美人はダメでイケメンはスルー……軽視されがち?男性容姿への言及の違和感を考える

他人の容姿について不用意に言及すれば、SNSで炎上し「ルッキズム」と批判される。かつては褒め言葉として当たり前のように使われていた「美人ですね」は、もはや使えなくなってきた。

(中略)

見た目至上主義の何がいけないか

 (中略)「ルッキズム」とは「見た目至上主義」を意味する。外見だけで人を判断すること、またそれに基づく偏見、差別のことである。

 特にメディアでよく見かけるのは、専門職女性について、本業の能力・成果と無関係な容姿のみに注目する報道だ。「美人すぎる政治家」「美人アスリート」といった表現をよく見る。

能力評価を軽んじることにつながる

 政治家であれば人々をまとめるリーダーシップ、異なる考えの人とも合意形成をする調整能力、約束した政策を実行に移す力などを評価すべきだ。アスリートの場合は大会記録などの成果、練習の工夫や計画などが本業と関連する情報だろう。ここで「美人」であるか否かは、政治家やアスリートとしての評価には無関係だ。

 政治家やアスリートを紹介する際、枕詞に「美人」とつける問題は、仕事と無関係な要素を持ち出すところにある。結果として、それは、仕事上の成果を矮小化することにつながるのだ。

(中略)

 「可愛いね」「綺麗だね」「ハンサムだね」というそれ単体で見れば容姿を褒める言葉は、言われる相手の職業規範や取り巻く環境によっては「あなたの容姿を評価します。でも仕事については見ていません」という非常に失礼なメッセージになりうる。100%褒め言葉のつもりでも、相手を困惑させる可能性があることを知ってほしい。

(中略)

“美人はダメなのにイケメンはスルー”の違和感

 そして最後に考えたいのが、ルッキズム批判と男女の非対称性という問題だ。「美人と言うと批判されるが、イケメンは平気で使っているのではないか」。このような指摘を受けることがある。

 実際ルッキズムの視点で批判の俎上に載せられるのは女性に対する言及が多い。

(中略)

仕事の場で女性の能力が軽視されてきた

(中略)

 こうした差別は「見た目が女性である」ことに起因している。
 女性には事業を遂行する能力がない、女性の社会的地位は自身の能力や努力に由来するものではなく性的関係を持つ男性から与えられるものである、という偏見は確かに存在する。

(中略)

男性も違和感を覚えている

 では、男性の容姿を「イケメン」などと評価することはスルーしてよいのだろうか。(中略)

 例えば元プロ野球選手の斎藤佑樹さんは、高校時代「ハンカチ王子」と呼ばれた。甲子園で所属校が優勝した際の活躍が注目され、学校の近くまでメディアのカメラが集まったという。当時、この状況を「ものすごくイヤ」だったと文藝春秋などのインタビューで振り返っている。

(中略)

 このように男性からも容姿や若さに注目されることに違和感を覚えるという話を聞く。ルッキズム批判をするなら、男性の見た目をいじるのもやめるべきだと私は思う。

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https://news.yahoo.co.jp/byline/jiburenge/20220121-00277299