『海のトリトン』後味悪い最終回から50年 脚本を書いた富野監督は「出禁」になる

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1972年9月30日に、TVアニメ『海のトリトン』の最終回(第27話)「大西洋陽はまた昇る」が放送されました。それからちょうど50年になります。最後の最後で善と悪が逆転するラストは当時の視聴者に強烈なインパクトをもたらし、今なお伝説の最終回として語り継がれています。

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『海のトリトン』の名前を聞いて、まず真っ先に思い浮かぶのは、あの勇壮なオープニングテーマ「GO!GO!トリトン」ではないでしょうか。『人造人間キカイダー』のオープニング「ゴーゴーキカイダー」やCMソング「日立なんの木」を手掛けたヒデ 夕木(ヒデ夕樹)氏の歌声と共に海で舞うように戦うトリトンの雄姿は忘れがたいものがあります。なお、「GO!GO!トリトン」は6話までエンディングとして使用されており、7話から元々のオープニングである「海のトリトン」と入れ替わる形で使用されています。

 今でも甲子園の応援テーマとしてしばしば耳にする機会が多いことは、「GO!GO!トリトン」が歴史を超えた名曲であると証明していると言えるでしょう。演奏しているブラスバンドの方々のほとんどは実際に『海のトリトン』を見たことはないとは思いますが、何かの機会があればぜひ見てもらいたいものです。

 さて、『海のトリトン』は、手塚治虫氏が原作を手掛けていたことでも知られています。元々は「サンケイ新聞」(現:産経新聞)に『青いトリトン』として連載されていましたが、アニメ化の際に改題、後に出版された単行本も『海のトリトン』として出版されました。

 アニメ化が企画された際、手塚治虫氏はまず手塚プロダクションでのアニメ化を試みています。手塚氏のアニメプロダクションと言えば「虫プロダクション」が知られていますが、『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』『どろろ』など数多くのヒット作品を手掛けた虫プロもこの時期は辣腕(らつわん)を振るった常務の穴見薫氏の急死や労働争議の影響もあって苦しい状況に陥っていました。1968年には手塚氏は漫画制作・管理のために手塚プロダクションを設立し、1971年には虫プロの社長を退任するなど、混迷した状況となっていたのです。
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