■【日本が朝鮮地方に教えた野球】

戦前の甲子園には「朝鮮」「台湾」「満洲」の代表も出場していた

朝鮮(釜山商業)と満洲は1921年の甲子園第7回大会で“デビュー”している。
それから戦争により大会が中止されるまでの18大会、1940年の第26回大会まで3“地方”から代表が送られ続けている。このときの予選参加校数は617だった。

(参考)
甲子園に朝鮮代表として初参加した釜山商業
http://busan.chu.jp/korea/old/fukei/naka/kfk/jissen.html