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胸中の人 石原慎太郎氏を悼む…西村賢太

石原慎太郎氏の 訃報ふほう に接し、虚脱の状態に陥っている。
私ごとき五流の私小説書きが、かような状況下にあることを語るなど痴愚の沙汰だ。実におこがましい限りの話でもある。しかし十代の頃から愛読していた小説家の逝去は、やはり衝撃の度合が違う。これでもう、私が好んだ存命作家は 唯ただ の一人もいなくなってしまった。
十六、七歳の頃の、日雇い労働後の娯楽はもっぱら読書であった。古本屋の均一台でカバーの取れた文庫本を四冊百円で購入し読み 耽ふけ るのが、最も金のかからぬ消閑法だった。
当時、各社文庫には石原氏の作が数多く入っていた。背表紙にその名があれば、積極的につまんでいた。
『太陽の季節』や『完全な遊戯』、『亀裂』、『行為と死』 或ある いは『化石の森』等の代表的作品は 云い うに及ばず、氏はミステリ系統にも出色の傑作が多かった。
殊に『汚れた夜』は氏が二十八歳のときに発表した長 篇へん だが、麻薬に政治の腐敗を絡めたストーリーの展開はやや通俗的ながらも、乾いたスピーディーな文体によって他に類のない上質なハードボイルド作に仕上がっている。この時代――一九六〇年代にはいかにも頭と小手先で書いただけの“ 物真似ものまね ハードボイルド小説”が横行したが、氏のそれは大藪春彦同様に決してその種のまがい物ではない、いわゆる“身体性”を伴った 真物ほんもの だとの印象があった。 即すなわ ち、自分にとっての信用できる作家であったわけである。戯曲『狼生きろ豚は死ね』でもその観を強くした。
そして初期の随筆『価値 紊乱びんらん 者の光栄』を読むに至って、愛読の中に敬意の念が色濃くなっていった。