吉でも海外進出失敗してるのに
だいたい謀反でやられてる時点でその程度の人徳だったんでしょ
信長の子たちを誰も助けなかったし
秀吉のほうが人望あった
>>438 今川と織田はあの時点では圧倒的な差があったと思われてるけど、実は国力的には互角ぐらいだったんでしょ
濃尾平野が肥沃だったから
>>485 運に巡り会っても掴めなければ意味がないんだよ
あの局面での決断力と行動力がなければ運は手にできなかった
>>349 こういう気持ち悪いパヨが湧くってことはやっぱりそうなのか
偉大な創業者がいて
潤沢な資金もある。
コレに当てはまる人は世の中に沢山いるけどな。
たいてい2代目で潰れるんだ
>>45 琵琶湖は一番低い所にあってポンプでもなければ農地に水を引くのは至難の技
水運や漁業くらいしか役に立たないんだよ
今でも農業用の溜池や用水路があちこちに残ってる
>>526 地元の意見はありがたいですね。街道の要所でもあるので宿場町もそれなりに栄えていたんじゃないかと思います。
>>45 今現在は発展していないとしても過去においても発展していなかった証明にはならないでしょ?
近江商人は江戸時代には隆盛を極めているけど明治に入ってからは滋賀では活動せず大都市に活動拠点を移しているようだ
ウィキペディアによるとデパートや商社といった分野は近江商人の流れをくむ企業が多いね
デパートだと西武百貨店 髙島屋 福島の中合 宮城の藤崎 鹿児島の山形屋
商社だと伊藤忠 住友 三井 双日 トーメン 兼松
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%B1%9F%E5%95%86%E4%BA%BA >>500 この手の後出しジャンケン無意味もいいとこ
歴史に学ぶならいざ知らず
>>518 海外進出が朝鮮出兵の事ならそれは失敗ではないよ
理由は日本侵略を企てていたスペインとそのスペインと争っていたイギリスとの戦いででスペインが負けたから
なので朝鮮と明へスペインより先に防衛拠点を作る予定だったがスペインが来そうになくなって必要ないから帰ったの
帰る途中(海上で)に半島からなぜか攻撃されたので瞬殺した
ついでに言うとその時朝鮮は明に侵略されてボロボロだったよ
>>532 「イギリスとの戦いででスペインが負けた(から"海外進出が朝鮮出兵の事ならそれは失敗ではないよ")」の部分はアルマダの海戦(1588年)に掛かってる?
幾ら通信困難な時代だったとはいえ文禄の役の開始は天正二十年(1592年)だからにわかには信じがたいなあ。誰の説?。スペインと開戦するならフィリピンが戦場になるのが濃厚だけど。
「必要ないから帰ったの帰る途中(海上で)に半島からなぜか攻撃されたので瞬殺した」の箇所は順天城の戦いを指しているのだと思うけど半島ではなく明・朝鮮連合軍と記すべきだし
秀吉はもう薨去した後なので五大老らが和議を結ぶ事と帰国を決定しているのだけれど。「必要ないから帰る」という判断を行った主体は誰です?
>>507 信長は明の征服を狙ってた
朝鮮は避けて通れない
秀吉が狙ってたのも明だし
>>518 トップが、織田信長
前線司令官が、豊臣秀吉 これが最強タッグ
この体制なら、北京攻略くらいはイケてると思う
信長・秀吉没後の事はもう分からんw
>463
>518
>537
信長や秀吉にそんな才能があったら成し遂げてるわけで
才能がないから成し遂げられずに死んだまでのこと
>>538 おまえっていつも、「つまんない奴」って言われてるだろ?w
>>479 まあ、何度リセットしても本能寺は燃えるんだけどな
剣持ってイキってるだけのヘタレだろ
現在に生まれてたらサラリーマンとか無理やろな
桶狭間の戦いで大軍の今川の首を取ったんだろ?ラッキーパンチという奴もいるが、俺はそうは思わないね。アイツは昔から良い物(ハート)をもってたよ。
>>537 現実としては半島を明と半分こするくらいが限界なんじゃないかね
近代でも満州から北京ぐらいまでは行ける行けてるからな。
当時はまだまだ明が栄えてた頃だったから激戦
日本が明を滅ぼせないのが日本史、世界史、戦国スレ住民の見解
大きい要素だと内部崩壊させれる程の情報戦も出来ないし多民族支配のノウハウも無いから
桶狭間は運じゃないよ。今川がそこまで強くなかったから
石高で言うと駿河15万石遠江25万石三河30万石。合計70万石だが三河は松平など従属関係で
実質40万石程度で兵の最大動員は1万程度
これも桶狭間の時、駿河本体と遠江は別々で、先に遠江軍が進行して今川義元が進軍するための進路を
確保するために動いて同時には侵攻していない。
つまり実際の桶狭間の戦いはこの先行の遠江軍の戦いと駿河本体の義元軍との戦いを意味する。
そして今川義元軍が討たれた時の兵力は駿河15万石で3000程度の兵力と三河の軍でこの三河の軍の動くが不明で
松平は城を守っていて動いていないでしょう
そして織田は砦を数ヵ所築き、今川の城を包囲していた。つまり、織田2000+砦vs今川3000三河数千の戦いで
今川の兵力少なく織田の砦攻める城攻めみたいな状況で不利だった
>>547 スレ住民の見解w爆笑
人口50万人も居ない後の清が、わずか数十年後に明を征服してる時点でそんな戯言は論外
美濃の斎藤見てりゃあ能力もないと
どうにもならんてわかるだろ
>>553 内部崩壊ガー
中国王朝なんていつもそうだろw
天才秀吉が居ない遠征軍と明軍の死闘の結果、明の国力も傾いて
その後すぐに少数民族の雑魚な清に征服されたというのが実態
近現代以前で、日本史がアジア・世界史に与えた唯一の大きな影響はこれくらい
信長麾下、秀吉が遠征司令官なら、少なくとももっとやれてて当たり前
なIFのお話
>>552 とにかく日本に偉人がいるの気に食わないんでしょ
坂本龍馬も病的に叩いてたし
頼朝辺りもいずれは叩くんじゃ無いかな
>>557 ヌルハチのサルフの戦いは
軍事史的にも内線各個撃破の芸術作品的戦いだけどな
ホンタイジドルゴンとか息子たちも傑物だし清
>>559 そこに尽きますよ。Wikipediaでは「尾張守護代の織田大和守家、織田伊勢守家を滅ぼすとともに、弟の織田信行を排除して」とサラッとしか書いてないけど。
桶狭間は今川の攻撃部隊を前に張りつかせて本陣のみ強襲するという策が当たり、諜報が当たり、さらに天候まで味方するというラッキースケベ要素もあってこその結果なので。
その後は東を家康に任せっぱなし(時には危うくなる)にしてじっくり年月をかけて美濃を手中に収める。これで上洛敢行までの成功要素が俄然高まったが、国盗りは一般的な力量のある戦国大名なら誰でも出来る事。
義昭を擁して上洛を成功させた時点で領地が大きく広がった訳ではないが、朝倉を除く地域に軍事指揮権を発動出来る様になった。これが天下人への小さな第一歩。
むしろ信長との縁があった秀吉・家康の方こそが人脈ガチャで成功しただけじゃね
親父が散々朝廷に金積んで築いてやった人脈が効いたよね
>>563 そういう家系だからこそ織田家の傍流だったのが主流になれたんだろう
親父は家格が低くて安堵状が書けないせいで人を集められないのが生涯悩みの苦労人だったみたいだからな
信長は意外とまともで秀吉家康光秀が裏で鬼畜の極みな蛮行働いて信長になすり付けてたってなりつつあるよな
>>85 前半がクンタキンテになるから無理なのでは
>>558 ハングル文字作らせた皇帝と暗殺者と元のパシリで対馬攻めて
ボロ負けしたヘタレしかいないもんな
>>3 今川義元撃破が転機だな
本来勝てる相手じゃない
義元がなんで桶狭間なんて場所に陣を張った理由がわからんが運を味方につけた
熱田神宮の信長塀とかみるとすげえって思っちゃう田舎者の俺
地元の人は大切にしてほしい
今川はハードラックとダンスしちまったんだ
舐めプは負ける法則を知らなかった
天候、血のりを駆使しても
最新鋭の考え方や柔軟さを受け入れた信長が勝つのは必然
枯れた技術の水平思考じゃ生き残れない時代
長篠の戦いと桶狭間の戦いを観るに、そんなこと言えないと思うが。
桶狭間についてはたまたまとか運だったんじゃないの?ってのがチラホラ。
まあもともと親が力持ってた人って
尊敬の対象にはならないな
これ言い出すと武将系ほとんどがアウトだが
典型的A型だから、実際目の前にすると何処までついていけるか謎
まあ、大将首取れたんだから、ラッキーだったのはラッキーだったんだろうけど、あんなドラマみたいな奇襲劇ではなかったんでしょ、実際は
>>576 それは無いというかむしろあのタイミングで桶狭間に行った今川義元がアホ
もし織田家が結束しきれていない2年早く桶狭間行ってたら
>>580 そこは同意で義元が在国して構えていて太原雪斎の存命中に司令官として派遣していれば少し軍勢の規模は少なくなるかもしれないがセーフティーに尾張の幾つかの領地の切り取りは上手くいっていたと考えている。
義元の方は桶狭間の時にはもう雪斎いなくなってたせいもあるんだろうきっと
普通に超財力をもってたのは間違いない
ノブナガさまはその超財力をさらにものすごい超財力へかえていった
>>580 上洛するためなんじゃなかったっけ?
それなら義元が動くのは当然かと
織田家は父親の代から
すでに超カネ持ち
津島の交易でボロ儲けしてたからな
父の信秀は禁裏修復代4000貫文を献上して
田舎守護代の身分で朝廷から官位をもらってたぐらいだからな
楽市楽座なんか
現代版規制緩和だからな
ノブナガさまは天才
>>585 上洛はないでしょ
そのつもりなら通り道の斎藤浅井六角なんかに記録が残ってないとおかしい
街道の整備をおもいっきりやったのも
ノブナガさま
街路樹まで植える徹底ぶり
ほかの大名は、攻められやすくなるから
ぜったいにそんなことしかった時代
街道の整備をしたおかげで
ノブナガさまに支配された地域はものすごい繁栄した
多くの人の往来が富を産む
それを最初に実践したのがノブナガさま
>>581 本田宗一郎は
実印渡してた藤沢武夫って
経営担当ナンバー2いたからな
そして大量の圧倒的な兵力で他国へ進攻するときも
その街道が役にたつことになる
ノブナガさまは支配地域が大きくなってから
それを利用して負けるイクサはほぼしないようになった
ノブナガさまは天才だからな
浅井長政は朝倉切っておけば普通にノッブの後継者になれたよな
>>593 本能寺も信忠が逃げてれば秀吉の天下になることはなかっただろうね
当時、兵農分離をすすはじめたのも
ノブナガさま
それにともなって百姓兼業の足軽から
職業軍人による軍制をととのえたのもノブナガさま
当時の常識と異なることをして
つぎつぎと成功させたのがノブナガさまといえる
浅井長政は縁故関係からの副官ポジならいけたかもしれない。信長が副官的人材を必要とっしていたかはともかく。
信忠については信長が「信忠を先に失う or 信忠も同時にこの世から居なくなる」場合を想定したセカンドプランを練っていればなあ。
尾張の守護代の家臣にすぎなかった
織田弾正中家が尾張統一したのは
父親だからなあ
元々、尾張上四郡は織田伊勢守
尾張下四郡は織田大和守が領主で
織田大和守の家老の三家の1つが織田弾正中家だからな
>>596 信長自身がお家騒動で骨肉の争いに悩まされた結果、後継者を一本化しておこうと思うのは仕方が無いだろうな
>>598 そうよねえ。自身の経験に優る後継者育成プランなんてそうポンポン出てこないよね。そこまで見切って信忠まで標的にしていた光秀の慧眼さよ。十三日天下だったけど。
>>599 有楽斎も逃げおおせてるんだし、信忠は諦めがよすぎたんだよな。
>>599 信忠は最初から何かなんでも逃げるって選択してたら逃げ切れたと思う
>>600 有楽斎は幽斎並び立つ戦国の生きる達人だから比べちゃだめ
>>594 それもよく言われるけど、時間をかけて権力を奪われたんじゃないの、信忠も
結局秀吉は三法師も追い出してるし
>>595 兵農分離も結局、専業化でしょ
分業は歴史の必然たから信長いなくても、結局そうなるんじゃないの?
野球もポジションの専門化が進んだし、効率性を求めたらそうなる
ナイナイ、織田にとってはノブより信忠が死んだのがでかい
>>603 三法師はガキンチョだけど、信忠は本能寺の時点で26だから秀吉に野心があっても多くの家臣は信忠に忠誠を尽くすと思う
そうなると秀吉に野心があっても従わざるを得ないだろう
>>603 信忠は成人して家督を譲られてたから簡単にはいかんでしょ
実際京都上洛してからの動きが遅すぎる
死ぬ直前に武田を滅ぼしてなかったらせいぜい関西平定しただけの人物
>>603 ちゃんと本家だった岐阜を継がせて厚遇してるし何にも追い出してないよ
自分の女房、嫡男だけに飽き足らず主君であった
秀頼や淀殿、豊臣家直系を焼き殺し、根絶やしにした日本史上最低のクズ鬼畜徳川家康とは大違い
>>606 秀吉も柴田も結局は織田家のお家騒動に巻き込まれて自活を余儀なくされたっていう見方もあるみたいだね。
で、そのお家騒動を煽ってたのが滝川一益とかみたいな負け組みと糞もらし狸。
>>609 そうはいっても滅ぼす時に基本家族は全員死刑、良くて仏門入りで子孫残させないのは家康だけがやったことでもないからな
その割に 信秀は大河ドラマにならんなぁ (´・ω・`) 地味だから?
領地ガチャ親ガチャ両方とも大当たりの今川氏真が可哀想やろ
>>274 あれアメリカ軍が衛星で教えてたらしいな
桶狭間の戦いと長篠の戦いが昔と今の漫画でえらく違うんだが?昔は桶狭間の今川義元を織田軍数十騎で首取ったどな描写。長篠も武田の騎馬隊を3連鉄砲で簡単に倒して終わってた。今は両合戦とも偉く戦い長いよな。
>>611 家康はもう天下を簒奪して、そもそも豊臣家を既に滅ぼす必要すらないのを
偽装停戦までして悪どく無理やり焼き殺しだからな
せいぜい所領替えで済まば良いものを。
自分のやらかした事が、歴史に残る事がもう解ってるのに、
やって良いことかどうかも判断がつかない極悪人だよ
女房・嫡男をまとめて平気で殺すクズならではの人間のクズ
>>616 昔の漫画だと桶狭間は谷底で奇襲で討ち取っているようなシーンだったよな
長篠の三段撃ちは今は嘘なんだっけ
鉄砲の数など織田側優位だったのは確かだろうけど
>>619 真意はともかく、武田の名だたる武将がたくさん討ち死にしているから強烈な火砲だったのは間違いないな
>>617 秀頼生きてると豊臣恩顧の大名が担ぎ上げる可能性はあるから仕方ない部分はあるけどね
ただ、秀頼が徳川の軍門に下って大阪城から出ていれば大坂夏の陣冬の陣もなく豊臣家は滅亡しなかったかもしれないけど
>>619 嘘っていうか、証明できるような証拠が無いってだけで
1000丁から3000丁とも言われる多くの鉄砲を縦深陣地からの射撃をしてたであろう事は判ってるし
勝った理由の逸話としての「三段撃ち」分かり易いからそれで良いんだよw
でも長篠以前から、射手が鉄砲を取り替えて射撃したって文書もあるし
どうせ交代制三段撃ちするくらいなら、打ち手・込め手・清掃手に専門化させた方が合理的だよな?w
日本で唯一魔王になった人
そして日本で唯一の勇者に討ち取られた人
>>617 その既に天下確定という認識が勝者が作った歴史観でおかしいんだろう
実際は朝廷が秀頼を関白にするというのが一般認識で秀忠の将軍と両立すると考えられてた
新年には貴族たちこぞって秀頼の元に挨拶に出向いていた
そうなると徳川の天下は2代しか続かない一時的なものになる可能性が高かったからわざわざ戦争を起こした
三段撃ちは現在は誰もが否定的なんじゃないかな。あと武田家にも軍役人数の一割に当たる鉄砲が存在していた。同じ比率を織田・徳川連合軍に掛けると、武田家1,000~1,500挺 vs 織田・徳川連合軍 3,000挺(酒井忠次分500挺を除く)になる。
ここで何の差が出るかというと「銃身を冷却している間に他の誰かが撃ってくれる」頻度に差が出る。しかも待ってて撃てばいい作業の繰り返しになる。
三段撃ちは願望に留めるとして「大量の阻止弾幕及び馬防柵により武田家の突破を阻止した」でいいのでは。
自分は長篠の軍功第一は酒井忠次だと考えているよ。長篠城の救援に成功し、ついでに武田家の名だたる武将達を討ち取り、勝頼に「前進して織田・徳川を打ち破るか設楽原から撤収するか」の二択に限定させた。
信長自身も「これは武田家に漏れたらヤバいレベルの発案」と察して軍議の場では忠次を罵倒するも後でこっそり「指揮は任すのでやれ」と命じる程。
>>625 それ徳川時代の捏造入ってるからw 眉唾
織田との連合軍だと、どんな合戦でも何故か徳川が大活躍したことになってるからなw
とりあえず工藤かずや原作、池上遼一画の信長が一番格好良い
姉川合戦も長篠合戦もあらかた徳川時代の歴史改変が入っていると見るのが妥当
真に受けるのは徳川洗脳にまんまと引っかかる養分層
>>627 では酒井忠次が五月二十日の深夜に出撃して鳶ヶ巣山攻防戦をしたかしなかったかで言えば、したよね。
自分はネガティヴな評価もつきまとう三英傑の三人とも自分の評価するトップ3に入ってこないよ。徳川洗脳なんてとんでもない、嫌いだよ。但し酒井忠次は確かに役割を果たした。そこは認めないといけない。
>>629 北条早雲の身許不詳の素浪人ネタも係わってるよな
尾張の半分しかないし会社で言えば部長クラスやぞ
しかも子供ばっかり作りやがって
田分けが
間違いなく優秀だが他の地方覇者に比べて抜きん出て優秀ではない印象
当時の濃尾平野を早い段階で抑えられる地の利
強敵がタイミングよく亡くなる天の時
この2つが比重が重すぎる
>>608 石山本願寺に10年苦しめられたっていうよね
>>633 武田も上杉もずっと、本拠地に居座ってたけど、信長結構フットワーク軽いじゃん。
そこが違うと思うよ。
米金山大名より宗教改革を済ませた商業大名のほうが強いのさ
武田は岐阜の隣の甲斐だけど、西に行ったらすぐに岐阜をつけたんじゃないの?
なんでいったん、駿河とか南の方に行ったんかね
甲斐から美濃に行く道が未整備なのかね
ノブナガさまは桶狭間以前から
すでに兵農分離みたいなことやってる
赤母衣衆、黒母衣衆なんかがそうなる
元農民を職業軍人のような専業武士しにしてる
ノブナガさまの時代は
どこの国も半農半士が基本だからな
そして時の経過とともにノブナガさまは
兵農分離を完成させていく
ノブナガさまは常に先進的
ノバナガさまは尾張守護代の血筋
尾張守護斯波氏の傀儡になってた大和守織田家を滅ぼして
ノバナガさまはオワリを自分のものにした
土岐氏を追い出して美濃を乗っ取ったのが道三
光秀は土岐の流れをくむ
時は今雨が下しる五月哉
の発句は土岐が天下をとるということを意味する
そもそも
桶狭間以前から三河安祥城でずっと小競合いしてたからな
鳴海、大高の周辺に大量の砦を作ったのは
鳴海、大高を孤立させるためなのは間違いない
安祥城を失ってから三河で織田の勢力が一掃されたら
三河と鳴海、大高を遮断するしかないというのが当時の趨勢になってる
義元は上洛の途中で、遮断された鳴海、大高を救援する目的があったのは
ほぼ間違いない
親父はどこの大名も滅ぼせなかったろ…。
浅井朝倉北畠六角武田今川三好松永本願寺斎藤足利…。
魔王でしかないわ!
>>628 同意。あの作品のノブーは優しさも狂気もよく描かれていた。
信忠の描き方も秀逸。
あと久秀の爆(略
>>635 外征したらお国で反乱起きるから戻らなきゃならんの繰り返しだもん
信長以外の大名ってだいたいそれ
武田なんか間違いなく清和源氏を自称してる
元新羅系の半島人
イエヤスも新羅系のエタヒニン
尾張、美濃より東は
未開の土人の巣だったからな
イエヤスが伊賀と関係が深っかたのも
共通点がエタヒニン
ノブナガさまは伊勢の一向一揆でも
大量殺戮をせざるをえなかった
その一揆を煽ってたのは本願寺だからな
当然敵対関係になる
ホモ信玄の場合は、本願寺に大量寄進、姻戚関係をつくることで
一揆を防止してた
ノブは四面楚歌を宗教改革を済ませた上の経済力で乗り越えたネトウヨの敵
ノブナガさまは学習能力はある
長島ですでに宗教と争うとどれほど根深いものになるか
経験からよく分かってた
石山本願寺は雑賀衆みたいな山賊や九鬼みたいな海賊と手を組んで
最後までノブナガさまに逆らい続けた
ノブナガさまですら結局完全勝利でおえることはできなかった
和睦することで試合を終了させた
当時、紀伊はど田舎
まともな統治はできてなかった
ちいさい集落が散在してそれぞれで自治が行われてた
当然、海賊や山賊の集落もある
南海道の一部
畿内ですらない、つまり四国の一部だからな
そもそもが和歌山が近畿を名乗るはいろいろとおかしい
紀伊がまともに日本の一部として統治されはじめたのは
ヒデヨシの時代になってからになる
>>637
美濃信濃甲斐
尾三遠駿相模
張河江河伊
豆 >>621 それはないんじゃ
豊臣が一大名に転落していたというのが後付けの歴史で実際は
天下を簒奪していた徳川時代が一時的であって2代で終わるか、豊臣を滅ぼすかの二択しかなかったという事では
https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/7435?p=1 関ケ原合戦の後、家康は征夷大将軍となりますが、家格はそのままです。つまり家格は豊臣が徳川よりも上なのです。また、
笠谷和比古さんの研究にあるように、大坂冬の陣が起こる慶長19年(1614)になっても、毎年正月には
天皇の勅使をはじめ、親王、門跡、公家が残らず秀頼の許に挨拶に出向いていました。一大名では絶対にあり得ないことです。
『義演准后日記』によると、朝廷は「秀頼を関白に、秀忠を将軍に」と考えていたようですから、そこには豊臣家の関白と徳川家の将軍は並存できるという
認識が示されています。毛利宗瑞(輝元)の手紙にも同様の記述がありますから、それが当時の共通認識だったのでしょう。
もちろん関白の方がはるかに上位で、秀頼はいつ関白になってもおかしくない存在でしたから、秀吉同様、天下人となる可能性は十分ありました。
慶長16年(1611)の時点でポルトガルやオランダといったヨーロッパ諸国は、家康・秀忠、そして秀頼に贈り物をしていましたが、オランダ東インド会社の日記には、
「今は事情があって皇帝(天下人)の位には就ついていないが、秀頼こそが日本の正当な皇帝であり、多くの大々名や民衆がそれを望んでいるので、
将来、秀頼が皇帝になる可能性は高い」と記しています。
今でこそ当然のように思われてるが、そもそも戦国大名には上洛という発想がない
上杉謙信だって将軍に呼ばれたから行っただけ
>>32 最下層の農民、足軽から
天下を平定したのは凄いこと
ただ、その最下層民をあの時代に先祖代々の家臣を差し置いて登用した織田信長も凄い
>>654 松下家や今川家が秀吉を上手く使えてたら歴史も変わってたのかな
>>633 桶狭間とか信長包囲網自壊とか信玄謙信の死とか、明らかに運に恵まれてるよな
目の前の大チャンスを確実にGETするのは凄い才能なんだよな
これが出来ずに天下を獲れなかった、滅亡した武将が大勢いるのが現実
確かに濃尾平野は当時、日本トップクラスの肥沃な地だが、信秀急死でノブが強制独り立ちした時の酷い情勢を考えりゃラッキーでも何でも無い事が解るだろ
ノブは明らかに非凡中の非凡だよ
>>657 >>237 桶狭間は100回やれば90回は勝つって研究してた人がいる。
↑
優勢を確信した義元は乱取り(略奪)モードを指示する。
この時代の農村は村々が砦を作って防御しており、敗戦を知ると女や備蓄物を山に隠してしまうため、ある程度の兵力を送ってスピーディに乱取りしないと得るものが少ない。
そこでこの研究者は、乱取りの観点から義元が選ぶであろう最敵地を探したんだが、村々へのアクセスが良く派遣部隊の中間点である桶狭間が最適とわかった。
次に桶狭間から各隊が異なる村々に出て、戻ってくるであろう時間を推測すると、これが信長突入タイミングと一致するんだそうだ。
つまり信長は、乱取りやるなら桶狭間布陣、本陣は乱取り派遣で手薄、部隊が戻るであろう時間帯を狙えば小部隊の接近には無警戒、と知ってて行動した。
>>635 雪が降る地域は冬は動けないあら明らかに不利だよな
>>652 それだと5摂家が6摂家になるだけじゃないかな
幕府は結局成立して、豊臣家は摂関家として存続
家康が権勢を振るってたから2代目を強引に将軍任命させたけど
秀頼が関白就任すれば天下の趨勢は決まってしまうんじゃないの
大きくなるまで一時的に政治を預かってた徳川の3代目に関白が将軍任命する道理がない
関白にそこまでの権力はない、秀吉単体にそれだけ力があったというだけ
藤原道長の時代だって権力の源泉は左大臣なんだから
家康は正規の右大臣になっていて、秀忠も右大臣になっている
左大臣ほかの役職者も徳川家と戦う意思はないだろうし、秀頼が関白になっても何も変わらん
秀吉
中卒の新卒就職で浜松の中小企業に就職するも社内イジメで3年で退職
故郷に帰って名古屋の新興ベンチャー企業にバイトで入社
働きぶりを認められて正職員に
どんどん出世し会社の全国展開、東証上場と規模拡大に伴い執行役員にまで出世
突然、社長が急死
自分が社長してた子会社が親会社を吸収合併し全国一の企業に
ついに経団連会長に
関白から将軍職を頂戴する立場になれば
家康亡き後は逆賊にならないように立ち回るしかないんじゃないか
全国の大名を抑えていたわけではないし
信長公記もフロイス日本史も一般人が読める時代にNHK大河みたいなのは流行らんのだわ。
>>668 逆に忠実にやってくれるとウケるんでないかね?
黒田官兵衛の江口洋介は良かったけど、酒飲んで取り乱すシーンはいただけない(信長は下戸だと時代考証は言わなかったのかと)。
>>666 関白から将軍をいただくということはないく、天皇(摂関)からの任命
朝議の主催権も、人事権も左右大臣で名誉職でしかない
秀頼は大阪城に住んでいて藤原一門でもないからその辺とコネを持ってるわけもないし
そもそも元関白って藤原家を中心にまあまあいるからそんなに意味はないよ
もともと家格が高い五摂家以外は関白になった前例はない
そしてヒデヨシとヒデヨシの息子以降も五摂家以外が関白になった例はない
関白の公家の頂点だからな
ヒデヨシが関白になったのは
ものすごい例外のようにみえる
ヒデヨシは近衛前久の養子になることで
五摂家の仲間入りすることで例外でなくしてる
そして太政大臣は征夷大将軍より断然上
ヒデヨシは太政大臣になってから関白になってる
信長の三職推任が秀吉にも同様にあっただけで秀吉は太政大臣を選んだんでしょ
入りは近衛家にしたけど、源平藤橘に並ぶ豊臣という家名の追加とか
朝廷が信長や秀吉の庇護なく生きていけない戦国末期という時代の産物だろうねえ
本能寺の変の直後に公家が隣の通りを通って見物してたり、
焼かれる本能寺を南蛮寺のイエズス会士が見守って記録していたり、
まあ当時もそれなりに間諜と記録の習慣は普通にあるんだよね。
テレビやネットの技術が発達しても本質は全く変わってないってのが歴史の面白いところ。
500年も昔のことだから仕方ないんだけど、信長も秀吉も凄いとは思うんだけど、現代と価値観違いすぎてて
歴史好きなやつがやたらと信長秀吉凄いを連呼してるの見ると何だかなと思ってしまう
彼らのすごさを現代で行おうとすると完全に反社のそれになる
>>664 農民が関白までいったのはものすごい成り上がりストーリーだよね
現代だと令和の道鏡みたいなやつはいるけどね
信秀は尾張統一すら成し得ていない状態で死んじゃってるから、位牌に向かって
灰を投げつけたくもなるよな。
周り敵だらけなんだし。
武士はヤクザ
当然
主従関係のある
まさしくヤクザだからな
広域暴力団の組長が
征夷大将軍になる
もともと征夷大将軍は
東国の土人を退治する役職だったが
いつのまにかヤクザの組長になった
>>673 朝廷は金稼ぎのために官位を売ってたような時ももあるわけだからな
まぁ、よくいるボンボンDQNよな
DQNカー乗り回してる系でそこそこ成功したバカ
バカの手下の猿が天下取ったけど、まぁ、長くは続かない訳で
維新とか橋下みたいなモンかな
んで、それなりの知恵者の家康で太平っていう
ごく当たり前の帰結よな
>>684 秀吉レベルの成り上がりだと先祖から続く主従関係の家臣もいないからその基盤が弱い
後継者が幼いうちに秀吉が死んでしまった
弟の秀長や関白にした秀次が長生きしてたらもう少し違った歴史にはなってただろう
それでも豊臣政権の基盤が脆弱なのは変わらんけど、家康の代では天下取りが厳しくはなってる
どうせDQNだから無理だよ
パワハラ凄いから絶対
歴史書には書いてないっぽいけど絶対ヤバい
んで、下の方がんじゃわりゃぁボケがぁ見たいな話で戦乱な訳で
話の分かる家康さんでいいですってなった訳
>>383 徳川宗家は(つったって家康の直系では元々ないが)今の代で断絶っぽいぞ
>>52 元ネタは朱元璋だと台湾の偉いおっちゃんが言ってたわ
>>3 たしかに敵に囲まれてる点では軍事的地政学的なリスクだろうけど、
海や大きな川が近くにあったり平野だったり、
経済面や交易の観点からすれば有利にも思える
実際今の名古屋も文化面やエンタメ関連では
福岡・博多にも負けつつあるけど経済や物流は名古屋が強い
>>681 秀吉が信長の草履を懐で暖めたとか言うけど、そのノリも反社の奴らが美談として扱いそう
今川義元を破ったのも凄いんだけど、殺すか殺されるかの状況で、圧倒的有利に油断してる今川を先にぶっ殺したから名を上げた
時代が違うから仕方ないんだけど、現代人の感覚だと、ただ凄いといって英雄視するのも違う気がするんだよ
そもそも桶狭間で今川氏を打ち破ったのは一世一代の大仕事だと思うし
織田家のみならず日本の歴史の転換点にも思える
あのまま今川氏が上洛してたら今の日本はどうなってただろう
運というか時代の流れってやつかな
それにうまく乗れるやつはどの時代でも名を馳せるんだと思う
現代だとYouTuberとか株ニートかな?
そもそも今川義元が上洛したのが、室町幕府や天皇家と繋がっていたからの上洛であったわけで、
相模北条氏の祖である北条早雲も現在では室町幕府の役人であったことが分かっているし、
今川家とのつながりもわかっている。
今川義元の上洛行動自体が室町幕府、公儀の指示に従っての行動であり、
それを織田信長が奇襲で打ち破ったということ自体が、今でいうアイドルのデビューみたいなもんだな。
戦国時代の流れに乗るということは、徒党を組んだ暴力、これをいかに上手く操って効率よく相手をぶっ殺すか
自分の配下に裏切られないように、かといって舐められないように脅しや陶酔やハッタリも上手く使いながら自分を神格化し誇大化させる
一部分でマジシャンみたいな才能も必要だったと思う
当時の鳴海宿─有松宿って東海道でも結構なとこだろ
海岸線も当時は鳴海も地名通りの海の鳴る場所、長島も島の時代
あの辺りは地中海みたいな交易を形成していたから
現在の土地だけ見ると勘違いが起きるかもね
斎藤義龍←「父親が凄かった&領地ガチャ成功した」だけの男らしいぞ
木曽三川があるから水利権とかあんまなくて
まあ百姓が弱い。超弱兵。だって骨肉の争いしてねえから
漁師も弱い。魚取るより酒か客運んだほうが儲かるくらいになってる
ただ水害が多い。それに対する為に協力関係意識は凄く高い
川が多すぎ大きな島そこそこあるから舟での渡しが滅茶進化してる
この辺り抑えると信長の置かれた立ち位置がぐっと面白くなる
部屋飼いしてた猫を実家で放し飼いにさせてたら、家に侵入してきた野良猫にビビって脱糞しながら逃走しててワロタ
必死になると本当に脱糞てするんだね
>>695>>699
そうなのか、勉強になりましたm(__)m
上洛して今川氏がますます大きくなったら、
隣国の弱小国は当然潰されるか従わされるだろうから危機感あったんだろうね
戦国武将の中では糞漏らした家康が最も親近感を感じる
味噌だとみえみえの嘘を言うところも人間味があって良い
干潟にある海産資源だけでかなり賄えたから
余裕ありすぎて絞りとか器とか鉄器など地味にルネッサンスしてる
その余波で瀬戸やら関あたりの技術力がえぐいことになる……
歴史はおもしれえわ
家康は三方ヶ原の戦いではせつな糞を漏らしてないぞ。一言坂の戦いなら有りうる話だが幕府が色々と改竄していて真偽は不明だ。
親しみを持たせるためのプロパガンダ説はたしかにある
民もクソするし
どちらかと言えば東軍派かなーとか印象操作は凄かったと思う
当時の芸事や旅芸人あたり紐解くとそこも面白いかもね
親しみ持たせるためにウンコ漏らした噂流すとかどんな戦略だよw
命のやり取りしてんだから糞くらい漏らしても不思議はない
しかみ像の画もあるし戒めにするくらい恥ずかしいことがあったのは間違いないだろ
しかも後に将軍になったんだからそういう悪い噂をかき消すことも出来たはずだが、それをあえてしないとこが家康の懐の深さだとも思う
英雄といえども基本はただの人よ
>>687 信成のインチキ家系を知らんヤツ、国内に5000万人くらいいるのか
自分が家臣だったら殿が戦争負けて脱糞して帰ってきたら、情けないと思うと同時に、この殿には自分等が付いてないとダメだなと思うでしょ
家康の家臣の忠誠心上げるための高度な戦略的糞漏らしの方が信憑性あるよ
当時の領主って反逆されるとさくっとブッ殺されるくらいの立ち位置だから
印象操作は気を使ってたと思うよ
家康自身周りに助けられて盛り立てられるタイプの指導者だし
弱いとこらあえてさらけ出す方向にしてたんじゃねーかな
普段からうんこ漏らしてたらやべーけど戦で洩らしたならふふってなるもんよ
秀吉は猿面関者の落書き見つけただけでどっかの寺の人間皆殺しにしたりしてるじゃん
この辺が家康と根本的に違う
家康に子孫根絶やしにされても自業自得的なとこがある
人材登用力は異常だろ ラインハルト・フォン・ミューゼル級だわ
信長のヤバさって一言で纏められないんだよな
アホほど謀反されて生き残ってるし
異能生存体だったんじゃねえか
信長の事を知るには出自の地域の地形をよく知ることが大事だ。
清州とか名古屋とかもろ平城で周りは田んぼか川の地形。
水田が肥えて生産量も高く、交易も盛んだが、いざ戦になると血みどろ泥まみれの悲惨な戦いになる。
基本的に平城といっても、田んぼや沼の中のポツンと一軒家だから、夜襲が基本で、成人してからはまともに熟睡していないと思う。
岐阜攻略後の山城へのこだわりは熟睡するためなんだと思うぞ。
対照的に秀吉は北政所が寝所にいて、側室はたくさんいてもホントに寝るときは寝所に行ったみたいだから、
その心配がない。そのかわりに北政所がパードレと繋がっていた。
信長は最後京都のど真ん中のいわゆる清州城や名古屋城と同じ作り、むしろ防衛施設としては
田んぼや沼で囲っていないだけで、本能寺の方が整っていたと思うけど、そこで夜襲を受けたわけだが、
そこに至るまでの伏線がたくさんあって、まず信長は京都コンプレックスがあって、京都で大分田舎者扱いされて、
色々仕返しをしていて、その最大のが京都の半分を焼いたりしたこと。
そいで京都で馬ぞろえをしたり色々評判を気にして、安心して本能寺に泊まって嵌められた。
信長は生まれながらの政治家だから民衆の評判とか結構気にしてるが、安土でも家臣がサボってみんな殺して評判悪くなった後に
祭りで裸踊りしたりして評判をとろうとしたりしている。まあそもそも尾張〜岐阜〜安土〜京とどこでも評判は悪かったらしい。
信成はインチキだろ
織田家は天童藩主として存続してたし
有楽斎の子孫も存命している
こいつらは繋がりがあるなら交流が
必ずあるはずなんだよな
もちろん親父さんの功績がなかったら難しかったんだろうけど、
それでも信長が引き継いだのは尾張の半国にすぎず、弟とも分裂状態だった
信長より恵まれてた状況の大名なんていくらでもいた
親父が健康であと30年生きたとしても全国なんて取れない
>>672 秀吉は関白になった後で太政大臣も兼任した
太政大臣は関白を秀次に譲ったあとも
死ぬまで続けてる
信長とか秀吉、家康が
「自分の領地を増やして大国にするぞ」とか
「出世して家臣団の中で優位に立ちたい」とか
「乱世の中でお家を存続させ隆盛を迎えたい」
から
天下人を目指す瞬間はいつくらいなのかね
サッカーで得点王を目指す瞬間みたいに
やってることは「点を取って試合に勝つ」ことと
得点王を目指すことは傍から見たらやってることに変わりがないわけで
関白は太政大臣よりも上だ
正一位なんだから従一位よりも下ではない
元々、正一位を贈るために無理矢理出来た官位
武家で生前太政大臣になったのが
平清盛
足利義満
豊臣秀吉
徳川家康、秀忠、家斉しかいない
関白になったのは秀吉、秀次だけ
関白太政大臣という空前絶後の地位
>>726 関白は摂関家の家格でないとなれないが
太政大臣はひとつ下の清華家の家格でなれる極官なのでそういう扱いだが
関白は左大臣でも兼任できるので
関白は必ず太政大臣より上とは言えない太政大臣は藤原家の長老がなる名誉職
>>725 ノブ→1568年に足利義昭を奉じて上洛したとき
猿→→1583年に賤ヶ岳で勝家を撃破したとき
家康→1600年に関ヶ原で石田三成を撃破して毛利輝元を屈服させたとき
>>730 ノブの場合は、当初の目的としては、
足利義昭の下で天下に号令したい、だったはずだが
1573年に追い出すに至ってしまった
織田信長で後大事なのは最後の本能寺の変の終わり方が、足利義輝が三好三人衆に攻められて死ぬ時と全く状況が同じって事なんだよね。
で、その辺にやたら詳しいのがフロイス日本史。
いずれにしても織田信長が足利将軍家の幕引きをしたのは大事なんだけど、フロイスたちにすれば役者としてはだいぶ格下っぽい。
>>728 日本制覇しても面倒が増えるだけだもの、終わりなきシムシティとかどう考えても罰ゲームです
>>713 そうなの?
失礼しましたm(__;)m
>>735 だいぶ仕上がってるホンダスズキトヨタマツダに囲まれた富士重工業くらいのスタートって言えば伝わるのかもしれん
悪くはないけど周りがヤバすぎるノーフューチャーモード
秀吉とか信長って位は上だけど実質下の貴族とかに根性焼きとかしそうじゃん
そういう手合いだよ
んで、丸焼けになったり、子供を焼かれたりした訳よ
そういう恨みが返ってきたというか
室町時代末期がとんでもない地獄だったからさぁ
この辺りが基準の思考回路なんだから現代の価値観から見りゃ相当になるわさ
超絶カルトが来世を説いて民草煽りまくってるわでひどい有様だもん
それでもやらなきゃいけないから第六天魔王にもなるよ
戦すりゃ略奪虐殺当たり前だわでドエレーことよ
>>738 でもそうやって突いたり捏ねたりしたから天下餅が出来上がったのよ
タイの天ぷら食って死んじゃったけど
家康なんて、自分の正妻も世継ぎも殺すような輩だから
ろくなもんじゃないよ
戦国時代長しと言えども、自分の妻子殺して、主家の母子直系根切りとか
ここまで極悪非道なことをしたのは、徳川家康くらいのもの
英傑と呼べるような輩じゃない
まぁ、ロジハラスケベ親父だった説はあるな
常に城から出ていけ!外様に出ていけ!
だったからなw
焼き討ち打ち首にしないだけマシだっただけ説
まぁ、戦国だし、基本ロクな奴おらんよな
いろいろ美談にしちゃうけどさ
今の日本の価値観で戦国の倫理語っても意味ねーけとな
ウクライナとロシアには通ずるものがあるかもしれんが
>>729 なるほどな
元々の官位は太政大臣は臨時に置かれる官位で
左大臣が通常時の人臣の最高位だった
元々太政大臣は皇族が成るものだったからな
関白が出来た時も何だそんなもは何の意味が
あるのだと実際なった奴が言ったからなあ
太政は前天皇を太政天皇と呼ぶくらいだったから
権威はずっとあったのだろう
歴史的な変遷で色々と変わるんだな
>>732 いち大名の身分で最初から天下狙ってたら狂人じゃん
>>267 信成の家って
爺さんか曾祖父さんの名前がわからないんだっけ?
>>735 そもそも濃尾平野なんて木曽三川の氾濫で
しょっちゅう冠水あぼーんする地域だからな。
江戸明治以降の治水工事でまともになっただけで。
>>703 織田信長は身分とか気にせず卑賤な連中とも気兼ねなく会話する人間だったらしいからな
たぶん信長こそ一番知れば知るほど親近感あるかもしれん
>>730 天下統一が全国の事なら信長の場合は安土築城ぐらいだろな
当時どんな感じだったのか見てみたいよな
どこにも属してない素性のわからんよそ者なんてすぐに殺されるのが落ちなんだろうけど
>>743 幕末ですら西洋人がサムライやべえってビビるくらいなのに、江戸時代初期はもっとやばくて去勢しまくってそれだもんな。
戦国時代は生き残れる自信がない。
農民でも鍬持ったゾンビ集団みたいなのに襲われそう。
>>755 農民でも火縄銃持ってるからね(獣対策だけど)
>>756 山村の農村は狩猟を理由に火縄銃を持ってたので、生類憐みの令が効果的だったみたいだね。
動物を狩って食糧にしますが通じないもんな。
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