年末年始の雑誌がこぞって“愛子天皇”待望キャンペーンを張っている。困った。このコラムは始まって以来
何度も女性・女系天皇を認めるべきだと書いてきたが、今の“愛子天皇”待望論には同調できない。
小室眞子さんの結婚を巡る秋篠宮家批判のはけ口に持ち出されているのが明らかだからだ。
この人は嫌だからあの人がいい、ではタレントの人気投票と変わらない。天皇は“なる”ものである。
眞子さんの“皇室脱出”は、皇室の消滅が時間の問題かもしれないと容易に推測させる。愛子さまも
佳子さまも遠からず皇室を離れるであろう。皇室に入った女性の辛苦は、一時声を失った上皇后美智子さま、
心身不調が続く皇后雅子さまを見れば分かる。悠仁さまが健やかに成長しても、祝福される結婚相手と
出会うのは至難だ。“妃になりたい”女性が現れたら、要らぬ勘繰りの餌食になるのは避けられまい。
しかも男子出産が絶対の使命とは。

天皇のいない日本を想像してみよう。対外的に国を代表するのは首相でよいか。歴代の顔ぶれを
思い浮かべたら、反対論が多いに違いない。とすれば、議院内閣制と元首大統領が併存する
半大統領制か。国民直接選挙なら、選ばれるのは例えば石原慎太郎氏、橋下徹氏(旧おおさか維新の会は
首相公選制を唱えた)、安倍氏…。自分たちの投票にこれほど自信が持てないとは情けない。
それは世界的流行でもある。民主主義が縮小し、権威主義化する国は年々増えている。
上からの強制ではない。民主主義に疲れた民衆は政治の権威にすがる。民主主義は自由と人権だけで
行えるものか。民主政治の権威は憲法と主権委譲と権力分立だけで達成できるのか。

近代天皇制の原罪たる戦争責任に皇室がなお意識的であるなら、象徴天皇制の無二な権威を
みすみす失うのは愚かしい。政治には手も足も出ない中国、韓国との安全保障さえ、敵基地攻撃や
経済制裁より皇室外交の方が有効かもしれない。男系男子論は“ほとんどずっとそうだった”以外に
根拠がない。一夫多妻と不可分なのに、そこは口をつぐむ。もはや天皇は男か女かの問題ではない。
象徴天皇制をやめるか続けるか、国のかたちを変えるのか。そこを問われている。

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https://mainichi.jp/articles/20220108/ddm/005/070/008000c