【長崎バス】乗客の命を救った鬼塚車掌 今年も打坂地蔵尊を法要
2022年09月01日
バスがまだ木炭を燃料として走っていた頃、鬼塚道男(おにづかみちお)車掌が、自らの身を犠牲にして、多くの乗客の命を救いました。
長崎バスでは、鬼塚車掌のこの行動を後世に残すべく地蔵尊を建立し、以来毎年法要を行っております。
https://www.nagasaki-bus.co.jp/kataru_news/detail.php?id=2474

昭和22年9月1日午前10時ごろ、当時21歳の鬼塚道男車掌は、西彼杵郡時津村(現在の時津町)打坂で、乗客の生命を救おうとして殉職した。

当時の木炭バス瀬戸営業所勤務の鬼塚車掌は、この日の朝8時、大瀬戸発長崎行の木炭バスに乗務、満員に近い客を乗せ、打坂を約30メートル上っていた。ところが峠の頂上まであと数メートルというところで、突然、ブレーキがきかなくなり、バスはずるずると後退を始めた。

当時の打坂は急こう配で片側は10メートル以上の深い崖がひかえ、運転者仲間に”地獄坂”と恐れられていた坂だった。
鬼塚車掌はすぐにバスを飛び降り、道わきの大きな石を車輪の下に入れたが、加速がついていたバスは石をはねのけ、崖まであと一歩と迫った。この時、鬼塚車掌はとっさに後部車輪の下に飛び込み、自らの体を輪止めにした。バスは間一髪のところでストップ、買い出しの主婦ら30数人は危うく難をのがれたが、鬼塚車掌は運転者とかけつけた同僚が病院に運んだ直後に息を引き取った。

敗戦後の荒廃した社会の中、自らの命を犠牲にして乗客を救った鬼塚車掌の殉職は人々に大きな感銘を与えた。

当社では、この勇気のある鬼塚車掌の行為をたたえるとともに交通事故の絶滅を祈って、
昭和49年10月、事故現場近くに地蔵尊を建立した。

長崎自動車株式会社 『五十年の歩み』より抜粋

https://www.nagasaki-bus.co.jp/bus/jizouson/index.html