「〜の乱」「〜の変」「〜の役」「〜の戦い」の違いってなに? [902666507]
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「◯◯の乱」「◯◯の変」にルールあり? 日本史上の戦いはどう呼ぶか
https://bushoojapan.com/jphistory/kodai/2021/07/26/6796
戦争や戦闘があったことを示す歴史用語は
「〜の戦い」
「〜の変」
「〜の役」
「〜の乱」
などと分けられています。
では、この表記に厳密な「ルール」があるのかどうか?
そんな話が以前、ネット上で話題になっていて、元ネタとなったサイト では、ざっと以下のようにカテゴライズされていました。
「戦・戦い・合戦」 … 戦争を表す時に一般的に用いられるものです。
「乱」 …… 戦の中でも特に朝廷や幕府に対しての反乱に用います。
「変」 …… 戦の中でも政治的な変革を起こした・企てた時に用いられます。
「役」 …… 戦争のこと。一部、「外国・辺境地での戦争」と限定された説明がなされる事もあります。しかし、国内・畿内での戦でも用いられるので、そういった限定な意味合いは無いでしょう。
「陣」 …… 陣を張るという事から転じたものか? 局地的な戦闘、城攻め等に用いられる様です。
これにツイートやらバイラルメディアなども絡んで一騒動に発展。
「結局、どうなっているんだってば!」
ということで、古代の日本書紀から江戸時代まで、こうした戦いがなんと呼ばれていたのかを調べてみました。
結論からすると『たいしたルールはないよね……』ということ。有名な戦いになればなるほど「〜の戦い」という言葉すら付かないこともうかがえました。
では、具体的に見て参りましょう
天皇が勝者なのに壬申の「乱」の理由は
飛鳥時代672年【壬申の乱】は、天武天皇(当時は大海人皇子)が現政権に反乱し、勝利する内戦です。
日本書紀の原文では「壬申年之役」として「役」を使用(複数箇所)しておりました。あれれ?
天武天皇が勝利しているのになぜ「乱」なのか?不思議ですよね。
明治3年に、敗者の大友皇子が「弘文天皇」として「天皇」に認められたので、「天皇に対する皇子の反乱」ということにせざるをえなくなり、「壬申の役」が「壬申の乱」に変わったのではないでしょうか。
以下略 戦いの結果、明らかに歴史が変わった→変
戦ったけどなにも変わらんかった→乱
高校の時にこう習ったわ。例外もあるって。
本当はちゃんとした分類があるんだろうけど自分らの偏差値にあわせて噛み砕いてくれたんだと思う 変はクーデターの成功で乱が失敗やわ、本能寺の変とか、藤原純友の乱とか
後は知らんが役なんて元寇しかないやろ 反乱おこしたけど鎮圧されて何も変わらなければ、乱
なにかを変えたら、変
ななんじゃないの? 変はクーデターの成功で乱が失敗やわ、本能寺の変とか、藤原純友の乱とか
後は知らんが役なんて元寇しかないやろ 変はクーデターの成功で乱が失敗やわ、本能寺の変とか、藤原純友の乱とか
後は知らんが役なんて元寇しかないやろ >>6
俺が!俺が!が多いんだろ
征夷大将軍に任命されたのは1192だけど、それ以前に原型があったから鎌倉幕府は
1185とか言い出してんだろ
俺が作った(変えた)!ドヤァ😤ってやりたいやつが多いんだろ 役はなんというか一般人が徴兵されるイメージ。あるいは仕事 >>27
文禄慶長あるだろ朝鮮出兵
基本外国相手
前九年とか後三年は蝦夷=外国相手ってことなんだろな
露骨な差別意識だから、そのうち呼称がかわるかもな ラサ反乱
チベット人の中国への抵抗は「乱」になるらしい。朝日新聞によると。 霜月騒動とかの未遂でぶっ殺される乱以下の事件は騒動でらええのけ >>15-16
変わった→新政権が歴史を書くから肯定的に「変(変革・革命)」
変わらなかった→政権が歴史を書くから否定的に「乱(争乱・反乱)」
古今東西、常に勝った方が歴史を書く 寧波の乱
細川高国と大内義興が今の浙江省の寧波の街で争い放火し荒らし回り紹興城を落とした事件 >>55
二月騒動では北条時輔はじめ結構死んでたような 一揆も戦闘が有れば一揆でなければ騒動っぽいな
島原の乱も一揆だと思うがこれだけは別格? 承久の乱は、明治時代は「承久の変」って呼び直してたらしい
もともと「承久の乱」って呼ばれてたから、戦後はまた元に戻った 来ちゃ駄目ぇぇ!何にもいないわ何にもいないったら!出て来ちゃ駄目っ!
・・・やはり蟲にとりつかれていたか。 長禄の変
赤松氏の遺臣らが後南朝の行宮を襲い、南朝の皇胤である自天王と忠義王(後南朝の征夷大将軍)の兄弟を討ち神璽を奪い去った事件 桶狭間の戦い<本能寺の変<前九年・後三年の役<応仁の乱
規模かな?と思ってた どうせ誰かが適当に決めたんだから字面で適当に判断すれば良くね???
それに従う義務がどこにある?何処の馬の骨かわからん奴が決めた違いに??? >>6
別に歴史学者が「こういう基準で『乱』と呼びましょう、『変』と呼びましょう」って決めて、そう呼ばれてるんではなくて、
昔から呼ばれてたものに一定の法則性があるってことでしょ。 >>67
本能寺の変をきっかけにして最終的に豊臣秀吉が政権を握ったから「変」でも違和感はないかな
※個人の感想です こういうDQNは止めても無駄なんだよな
俺も遊泳禁止の場所で遊んでるDQNに向かって
危ないぞ、沖に流されたらどうするんだ!って注意したら
DQN「おきに流されるって、後鳥羽上皇かよwww」
DQN女「マジ受けるんだけど、超承久の変〜」
とか言って聞き入れなかったわ
死んで当然だと思った。 変はクーデター
乱は失敗したクーデター
役は紛争
戦いは局地戦
完全にイメージだけどなんというか紛争は2者が全面でなく一部地域で戦闘してて局地戦は全面戦争の一戦い >>71
大河の花の乱でやってた
文正の政変とか
あの大河めちゃくちゃマニアック >>67
歴史学者の判断
変と乱の違いは時代が変わるか変わらないかが重要
織田信長の時代が終わりだからあの事件のことは本能寺の変と呼ぶことにしてる 永享の乱(鎌倉公方の反乱)
享徳の乱(↑の息子の古河公方の反乱)
長享の乱(↑と戦ってた上杉一族の仲違い)
名前が似たり寄ったりな上に
登場人物は関連性があるから
本当に分かりにくい 大阪冬の陣で家康の寿命まで粘ってたら勝てましたか? 壬申の乱と建武の乱は時の天皇が敗北して
皇位を失うという画期的なものだから
壬申革命、建武革命とするべき >>67
結果的に朝廷が得した騒乱を変と言ってるんじゃね
信長が長生きしてたら天皇や公家たち潰されてたかも知れないし むかし「やる気まんまん」でやってたけど
すっかり忘れた 満州事変
ノモンハン事変と張鼓峰事件の違いがわからんぞ 「乱」は「シェイプアップ乱」
「変」は奧浩哉の作品 承久の乱は承久の変だったのに承久の乱になったんだけど
薬子の乱はなんで薬子の変なの?おかしくないか? >>67
明智光秀が歴史を書くヒマはなかっただろうし
信長の家臣で光秀を討ち取った豊臣秀吉が歴史を書くなら「乱」にしたかもしれんが、
おそらくその後の歴史を固めただろう徳川家の立場なら信長の死は全力で肯定するだろ あと足利義教が殺されたのが嘉吉の乱で足利義輝が殺されたのは永禄の変
なんでなの? 朝鮮人が唐入り挑戦征伐を
人身低侑の倭乱っていうのは
日本を属国、支配下としてみてるからでる単語
こっちの挑戦征伐にはクレーム攻撃しまくったくせにすごい差別主義者 昔シャクシャインの乱とかコシャマインの乱とかで覚えた気がするんだが今は“戦い”なんだな >>108
上でも書いたけど乱ってのは家臣や属国の反乱、だから
売国パヨどもがアイヌは日本の下じゃねえええええって騒いで変えさせてる 歴史学者ってよく食ってけるよな
こんなやつらに金払うの馬鹿馬鹿しいだろ 御館の乱て上杉のお家騒動で幕府や朝廷は関係ない気がするが・・・ 「本能寺が変」
そのとき京都・本能寺に宿泊していた信長がそう言った。
見るとなんだか傾いているようないないような。
調査を命じられた明智光秀は、その原因がシロアリ被害によることをつきとめた。
「敵は本能寺のアリ」
光秀はそう言うとさっそく駆除に取りかかった。
当時、シロアリ駆除の薬なんて便利なものはないもんだから、
被害にあった柱を片っ端から松明であぶって
シロアリを追い出すという地道な作業を行った。
ところがそのうち柱に火がついて燃えだしてしまった。
「やべっ、信長様ぁ〜!」
本能寺は信長ごと燃えてしまった。
事情を知らない豊臣秀吉が信長様の仇と明智光秀を討ち、
天下を取るきっかけとなったのは言うまでもない。 >>6
それ含めて歴史だから
例えば煬帝はなんでヨウダイと読むのかなんて誰も説明できない 学者は自分が信じてきた定説を崩されるのが嫌い
歴史なんて学校で教えるほど正確じゃないし >>1
そこまで説明されたら書く事ない
ただ磐井の反乱が何時の間にか磐井の乱になっているので
「反乱」と「乱」の違いが分からなくなった 反乱といえばセポイの反乱だろ
あとポパイはほうれん草でポンセのホーム乱だろ
ポだよポが面白いんだよ
マイケルもポゥだしなw >>100
薬子の変というのは、当時の朝廷としては「事件」としての意味合いで使いたかったからだよ。
平城上皇と嵯峨天皇の間の争いになるからね。
上皇が処罰的な扱いを受けたけれど、できれば仲成と薬子の謀反としておきたかった。
保元の乱や平治の乱は本格的な戦闘に入ったから、上皇・天皇の利害関係があっても「乱」として扱うしかなかった。
>>48
役というのは、長期に渡る戦いや規模が大きな戦いに対して使うことが多い。
例えば、冬の陣・夏の陣を総称して大坂の役と呼ぶことがあるし、西南の役(西南戦争)と呼ぶこともある。
関ケ原の戦いも両軍合わせて15万近い軍勢がぶつかった(でもほぼ一日で決着)ので、関ケ原の役ということも。
でも、あまりメジャーな呼び名ではないかな。
元寇と朝鮮出兵で「役」と呼ぶのは納得。(対外戦争) これは中国の史料に出てくるから別に上の定義から外れていてもいいんじゃないか
玄武門の変は上の定義と合っているな 中国における黄巾の乱と紅巾の乱の紛らわしさは異常
靖康の変と靖難の役も紛らわしい 天理教徒の乱っておっかないよな
おちおちサイカラーメンにも行けんわ 反乱に成功したときは「変」で、反乱に失敗したときが「乱」ではなかったかな。 乱→混乱したバカが起こした戦
変→変態が原因で起こった戦
役→役立たずが原因で起こった戦戦 クーデターにあたるかどうかとか局地的な武力衝突程度のことだったかとかだろ 最上級に危険なのが『擾乱』
観応の擾乱がまさにそれ 戦国時代って室町時代から再文明化された時代だよな
まともに戦争やってウケる
今の世界も非戦闘員バリバリ殺さないでまともに戦争すればいいのに
戦国時代やウェストファリア体制下のヨーロッパの戦争を見習ってね 支那事変は、お互いに正式な宣戦布告をしないまま戦争状態に突入したから
支那戦争ではないと習った気がしたなあ、まあ色々あって今は日中戦争だけど 自分が聞いた話だと、
「〜の戦い」→うぉーって感じの出来事
「〜の乱」→ううむ・・・って感じの出来事
「〜の変」→ちょ、ええっ?って感じの出来事
「〜の役」→いい加減にしろよ・・・って感じの出来事
らしいよ。 >>162
おじいちゃん
それ乙巳の変に変わってる >>158
国際連盟が「戦争による解決」を禁止していたから
日本は「上海事変、ノモンハン事件、日華事変などは戦争ではないのでセーフ」
と卑怯極まりない詭弁と屁理屈で戦争を正当拡大した
この日本の卑怯卑劣な教訓から国際連合では「武力による現状変更」に変わった なんとかの変、なんとかの乱は失敗した革命で規模の差かねぇ
明治維新は日本では珍しく成功した革命
次に革命が起きたら〜の維新になるだろうけど
保守的な民族性からしてあんまり好ましくないよな 世界史の教科書で太字にする語句を決めてるのは誰なのか疑問だった 〜の戦い…戦争
〜の役…大規模戦争
〜の乱…ボス戦
〜の変…戦争と言うよりは事件
しらんけど 左巻き反日学者が、日常的に歴史改変しようとしてるからな
ホントクズの多い業界だよ こういうのは推測でああだこうだするんじゃなくて、その用語が何時頃誰によって使われ始めたかと
その後どういう変遷を経て定着したかを確たる資料によっていちいち調べなきゃいけないから
歴史家に任せるしかなかろ >>172
民主化求めてた勢力が武力行使してないからな 天○がグダグダ続きの秋○○家を夜襲して滅ぼすのが令和の変 >>1
乱:クーデターで体制側が勝利
変:クーデターで反体制側が勝利
役:侵略戦争で防衛側が勝利
もっとも勝利条件が何であるかで両者勝利・両者敗北もあるので厳密な定義は難しい 出兵は?
シベリア出兵は戦争じゃないという名目は分かる
文禄の役をなんで朝鮮出兵って言うのかね >>79
いや、マジで。
俺「ふざけるな!マジで帰って来れなくなるぞ!!」
つったら、
DQN「は?後醍醐さん普通に帰ってるしww」
DQN女「パねえ、パねえ建武の新政マジパねえww」
とか言うから、
勝手にしろ!!って呆れて帰ってきた・・・。 ちんちんの乱
ちんちんが変
ちんちんの役
ちんちんの戦い 応仁は2年で文明に改元されているので
最近は応仁・文明の乱
明応の政変なんてのもある >>27
俺は役なんて西南の役しか思い浮かばんかったがいきなり>>1で田舎扱いされてて憮然としたわ 役は会戦に近い意味合いだと勝手に思ってた
他は局地戦とかのイメージ ルールもなにも、著作権だろ。
その記事を書いた人がそう書いたんならそれが商標。 あとは獄と崩れの違いか
wikiなんぞでは崩れをキリスト教徒摘発に絞ってるがそれ以外の例もある おちんちんあたたかい
おちんちんが変
おちんちんの役
おちんちんの乱 >>6
チバニアンも、「おれを外すのは気に食わん、国際的に訴えて取り消してやる!」のキチガイ私怨だもんな 226や515は乱ですらないのか。暗殺はしたけど武力衝突は無かったからかな。 >>1
> 「乱」 …… 黒澤天皇の中でもリア王を題材にした時代劇映画のタイトルに用います。 変に関してはルールなく、変な事件て事で変じゃないのか?
蛤御門の変なんて全政変成功のルールに当てはまらん。
尊王派が朝廷方向に向かって鉄砲打ってるから変だよね
の変だろ >>193
つまり太平洋戦争はアメリカの策略によって
太平洋事変にさせられた訳だね。 大阪の陣って、どれにも該当しないから?
秀頼が摂政関白だったら乱になったのかねぇ
まぁ、それが怖いから無理矢理難癖付けて滅ぼしたんだろうけどさ >>210
マジレスすると変革とか時代の変わり目とかの「変」
基本的に反乱が成功し、権力側になった時に付ける肯定的な名称 乱→池沼が電車で暴れてそうでこわい
変→ちょっとダサい
戦い、戦争→ふつう
戦役→カッコいい
戦役はカッコいいから、ルウム戦役やバハムート戦役、ジェノバ戦役みたいに創作では戦役が使われがち >>213
桜田門外ノ変だってただの暗殺事件だよね。 >>216
藤原薬子主導ではないとわかってきて、もう薬子の変とは呼ばなくなっている >>223
藤原クスコって名前もやらかした事も淫猥だよね
平安の傾国の美魔女 文系脳だと定義をあやふやに感覚だけで言葉を使うからこうなる >>165
国民党政府も戦争としないことで他国の軍事援助が受けやすくなる
メリットがあった。 イメージで言うと
乱は下僕が主人に謀叛
変は暗殺
戦いと役は国同士の戦いで
役の方が長期戦のイメージ 小室の問題も昔だったらいくさになってたんだろうなあ 赤松満祐による足利義教暗殺が嘉吉の変
幕府軍による赤松満祐討伐が嘉吉の乱 お前らが戦を起こすならなんて呼ばれたい?
俺は北赤羽の変 >>227
前九年や後三年の役って今の感覚だと内戦だけど、当時の朝廷にとっては対外戦争だったのかな
それはそうと、日本が統一されたのっていつなんだろ?候補として上がるのは、その前九年・後三年か奥州藤原氏の滅亡か、秀吉の天下統一か西南戦争の終結のどれかなんだろうけど 元寇のような日本対外国勢力は役で
大坂の役のような反乱というわけでもない軍閥同士の大規模戦争も役 >>226
日華事変の時のは既に国連脱退しているから関係ないw 暗記必須の乱
陳勝・呉広の乱 前209年 黄巾の乱184年安史の乱755年黄巣の乱875年紅巾の乱1351年
ジャックリーの乱1358年 ステンカラージンの乱1670年 セポイの乱 1857年 乱:局地で暴れてる奴がいて鎮圧された
変:謀反した結果成功してしまった
役:統一政権に徴兵されるやつ
戦、合戦:諸勢力同士の戦争
こんな感じだと思う 大塩平八郎の乱って、ただのヤンキーの暴動みたいなもんだろ? ノモンハンは「事件」なのに
どうして満洲は「事変」なの?
あとどうして3割うまいなの アメリカ独立戦争は植民地の乱なのか戦争なのか革命なのか
どれでもあって評価する人の立場で名称は変わる こんな時こそガンダムだよな
連邦軍からみたら乱
ジオン軍からみたら戦争
コロニー落としは事変
とかそんな感じになるのか オウムのテロと極悪殺人暴力団工藤会のテロは同レベル カップ一揆ってあるだろ?
軍隊が蜂起したクーデターや反乱そのものだけど「一揆」
最初に報じた奴が一揆って言ったから一揆って名称になった
だからあんまり真面目に定義作ろうと考えると頭爆発するで 二・二六と五・一五は事件なのか
変や乱にしないように、上からの圧力でもあったのかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています