茶道裏千家前家元の千玄室さん(98)=京都市上京区=は、太平洋戦争中に学徒出陣で海軍に入り、特攻隊員に選抜されたことで知られる。
76回目の終戦記念日を前に京都新聞社の取材に応じ、死と向き合った日々をあらためて証言した。
敵艦に体当たりしに行った仲間に思いをはせ、「日本はなんであんな無駄な戦争をしたのか。今でも悔しい」と涙ながらに語った。

■「拒否できない」終戦の年、特攻隊員に

 千さんは同志社大2年だった1943年、20歳になったため上京区役所で徴兵検査を受け、海軍に入った。飛行予備学生に合格して土浦航空隊(茨城県)で士官になるための教育を受けた後、
徳島航空隊(徳島県)に配属。戦況の悪化で通常は1年半要する訓練は10カ月に短縮された。

 45年3月、基地の搭乗員全員が整列する中、上官は「残念だが特別攻撃隊の編成が命じられた。今から1枚の紙を渡す。名前を書いて提出せよ」と告げた。
紙には熱望・希望・否の選択肢が記されていた。提出期限はその日の夕方。「死ぬの嫌やな」と言う仲間もいたが、千さんは「名前を書く以上、拒否できない」と熱望に二重丸を付けた。
否を選んだ搭乗員もいたかもしれないが、結果的に全員が特攻隊に編成された。

 両翼に重さ250キログラムの模擬爆弾二つをつるし、高度1500メートルから敵艦を目掛けて突っ込む特別訓練が始まった。
特攻機「白菊」は練習機を改造したもので2人乗り。戦闘機と比べて速度が遅く、敵に発見されると撃墜されることから、出撃は深夜と決まっている。
訓練では機体の内側を黒い布で覆って真っ暗にし、計測器を頼りに離陸や旋回を繰り返した。

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https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/614946