藤子不二雄Aさん、「このままでは藤本氏のマネジャーになるしかない」と悩んでいた30代 [292723191]
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児童漫画家として出発した2人だが、安孫子さんは30代に入ると悩み始めた。
「年齢を重ねると純粋な気持ちで子ども漫画を描くのが難しくなった」。
既に作品ごとにそれぞれが描くスタイルが定着。ドラえもんの大ヒットを横目で見ながら「このままでは藤本氏のマネジャーになるしかない」と悩んだ。
そんな時、青年向けの漫画誌が登場。「ブラックユーモア」路線をはじめとした大人漫画に活路を見いだした。
「僕は人間が好きなんです」と語る。1人で海外旅行に出掛けて現地の人たちと交流したり、お酒やゴルフなどを通じ友人たちと大騒ぎするのが好き。
作家の吉行淳之介さんやタレントの大橋巨泉さん、歌手の井上陽水さんら友人も幅広く、私生活での経験を漫画に生かしたケースも多い。
アニメ作家の鈴木伸一さんは「行きつけのスナックでは、よく下手なカラオケを歌った。店のママから『ジャイアン』と呼ばれて。でも、うれしそうで、僕も楽しくなった」と語る。
想像力を膨らませ、子ども漫画を描き続けた藤本さんを「僕なんてとても及ばない天才」とたたえたが、幅広いジャンルに分け入って漫画の裾野を広げたのは、安孫子さんだからこそ。
「まんが道」は、こんな書き出しで始まる。「これはまんがの持つ不思議な魅力にとりつかれ、まんがに自分の未来を賭けて、まんが道という、終わりのない道へ踏み込んだある、ふたりの少年の物語である」。晩年までペンを握り続けた人生はこの言葉の通りだったと思う。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/170369
https://static.tokyo-np.co.jp/image/article/size1/9/d/d/0/9dd0a71e11ae61ba469f13325e4666a9_1.jpg 魔太郎が来るとか
笑うセールスマンとか
この人のブラックな作品が好きだわ ドラえもん作者から晩年外されたって印象
子供のときは共作だと思ってたんだけど違ったのかな? プロ猿もアニメではけっこう爽やかだけど
マンガ版は絵柄も内容もかなりダークなんよな
小丸はアル中やし 魔太郎とか
喪黒福造とかに
つれさられた
と思うよりも
怪物くんや
忍者ハットリ君に
つれさられたというほうが
夢があるな 魔太郎オリジナル版で出してくれ
文庫版はマイルドに改変されちゃってて残念だったわ まぁ、子供向け漫画は明らかに不得意だからな。
年表的にも、(藤子不二雄が)中高生向け雑誌に連載を持つようになってから才能が開花している。
Fの大人向け漫画は今の深夜アニメみたいに少年漫画を大人向けに凝ったものにしたものだが、
Aの大人向けは文字通りだから。 子供向け漫画でゴルフ描くってのもすげえよなあ。ちゃんと面白かったし 再アニメ化の放送前に旅立ってしまわれたか
漫画家としては水木しげるに次ぐご長寿なのかな
ご冥福を あっアンパンマンも長生きだった
アンパンマンは90くらいでも子供の心を持ち続けてすごかったな
ちりんの鈴も好きだけど ああ ついにA先生も逝ったか
一番好きなのは「まんが道」かなぁ
トキワ荘の時代の描写が素晴らしいし 青年漫画家の苦労がよく分かる
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄
( ´・ω・) < ご冥福を
( つ旦と) \____
と_)_) >>1
「明日にのばせることを今日するな」
素晴らしい言葉だなw 魔太郎がくるの実写版を楽しみにしてる
主役はもちろん現役の名人 子供の頃はAだったら良かったのにと思ってた
すまんな 二人の天才がたまたま同級生っていうのがそもそもすごい >>30
俺は魔太郎と変奇郎の共演が見たかった
同じターゲットで ドラえもんが圧倒的なだけで
A先生も山ほどヒット作持ってるのに A先生の作品は因果応報なんだよな、笑うせぇるすまんとか。
F先生の短編の方が不条理でちょっと怖かったりする >>4
合作はオバQが最後らしい。
その後も当時は表向き合作だとずっと言ってきたけど、
二人が公式にコンビを解消するときに
実は別個に活動していたと明らかにされた >>39
まんが道読むと猛烈に漫画が描きたくなる
19の頃ハマって勢いで描いた32ページが、小学館新人コミック大賞最終選考落ちまで行ったのが人生最大の自慢 >>4
遺族とかの問題あるから生前に著作権利をハッキリさせただけだよ 権利関係で後々お互いの遺族が揉めないようにAとFで分けたんだよね
本当に仲良くないと出来ないことだぜ 明日にのばせることを今日するな
に笑った
お疲れ様 ハムサラダ君てのがまんが道かと思ってたコロコロ世代 アニメ漫画界が共作や原作有りとかで揉めに揉めてたからな
ヤマト然りキャンディキャンディ然り ミノタウロスとかは藤子不二雄(がそんし)先生の方? 80年代に小学生だった小生から言わせてもらえば
ドラえもんよりハットリくんや怪物くんのほうがおもしろかった >>52
F
実は本当にブラックなのはFの方
Aは自分から堕落したりいじめられっ子だったり個人的な闇だけど
Fはあらゆる人の持つ原罪みたいな救いの無さを描いてたりする 子供のときは二人だって知らなかったからタッチが変わってすごいと思ってた
怪物くんとか割と中間的なタッチだし 笑ゥせえるすマンはゴルフ・タバコ・スナックがよく出てきたけど作者の趣味なんだろうなと思っていた >>55
あまり知られてないが富山県は東(呉東)と西(呉西)に分かれてる。
氷見市や高岡市は呉西地区。富山市は呉東地区。 >>10
ちがう。
ケント紙の見過ぎで、視力が悪化したため。
昼間でもサングラスをかけないと耐えられない職業病。
自伝に書いていた。
全盛期など、1日3食ともフランスパン。
なぜなら、左手だけで食べられるから。
その間、右手は漫画を描き続けていたらしい。 >>3
Fの方も方向性は違うが
ブラックさはひどい。
根本的に人間を信用していないように見える。 なれるならば、優秀な漫画家のマネージャーの方がいい。 A先生はお金や酒におぼれるような現実的なブラック
F先生は生きることの矛盾とか不条理みたいな哲学的なブラック
と言うイメージかな 魔太郎はいじめられっ子の溜飲を下げたと思う。
当時の漫画界はヒーロー型がほとんどで、魔太郎みたいなキャラはいなかったんじゃないかな?
でも一番好きなのはフータくんです。
あと、愛知りそめし頃にです。
A先生、ありがとうございました。
安らかにお眠り下さい。 同じペンネームでそれぞれの作品を発表とか珍しいケースだね。 ブラックユーモア作品を描くと子供向け作品を描いているFに迷惑がかかるってことでコンビ解消したんよな エスパー魔美は、あの爽やかなFの作品なのな
Aのほうかと思ったわ Fならエスパー魔美の現実寄りなエピソードを描けるかも?とは思うが
Aにはエスパー魔美の良くも悪くも綺麗なストーリーは描けないと思う
まあ中間寄りではあるよな 老人がバタバタ死んでいる
一時期ほど平均寿命高くなくなってきてるはず
葬儀屋も焼き場も予約待ちなの知らんだろ
実はコロナでかなり死んどるのでは? Fは間違いなく天才
Aはまあ…いてもいなくても漫画の歴史には無関係かなw 大人漫画って路線明確にしてからも
1話完結のどっちかと言うと小品って感じの作品が多かった気が
俺が藤子Aだ!みたいな骨太の大河作品は能力的に描けなかったのか
藤子ブランドに対する遠慮があったのか >>16
平成初期の頃までなら書店でチャンピオンコミックス版が新品で買えたんだよなぁ… >>69
老人が死んでいくのは別におかしくないし
A先生も死んでも全くおかしくない年齢だからな >>35
通いならつのだじろう。
あとラーメン大好き小池さんこと鈴木伸一氏もご存命だな。 なんか時々まんが道を読みたくなって読むんだけど帰省して云々して電報貰うシーンでいつもキツくなるw 「スリーZメン」が好きだった。
アメコミのような雰囲気は珍しかった。 俺の人生最大の後悔
大学生の時に古本屋で見つけた藤子不二雄ランド全巻(全部初版)30万円を買わなかったことだ ようつべで公式に上がってる笑うセールスマンええね
10分時間潰すには格好のコンテンツ A先生のスマッシュヒットでF先生が食いつないでた時期もあった >>45
の割にはオバQの権利問題で長らく単行本販売中止してたけどな 藤本氏のマネジャーになるしかない
↓
藤本氏の真似じゃになりました 藤子不二雄でちゃんと読んだのは魔太郎だけだな。。
喫茶店に置いてあっただけだが。
喪黒て巨泉だったのか。。ギミアで始める時、いけるとか思ったんかね ウクライナの惨劇の最中だからなのかな。
悼む声が少なくなってかわいそう。
ご冥福を。 謙遜してるけど、F先生の方が遅咲きの花
F先生の絵が洗練されていく1970年中期以降から差が開いていく
逆に二人ともトキワ荘時代は何をしていたのだと言うくらい作品が無い
オバケのQ太郎1964年★合作
忍者ハットリくん1964年★ 代表作
怪物くん1965年★
パーマン1966年
ウメ星殿下1968年
ドラえもん1969年 代表作
モジャ公1969年
魔太郎が来る1972年★
プロゴルファー猿1974年★
バケルくん1974年
キテレツ大百科1974年
ブラック商会変奇郎1976年★
エスパー魔美1977年
まんが道1977年★
チンプイ1985年 この方の影響でマグリットやデ・キリコ、ダリなどのシュールレアリスムが好きになった >>90
別に共演する必要もないからじゃね
描いてる作品も別々だし
プロダクションも隣同士だし
仲は悪くなかったんだと思う >>32
・幼馴染
・共作は初期だけであとは別々に創作
・クレジットはずっと一緒
・かなり異なる作風 Aはときに暗くてシニカル 社会的
Fは明朗でファンタジック 子供にうけた
・性格も違うため後にコンビ解消
なるほどビートルズだね 仲が悪い悪いいうけど
お前ら小学校時代の親友と毎日顔つき合わせるほど繋がってるか?
大体はそうならないだろ
田舎の狭い世界じゃあるまいし
家族や仕事での繋がりのほうが強くなっちゃうよね 海外だったら絶対ホモだよな
そういう関係なしに死ぬまでパートナーシップが続いたのが凄い >>93
SF短編集やタイムパトロールぼん はいつ頃? >>61
藤本先生は「人間は醜い」という表現で安孫子先生は「人間は愚か」って表現だよね。 明日も日曜日がスゲェんだよなぁ
天才だろ
あの時代であれ描いてたなんて >>101
短編は1970年台に波が来る
タイムパトロールぼんは1978年 まんが道めちゃくちゃ面白い
ちゃんと作中の漫画が読めるのもいい 手塚治虫先生の映画のような躍動感のある漫画(1947年新宝島)に憧れて漫画の世界に入ったものの、自分の漫画を探し当てるまで、20年前後の歳月をかけている >>93
ドラえもんが桁違いになっただけで
それ以外は同レベルだと思うぞ >>93
並べてみるとAは人間臭さ漂う作品、Fは空想的な作品なんだな ハムサラダくんってまんが道のマイルド版みたいな漫画を弟子か何かが描いてたな F先生は編集とかの打ち合わせ全部A先生に丸投げしてたらしいな > 店のママから『ジャイアン』と呼ばれて。でも、うれしそうで、
これは内心辛いよな。
才能のなさを自覚はしてたんだな。ならいい。 >>96
FのSF短編集読んでたらその印象は覆ると思う
Fの方が圧倒的に暗くてシニカル
Aも実は社交的なタイプだと思うし >>110
ドラえもんはテレ朝でアニメ化されるまではパッとしない作品扱いだった >>120
確か月刊誌の小学○年生で掲載されていて小学一年生〜小学六年生まで読んでいた作品なのでそれはない。 >>87
旧オバQは二人だけでなく石森先生も赤塚先生も絡んでたからじゃね? >>78
ラーメン好きでそんな長生きな人はいないはず。
ラーメン嫌いなんだな >>90
お前が想像出来ないほど仕事が忙しかったんだよ
お前は金のことしか頭になさそう >>119
間引きとかカンビュセスとか見たら心の闇が深いのはFだってわかるよな
ある日… のプツンはやばい >>67
A先生がエスパー魔美描いたら絶対女である事を武器にしてくる 新入社員が初出社に失敗してそのままひきこもりになる短編はこの時期にぴったり 要するにビートルズでいえばジョンとポールみたいなものか? 怪物くん好きだったなー
イラストをよく練習したものだ
もう一度見たい >>135
そらそうよ
人生の土台が藤子不二雄でできてる世代なんだから >>32
天才がたまたま同級生、というか
二人が研鑽を積んで、天才に成ったのだと思うわ。 漫画の二人共絵描きの共同制作でこれほど成功した例は相当、珍しいんじゃないか? 子供心に絵の感じがまるで違うと不思議だtった
角張ってる絵のほうはどれもつまらないと感じてた >>93
たぶんね、安孫子先生が言ってるのは、
(「ドラえもんの大ヒットに」の部分に引っ張られてるけど)
単純に「自分は子供向け漫画家として限界だった」という意味だと思う。
元々は、藤子不二雄は完全な子供向け漫画家で、
よくFは「手塚治虫のフォロワー」なんて言われてるけど、
最初から青年漫画を子供向けにアレンジしてた手塚治虫と全然作風が違う。
だから、初期の作品は今はあまり読まれていない。
(大人が藤子不二雄の初期作品を読むのはさすがにつらい) 寺田ヒロオって本当に後輩の面倒見れるくらい売れてたんか?
まんが道で作品タイトルは知ってても全く知らないが 魔太郎のアニメ化は無理なのか
ブラックなのが見たい そこで、
俺も負けずに頑張らないと→日本人
マネージャーでピンはね美味しくね?→朝鮮人 >>4
藤子不二雄はもともとそれぞれ個別に作品を書いていた。
合作したのって、オバQくらいじゃないか? >>133
似てるね セールス的にはポールが圧倒的だったところとか
でも所詮口あたりの甘い女子供向けだろとロック通から酷評されたとことか
どっちがどっちの作品だったか後年公表しようと考えたところとか
ジョンが主体的にやったんだけど、こっちも安孫子先生からじゃないのかな 漫画の制作でアシスタントの役割は非常に重要だけど、ほぼ対等関係の合作には困難が
つきまとうだろ。Aさんが悩んでいたような対等関係の崩れで、合作は無理になるのか?
音楽ではクラシックの作曲家や指揮者の地位は高く、ブルース・バンドではリーダーの
地位は親分的なもの。
白土三平は水木しげるやつげ義春をアシスタントとして上手く使ってたような。白土には
画風や画力での説得力が凄かったような。
それは手塚や赤塚も同様。 >>152
そのままジョンとポールになぞらえるのは違うと思う
Fは決して子供向けの甘口じゃない 富野由悠季も
富野由悠季Aと富野・F・由悠季の作品があるよね( ´・ω・`) ハットリ君や怪物くんのような子供向けのものは30代になったら描けなくなったと
年取ると考え方も変わっていくから仕方ないな
仕事と割り切って無理して売れ線を描くか、描きたいものを選んで描くか >>155
親爺ロックとかの短編は諷刺SF漫画だな。
音楽では1950年代半ばぐらいから世界的にロック・バンドなどで、一つの家で寝起きを共
にしながら共同制作していく流れが流行って来たが、その頃既に日本では藤子不二雄の例や
ときわ荘など、日本漫画には共同制作の下地が出来ていたのかもな。
たぶん、日本漫画の共同制作が漫画の中に即興性の要素を広げ深めてきたんじゃないかな。 高畑勲はそんな事はこれっぽちも思ってなかっただろうな >>155
それは確かに違うね
ワイのような浅い読者にもドラえもんという作品の中の毒はわかる
だから普遍的に面白いんだし
そう単純になぞらえられる様なもんでもないか まあパブリックイメージ >>157
その辺に人付き合いの秘訣が隠されてんだろうな
A先生はとにかく色んな人と交流して人生を豊かにすべきだと言う考えの人で、
俺みたいな人間は他者の嫌な部分やうらやましい部分が見えるともう付き合いたくないって思っちゃうんだが、そこをそう思わない秘訣が何かあるんだろうな FはFで
Fの娘さんが
「晩年の父は子供向け漫画の映画版シナリオに時間を使わざるを得ず本当に描きたいものを描けずいらだっていた」
とか書いてるんだよね
才能への嫉妬はあってとそんなにいいものじゃないとは思ってたんじゃないのかな アニメ作家の鈴木さんがラーメン大好き小池さんのモデルとは書いてないな >>123
wikipediaみると石ノ森章太郎は描いてたって書かれてるけど
赤塚不二夫はキャラが登場したって書いてあるんだよね
オバQにおそ松くん描いたの誰だよw ショパンとリストみたいなもんか
って思ったけどドラが無かったらほぼ互角なんだよな〜 >>162
機会があればSF短編集読んでみて欲しい
SFの枠組みの中で児童漫画では描けなかった人間の業が描かれている 俺も当時二人と一緒に富山を飛び出していれば、NN藤子不二雄としてデビューしてたかもな…。 >>113
普通レベルの願望で行動する主人公が多いのはF
やばい思考の主人公が多いのはA >>17
藤本はこういう社会風刺的な物も作れる
頭が良くて天才だったよ
https://youtu.be/t4__h_JOVrQ まぁ、比べてしまうと、F氏のほうが絵もうまいし大ヒット作も多いしで
どうしても分が悪いけど、それでも十二分に偉大な業績残してるんだよなぁ >>113
上下関係ある主人公見下す主人公が多いのはA
遊びたい主人公が多いのはF >>46
パチンコに提供した方としてない方って分け方もあるのかな >>102
逆な気がするな
愚かだから自滅するのがFで
醜いから誰かが断罪するのがA 独裁スイッチとか石ころ帽子とか
黒いドラえもんシリーズも面白かったけどなあ >>30
猿丸は大人になって戻ってきたのにな
あまり知られてないけど YouTubeの公式チャンネルで喪黒福造が見れる
不条理なカタルシスがたまらない 代表作は色々あるが、他の漫画に与えた影響といういみではやっぱり魔太郎かなあ
いじめられっ子が超常的な力で復讐する漫画の元祖みたいなもんだし A先生はいじめられっ子の復讐譚は生々しい。実体験してるからw
ただ美少女キャラの魅力が乏しい。水木しげるも同じだけど
F先生のようなロリコンじゃないから、あまり興味なかったんだろうね >>186
魔太郎が無ければ遊戯王も無かった気がするよね >>164
大長編ドラえもんの晩年のはたしかに冴えない感じだったが苦しかったんだろうな >>191
多分、ネタなんて初期の5作くらいでとっくに尽きていただろうに、ほぼ強制的に毎年新作映画作ることが決定されてるから大変だっただろうね >>189
カードゲーム漫画になる前の初期の遊戯王のフォーマットはブラック商会変奇朗や魔太郎が来るまんまだぞ >>140
あさりちゃん
この機会に魔太郎読んでみたわ。5時夢のコメンテーターがAの作品で一番好きと言っていたから。 >>181
あさりちゃんって今もどっかで連載してなかったっけ
学年誌でやったのは覚えるけど学年誌廃刊と一緒に終わっちゃったか? Fが亡くなったときに書いていたけど
普段は会わないけど映画観に行ったらばったり会うということはよくあったらしい 創刊直後のジャンプSQでコラム書いてたのももう15年前か 藤子の最初の弟子≠ナ「まいっちんぐマチコ先生」で知られる漫画家のえびはら武司氏(67)が、藤子Aさんとの秘話を明かした。
「だいぶん、お疲れになったんでしょうね。漫画を書くのも疲れたと言ってたから」と話した。
近年は、コロナ禍で高齢ということもあり、直接会う機会はなかったという。「
直接会話をしたのは15年ぐらい前の忘年会。毎年スタジオのOBが集まってやってたけどで、みんな(年齢とともに)疲れてきて『そろそろやめようか』って。
新宿にスタジオがあるので、何かあれば前は顔を出したりしてたけどコロナで余計にね」と残念そうに話した。
えびはら氏にとって藤子Aさんは師であり、家族のような存在。
「漫画はF先生、世の中の渡り方、漫画家の心得を教えてくれたのはA先生」。
コワモテの印象の藤子Aさんだが「おしゃべりが大好き。人柄でみんな好きになるんじゃないかな。F先生は漫画を描く専門で、A先生がよく飲みに連れて行ってくれた。
女性の話とか、くだらない話ばっかり。漫画の話は全くしなかったなあ(笑い)」と懐かしそうに振り返った。
あまりのおしゃべり好きのため、こんなエピソードも。
「僕らといると話してばっかりで仕事にならないからA先生だけ個室に隔離されちゃったこともあったね(笑い)」。
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/4114397/ 関わったことがないってのもそう言わなきゃいけない感が漂ってるね
いや、どこそこは俺が描いたとか言ったら言ったで権利だ云々周りが騒ぐ
小池さんとかのキャラデザインとか全く無縁ではないんだよね
ドラえもんの巨大利権にただただ控えめだったA先生の心情 「子供向けの楽しい作品が多いFさんは、実は気難しい先生でね。なじみの編集者じゃないと会ってくれないほど、極度の人見知りだった。
逆にAさんは、大人向けのダークな作品ばかり描いてるのにすごく明るくて、社交的で、友人も多かった」と振り返るのは、さる漫画編集者だ。
2人がコンビを解消したのは88年。「それ以前を知る世代の人に聞くと、例えば出版関係者が集まる飲み会に来るのはAさんばかりだったそう。
取っつきにくいFさんに対し、Aさんは割と若い編集者でも笑顔で応対してくれる先生で有名だった」という。
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/4114361/ 大橋巨泉の番組によくでてたよな
当時タモリのパチモンかと思ってた A先生はFが売れてくのを一緒に喜んでたんじゃないのかな >>205
Aも売れていたんだからFに対する気持ちも普通に好意的なものだっただろう
ただF贔屓の手塚絡みになると若い頃は嫉妬もあっただろうね >>201
いや実際、ドラえもんの頃はもうスタジオも別だし、F先生もスタッフよぉけ抱えてるのに
わざわざA先生が手伝う理由ないんじゃない >>206
F先生はバケモノだから比較したら可哀想なくらい、A先生も普通に実績残してるしね
一人の突出した才能のおかげで食えてる売れたバンドのメンバーとかってどういう想いなんだろね ハットリくん+パーマンを連続でやった時も
怪物くんが終わりパーマンが大ヒットするF全盛期の中で
Aも引き上げるための企画だったんだよな
だから漫画版はA作画でハットリ世界がベース 二人の天才が一緒に描いてたってすごい奇跡だな
マニアならどっちが描いてるシーンなのかわかるんだろうか >>11
以前危篤になったとき、手塚、藤本、石ノ森、赤塚がこっちに来いと迎えに来たらしい f先生は化け物だけどa先生も他の漫画家さんと比べても圧倒的に天才だろ 昨日このニュース聞いて1番に思ったのはまんが道が終わったんだな だったわ F先生よりA先生のが引き出しは多い気がするけどドラちゃん一人で全て蹴散らせるからなぁ >>222
未完になっちゃったか
まあうらけんのベルセルクもそうだが、今後はこういうの増えそう 多分権利や家族の利害関係がないならコンビのままのほうがよかったって気はする
お互い無いところを補える関係だったのであれば >>4
子ども向けの漫画ばかり書いてて面白いか?って藤子・F・不二雄の晩年に藤子不二雄Aが思ってたからな
それで産まれたのが笑ゥせぇるすまん >>60
それでも大往生されましたね。
赤塚不二夫さんは72歳という若さでしたけど…。 かーいかいかいかい
つーかルフィって怪物くんのパクりだろ ハットリくんや笑ゥせぇるすまんでしかA先生を知らん層は
是非まんが道と少年時代を読んで欲しい
まんが好きには今更だけど創作史に残る傑作だから オバQの原作は復刻できたけどアニメの方がさっぱりだ
新オバQだけは死ぬまでにもう一度見たい >>227
笑ゥせぇるすまんの原型を連載してたのは1969〜1971年だけどな Fが工芸高校出身でAが東大生を何人も輩出する進学校出身ってのも
独創的で子供向けな作風のFと、理詰めで大人向けな作風のAとの対比になってる でもF先生ってジャングル黒べえとか、漫画でのアフリカ描写を見たら
内心、黒人に対してどう思ってたんだろうなあ、と疑問が浮かぶ。
個人的に好きな漫画はF先生の方が多いけど、
人格者はA先生じゃね? >>228
赤塚さんは結構ボロボロだったと思うがよく70代まで持ったと思う 小6のとき少年時代のあーあ あーあ男全員で真似してたら担任に殴られたわw >>230
どうだろうなファンタスティックフォーかもしれん おっさんになってもドラえもんの映画は家族で行くし
まんが道は嫁に読ませてる
藤子不二雄とともに育った人生だったわ
ご冥福をお祈りいたします 子供の頃からたくさん楽しませてもらいました
ご冥福をお祈りします >>239
A先生もひっとらあ伯父さんとか、狂人軍とか、強烈なの描いてるぞw
[狂人軍]
登場人物の全員がきちがいという、精神疾患を主題にした過激な内容の不条理系ギャグ漫画である。それに加え、実在の人物(主に野球選手)や読売ジャイアンツ、精神障害者に対する侮辱と取られかねない設定を含むため、現在も単行本化はされていない。 >>245
AもFも赤塚の悪影響を受けてる部分あるよな >>224
漫画は完結してる
安孫子先生のまんが道が終わったと言ってるんだろ >>220
永谷園のお茶漬けまで
藤子不二雄の作品みたいじゃねーかw >>214
ドラえもんに「呪いのカメラ」って、明らかに画風とテンションおかしい話があって
これ絶対FやAどころかトキワ荘の誰かが描いたろwと思ってたのに
F本人作らしく、作家当ての自信失くした 藤子不二雄Aって赤塚不二夫の事かと今の今まで思ってた
みんな詳しいなあ 幼稚園児のころは藤子(女)と不二雄(男)がコンビで描いてるんだと思ってたわ >>181
二人とはいえ毎月こんなことやってたら死ぬよね 尿意に耐えられなくなった魔美が、便所にションベをテレポートすればいいものをわざわざ高畑の膀胱内にそれをする
というこの野放図なエロスに度肝を抜かれないヤシがいるのか?kの安孫子先生のセンスのすさまじさよ・ 藤子・F・不二雄は漫画しか描けなかったが藤子不二雄Aは漫画も描けた
交友関係の広さ、扱うジャンルの広さを見れば何をやっても成功してただろうと思う 我孫子先生は普通に新聞社のサラリーマンでもそこそこ出世しただろうね >>254
好き嫌い分かれる絵柄だけど、すぐに安孫子だと分かる
本当に個性ある絵なんだよね >>239
ジャングル黒べえを見たサンコンさん
「中身がとても面白い!全く問題ないよ。これに反対する人は黒くて槍を持ってという
絵面だけを見て、中身について何にも考えてないんじゃないかな。
受けた恩を必ず返すっていう発送はアフリカにもちゃんとある。
世界のどこに住んでいても肌の色が違っても、義理人情の世界は同じ。
子どもたちの教育に良いと思う。」(封印作品の謎より) >>202
しずかちゃんの風呂場無毛おまん見て のび太ベロだし
Fは極度のロリである >>263
のび太 「いい加減にしてくれ!なんでいつも君は風呂に入っているんだ!!」
この逆ギレおもろい >>117
ほんとにな
言ってる側からしたら違いはわからないし
うれしそうに受け入れられるのは強いよね >>1
ドラえもんの極端が飛躍があって、最終的には離婚というかそういう形式に…
とならざるを得なかったのは解るけど、30代位からこんな風に思っていたとは マネージャーを
マネジャー
と書くやつは信用できない 漫画家の浦沢直樹氏(62)が7日、ツイッターを更新。漫画「忍者ハットリくん」「笑ゥせぇるすまん」などで知られる漫画家の藤子不二雄A(本名・安孫子素雄)さんとの思い出を振り返り、追悼した。
浦沢氏は、「A先生。ハットリくんのお面の使用に際し『どんどんおやりなさい!』と笑いながらご許可いただきました」と、自身の作品「20世紀少年」にまつわる藤子AIHさんとのエピソードをつづった。
「藤子AIHさん」がジワジワ来るw プロゴルファー猿のOP歌詞多分この人が書いたんだよなAかFか書かれてないけど
あの歌詞だけで天才だと思うわ Fのほうが実はおそろしいというのは
「流血鬼」という作品をみればわかる A先生はF先生の才能に嫉妬してたようだし
F先生はA先生の社交的なところに嫉妬があったようだが
それでも生涯を通じて、仲良しであり続けたのは
二人とも人格が素晴らしかったのだろうな
素敵な関係性だ 流血鬼は地球最後の男を上手いこと自分なりに解釈してるよね >>193
っ ゴージャスアイリーン
っ ビーティー >>276
そもそも魔少年ビーティーが魔太郎まんまって言われてたろ >>272
F氏の短編集では 「宇宙人」が群を抜く
あれはもうすぐ終わる地球の風景だよ AとFの一番の違いは胃袋だろうね
Aは寺の息子で食生活も質素だったが売れてから食生活が変わっても88まで生きた
逆にFはお湯かけただけで食べられるチキンラーメンを激賞するくらいだしドラえもん等々で見られる食事のセンスも文字通り子供(大根割ったらカツ丼が出てくるとかね) >>4
昔のドラえもん作成秘話みたいなコミック読んだけど
一人悩み苦しんで生み出したみたいだぞ
ラッキーだったのはあるかもしれんが >>238
なお、工作員シン・ガンスも同じ高校出身だったり。
ガンス・・・。まさか。ね。怪物くんはAだし。 >>269
なおフクベエ(服部)の設定は
20世紀少年完全版の加筆で
でさらに分からないことに >>272
「絶滅の島」とかも怖い。
が、手塚治虫の人間天ぷらよりは大したことないか。 >>256
自動で何千ページも漫画書いてくれる道具とか、快適な空間でカンヅメになれる道具とか考えちゃうわな(笑) テレビアニメは怪物くんの方が面白かったよね
ドラえもんのせいで不当評価されてる ハットリくんがインドでお化け番組になって作者公認のオリジナル続編作られてんだよな ちょっと嫌な気持ちになるし絵も気持ち悪いし子供の頃嫌いだったなあ
でも寂しいね >>264
割とマジでソープのお仕事だったのかもな。
自宅に呼んで、お客はママが管理する。 オバQはオバケ・キャラをFが、人間キャラをAが担当してたと聞いたが
ときわ荘の他メンバーも自分が暇な時は相互に手伝ってたんで
後から遺族が著作権を主張しても、誰が誰を描いたのか分からんらしいな。 FA以外はアシスタント扱いだからペン入れ自体は著作権と関係ないだろ
キャラデザに関しては権利が発生するだろうけど >>270
ガキの頃、これできんつばを知って
食べてマズ!ってなったの思い出したwww ドラえもんやエスパー魔美とかFの漫画は大人になって全集で読んでも楽しめるがハットリ君や怪物くんとかは復刻で読んでもつまらなかったな
でもまんが道だけは何回読んでも楽しい バクマンがトキワ荘みたいなの作ってたよね、こういうマンガ家集めた話とか
作って欲しいんだけど・・・w >>291
オバQは 藤子不二雄ランド全巻が超プレミアってるしな
禁止用語もバンバン乗ってる新品
なんかミリオン超えそうな価格 30代に突入した頃なら、まだまだAの方がヒット作家やろ
ドラえもんのメガヒット(30代後半)までFの方が売れなかった 藤子不二雄 昭和40年代のアニメ化作品
共 1965年08月29日 - 1967年06月28日 8クール アニメ オバケのQ太郎
A 1966年04月07日 - 1966年09月28日 2クール 特撮 忍者ハットリくん(第1期)
F 1967年04月02日 - 1968年04月14日 4クール アニメ パーマン
A 1967年08月03日 - 1968年01月25日 2クール 特撮 忍者ハットリくん(第2期)
A 1968年04月21日 - 1969年03月23日 4クール アニメ 怪物くん
F 1969年04月01日 - 1969年09月23日 2クール アニメ ウメ星デンカ
F 1971年09月01日 - 1972年12月27日 5クール アニメ 新オバケのQ太郎
F 1973年03月02日 - 1973年09月28日 2クール ジャングル黒べえ
F 1973年04月01日 - 1973年09月30日 2クール ドラえもん(日テレ版) 漫画家として藤子不二雄が最初に評価されたのは
1960年のてぶくろてっちゃん、1962年のすすめロボケットの小学館漫画賞受賞
この2作はいずれもFの単独作品 鳥山明とか斎藤たかをとか
田川水泡とかと藤子不二雄ら
天才達が語り合う座談会を見てみたいな >>4
なんか映画編の作風が名前分けてから完全に子供向けにシフトした気がして俺もそう思ってた
大魔鏡とか鉄人兵団とかAが混ざってんじゃないの トキワ荘青春日記ってA先生の日記が面白い
まんが道と違って三丁目の夕日みたいな生活感あるし
現実はこんな感じだったんだろうな・・・
単行本数十年ぶりに読み返した >>297
巻数と価格的に上は全巻揃えるの難儀だけど下はなんとか揃えられそう >>307
そら背景とかは完全にA氏やってるよ
龍の騎士の原作読んだらすごい洞穴の背景の書き込み具合
どうみてもプロゴルファーのミスターXの登場とおなじ
謎の崖の背景よ >>291
ときわ荘の他のメンバーもアイデア出してみんなで楽しく作ってたのに
後で遺族が著作権でヤキモキするのもなんだかなあ・・・ >>309
ハムサラダ君は
国民全員持っててほしい まあ藤本の方が天才ではあるわ
比較されるのは可哀想 >>256
いや、新作は少ない
昔の作品のリメイクがメイン
リメイクは主に目(ロンパリ)の修正、新設定でいないキャラの削除など
新作は小学○年生がメイン 電子書籍でまんが道買おうかな
ドラマはBSで再放送見たし 高岡と氷見行ったのは藤子不二雄両先生のおかげ
氷見のA先生の実家だったお寺にも行ったなぁ テラさんがちょいウザい先輩として描かれているまんが道以前の自伝漫画
https://i.imgur.com/ogsIcr2.jpg 親戚のお兄ちゃんが黒くてプロゴルファー猿に似てた(´・ω・`) 記憶を消すことができたら
モジャ公を読んだ記憶を抹消してほしい
まだもじゃ公読んだことがない人がいたら是非読んでくれ
あまりにも発想がすごくて絶対気に入る 魔太郎とか怪物くんとかはよくあげられるけどブラック商会変奇郎ってまったくあげられないよな あれでもレギュラーショームービーでさパワーグローブにヨシモトて書いてあるのもドケチ教なんだな東京がそうらしくてクランプがもっとうまくやってたのが東京バビロンなんだって、わかんないよね? 変奇郎はAがああいうコレクションをしてたからこそ描けた作品で
他の漫画家には描けないだろうな まんが道で愛蔵版という言葉を覚えた
まんが道といえばボヨヨンロック >>322
全然違う
絶対生物なんかと一緒にするな
侯爵だぞ 侯爵 笑うセールスマンはおそらくドラえもんに対抗して作られた大人のドラえもん >>120
それより前にも他局でアニメやってたけどすぐ終わったな
はあドラドラってテーマソングの >>120
再アニメ化されて人気が出たわけじゃない
ドラえもんは1973年のアニメが終了するまでコミックスが出てなかった
1974年にコミックスを出してみたらバカみたいに売れた
それで1977年にドラえもんを主軸としたコロコロコミックが創刊の運びとなった
コロコロもよく売れるので1979年に再アニメ化となった >>331
OP歌詞の「困った時のドラ頼み」はA氏のセンスぽいんだよな >>332
そこから80年代の大量リメイクに繋がるから解らんもんだね
そしてタネ切れと思われたタイミングでキテレツの大ヒットに笑うせぇるすまんヒット
まんが道だけアニメ化しなかった理由は実在の人物が多すぎるからかね こんな素晴らしい方が亡くなられて
プーチンみたいな悪魔が生きている
まったくイヤになるよ! >>335
73年頃は手塚も人気無かったから時代のせいもあるのかもな
逆にAは70年代が一番輝いていた 子供漫画が描けなくなったとなどと言いつつ80年代にウルトラBを11冊も描いたA先生
金儲けと割り切って描いてたのかな 旗つつみというハッタリはすごくいいよな。よく考えたアイデアだよ。
実際は不可能だけど、ゴルフ知らない子供にはひょっとしたらできるかもと思わせる。 >>338
居候が騒動を起こすQ太郎フォーマットの限界でしょ
ウメ星しかり黒べえしかり
初期ドラえもんもQ太郎フォーマットだったけど、ドラえもんの道具で凡人が力を持つパーマンフォーマットに変遷出来た
しかもパーマンと違い正義感も倫理観も薄いし誰でも使えるからギャグとして成立したし
いい話、真面目な話、冒険活劇も作れる間口の広いコンテンツに育てた >>340
不可能ではないぞ
風向きとカップ付近の傾斜と針の穴を通す様なコントロールいう条件が揃った上で可能な技で
難度が極めて高いだけで理論上は可能
まぁぶっちゃけグリーンオーバーしたら崖みたいな極端な条件じゃなけりゃピン狙った方が確実だけど… ジャングル黒べえて藤子不二雄だったんだ。。知らんかったw 間が道夫と斎野茂
↑こんな変換になった
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄
( ´・ω・) < ショボーン
( つ旦と) \____
と_)_) >>277
だから、間にはいるものとして書いたんだが。
なにどやってんのよ? 昭和の漫画家てスゲーよな
次々新作描いて部屋に徹夜で缶詰状態で仕事してたらしいじゃん
今の漫画家とか一発当てたらそれを小出しにして休み休み描いて一生食うつもりなの多いし
もうこういう漫画家は出てこんやろうね ドラえもんは当時の小学館の名の基になった学習雑誌の
全ての学年向けに掲載してガキどもに刷り込む手法で
無理矢理人気漫画にしてしまっただけだ
最初は日テレで放送してたが打ち切りになった
だが、再度のアニメ化をしようと小学館自らが音頭を取って
読者にアニメ化の要望を働きかけるように頼んだのだ
こういう経緯はその後コロコロや他の学習雑誌に書いてあった
おかげでTVアニメの話が進んでいますとか云々と
はっきり言って、いつもワンパターンで偽善的だから
小学校高学年くらいになるとドラえもんは読まれなくなる
あれは低学年向けの漫画だからだ >>198
F先生が亡くなった後に初めて仕事場に入ったって述べてたから完璧に線引きしてたんだろうね。
お互いに作品の批評はしないとも言ってたし。 >>4
本人達は仲良かったけど嫁さん同志が仲違いしてたという説 >>349
なら連載作品は全部メディア展開して成功してたはずだわな
とりわけ人気が高かったうわさの姫子やパンク・ポンクとかも
でも実際はそうじゃなかった
そもそも小学館の学習雑誌にそこまでのシェアは無かった
ドラえもんの場合はみんな食い入るようにてんとう虫コミックス回し読みしてたよ
アニメ化以前から 当時の連中はドラえもんはガキの漫画
コロコロコミックはダサくて幼稚
少年ジャンプこそが男の漫画
中学生辺りでドラえもんなんか読んでると
バカにされてクラスで虐められるくらいだった >>355
昭和50年台の漫画の社会的地位が低かった頃に中学生が児童漫画読んでたら馬鹿にされて当然じゃないのか? そうそう
てんとう虫コミックス?あったんだそんなのwwwww
みたいな知名度
コロコロの当初も小学館の思惑と違って
内田まもるのザ・ウルトラマンの再掲の方が話題になって
小さい枠ながらもアンドロメロスがひっそりとテレビで実写化されたり 確かにコロコロはウルトラマンがレオで爆死したのを救い
その後の再シリーズ化の手助けになったんだよな やなせたかしも死んだ 手塚治虫も死んだ 水木しげるも死んだ 横山光輝も死んだ
赤塚不二夫も死んだ 石ノ森章太郎も死んだ さいとうたかをも死んだ
藤子F不二雄も死んだ 藤子不二雄Aも死んだ 白土三平も死んだ
さくらももこも臼井儀人も長谷川町子も死んだ
一時代を築いた漫画家たちはみんな鬼籍に入った
今生きてる高齢の有名漫画家といったらあとは
恐怖新聞のつのだじろう85歳と銀河鉄道999の松本零士84歳とあしたのジョーのちばてつや83歳くらいか
その他
ガラスの仮面の美内すずえ 71歳
ベルサイユのばらの池田理代子 74歳
ドラゴンボールの鳥山明 67歳
こち亀の秋本治 69歳
パタリロの魔夜峰央 69歳
おぼっちゃまくんの小林よしのり 68歳
ドーベルマン刑事の平松伸二 66歳
サラリーマン金太郎の本宮ひろ志 74歳
魁男塾の宮下あきら 68歳
タッチのあだち充 71歳 テレ朝版ドラえもんがヒットしたのは、実は高畑勲のおかげらしいね。
シンエイ動画社長がFにアニメ化企画持ってたが、日テレ版の失敗に懲りたFが難色を示した。
そこで社長はAプロ仲間の高畑にアニメ化企画書を書いてもらい、Fに見せてOKもらった。
更に、高畑は失敗した日テレ版も分析し、社長には
「日テレ版は脚本家立てて作ったからストーリーが間伸びし、つまらなくなってる。
原作からそのまま絵コンテ起こしたした方がいい。」
とアドバイスまでした。
「原作そのままだと1話10分で終わっちゃうよ」と社長が言うと高畑は
「1話10分で良いじゃない!」と答えたそうだww
で、当初は月〜木曜夕方10分の帯番組として始まったテレ朝版ドラえもんは
高畑のアドバイス通り作ってヒットした。 >>359
本宮ひろ志、74歳か
ほとんどアシが描いてそうだけど >>349
子供の頃、小学校まででドラえもんから離れたのは事実だけど、振り込みとか無理矢理とか言われると、ん?って思う
だって面白いから
偽善的というよりあれは落語的構造と考えた方がいいんでは? Aの作品は玉入れに権利使わせてるな
Fは使わせてないよな >>349
wikiによるとドラえもん打ち切りは日テレが主導じゃなく、製作側のせいみたいだよ
ヤスジのポルノラマ やっちまえ!!で赤字出して、社長失踪で、引継ぎがどらえもんで赤字補填したがこれ以上赤字出す前に会社解散して、
ドラえもん打ち切り こんな時代はうんざりだ…。
トキワ荘みたいな時代に産まれたかった。 >>354
ジャンプ世代だったからドラえもんなんて回し読みするほどの人気はなかった
刺激がなさすぎる
そもそもアニメは見てても原作まで読んでる奴なんてまれだったわ ひっとらぁ伯父サンのアニメ化を今こそ
ぷーちん伯父さんでもいいけど >>360
高畑天才過ぎるな
それで大ヒットにつながったわけか Fも大人向けのSF短編けっこう描いてたよね、ガンビュセスの籤とかミノタウロスの皿とか Fは天才でAは多才というイメージ
映画をプロデュースしたりエッセイを書いたりする才能はFにはない 道具とか食べ物とか物の描き方が凄く魅力的なんだよな >>4
Aがブラックユーモアを志向するようになった時にFのドラえもんの人気に影響が出てはいけないからという理由でコンビ解消したとんだと
仲違いしたわけじゃないから晩年まで交流はあったとか 藤子不二雄プロでは、アシスタントがF先生の方に付くと忙しくて大変だから
A先生の方に付きたがる人が多かったと聞いたことがある >>367
小さいころは起承転結が一話にあるほうが面白いよ
子供向けは基本そうだろ >>4
まんが道読んでみたら?
初期は合作で協力して楽しんで漫画を制作していたが
中盤以降Aが家庭事情だったかその経緯は忘れたが、就職した
一人で漫画を背負う覚悟を決め、漫画家として
才能が開花し始めた才野茂(F)に対して、
新聞社でイラスト屋としてリーマンしてる時の満賀道雄(A)の
俺だけ置いて行かれてる状況の焦燥感描写がにじみ出てるよ
Fに内緒で共同で漫画を描くために広い部屋に引っ越そうと
貯めていた原稿料を使い込んでしまったり、
新聞社時代に同期に対して恋をしたり
そんな状況でもFは徹夜続きで原稿を仕上げる漫画一筋。
ある意味、Aの人間臭さが垣間見れる
結局、新聞社を離職して再び二人で協力して漫画家やるんだけども >>377
Aはドラえもんが始まる前からブラックユーモアを描いてた
Aの影響、時代の影響を受けてFもブラックなのを描いてた A先生はF先生を「藤本くん」「藤本氏」と呼んでいたけど
F先生がA先生を何と呼んでいたのかがわからない >>367
ジャンプ世代って…40年くらいそうじゃない?
小学校の頃ドラえもんで中学入ってドラゴンボールとかに夢中になった人
たくさんいると思うなあ >>391
ジャンプ世代は年代で言えば80年代生まれだろうな
北斗の拳、キン肉マン、ドラゴンボールが大ヒットしたジャンプ黄金期
俺は69年生まれだけど、俺が小学生だった頃はマカロニほうれん荘や
がきデカが連載中のチャンピオン黄金期でジャンプの地位は低かった チャンピオンがトップだったのは1977年から1979年ごろまで
チャンピオンの最高売上は1979年の250万部
ジャンプは1980年に300万部を突破してる がきデカ、マカロニ、ブラックジャック
3作とも1980年には連載終了してる >>391
子供の小遣いで月刊誌じゃなく週間漫画一月分は無理
ジャンプはエロや暴力あるから、親が好きじゃなきゃ子供のために買い与えない ニュース速報
「緊急小口資金」(きんきゅうこぐちしきん)
→国が「貧しい人に20万円貸し出す制度」
→5年以内に返さなければならない!ゆっくり返済しましょう・・・
「生活できない貧(まず)しい人たちを助けるための制度です」!
「自治体(じちたい)・役所のホーム・ページから申し込みできます」!!
生活福祉資金(せいかつふくししきん)の
特例貸付制度(とくれいかしつけせいど)
厚生労働省(こうせいろうどうしょう)の制度で、
コロナ禍(か)で生活に困窮(こんきゅう)する人に、
◎「最大20万円」を貸(か)す
「緊急小口資金」(きんきゅうこぐちしきん)と、
◎最大60万円を貸す「総合支援資金」(そうごうしえんしきん)がある。
各地(かくち)の社会福祉協議会(しゃかいふくしきょうぎかい)が
貸(か)し付(つ)け業務(ぎょうむ)を担(にな)う。
ニュース速報 福祉制度 >>386
インタビューとかを読むと「安孫子くん」が多いね
手塚治虫先生の影響で流行ったという話だが
藤本先生は、あまり「◯◯氏」を使っていなかった印象 (´・ω・`)
つ🎤
楽しいよ〜表紙を開けばセル画がついてる
新作漫画、ウルトラBも乗ってるよ〜 https://youtu.be/NoLLojFfK1U
2:46にテラさん出現(´・ω・`)
これは、世俗を断って自分の殻に閉じこもってしまったテラさんへ、藤子不二雄Aセンセーサイドが、エール送ったんだと思われる。 >>359
白土三平、去年に亡くなってたのか
知らなかった >>400
トキワ荘物語(1969〜1970年)
トキワ荘出身の12人の漫画家によるオムニバス
今は祥伝社新書版が入手しやすいと思う 21エモンはどっちさ
芋大好きロボットが面白いと俺周辺で話題になったんだよなあ
その頃は19時に放送してた Fが突然亡くなった時、真っ先に駆け付けたのがA。
親友ならばこうありたいし、こうあってほしい関係。 >>399
日本中そんなお行儀のいい家庭ばっかりじゃないよ
つかみんながみんな買わなくても回し読みするし
ジャンプ黄金期にドラえもんハマってる奴なんか見たことないな
逆にもっと年をとってからの方が良さが分かる気がする 大長編ドラえもんで人気が高いのは名前を分ける前の作品ばかり
折半してた分、Aもアイデアを出してたんだと思う >>419
ドラえもんは人気作なんだから、発売当初は売れてるだろ
ドラえもんと大長編ドラえもんとパ−マンとバケル君とSF短編集は買ってたな
ジャンプ作品は小さいころ怖かったよ >>421
ドラえもんが のび太くん と呼ぶのは名前が別れてからじゃない?
最初の頃は のび太 と呼び捨てにしてた記憶が。 >>416
バラダンだかで誰だか昨日スカッとするとか言ってたな >>425
東京MXの視聴者には合ってるかもな。自分は初めて読んだけど、今は韓流とかでも復讐劇はもっと凄いのあるし、当時に読んでたらハマったかも。 まんが道読んでも知らない藤子不二雄作品ばっかなんだよな
タッチも違うし
愛知りだと売れてからの作品も出てくるんだろうか >>420
絵柄のせいであんまし怖くない
笑うセールスマンも同様で
感心はするけど怖いとはどうも https://youtu.be/Wv9x_s2BP5U?t=89
手塚先生死去の時の、石森・両藤子先生
ベレー帽じゃないF先生って貴重だな
そしてコメントが3人の中で圧倒的に面白い 笑ゥせぇるすまんを生み出したんだからこの経験も悪くないだろな >>359
とりいかずよしと
みなもと太郎も入れて下さい あれ?逆じゃないかな
ドラえもんがヒットする前の藤本弘の方が安孫子素雄に劣等感抱いてたとか読んだ気がする
大長編ドラえもんの成功から逆転したのでは? >>383
>Fに内緒で共同で漫画を描くために広い部屋に引っ越そうと
貯めていた原稿料を使い込んでしまったり、
そんなエピソードは無い >>386 >>403
じゃあ、赤塚はF先生をなんて呼んでたのかな?
赤塚の場合、基本「石森」「安孫子」と呼び捨てだが、
インタビューや動画を見る限りこの人の口から、
F先生の名前を呼んでいる場面は、俺の知る限り無い。 >>421
Aはドラえもん描いたこと一度もないって やなせたかしは手塚治虫を「手塚」て呼び捨てしてたな。手塚先生が呼び捨てされてるの聴けるレアなケース >>424
大山のぶ代が敬称に拘ったアニメからの逆輸入で2人の関係性は関係無い 久しぶりに黒ベエを読んだ
軍隊みたいな会社で新入社員をシゴく話が面白かった
仮面太郎もあったから後で読もう >>440
手塚は幼少期にのらくろを模写してたというからかなり影響は受けてると思う
漫画の基礎という点では田河水泡 >>358
その他の漫画家全員、手塚(60)・石ノ森(60)・藤子F(63)の享年を超えているね >>420
魔太郎ってもっと頭身高めじゃなかったけ?これは小学4年生掲載版? >>436
たまにいつもと違う絵がなかったか?
題名は忘れたけど
友達がのび太の家に来る話で
「すね夫さんの家がいいわよ」
みたいなことをママが言ってる回とか
”スネ夫”じゃなくて”すね夫”と
いつもと違ういい方なこともあって覚えてる >>437
手塚治虫は後輩にいつも嫉妬してたとかいろいろ言われるが
公衆の場では誰も呼び捨てにしなかった
単にやなせたかしの言葉遣いのレベルが低い >>444
サカユメンの後半が分かりやすいけど絵柄違うのはアシスタントのことが多い ハットリくんが麻雀したりゴルフの達人になったりと
普通に子ども漫画とか関係なかったような 肝付兼太との藤子不二雄先生
A
ケムマキ(ハットリくん)
ドラキュラ(怪物くん)
支配人(プロゴルファー猿)
ゴジラ(オバケのQ太郎)
ハカセ(オバケのQ太郎)
パパ(ウルトラB)
鳥野博士(ビリ犬)
トンベェ(パラソルへんべえ)
F
ドラえもん(スネオ)
パーヤン(パーマン)
オナベ(21エモン)
?(ウメ星殿下)
初代カバ夫(パーマン)
黒べえ(ジャングル黒べえ)
いっぽんぎ幹之助(ポコニャン)
セトフル(TPボン) ブラック商会変奇郎って今凄く高いんだな
むかし持ってたのにな >>448
左下にある犬
タカモリが走る
好きだったな >>449
有名なところだと方倉陽二、田中道明、しのだひでお、えびはら武司あたりか
昔読んだドラQパーマンは当時は別に気にしなかったけど、今見るとタッチが全然違うな 怪物くんとハットリくんは当時ドラえもんに負けないポテンシャルあったと思うけどなあ
連載終わらせずにアニメもずっと続けてドラえもんみたいに映画もやれてたら同じくらい人気獲得してたんじゃないかね
怪物くんはキャラが立っててとくに好きだったわ そういうのを描いているのが苦痛で仕方なかったんだろ
A本人としては大人向けのブラックなものの方が描いてて楽しかったらしいし >>457
獅志丸さえいなければ覇権とれたのにな
ちくわ好きな犬設定が邪魔すぎて集中できないのがハットリくんの悪いところ 鉄アレイと間違えるってどういうことだよ・・・(´・ω・) ママだっこパパだっこママだっこどっち
パパだっこママだっこパパだっこマンマ
やっぱしママに決めだっこ
フェミ「シュババババ!!」 >>467
もう、政策は藤子不二雄の名を借りた別物だからね。 >>465
黒ベエの超能力を使う「黒いタマゴ」がコロコロコミックに載ってて
それがモレの軽いトラウマになってるわ (´・ω・`) 今思うと絵がちっともうまくないんだよなあ
漫画屋だから画力が無くても良かった時代の人間 A先生の絵柄を改良して、F先生とは違う魅力を引き出してみたい >>146
当時は売れてたとおもうよ
昭和三十年代 >>359
あだち充がその年で昔からの漫画を描けているのは驚きだな >>146
暗闇五段は面白かったよ。
何故かKindleに上巻だけ公開されてるけど >>146
少年サンデー創刊号
手塚治虫・寺田ヒロオ・益子かつみ・藤子不二雄・横山隆一
ここで選ばれた5名(6名)は小学館的にはエリート扱いでしょ >>417
詳しく。なんか苦言でもあった?
テラさんって少し病んでた? 現役への影響は
豪、横光>>>>>>>手塚だと思う >>482
単に「魔太郎」がテラさんが蛇蝎のごとく嫌いそうな漫画だってだけでしょ
テラさんは漫画界に祟る怨霊レベルで病んでたとは思うが A推し
壮大なスケール感あるまんが道から子供にも受けるプロゴルファー猿
そして魔太郎などのブラックと多種多様の作品群
Fのブラックはストーリーほどの深さを感じさせなくなる画柄で入り込めない
代表作品郡は子供の頃は面白く読めたがせいぜい小学生までの子供向け
私は小学校高学年の頃には既に面白いと思わなくなっていた >>383
東京行く前の就職時代とか初期だろ
2人で狭い部屋で原稿してたのは上京して親戚の家に居候してたときだし
順番めちゃくちゃ
お前まんが道全然覚えてないだろ まんが道 今久しぶりに読みだしてるわ
若き日の すんげー苦労している滋養協が ありありと分かる名作だな
やつぱ好きだなぁ A先生の人間的な心の描写は (´・ω・`) ご冥福 二人で2畳の部屋に住んでたんやろ
異常だよジャップ でも都心には今でも1.5畳のアパートがあるんでしょ
荷物をどうしたか知らんけど(廊下に置いてる?)楽勝でしょ 笑ゥせぇるすまんなんてのが産まれたのもオッサン向けマンガ雑誌ビッグコミックがあったから
小学館はこれがあるから歳くってもやってける
しかし、ビッグコミック創刊時のタイトルなのにたったの連載一年で漫画サンデーに移籍ってなんかあったの? >>490
ビッグコミックで描いた黒いせえるすまんは読切短編のみ >>485
つまり
Aは絵柄のわりに浅く
Fは絵柄に反して深い
というわけだ
ものは言い様 A先生は、本当に最後まで
「藤本君は天才」
て、F先生を立ててたなあ。
意外と出来ないことだぜ 藤子不二雄が2人いるとこいつが死んで知ったわ
なんで同じ名前なんだよwww >>493
詳しそうだから聞くけども
原作最初はドラえもん
「なのら」って語尾に付けてたよね
のぶよ版は最初原作に忠実に、必ず
ドラえもんがしゃべる語尾には、なのら。と
付けていたはずだと記憶してる
いつから言わなくなったのか、なぜ言わなくなったのか
教授ください >>496
他にも合作ペンネームいるでしょ
ゆでたまごとか室山まゆみとか 正直、F先生とA先生は補完関係にあり、
F先生には、空想世界を
A先生には、人間関係を教えてもらった。
例えばプロゴルファー猿には、
何人もの大人が出てくる
ミスターX、キングシーザー、氷川教授、紅蜂、日影、ジェロニモ、スナイパージョー、トマホーク、おっちゃん、甚五斎、剣崎、大神。当時の子どもたちは、猿を通して、大人の関係を理解した。 藤子不二雄Aの代表作はやはり「魔太郎がくる!」だよな。
この作品の何が凄いって、
特にアニメ化映像化された訳でもないのに
(というか原作の忠実な映像化は映倫的に不可能)、
俺ら世代みんな知ってるんだよな。
純粋にこの作品の放つ情念だけで子供心を鷲掴みにしてる。 コンビ解消を誤解してるの多いけど、
「もしも、権利関係で後々遺族が揉めたらいやだよね」
てだけだから。
今もって揉めそうな気配は微塵もないし、良好な関係だ。 コンビ解消後の2人の対談とか皆無だし
まんが道の続編にも才野はほとんど出てこないから
良好とは思えなかったな まんが道読んでも才野って無自覚にイヤミなやつだし、みんな嫌ってたろ >>122
連載を一旦終了した学年もあるから、編集部はドラえもんの人気が分かってなかった 怪物くん
10代で事故で死んだ、いとこが
op歌ってたわ
人の命って分からないね 怪物くんの顔が変わる能力にドキドキした。映画にもなったよね。 ドラえもんとかで、うれているのに難癖付けられるのが評論書気取りは沸くもんだなw コンセプトが全く異なるヒット作を多々生み出してるんだから、A先生も間違いなく天才だわな ちなみにF先生のトレードマークのベレー帽はA先生があげたやつ >>383
馬鹿が何か間違った事語ってやがるw
だいたいなんで漫画家になる前の事書いてるの? 変奇郎は
第1話で相手が約束を守った場合は
こちらも約束を守るというのを
示していたのが良かった キテレツもエスパーマミも24エモンもF先生なんだな
F先生が俺の嗜好の原点だったのわかるわ
なんか怖いw >>520
24エモンあったら逆に観たい。アニメは好きだったなぁ。藤子漫画にありがちな主人公がダメダメじゃないところが新鮮だったし、スピード感があるアニメだったね。 >>497
これは知らなかった
https://i0.wp.com/doramatome.net/wp-content/uploads/2019/03/doraemon-nanora.jpg
日テレでアニメ化の際にテコ入れで語尾になのらを付けるようになったけど全く浸透しなかったみたい
テレ朝版の初期でも語尾になのらを付けていたんだそう >>524
あるサイトより抜粋
これらは単行本ではすべて修正されている。また、アニメ版にも見られたが、版権の都合で公開できない映像も多く、現在確認できるのは、小学館学年誌と、映画『ドラえもん のび太の恐竜』のみとなっている。 >>478
背景のジョーズがツボるw
Aはそのまま新聞社勤めてても、そこそこの才覚あらわしてたんじゃないかなあ。漫画家という形じゃないかも知れないが。 ドラえもんも人気出るまでは迷走の時代があったみたいだね。
日テレ版にはガチャ子というレギュラーキャラのなりそこないがいたが、驚くほど知名度が低い。 >>9
結局ミスターXの正体明かされずか。
仕事中ふと「ミスターXってお父さんなんじゃね?」って何十年ぶりに昔の事を思い出してぐぐってみるも結局謎のままだったわ。 仲が悪くて解散って言ってる人もいるけど、悪かったら解散後の事務所を隣のビルにしたりはしないと思う。 >>533
「仲が悪くて解散」って言ってるのは
:思い付きで妄想言ってる馬鹿。
:デタラメ言って煽ってる馬鹿。
:「他人と違う事言ってる俺様カッケィィィ」という馬鹿。
いずれか。 >>432
たぶん正しい。
日テレ版ドラえもんでFが色々自信をなくして
テレ朝版ではドラえもんだけじゃなく、A作品も一緒にアニメ企画化してほしいことをFが条件に出した。(それが怪物くんの2作目)
結果としてテレ朝版はFのブレイクの決定打になった。
ドラえもん 日テレ版 で調べれば、この辺は色々話が出てきて面白いよ。 軍司 「部下のあつかい方」
最初の一日は、なるべく部下に、やさしく接する!
「自分の部下」は、「自分の赤ちゃん」だと思ってかわいがる」
「会社のルール」・「やってはいけないこと」・「仕事の仕方」を教える!
なるべく、「100円ショップで売ってあるメモ帳」に記録させる!
最初のうちは、「愛情をもって親切に教える」!!
ただし、「会社の金を盗んだり」、「セクハラ事件をおこした場合」は
会社を辞めてもらう!!
「「ルール違反」をした時はきびしく罰する」!!
「愛情をもって接し、ルール違反をしたら、きびしく罰する」!!
こうすると・・・「恐れながら愛される上司」になる!
「ルール違反してもあまく対応」していると
「部下は言うことをきかないワガママになり、命令にしたがわなくなる!!
「最初にやさしく!愛情をもって!ルール違反したら罰する」!!
これが「兵法書の教え」です!!
軍司 兵法の教え まんが道また読みたくなった
ネットで無料読みできるとこ探すか >>535
真面目に論議しようとすると2人の心情だけじゃなく、
藤本の癌による入院・休業、それに伴うプロダクションの変化、
安孫子の姉の権力、藤本親族の収入折半への反発、アシの異動、
などいろいろ語ることが増える >>539
姉がかわいそう
不確かな情報は控えた方がいい >>540
松野喜多枝で検索すればいくらでも出てくるがな
藤子スタジオの社長は安孫子の姉だったんだから 姉に関する確かな情報
・トキワ荘に住み込み2人の飯の世話、ときにはアシスタント
・スタジオゼロ時代は藤子不二雄のマネージャー
・藤子スタジオ創設後は社長(AF分裂後も当然社長)
これほど大きな存在であった人のことがAの口から一切語られないのはどういうことなのか? 497だけども。
レスアンカ付けると書き込めなくなるのでこのままで
↓では若干わかりずらいが。
初期のドラえもんは『なのら』が口癖だった。
のぶ代初期アニメ版は、確実に『なのら』と
語尾に付けて喋っていた
【1979〜1981頃】ドラえもん 初期CM集
https://www.youtube.com/watch?v=0Rohc_wMwT8
50秒あたり
ドラえもん「きみのは古いのら」
1分55秒あたり
ドラえもん「ドラえもんの缶に入った三ツ矢サイダーが出たのら」 >>541
どんだけ悪かったか知らないけど、
僕たちは当事者じゃないしさ、
トキワ荘では、食事やベタ塗りの手伝いしてたんでしょ。人間誰でも多少の欲を貼ってしまうことあるし、その過程で喧嘩したことを後悔してるかもしれない。
漫画道から姉の描写が外れたのは身内だから遠慮したなかな >>543
こんだけセリフあって2回しか言ってないけど… >>544
初期から2人と一緒に苦労してきた安孫子姉にとって藤本嫁は後から来た部外者なわけで
部外者の要望にハイハイと従うわけにはいかないという気持ちになるのは普通だと思う レベルの低い昔だから通用したようなもんだからな
今だとpixivの素人のほうがうまいよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています