特攻隊は実は人道的だと言っていいよ
まず特攻が非人道的と言うなら、通常の空襲がより人道的でないとならないが、米機動部隊の対空投射能力は42年に比べて44年後半には物理的、技術的観点から110倍の効率に増しており、これは例えば120機で空襲してもまず6割が直掩機に落とされ、残機の33%が対空砲火で落とされ、最終機32機の15%が命中弾(5発)を出せるに過ぎないということだ
88機の犠牲で、たった5発だ
こんな濃密な対空砲火と電探による早期警戒からの的確な迎撃機によって通常戦法は完全に封じられた
敷島隊の関大尉は特攻に際して「日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。僕なら体当たりせずとも、敵空母の飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある。」と凄んだものも、無慈悲に、機械的に砲弾を誘導する防空システムと高性能な迎撃機の前では、すでに個人の武勇や能力で何かが変わる局面は残ってないのが実情だ
台南空やマリアナの結果を見ればそれは一目瞭然なのだ

もし通常戦法を続けた場合、特攻とは比較にならない若いパイロットの人命が、湯水のように溶かされていたことは容易に予測できる
それも無戦果で
少数で最小の犠牲によって最大の戦果を出し得た特攻は犠牲者比率1対20の様な太平洋戦争全体の中にあって、逆に2対1叩き抱きた事実は揺るぎないものだ
それを闇雲に「無意味な犠牲」「なんの価値もなかった作戦」と糾弾するのは、特攻した若者や彼らのおかげで本当に無駄死にしなくて済んだ多くの若者を救った彼らに対して、あまりに無配慮で礼を失していると言わざるを得ない
罪があるとしたら、それは敗戦必至の状況下で、戦いを止めなかった国の指導部の行いにこそある