想田監督のブログより↓

…僕が唱えているのは「非暴力による抵抗」であり、「無抵抗」ではない。朝日新聞の耕論には「戦うべきか、否か」という表題が付けられていたが、それに対する僕の答えは「戦うべき」である。ただし、物理的な暴力を使わずに、ストライキやボイコット、サボタージュなど、非暴力のあらゆる手段を駆使して侵略者と戦うのである。

 また、ウクライナの悲惨な状況は、もちろん知っている。というより、ウクライナの街や村が破壊され、多数の市民が殺され、虐殺事件まで起きているのを見れば見るほど、結局、武力で民を守ることはできないという確信が深まっていく。

 忘れてならないのは、ウクライナは非暴力の抵抗ではなく、武力による抵抗を選んだということである。

 素朴な主戦論者は「武器を取って国や国民を守る」と口々に言うが、それで実際に国や民を守れているといえるのか?

 残念ながら、僕にはまったく守れているようには見えない。

 というより、「武力は民を守るための有効な解決策ではない」ということを、ウクライナの惨状は、むしろ明らかにしてしまっているように思うのだ。

 では、どうしたらいいのか。

 主権国家であるウクライナの対応は、ウクライナ人が決めることであり、僕はその決定がなんであれ、尊重するしかない。

 だから私たち日本人が考えるべきは、「ウクライナ人はどうすべきか」ということではない。私たちが真剣に“自分ごと”として問う必要があるのは、日本が他国から侵略されたときに、どのように対応すべきか、ということなのだ…