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田中家に出入りしていた大山倍達

 また、田中の周囲には空手の達人など、腕に覚えのある者が揃っていた。戦後の武道家として有名な大山倍達も、その一人だ。

 大山は、戦後間もない頃に全日本空手道選手権で優勝し、後に渡米。プロレスラーやボクサーと対戦を重ねる。
帰国後は、直接打撃制の実戦空手を唱え、国際空手道連盟極真会館を設立し、国内外で多くの弟子を養成した。
その彼が、20代の頃、田中のところに出入りしていたのである。

 その姿を、おぼろげに覚えているのが、田中の長男の俊太郎だ。
終戦直後、田中家は静岡県の三島に居を構えたが、そこへ、大山も姿を見せていた。

「まだ、幼稚園くらいですから。私は、小学校一年から東京なんです。
大山倍達さんが、三島の家に来たっていうのは、うろ覚えに覚えてますよ。
親父が、『空手の先生だ。お前も、少し習え』みたいなことを言ったのは、記憶にあります」

 大山自身が、電源防衛隊に参加したかどうかは不明だ。ただ、田中の後輩の東大空手部に顔を出し、
稽古をつけたこともあった。

「東京を暗黒にして革命をやるつもりだ」共産党が画策していた電力供給の破壊…そのとき“右翼の黒幕”が行った豪快すぎる“武力革命への対抗手段”
https://news.yahoo.co.jp/articles/018478943f359b7d32fd830afb7804810c69ed32?page=7