楽市楽座を始めたのは織田信長ではなくて六角義賢が始めた物なんだな [194767121]
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岐阜市は6月30日、織田信長が推進した楽市楽座の場所にあったとされ、市指定史跡の「御薗(みその)の榎(えのき)」(同市若宮町1)が、
腐食によって倒れたと発表した。再び倒木の危険があり、市は根元から高さ約1メートルの幹だけを残し伐採した。
【写真で見る】 信長ゆかりの久昌寺取り壊し騒動
推定樹齢は170年。高さ10~15メートル、幹の直径約1メートル。地上約2・5メートルの幹と枝の境目付近が裂けるように折れた。
30日午前3時半ごろ、住民から通報があった。
「御薗の榎」は市場を守る神として植えられていたと伝わる。初代の木は江戸時代の1852年に枯れ、今回折れたのは2代目。
明治初期に現在地へ移設され、1957年に市史跡に指定された。
市文化財審議会委員で、岐阜大の肥後睦輝教授は「根元から高さ3メートルまでの内部が腐り空洞化していた。
表面の厚さ約10センチの部分で木全体を支えていた」と話した。【井上知大】
https://news.yahoo.co.jp/articles/784019700fcccf12683f17ccd661f09a831f4db4 >>18
六角氏の祖になった佐々木源氏のお屋敷が京都の六角という場所にあったのが由来 >>11
え??
近江源氏佐々木氏だぞ??
マイナーなわけあるか 誰が始めたより、良いと思った事をすぐ実行した方が評価高いのよ
今の日本社会でも中々進まない事を決断するって凄いね きしめん→和歌山発祥
てんむす→三重発祥
ういろう→山口発祥
(諸説あり)
尾張人はプロデュースがうまい でも普通のやつはぼろかすに打倒した敵の制度を取り入れないもんだよな
敵の観察にあたり、その長所も含め直視し正当に評価するって事はプレッシャーだから、それに耐えられないから侮り馬鹿にして目をそらすってありがちだし
自分の強さの演出のためにも馬鹿な敵の制度は全否定、ってあるあるだろ
そういう是々非々ができるからあれだけの強勢を築けたのだろう >>29
少なくとも当初は前任者のやり方踏襲するし
いいやり方は継続する
0から構築するのは効率悪いし、それには大量の人材もカネも必要 >>10 信長は楽市楽座を初めてやったと主張したわけじゃないだろ。
信長伝説を作った後代の人間の歴史認識のせいだよ。 六角は権力は将軍並みだったが場所が悪かったな
周り全て敵なのに配下の浅井と甲賀が雑魚過ぎた 昔の知り合いに化学をやってる「六角」という姓の女の子がいたが
その子は「ベンゼン環」を名乗っていた
ショボいラノベみたいな話だが事実 >>1
六角承禎はなかなかの曲者だからな
浅井・朝倉が北方で兵を起こしている間に琵琶湖の南で妖しい宗教を立ち上げて
死を恐れぬ信者の兵で信長を南北から挟み撃ちにする奇策
竹中半兵衛配下の飛騨忍者の活躍がなければ信長も討たれていたかも知れない >>31
案外そう割り切れないアホって多いもんだよ
そのコストが見えにくかったり、他人の懐だったりすればなおさら
なんならうまくいかないこと全て前任者のせい、までありうる
昔、政権交代したとき電話帳みたいな分厚い引継ぎ書を、わざわざ呼び集めたテレビカメラの前でゴミ箱に放り込んだ政治家いたろ?あの手合いは官民限らずどこにでもいる この前BSPの番組で鉄砲の二段撃ちは先に三好がやっていたとか言ってたな >>41
金目教か (;`・ω・)!?
ギヤマンの鐘か!? >>25
まぁマイナーならあんな場所に領土無いわな
ただノブヤボやってたらどマイナー >>27
でも楽市楽座始めたせいで押し込み強盗が多発して治安悪くなったせいですぐにやめたみたいだけどな 検知、刀狩も秀吉が始めたわけじゃないし
大規模にやったから歴史に残ったのであって 楽市記録初出が六角定頼
今川氏真の記録は信長より早いが義元も類似の施策を行っていた
また信長の義父斎藤道三も油商人の経験を基に行っていた
楽市・楽座を是々非々で奨めたのが信長 信長は誰も思いつかなかったことをやった革新的な人物というほどじゃなかったというのが今の論調なのよね
でも既にあるものを是々非々で巧みに使い分けたからあそこまで一気に巨大化出来たわけで
楽市楽座で言えば、安土みたいなこれから流通の拠点にしたかったところでは採用して人が集まるように、逆に既に商業都市として成熟してたところでは既存の座や大商人に金を出させることで保護すると使い分けている
まあ要するに信長は賢い効率厨ってところだな >>25
知らんよそんなの
すぐ負けたようなやつだし 楽市楽座は織田信長が始めた(不正解)
仙台を開発したのは伊達政宗(不正解) >>10
ノッブが楽市楽座で国を豊かにしました
って記述したのを信長が始めた!とか間違って記憶してんのが多いだけだべ >>56
大阪の大名こそよくわからんわ、四国の三好の植民地と大阪城があったエリアは石山本願寺跡地
じゃん、ちなみに一向一揆の発祥は大津、蓮如さんは京都、大阪のシンボルの土地こそ京都と滋賀に
六角が負けるより100年近く前に負けてますやん。 鎌倉時代の勉強から、いきなり戦国へ行っちゃう人が多くて
室町後期の大名の勢力関係を知らない人が結構いるよね。 六角定頼は船を人力で山越えさせた
日本のメフメト2世 信長はとにかく商業重視
楽市楽座にしても関所撤廃にして道路の整備にしても全部物流の円滑化、自分の領内に物と金を集めるために行っている やっと応仁以降の室町幕府の研究が進んできたからね。その流れで応仁から信長登場の間に幕府を支えてた大名の研究が進んで再評価され始めてる いまさら
三好長慶がほぼやったののパクリ言われてる >>66
座の元締めである富と権威を取り上げる意味もあるんちゃうか 既にそのやり方はあった:なるほど
だから信長は運がいいだけの凡人:意味不明 >>70
むしろそういうのは保護してガッポリ金を巻き上げてる
楽市をやったのは新興の、これから物流の拠点として発展させたいところ >>72
すまん言葉が抜けてた
座の元締めである寺って意味な
商人達の保護はがっちりやってたな
武力は取り上げてたけど ノッブの良いところは敗者をボロクソに言いたい放題するけど良いところは心の中で素直に認めてて上手く取り入れてるとこだよな まあ盗品とか横流しとかの物が売られてるのが多かったみたいだけどな >>56
すぐってスタートはどこ基準なんだよ
みんなあるタイミングからヨーイドンで始めたわけでもあるまいし >>62
学校で習う歴史だと、戦国前期は割と薄いよな。 >>10
有名な歴史学習漫画がさも信長が革新的に始めたように描いたのが悪い。
教科書の信長の天下統一までの過程の説明と相まって信長が始めたものと子供時代に刷り込まれてしまった。
大人になって六角氏が最初と知った。
まあそれも文献上の話で実際は他に発案者がいるかもしれないけど。 信長が信じたのは金だけよ
採用したシステムの全てが他人の金を使うようになってる 近江に拠点置いたのも比叡山焼き討ちにしたのも六角が先と聞いたが。 比叡山延暦寺から信長焼き打ち以前の鎌倉末期の像が8体も出てきて
何で? 状態らしいな >>41
赤影の金目教の元ネタってこと?
だとしたらあんなハチャメチャな話なのにベースはしっかりしてたんだなと感心 ノッブは世の中的に良いものを採用していくという発想の持ち主だったんだろうな 大坂を開発したのは豊臣秀吉(不正解)
江戸を開発したのは徳川家康(不正解) >>62
上杉が越後というより関東の名家だってのが後北条以上に知られてなさすぎ 六角氏はゲームスタート直後に
北畠に攻め込まれて滅亡のイメージ
全国版では 今思うと全国版の北畠は妙に強かったな
斎藤は弱いのに >>83
つーかまあ、基本的に戦国大名(武士)ってのは、自分が手に入れた土地を守りたい、そこからの実りを多くしたいってのが行動の基準なんだよね
六角にしろ今川にしろ武田にしろやっていることは自分の本拠地を安全にしたい、繁栄させたい。そのためにこういう法律を定めよう、隣国を切り従えて本拠地の安全性を高めようってこと
信長みたいに次から次へと前線に拠点を移して、占領地に自分の拠点を移してそこに自分の政策を浸透させて、またそこからさらに周辺国を侵略するっていうのを繰り返しているのが珍しいというか信長ぐらいなもんなんだよね 家系ラーメンとタモリ電車クラブ、信長の野望の雑魚
このイメージだな ADSLもいつの間にかソフバンが始めたと言われているが、始めたのは東京めたりっくとかイーアクセスだよな 歴史ではオリジナルを確定するのは難しいよ
その気になればいくらでも遡れるし
起原説はたいてい眉唾とおもっていい >>66
織田弾正忠家は水運業で財を作り尾張統一を成し遂げた家
物流と経済を理解していたから関所作るより楽市楽座のようなやり方が戦国時代生き残れると思ったんだろうね >>93
おまエラが死ぬほど好きな唐辛子な
あれ秀吉朝鮮征伐の際、雑兵が防寒用に仕込んだ足袋からこぼれてヘル朝鮮に伝わったんだわw
まさか蒸れ蒸れ足袋からこぼれた唐辛子が
DNA傷つくほどガンギマリして遺伝するミンジョク病になるなんてなwww
火病の起源は韓国wwwwwww ミュージックステーションを始めたのは森田一義ではなくて関口宏が始めた物なんだな >>13
一向一揆潰して入った土地だから当然だわな 六角氏なぁ。
いつも今川が武田に滅ぼされる前に今川の領土をとりに行くか、
先に六角を滅ぼしてから今川武田に立ち向かうか迷う 六角は定頼の代には細川晴元とやり合ったりイケイケだったけど義賢の代で落ちぶれた 六角家は信長に領地取られたあとも信長がピンチになるたびに蜂起してゲリラ戦しかけててしぶとい 配下の武将が考えたものだろうけど、歴史書に名前が書いてないから大名の名前が当てられているケースがほとんどだろうな 因果が逆だと思うわ、室町時代に楽市楽座の様な商いの概念が強化され
織田信秀みたいな経済武将が産まれ、信長の代ぐらいで完成した ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています