2013年から沖縄平和運動センター議長として反戦平和運動をけん引してきた山城博治氏(68)が退任した。これまでの取り組みや、沖縄を取り巻く環境の変化などを聞いた。(聞き手=政経部・松田駿太)

―活動で得た成果は。

 「辺野古ゲート前の活動で大衆運動の波をつくれた。抗議を始めた14年はマイクは1本、10人程度で基地建設反対を訴えていた。その後、民意のうねりもあり連日100人以上が足を運ぶ大衆運動をつくれた。事務局長だった04年の第1次辺野古闘争で、当事の小泉政権に辺野古の海上案を断念させたことも成果だ」

 ―悔いもあるか。

 「高江のヘリパッド建設や辺野古の工事着手を止められなかった。現場で抗議の声を上げ続けたが、政府の計画が進んでいることに、忸怩(じくじ)たる思いだ」

 ―現場で感じる変化は。

 「新基地建設の強行に加え、チョウ類研究家の宮城秋乃さんの家宅捜索など権力による弾圧がむきだしになっている。またドローンの飛行制限や土地規制法案による監視など基地を市民から遠ざけ隠す動きがある」

 ―今後も運動は続けるか。

 「一生現役。いつでも大衆運動の中にいる。元気な間は現場を走るつもりだ。私が運動に関わり続ける原点は、同じ志を持った仲間たちと命をかけて抗議しながら、歌い、語り、踊りあう、そこに感じる喜びである。議長を退任して運動への関わり方は変わって来るが、これからは本当の一市民、一大衆として参加していく」

 ―具体的にどう運動に関わっていくか。

 「一つは辺野古新基地建設と沖縄県内の米軍基地問題への抗議。それから宮古・八重山、与那国を中心に南西諸島の軍事化が進んでいる。私の自宅近くのうるま市勝連にも、自衛隊の地対艦ミサイル部隊が配備される。日米両政府により県内全域で対中のミサイル配備が進み、島が再び戦場になる懸念がある。県民誰もが無関係ではない今、かつての本土復帰運動のように、県民が自発的に参加するような大衆運動を構築していきたい」

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/829426
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