徳川慶喜はなんで大政奉還したの? [306759112]
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『青天を衝け』、ついに「大政奉還」が取り上げられました。
非常に大きなテーマですが、文字数が許す限り、幕末史上最大の事件のひとつ、大政奉還とはどんなものだったかについて、おさらいしてみましょう。
慶応3年(1867年)10月14日、徳川慶喜は京都・二条城に、在京中の各藩の有力者たちを集めました。集まったのはわずか50人程度です。
ドラマでは「聴衆がやけに少ない」「えらく淡々としているな」と感じた人もいるでしょうが、本当にああいう感じだったようです。
当日の慶喜の発言の要旨は「政治の実権を約260年も握り続けてきた徳川幕府の将軍として、私は、その権力を朝廷にお戻ししようと思う」ということでした。
つまり、職務を失った幕府は解体され、将軍も退位となるわけですが、50人の聴衆たちの中に表立って反論する者は本当に誰もいませんでした。
「上様!」などと泣き出す家臣たちの姿もありませんでした。
あまりに突然で衝撃的な内容だったので、聞き手を思考停止させてしまったこともあるでしょう。
集まったのは各藩の家老職などが中心だったため、「ひとまず国元に帰って、意見を聞いてきます」と言うのがやっとだったそうです。
しかし、そんな大事な判断をわずか50人程度の聴衆を前に表明しなくてはならなかったあたりに、
大政奉還の発表をとにかく急がざるをえない状況に慶喜があったことがうかがえるとも言えます。
ドラマでも描かれていたように、当時、薩摩藩の西郷隆盛がゴリ押しして、今にも武力倒幕計画を開始しようと企てていました。内乱の危機です。
しかし、それも将軍が政権を朝廷に返上してしまえば、わざわざ戦争して倒幕する大義名分は消え去るわけです。
慶喜はこれを実行することで、内乱の勃発を未然に回避できました。
ちなみに慶喜に大政奉還という「戦争回避策」をアドバイスした中心人物は、西郷と同じ薩摩藩の小松帯刀でした。
今年のドラマには惜しくも小松は出てこないようですが、この時期のキーパーソンの一人といえます。
『青天を衝け』で詳しく描かれなかった「大政奉還」 徳川慶喜の誤算と「戦争好き」西郷隆盛の暗躍
https://www.cyzo.com/2021/07/post_286452_entry.html 読者に覚えておいてほしいのは、幕末期の薩摩藩は、藩をあげて倒幕に熱心だったというわけではないという事実ですね。
また、朝廷側もすんなりと慶喜による突然の「政権の返上」を受け入れたわけではありません。
時の朝廷の有力者だった摂政・二条斉敬は、慶喜の大政奉還の真意を測りかねていました。
そこで小松帯刀(や土佐藩の後藤象二郎)が、二条を説得。
二条の後押しで朝廷も政権返上をようやく受け入れるというところまで持っていったのでした。
日本の平和は、西郷という野心的すぎる薩摩藩士の一念によって危うくされましたが、
それを阻んだのも小松という良識派の薩摩藩士だったということです。
西郷と小松の関係は、のちに修復されますが、
「西郷は、何をしでかすかわからない要注意人物」との風評が薩摩藩内にもあったことは注目されるでしょう。
実に複雑なやりとりの末、朝廷は徳川幕府に代わる、天皇を中心とした新しい政治の形を模索するようになります。
しかし、ドラマでも描かれたように、「王政復古」の体制がすぐにスタート!・・・・・・とはなりませんでした。
突然の「大政奉還」という奇策における慶喜の誤算
10月半ばの大政奉還以降も、国政を取り仕切るのは(旧)幕府のままでした。
一方、朝廷側は当初、全国から大名たちを京都に呼び集め、合議によって新政権のあり方を決めるという計画を立てていました。
しかし「11月中には京都に出てくるように」とのお達しがあったのにもかかわらず、多くの大名たちは病気を理由に京都に集まろうとしなかったのです
(ちなみにドラマでは慶喜が空咳をしていましたよね。あの演出も当時、全国的に蔓延していた流行病を匂わせるものだったのかもしれませんが)。
これは、慶喜による大政奉還が根回しゼロで、突然すぎたことが(武力倒幕開始を直前で阻むという理由があったにせよ)悪いほうに影響した結果でした。
「徳川将軍家は朝廷に権力を徐々に返していくべきだ」と昔から論じていた松平春嶽でさえ、慶喜の突然の大政奉還には驚き、呆れてしまっていたくらいです。
ドラマでは慶喜と松平が懇談し、理解しあうシーンが描かれていましたが、あんなに和やかな場面はなかったと想像されます。 ケーキってあれだけ腐ってた幕府の教育受けてたわりに比較的真人間だから 300年以上続いたんだから自民党より優秀だったんだろうな 自分が慶喜になって考えろ。
絶対負けるとわかったから 体制崩壊するより大政奉還の方がいいと思ったから(´・ω・`) 大政奉還は
土佐の後藤象二郎とかの献言だって聞いてたような記憶
薩摩の小松帯刀だったの? 新政府にも入る込むつもりだったけど
薩長に全力阻止された。土佐藩は大政奉還してやったりだな 岩倉とか西郷がしてやられたみたいに青天でやってたやろ
もうあいつ等には強攻策で幕府が武力で荒らしてくるのを焚きつけるしかなかった 内乱を防ぐのと
大政奉還した所で徳川家は
第一勢力として生き残れると思ってたから フランスとイギリス、ついでにプロシアも騙して、当時の最新兵器と軍事・造船技術を格安で大量に導入する為。
その為に、内戦ごっこ遊びで起こしたのが戊辰戦争やろ。 260年幕府絶対殺すマンを育てて軍備揃えてないとか無理ゲー 尊皇攘夷の名目で倒幕の気運を高めて幕府を倒したのに、幕府を倒したあとは攘夷なんてムリムリって明治政府がやったのは
現実的な判断ではあるけど、倒された幕府かりしたら、はぁ?ズルいわって感じだよね そのままだと尊王側に潰されるからだね、結局同じことになった ___ ━┓
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| | 斎藤一(坂本龍馬)と沖田総司(平山五郎)に敗れ説得されたから 臣が考えますところ、外国との交際は日に日に盛んとなり、朝廷に権力を集中しないと国が崩壊しますので、政権を朝廷にお返しし、今後は臣民皆が一致協力して皇国をお守りしていこうと思っております。 幕末の志士や新選組、雄藩の中核家臣の殆どが、明治維新以前の10数年以内に顔見知りだったりする。 新体制下の日本でも自分が政治の中枢にいる自信があったから
&
改革派の勢いを削ぐ目的があったから 状況打開として
・近代兵器を持つ薩摩には抵抗しづらい
・内乱を起こしたら外圧に対抗できない
政治的判断として
・征夷大将軍辞任により国内混乱への責任
・実際問題として徳川将軍家以外に国を運営できないだろうから何らかの形で政治中枢に戻れるという打算 下手すりゃ関ヶ原再びみたいになりかねない所をよく未然に防いだ 明治天皇「いきなり返されても困るわ、未成年だし・・・」 >>41
その原因を作ったのは、江戸中世暗黒化幕府 だからしょうがない
大航海時代な世界の潮流から取り残されなきゃ、そもそも維新政府なんて要らなかったし やっと興味が戦国から幕末に移行できた。明治維新は目まぐるしく立場が変わって面白い もう誰なのかすらもわからないし大政奉還てなに?なんだけど調べるのもめんどくさいわ 血統だけで継いでくボンボンはクズってことよ
皇族も使いもんにならんから早く解体しろ 死ぬのが嫌だったから
そして部下や配下をデコイに三度も逃げた 4境戦争ってのがあってな
長州軍3000名に幕府軍15万人が破れたんだ
慶喜は引き継ぎというかたちで4境戦争で長州を平定しようとしたが結局できなかった
長州1藩すら平定できない征夷大将軍とかそりゃ給料泥棒にも程がある
幕府に政治的にも軍事的にも統治能力がないことは慶喜自身が一番分かっていた
そりゃ朝廷に権力を返すって話になるわ 徳川は大政奉還して攘夷派との戦争をかわしつつ、実権は徳川のままにするつもりだった。孝明天皇もそのつもりだった。
しかしこれを受けた攘夷派は天皇をヒ素で暗殺。まだ幼い明治天皇を立てイギリスから最新の武器を調達。徳川による政治を破壊し、欧米の政治システムをインストールした。 >>1
また哲学ニュースと不思議ネットのまとめ用スレかよ・・・ 罰ゲームで青汁飲むか大政奉還するかって言われて選んだ 実際慶喜としては死ぬのは嫌だっただろうね。なにせ慶喜は12代将軍の頃から次期将軍に選ばれてるのに逃げ回ってた人だし。 もともと将軍になるのも嫌がったくらいだから
めんどくさくなったんだよ まあ、これは誰にでも経験あると思う。
「今日仕事行くのめんどくせえなー」とか
「あの特急列車に乗ってバックれちゃおうかなー」
とかいう気持ち 決して幕府を悪し様に扱き下ろすことなく無血開城の英断とした明治政府は偉いよね
下手したら泥沼の内戦がずっと続いてた 大政奉還した事で世界を相手にひたすら戦争を繰り返す事になる 勢いあり過ぎて、京都陥落したから、江戸まで主力が迫ってきてヤバすぎて
無血開城します許してね〜、欧米の真似事していいから大政奉還します!
って流れ
結果大正時代まで生きた長生きの徳川最後の将軍だったな・・ 大政奉還して帝を中心にした新体制下で良ポジ維持しようとしたら
キチガイ薩摩が戦争仕掛けてきた 慶喜は頭が良いというか良すぎる人なんだろうね ただひとつわからないのが 鳥羽伏見の戦いの後 家臣の誰にも言わず大坂城を退去してしまった事 慶喜の行動でこれだけが謎 水戸の光圀が、日本は将軍の国ではなく
天皇の国だと気付いてしまったから。 朝廷の後ろ楯を失った自称征夷大将軍なんて誰も正当性を認めないだろ 有能な為政者としては当然の判断かと
将軍といえど日ノ本の宰相として欧米諸国の植民地政策と
それに連なる国際情勢を鑑みれば
迫りくる外圧への対処を最優先事項として扱う必要があり
「幕府の存亡」などという些事に囚われる必要性が皆無だった
ただこれだけじゃね? >>78
戦いを幕府側から初めてしまうと朝敵となってしまうから 強い国にしようと早く幕府をぶっ倒したかった
それを察知した慶喜だが西郷はそれも許さんと戦争吹っ掛けた どうも、大清帝国が阿片戦争とかいう言い掛かり戦争でイギリスに敗れて植民地化されたらしい。
→
ロシアも南下してきてるし、イギリスは新生ナポレオン帝国のフランスと揉めてるらしく、
日本を両国で争うらしい。
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ちょっと視察に幕臣の小栗をアメリカに行かせたら、南北戦争になってる(笑)
そのせいで武器が大量に余って、日本を占領する派遣軍より多くの軍備が整うかも。
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薩長と御三家で一芝居打って、日本の間接統治を餌に、東インド会社を窓口に武器を集めよう。
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身分の上下無く、若い活きの良いのを取り立てて各地で下準備させよう。その方が欧米を騙しやすそう。
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保守派の井伊直弼が邪魔だから、水戸さん頼みます。
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各地で若手が調子付いたから、そのまま内戦を出来レースで起こすか
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おいらは、将軍職だとまずいので、幕府辞めるね ← ここまで 中央集権化に必要だったんよ
廃藩置県の流れ見ればわかるわ 大企業の改革と同じ
反対勢力が根回しして阻止するので
改革は突然一気にやらないとうまくいかない 自分の権力を維持するためだろw
常識だ
だから薩長は悔しがった 中途半端に頭が良かったから、決断してしまった。
めっちゃアホ無能とか、もっと頭良かったら
この決定はしないだろう。 今の徳川さんは完全に一般人なの?
地元の名士くらい? >>78
水戸学で育った尊王論の人だから
錦の御旗を前に「朝敵になりとうない!」と思っただけ >>95
憎き薩長の自民党からは死んでもでたくなかったんだろうな テロリストが攻め込む口実を無くすためやね
慶喜が大政奉還すれば攻める口実が無くなるからや
それでも戦争したい討幕派は大坂を荒らし出してこの挑発に乗った大坂の幕府軍と幕府を裏切った津藩 淀藩 彦根藩と幕府側の姫路藩 岸和田藩らが争い出して関西は内戦が始まるんや 幕末の話は面白いんだけど複雑でなあ。有名人もそれぞれレイヤが違うから整合するのが難しい。 >>61
イギリスの子分に成り下がって
しょうもない戦争やりまくって最後は自滅
維新政府は最低の政府だよ 始まりは徳川家康が織田信長から松永久秀の紹介を受けたときに
「こいつ将軍殺しなんだぜ、ヒャヒャヒャ」ってな感じで紹介受けて
久秀が謀反起こしたりしてるのを見て、徳川体制になったときに
朝鮮から朱子学を導入して、下克上を阻止しようとしたことから始まる。
これが100年経過して1700年になると、赤穂浪士事件が起きて、
主君の敵討ちが一般化。
コレは幕政的に不味いとなって法による引き締めが行われて。
例え仇であっても法秩序に沿った序列順序を飛び越すような敵討ちは抑えられる事に
これが更に100年経って1800年代になると、
じゃあ朝廷と徳川は序列どっちが上何だよと言う議論と成り、
徳川は朝廷から日本の国事を任されたとう、大政委任論に移行
自然と大政奉還の準備段階が整ってしまったって訳 普通に内戦回避
戦になれば徳川が滅ぼされる可能性が高い
大政奉還して議会制になっても勢力も影響力も徳川が一番だからそこで立て直せばいいと思った
現実はうまくいかなかったが コメ本位制を続ける限り西側雄藩との格差は開いていく一方だが
幕府として自領土内に商業作物への転換を強く促すこともできないので
時間が経つほど経済的に不利になることは目に見えてたから 今でも日本の中枢は薩長政府によって
東北イジメが横行してるからな >>93
めっちゃ賢いからやったんだよ
もちろん徳川を為政者として継続させるためにな
ついでに王政復古の大号令も空文化した
慶喜は怪物政治家だ 大政奉還しても最大勢力の大名ではあるから、事態をコントロールできると思ったんだろうな
しかし小御所会議の辞官納地決定でパーに >>94
日本郵船副社長
徳川家が所有する国宝を管理する財団の理事長
財団だけでも一生食っていける >>73
それはもうしょうがないんだよ
この頃の日本は生麦事件に薩英戦争、馬関戦争
さらにポサトニック号事件でロシアに一度対馬を完全に奪われただろ
もうこの頃の日本は植民地になりかけてたからな
ここで明治維新してなかったら日露戦争にも日清戦争にも勝てなかったと思うよ 朝廷から徳川は国賊扱いされたから、どうしようもなかった >>106
いつまで被害妄想してんだトウホグ民よ
今は秋田の首相だろ
平等になって良かったな
徳川なら今も独裁だぞ >>106
その元の薩摩も長州も
過疎化してる衰退地域だよな
地元が発展するよ役立つ還元しないんだなと思った >>101
江戸時代に列強に植民地にされるか、1945年に占領されるか。
いずれにせよ占領されてたと思う。
今も東京上空の空域占領されてて自由に使えないし。 勘違いしてる奴が多いが、大政奉還は徳川の権力を次の国体でも維持させるための
慶喜の作戦だからな
他に政権担当できる連中なんていないよと見越してた
大政奉還後、じゃあ政体をどうする?って話になったときに、
「幕府主導」で皆で話合ってねってことになってるんだよ
他に選択肢はないからなw国を仕切るノウハウなんて幕府しか持ってないんだから
結局そうなる。
そこまで慶喜は読んでた。
で、、薩長は仕方なく、江戸の街を破壊して無理矢理軍事クーデター起こしたわけだ。 勝海舟を偉人扱いするのやめろ
勝の功績の大半が山岡鉄舟の功績ってもう確定してるやんけ
山岡が後世に名前を残したくないから勝が功績横取りしただけやん 返して戦を回避したかった
予想を超えて薩長の血の気が多かった >>78
会津の神保修理が仕切って大阪城を撤退した
神保修理はその後、この件を理由にして切腹 >>114
今の日本の政治家より
この頃の志士たちの方がよほど有能だよな
薩英戦争・馬関戦争・ポサトニック号事件を経て
橋下佐内はこう言っていた
「幕府を倒して政府を建て、中央集権にし、各藩に分散された軍事力をひとつにまとめなければ、四方から迫る海外の勢力に打ち勝つ事などできない」
今の日本なんか中国が軍拡してどんどん日本にスパイ行為してんのに
ぼけーーーーっとしてるだろ >>20
最後は新撰組他、食い詰め浪人にとてもじゃないけど使いきれないくらいの額渡してたらしいけどな
まあ倒幕派に奪われるくらいならっていうことらしいけど
最初の頃は給金渋ったくせに責任おっ被せて派手に死んでもらうのが決定してからはまあ羽振りが良かったらしい >>120
長州藩の毛利ちかもとなんて明治のインタビューでいつ自分がクーデター起こした藩士達に殺されるか怖かったって言ってるもんな
相当ヤバかったのは間違いない 要するに内戦回避のための解散総選挙
日本全国で見た支持率は倒幕派より徳川のほうが高かったから、日本の盟主として徳川が再び推戴される可能性は高い
そうなれば世の信を得たと大義名分も立つから、その後の政治がやりやすくなる
まあ、実際にはいきなり錦の御旗掲げてクーデターおっ始めた頭のおかしい連中がいたわけだが 太平洋戦争を引き起こした
軍と政治指導者は東北の賊軍の子孫ばかり
山本五十六 長岡藩
東條秀樹 南部藩
米内光政 南部藩
板垣征四郎 南部藩
石原莞爾 庄内藩
太平洋戦争はイギリスの下僕である維新政府から脱却するための戦いだった 元から将軍のモチベないんだよな、政争は天才的だったから将軍になっちゃうけど
大政奉還も実際は何の問題もなく徳川の天下だった、鳥羽伏見で負けたのが全ての敗因、元からモチベないからその後の去り際は早い >>127
基本的に危機感ないんだよ。
コロナ対策にしたってそう。
自分の死が真横にあることを体感してない世代しかいない。
江戸時代なんて悪い事するとさらし首。
町の入口に見せしめとして置かれてたりして、死がもっと身近にあった。 >>103
王政復古だから、古代の、天皇を頂点にした太政官制の復活だな
もちろんこれは建前ですぐに内閣制へ移行
そうしないと何のための維新だか分からないからな >>127
明治もお雇い外国人にとんでもない額の金渡してたやん 幕末の歴史は、まったくわからない。ペリーから長州薩摩、どういう陰謀が張り巡らされ幕府が倒れたのか。その後日本がどのように蝕まれていったのか、本当の歴史が知りたい。NHKの大河ドラマは、単なる悪魔たちのプロパガンダでしかないから。 一つ間違いなく言えるのは、
「アジア的儒教社会はひとつの例外なく糞!」だということだ
その一点において、江戸幕府には歴史的に大きな罪がある
明治維新は、中世停滞社会からの揺り返しで、維新後も急ぎ過ぎた 日清戦争で帝国陸軍が使用した重砲野砲は、戊辰戦争前後に英仏の軍事支援と米国南北戦争の残存兵器を購入したものが大半。
製鉄所・造船所は幕府が小栗奉行の采配で準備したもので、半島派遣軍を指揮していたのは
薩長の他に幕府側諸藩の元軍奉行や幕臣達だった。 >>43
うちの先祖の藩は、寝返っていたからなあ。それは感じる。 徳ちゃん「やべー、朝敵にされて皆殺しにされちゃう」 >>142
イギリスが薩長に手を貸してビジネスしてた。だから薩長は最新の武器を持てて幕府より圧倒的につよく強く戦えた。
薩長は列強に蹂躙される周辺諸国に危機感持って幕府に不満があった。
それだけ。 自分が慶喜なら確実生存ルートはこれでしょ
内戦で負けて斬首とか嫌じゃん 周囲の期待値が高かっただけで本人は将軍なんてしたくなかったから 超上級五摂家出身の近衛があんなドクズなんだから議論するのも虚しいわ
まあ責任感じて自害しただけマシかもしれんが >>45
近代兵器は、薩摩はどこから貰ったんだっけ?フランス? 未だに100年も前の話を根に持ってる奴はいるからな
どこぞの民族を笑ってられんわ >>138
そりゃーそうでしょ
高杉晋作なんか上海に留学して、外国に侵食された中国を見てこう言ってた
「現地中国の大の大人が、白人たちの5歳程度の子供から「どけ!」と言われて、ぺこぺこ頭を下げて道を譲っていた」
日本は馬関戦争、薩英戦争で全く歯が立たなかったわけでしょ
さらにポサトニック号事件でロシアから対馬を奪われて植民地にされたところをイギリスがなんとか取り返してくれた
日本の近代化は一刻の猶予も無かったんだよ
明治維新終わってから速攻で岩倉使節団を派遣したでしょ
憲法作成もめちゃくちゃ急いで、草案を盗まれながらも取り返して
この頃に日本は学校制度を導入するわけだが
これって近代化するために優秀な人材をどんどん育てようって国策であって、子供のためなんかではないからな、今でもそうだけど 東北の近代化より朝鮮半島の近代化を頑張って東北を未だに蔑ろにする薩長政府を支持する奴の気がしれんな
勉強不足も甚だしい 江戸のままだったら日清日露、第一次、第二次世界大戦なんか関係無かったんだろうなって最近思う フランスは幕府側の軍事顧問団(五稜郭まで付き合う)による近代要塞建築と軍艦造船を支援。 >>161
幕府のままなら有色人種は今も欧米の植民地だろうよ 庶民のおなごに恋したんだろ 身分がどうのとかありそうじゃん 当時の世界情勢を考えたら幕府も薩長も怖かっただろうね。なにせあの清がアヘン漬けにされて負けたって恐怖でしかない。四の五の言ってる状況じゃなかったと思う。 >>162
薩摩御用盗ね
でも相手を挑発して先に手を出させて大義名分取ってから虐める西郷の作戦を自分達がやられてるのは皮肉だよな
薩摩藩も最後は鹿児島は武器を密造してるって言いがかりつけられて西南戦争始まるから 大阪城だかで死ぬまで戦うぞ!って檄を飛ばした翌日女連れて船で逃げ出したってエピソード好き >>158
残念だけど、大和朝廷からみたら東北も朝鮮も同類。古墳の広がり方見るとそうなる。
明治期は東北に投資するより朝鮮に投資したほうが国防上も有効だったんだろ。東北は反乱してこない、おとなしいいいこちゃんしかいないからな。
というか、明治政府に盾突いた人間が東北、函館に逃げたからな。
現在も東京に人材とリソースを送り出すだけの残念な地域だろ。何も変わらん。 産業革命前夜で、ペリーが蒸気機関を持ち込むまで内燃機関は座学でしか知らず、
既に欧米で使用されていた工作機械の影も形も無い日本。
中国清朝の惨状を見た当時の幕府老中達首脳部は、日本の非植民地化の為に、
どうしようと考えたか・・・明治以降の学説では、全くこの部分が無能扱いされて偏向している。
明治維新と明治天皇を神格化する為に仕方ないけどね。 >>78
大阪湾沖合に列強艦隊が待ち構えていて
大阪市街戦ともなれば、介入は必定だったんだよ
実際フランスは介入の好機をうかがい続けてたし
慶喜はワザワザアメリカ艦のアメリカ公使の前に姿現して
江戸退去してる、
やはりフランスだけは大阪湾に残って堺事件で土佐藩兵とイザコザ起こしてるが
コレも土佐藩士の機転で次々切腹してフランス公使に見せつけるという事で
有耶無耶にしてる
取り敢えず列強に介入させないという意識だけはある程度あったが
慶喜はイギリスを平気で介入させる薩摩だけは馬鹿の集まりみたいに言ってた >>127
ただまあ
西欧にしろ日本にしろ
近代化(民族国家樹立、近代的中央集権制)に早期に成功したのは封建制度を経た国、地域なんだよ
清朝にしろオスマン朝にしろ、皇帝専制の中央集権国家はことごとく凋落
理由はよく分からんが結果からすると鎌倉以降の封建社会がプラスになった 基本水戸家は尊王だったからね・・・戊辰戦争でも錦の御旗ってきいただけで大阪城から脱走したくらいの人だから
(まあそれ故に孝明天皇の信任を得て幕末のパワーゲームの政局を積極果敢に乗りこなしてきたわけですし・・。)
朝廷側との兵力比でいってもまだまだ余裕があったわけで(大阪城にはまだ3万もの兵が籠められてましたし) >>174
あんたの所は何か貢献してるの?
総理大臣沢山出してますいたいな笑い話はいらんぞ >>148
清の情報なんかは入ってきていただろうな。しかし、NHKが西郷隆盛持ち上げるということは、もっと日本にとっておぞましいことを薩摩はしているような気がする。島津だぞ? プロカメラマン目指して篠山紀信みたいになりたかったんじゃなかった? >>177
岩手県って時点で書き込んだら駄目じゃんw どことやっても負け戦になるだろ
面倒くさくなったんだよ
それよりひー様ひー様って吉原あたりで遊んでた方が良かったんだよ。 きっと頭良かったというか徹底抗戦した先にあるものが見えてたんだろうなとは思う たしか西周からヨーロッパの選挙システムを聞いて、大名の互選で統治者決めればいいやんという
計画を考えてた いつも出てくるな、この手の話題
NHKもわざわざ撮り直すなよ
過去の映像使いまわせば楽だろうに。 大日本帝国の惣領、宰相家が徳川家でなく薩長に移ったのは、
王政復古を推進した岩倉具視の人間性によるところが大きいでしょ。
個人の利益を国家の利益に優先した、実は時代遅れのお公家さんですから。
大久保さん、西郷さんが自己の資産形成をしなかったのとは対照的にね。
・・・山縣有朋ほか松陰門下生に例外も居るけど。 >>182
ハーバーボッシュ法で空気から無尽蔵に肥料生み出せる様になるまでは
マルサスの人口論で領土の広さ=国民を養えるって考えだったから
列強は手当たり次第植民地を拡大してたわけ
あと半世紀ハーバーボッシュ法が早ければ、満州支配も不要だったろうね >>178
>>しかし、NHKが西郷隆盛持ち上げるということは、もっと日本にとっておぞましいことを薩摩はしているような気がする。
そういう、巨大組織NHKは真実を知ってて、何か意図があるはずだ的な陰謀論は胡散臭くて笑えるからやめてくれw
下記はあなたには関係ないので無視してもらっていいんだけど、
竹中陰謀論も同様。竹中なんて大したことない民間人のオッサンなのに、権力があると思い込んで陰謀論唱えるやついるだろ。竹中の価値をそいつの中で上げすぎてて笑えるんだよ。 薩長イギリスと幕府フランスで代理戦争して殺しあいして欲しかった よく言われるのが
大政奉還しても変わらず徳川家が実権握れると思ってたから 大久保はやり方が強引すぎて敵多すぎじゃん
最後は加賀藩の元藩士に暗殺されて死んでるし
そりゃいきなり102万石の加賀藩からしたらどこぞの田舎侍が国仕切りだして0に戻されたらキレるわ 西郷は酷い奴だな。先君の斉彬がどれだけ慶喜擁立に熱を上げていたのか知っているのに、慶喜の首を取ろうとした。 >>194
フランスよりイギリス取ったほうが
後の歴史が証明しとる 西郷達、九州達のおかげで
今現在の日本で東京以外に病院数が多いところは
なんと九州なんですよ!
明治維新政府が九州出身が多い
九州のために病院を多く配備した
素晴らしい 斉彬の案では薩摩藩 佐賀藩 加賀藩 仙台藩ら有力外様藩を集めてみんなで幕府に大政奉還を迫るって言う和平策だったんだよな
で新政府の代表が福井藩の松平春嶽
何がどうしてあんな事したのかさっぱりわからん 西郷さんの江戸でのお役目は御庭番(スパイ)で、各藩との連絡役だったのは資料の残っている史実。
これが大きいでしょ。そして、実家の隣家が大久保さんの家だったのも。 >>193
地方大名なんて借金だらけ
だから廃藩置県に
反対していない 若く野心家で、慶喜と同じく東照大権現徳川家康の血をひく松平春嶽。
これが大きいよね。 慶喜は大正時代まで長生きて趣味の写真に自転車に余生をエンジョイしたんだよな
大政奉還は賢い選択だったと言える 大奥で幕府の力、つまり財政が悪化したらしい
中国の秦 >>194
フランスがベトナムを植民地化したのが1880年代
大政奉還の十数年後だったけと、もし幕府がフランスに介入させたら
って阮朝はその仮想そのものの姿だった
慶喜は列国公使に万国公法を示して、戊辰の戦いは内戦なので
厳正中立を要求してる、フランスは何度も慶喜に掛け合ったが
介入させなかった どっちかと言うと琉球をトウキビ奴隷にしてた事の方がひどいのでは
沖縄がアイヌみたいに活動始めたら一発でポリコレの餌食になるレベルの案件 帝政ロシアが極東開発に熱心だったら日本や中国の運命もどうなってたか分からんな 西郷さんてなんで維新の志士の中で高く評価されるんだろうな
大久保や小松や慶喜の方が国全体を考えて立派なんだが >>15
完全にコレな。
なら鳥羽伏見の前に
「ここで負けても大阪城、その後は箱根、それでもダメなら江戸で決戦する」
なんて部下達に演説するんじゃねーよ。
あのせいで本気で戦って死んだ奴どんだけいるんだよ?
「日本を内戦状態にしない為の尊い犠牲」
だったってんなら、全部終わった後にもっと報いてやるべきだった。
自分の生涯をかけて供養するべきだった。
それを普通の士族としての平穏な生活。
アレじゃ自分の為だけの保身って言われても文句言えないよ。 日本のすべてを外国勢力に乗っ取られる前に天皇に権力を返したんだろ
幕府が権力握ったまま倒されたらヤバかった >>1
真性包茎より大政奉還の方がいいと思ったから(´・ω・`) キリスト教の侵略の手口
反政府組織に武器を渡す→内戦を起こす→どちらが勝っても国内ボロボロ→本国から軍隊送って侵略完了→植民地
昔からやってる手口で日本では天草や薩長、今も中東でやってる
自国の犠牲者を出さずに相手国を侵略できるから便利なんだよね
慶喜はそれを理解してたから内戦回避した
もしあそこで徹底抗戦してたら今頃日本は植民地だよ 西郷の名台詞とされる我々は政府ではなく(熊本城を築城した)加藤清正公に負けた〜」というのも西郷を持ち上げるためやろな
熊本鎮台の大将は土佐藩出身の谷干城だから明治政府としても土佐藩の影響力わざわざ上げたくないしあんまり持ち上げたくないんやろ 薩長が倒幕の密勅取り付ける
だけど慶喜は大政奉還をしたので倒幕の機会を失った >>163
五稜郭は200年前の大砲の射程距離を前提にした古い設計で、幕末当時ではあの5倍の規模の要塞が必要だった
信州の龍岡城は、蘭学に被れた殿様が耳学問で築いた西洋式城郭のミニチュアに過ぎない >>213
だろ、西郷は人間の器が大きいやら、人望があったと言われているけど…。
おっしゃる通り、大久保の方が上だわ。 内戦して勝ったら貴国の保護領になりますよ〜と口約束だけして、
英仏双方から最新武器をドンドン出させて、
いざ戊辰戦争が終わったら、
「え、そんな約束知りませんけど?何か?」
「あ、戦争します?アームストロング砲も、砲弾製造所も日本にありますけど?」
と英仏に居直ったよね。
今の政治家に、陸奥宗光や伊藤博文を見習ってほしいわ。 >>16
そうなのかな?
だって徳川家は数万人の旗本御家人召し抱える「日本最強の大名」だったはずだぜ? 幕府連合軍が一つの藩にフルボッコされた時点で終わったな >>229
いや
自分が返り咲くためだよ
素人集団の薩長に政治なんてできやしないと >>1
皇室単独では国家運営を行う能力がないと考えていて
大政奉還をしても政治、外交は徳川家が任されると考えていたから 第二次長州征伐、実際は幕府征討軍は本気で戦ってないから。
井伊家とか、途中で帰ってるし。 どうせ野党に政権を渡しても長くは続かないとたかをくくってたら続いたでござる 結果から見ると最高のタイミングだった
というよりそこしかなかった
早くても遅くてもうまくいかない 大政奉還しても実権は握ったままでいられると思っていたからだって本で読んだ。
大久保利通らに負けて水泡に帰したワケだけど。 西郷より木戸の方がヤバいやつだろ
ただの異常者にしか見えないがどの辺が偉人なん
西郷ともめちゃくちゃ仲悪かったみたいだし そもそも御三家や親藩から
あまり支持されていなかった裸の上様状態だからな 幕府軍は火縄銃使ってたw殺傷距離は50メートルいない。長州軍はミニエー銃は270メートル。
しかも長州軍はその最新式の銃を使いこなしてた。
幕府軍20万に対し長州軍3500人。
これで勝ってしまう理由は武器の差 >>114
明治維新じたい列強の意思だろアフリカとか中東の内戦と
やってることは変わらんよそして結果国際社会に巻き込まれて破滅したわけだし 長州征伐は孝明天皇が「断固やれ毛利親子をぶっ○せ」ってやる気満々だっただけで武家方はやる気なかったからな
禁門の変でボコボコにされたからもーいーじゃんみたいな感じで >>244
当時、慶喜以上の人物は居なかった
学問も喧嘩も最強の人物 >>101
明治維新がうまくいったのも江戸時代末期に徳川政権下で生まれ育った人たちだしな
その人たちが鬼籍に入った後はただのネトウヨ国家に成り下がるわけで 長州藩は連装式スナイドル銃で武装した庄内藩 桑名藩やガトリング持ってた長岡藩にボコボコにされてるけどな…
泥沼になる前に西郷が交渉して和解しただけ
だから和睦派の西郷と侵攻派の木戸はめちゃくちゃ仲悪かったらしいよ >>249
それ、俺が指摘したら、新式銃の装備率は幕府のほうが上だった、っていう人いるんだよなあ
結局なにが真実なのやら その立場なら100人中99人がしなかったかもな
「あぁ!?やってやんよ!!俺は天下の徳川だぞ!!!」
と大抵なると思う 慶喜のあだ名知ってるかな。二心(にしん)殿というのだよ。
昨日と今日で言うことが違う。前と違うことをしゃあしゃあと言うのだよ。
で、周りは振り回されることに。
鳥羽伏見の戦いのとき、慶喜は女連れで戦場へ出向いた。
その女は江戸の火消し新門辰五郎の娘だよ。
女連れで戦場へ来たことを知った幕府軍の兵士は、女をたたっ斬ると激昂した。
だよねぇ。自分たちはドンパチやって生きるか死ぬかと言うときに
将軍は女連れでイチャイチャハメハメしてるのだから。
鳥羽伏見の戦いで幕府側の負けると慶喜は京都守護職松平容保ら
主要メンバー数人と船で大坂湾から江戸へ帰った。トンズラこいたのだよ。
こんなヘタレ腑抜けのクズだよ、慶喜は。
あえて慶喜の功績をあげるなら。フランス公使が幕府に兵を貸しますよと
誘ったのを拒否したことかな。
外国の軍隊を引き込んだらあとあと祟ることは
清国とイギリスの関係で知ってたのだろ。 ミニエー銃って、フランスで発明されたフランス製の銃で、最初に手にしたのは幕府側なんだけどな。
第二次長州征伐の時には、新式軍隊がフランス軍隊顧問団の手で練兵されてたよ。
しかし、江戸に留め置かれて、鳥羽伏見にも参戦しなかった。 >>259
たぶん、竹中平蔵みたいな部下が「幕府に勝ち目はない」と説得力あるグラフとか作って説得しちゃったんだろなあ。。 >>260
そのヘタレのせいで大勢の命が救われたな
ヘンな話、その逆がうちのイソジン吉村
どんな不利な戦いでも意地になって俺ら民を虐殺に導く ちなみに、当時の幕府軍の主力小銃は、南北戦争おさがり、
アメリカから転売品のエンフィールド銃5万丁。 >>249
最新式の銃は幕府側の方が多く所持していた
幕府軍の司令官の能力が低いことが敗北の理由
>>252
慶喜は血統に問題がある
吉宗の子孫と慶喜では血が遠すぎる
12代将軍が気の迷いで血統に問題がある慶喜を一橋家に入れて幕政を混乱させた あくまでも幕府は朝廷の兵隊と言う地位だったから最初は藩の乱心としていたが本格的に朝廷本体が藩の行動に乗ってきた時になにもできなくなってしまった つまり、第二次長州征伐に主力新式装備の幕府精鋭軍5万と、
フランスからの鉄鋼艦回天が投入されていたら、
奇兵隊は木っ端みじんだったねよね。 >>266
水戸家から一橋に養子へ
その慶喜を推してたのは薩摩だものね 慶喜の水戸藩は紀州藩尾張藩に比べて明らかに冷遇されてたからそうはならないと思う
尊王攘夷の始まりになったのも水戸藩だし天皇が絶対唯一の統治者で天皇に歯向かう奴はみんな逆賊って言うのが尊王思想の元になった水戸学だから
最初は後醍醐天皇に反逆した足利尊氏を批判した程度の物がどんどん大きくなっていった
だから南朝と南朝に味方した地域(熊本 大阪 三重 群馬 青森などは戦前英雄視されていたんだよ
これらの地域は華族になった殿様も男爵とか公爵とか破格の扱いだからな
逆に北朝についた岐阜の土岐や兵庫の赤松円心なんかは逆賊っていう評価だったらしい 何故、幕府は最新式軍隊を長州に差し向けなかったのか・・・ここに幕末の謎を解く鍵があるんでないかな? まぁつまり慶喜の大政奉還は
後漢末期の董卓的立場から曹操的立場への移行を狙ったということだよな >>271
いや?
幕府は最大の尊皇だもの
逆賊になってしまったら
なんのためにやってるんだって逃げ出しただけだぞ 幕府側の部隊指揮官が有能だったことは、日清戦争と日露戦争が証明しているからね。 >>271
天皇が手縫いで錦の御旗を作っても、時の天皇や朝廷が公認しなければ偽物
誰が製作したかなんて関係ないんだよ >>270
それは5百年前の承久の乱以来、ずっと実質的な力関係は武家のほうが上でやってきたわけでさ それが常識だったわけでしょ
松下村塾かぶれ以外は。 >>280
幕府側というか江戸時代の統治機構を経験した人が鬼籍に入った途端
ただの天皇マンセーネトウヨ国家になるしな
まあ旧制高等を経験された世代がなくなってGHQ立の新制東京大学になると
さらにひどいんだけども >>280
実際四境戦争以降負け続けただろ?
局地戦で勝っても意味がないことを示してる 慶喜出身の水戸徳川家の家風は勤皇
そんな慶喜が錦の御旗に弓を引けるハズがない
あっさり朝廷に大政奉還したのも慶喜だったから >>285
最終的に日本は独立国家としての形態を維持できたから
大勝とは言わんが負けではない やはり、勝海舟と松平春嶽、そして薩長を結ぶ、
坂本龍馬と、東インド会社上海支店子会社、
ジャーディン・マセソン商会の手下、グラバー商会の存在が大きいでしょ。 まあ、ちょっと時代はちがうが、第一次大戦のデータだと、銃による死者は25%くらいで、60%は大砲による死者だったからな
モノをいったのは幕府の新式銃ではなく薩摩のアームストロング砲だった可能性はある。
大阪城の戦いでも、強気だった淀君を一瞬で弱気にさせたのは徳川の大砲だったよね >>113
小泉親子が絶対王政を敷く横須賀も衰退してるよな自民党が
圧倒的に強い神奈川県はあんまり利益優先されないね >>286
つまり、徳川宗家が続いてれば徳川が本気で戦った可能性がある、と? あっさり裏切った尾張藩はともかく紀州藩の殿様だったらガチった可能性あるでしょ
坂本龍馬に騙されてるし
なんでお前の言う事聞かなあかんねんってなるわ 坂本龍馬は現地人の手代、使用人で、実際に絵を描くのに参加し、
亀山社中・海援隊としてアメリカから兵器をツケで輸入したのはグラバーだったことは、
明治維新後の三菱財閥の歴史を見れば明らかだけどね。
でも、洛中をグラバーが歩いてたら、勤王浪士に斬られちゃうからさ。 ジャーディン・マセソン商会とは、世界的ユダヤ資本で、今のUFJ銀行の母体で、
21世紀の今現在も存在して営業してます。 >>291
徳川宗家でも朝廷とは争わなかったと思う
皇女和宮降嫁の公武一体の意味もなくなるし
しかし、大政は簡単には手離さなかったと思う ばーかだからーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww よく、江戸城無血開城が竜馬の手柄だというのは司馬遼太郎の創作、と2ちゃんねるでは言われるが、じゃあ、あの教科書に載ってた、竜馬を上座にして右に西郷、左に勝が座ってる絵はなんなの??司馬遼太郎以降に書かれたの? 江戸時代の日本のプライマリーバランスぶっ壊したのはペリーより先に来たタウンゼントハリス
こいつのせいで大量の金塊が海外流出して黄金の国ジパングは終わった
しかもこのハリスは本国アメリカではフリースクールを始めて教育の重要性を広めた英雄として英雄視されてるのが尚更タチが悪い
恵まれない子供に教育の機会を与えた聖人というが資金源が日本から巻き上げた金なのは書いてない >>127
もう一回、薩摩が維新をやろうかな。
令和維新。 街中で一番よく目にするジャーディン・マセソン商会の事業がスターバックスというのも、
何やら感慨深いものがあるなぁ。 鹿児島に有能そうな政治屋いないよ。。大阪の吉村とかのほうが有能そう 殺されるのが怖かったから
命乞いしか出来ないクズだったから 鹿屋は海上自衛隊だから、戦闘機はいないぞ
対潜哨戒機しかいないだろ(苦笑) >>300
勝の前に交渉したのが山岡鉄舟
西郷に処刑するから慶喜を引き渡せと言われて逆の立場なら島津公を引き渡すのかい?と言って断ったのも山岡
勝は功績が怪しい
三条実美も証言しとる >>284
鹿鳴館って社交界で上流国民の横の繋がり維持するの
辞めたからだよ、戦前は独裁どころか陸軍海軍別々に六権分立してた
横の繋がり無いからね 薩摩藩と組んで、琉球密貿易で利益を出していたのも、東インド会社だよね。
(何と言っても薩摩藩の貿易相手で為替の振り出し元だから。)
しかも、表では上海を押さえたイギリスと、裏ではフランスともつながってたし。
色々、国家を超えて、大資本が暗躍してるよね。 ヘタレだったからテロにビビってそして屈した(´・ω・`) >>21
そのへんいろんな人間が絡んでるもんね
土佐で言うなら山内容堂とかも >>319
明治政府による慶喜の公爵叙爵理由が「大政奉還の功」 西郷って根っから軍人だよね。
言葉選ばすに言うと権力握ったヤクザ者だけど。 西郷隆盛の役割は織田信長と一緒の気がするby大阪人 信長、秀吉は世界を見ていたけど
家康は東北の方を向いてたからな 水戸の人だから
一橋に行かなきゃ多分薩長土肥水位になったんじゃないか? 徳川は250年くらい続いたのかな?
当時は誰一人徳川時代が終わるなんて想像もしていなかっただろうね
現政府も明治から始まって今の令和、そろそろ終わってもいい頃かもな この時の将軍に出来る事は死ぬ事で事態を収める位だろうな
大阪で死んでればそこで戊辰戦争は終わってた 桐生さんに説得された大吾
先日プレイしたわ龍が如く維新 >>329
新しい将軍様は北朝鮮あたりから招くの? 最近幕末に注目が集まるのも、大河だけでなく
明治以来続く、薩長幕府の系譜である
逆賊ネトウヨ自民党が天皇は反日とか言い出したから
明治のテロで徳川から天下を掠め取ったことに疑問が生じているのもあるんだろうな 明治維新は日本皇国の始まりだけど、
実際はろくでもないナシャリズム国家だったよな
皇軍の兵士とかムリゲーな軍隊が支配する世界なんてより、江戸幕府の延長線上の国家の方がマシだった。
300万人殺した昭和天皇なんて最悪だし 水戸家は元々尊王だからな
徳川家が何かあったときは天皇側についてお家を存続させるのが役目本来は将軍になる家ではなかった
そんな所から将軍を選んだのが間違い ンHN 07/24 16:03
プK
ルの
化ス
まク
だラ
? 西郷隆盛が実は小狡いタイプの小人物ってのはマジなの? >>321
本人は奉還ではなく返上と
まあ傍から見りゃ同じことだけどね >>338
犬好きのイメージしかない
友人にあげた(預けた?)犬をやっぱり返して(´;ω;`)って書いた手紙が残っているくらいガチの犬好き なぜ薩摩を攻めるんだい?
諸悪の根源はアベを産んだ長州だよ? >>342
慶喜公がいうには、長州ははじめから逆らう気だったから
そういうヤツだから仕方ない
でも、薩摩の裏切りは許さんとのこと 島津は将軍家と姻戚結んでたからな
全く意味無かったな せっかく大権現が成し遂げだ平和な時代を、織田豊臣時代の内紛状態に戻したくなかったからだろ
しかし、鹿児島県と山口県と高知県はえらく悪者に描かれてるな 邪馬台国→大和国→鎌倉幕府→室町幕府→江戸幕府→明治政府→大日本帝国→GHQ→小日本
繰り返されるクーデターの歴史 徳川のアホが260年も平和ボケしてたせいで内戦してでも倒す必要があった
50年前からコイツらが色々やってれば倒される事もなかったろうよ >ちなみに慶喜に大政奉還という「戦争回避策」をアドバイスした中心人物は、西郷と同じ薩摩藩の小松帯刀でした。
竜馬… >>158
日鮮同祖論と言うトンでも理論が有ったから >>345
目の前朝鮮のレイパーと
琉球国支配の越権行為は、日本人を名乗るべきではないからな
サガフロ2でナ国のヤーデ伯が フィニー王家に干渉するようなもんで反発は必至 >>2
大政奉還の根回しなんぞ無理だろ
幕府の要職は全て職を失うんだぞ
そんなもん匂わせた時点で幕府内で反乱起こすわ
そのあとお飾りの将軍を据えれば良いと考えるヤツは大勢(というかほとんど)いただろ >>345
誰かを悪役にしないと物語にならないからな
だから俺は幕末ドラマ嫌いなんだよ
戦国とか源平合戦ならともかく幕末って言うほど昔じゃないし何より藩の名称がそのまますぎて生々しいわ
アメリカが南北戦争の映画を作らないのと同じで普通近代の内戦なんてネタにしねえよ馬鹿だろ
イタリアがナポリ王国やイギリスがスコットランド独立戦争のドラマやったら国内の分断煽るだけってわかるじゃん
この国ほんとおかしいよ幕末ってネタにしたらだめな時代だろ普通 >>353
それはおかしいぞ。どんな時代でも実際に実務を担当している文官は変わらない
実際、新政府の実務を担ってたのは旧幕臣だし
それを狙って、道州制にして、現状topに
なればいいとしたが
卑怯な薩摩がクーデター起こしたんだろ
幕臣は殆ど逆賊薩摩と徹底抗戦する気だったし 慶喜「パトラッシュ、疲れたろう。僕も疲れたんだ。なんだか、とても眠いんだ。」 大政奉還は慶喜による攻めの一手だったことはあまり知られていない ○もともと水戸斉昭の子で根っからの勤王だったため
朝敵にされる汚名だけは避けたかった
○ドラマでも言っていたがその後の体制は雄藩による御前会議制になると考え
自分はその首座に座れるだろうと思っていた
○急に政権を返されても公家たちは何も出来ないだろう
最終的には徳川に泣きついてくるに違いないという読みがあった >>355
>実際、新政府の実務を担ってたのは旧幕臣だし
何割が旧幕臣なの? 今からでも賛同するのがいれば戻してみればいいんじゃないか「徳川幕府に戻せー」ってな
お前らもクーデターで政権奪ったコソ泥だろと
末裔は民主から出て当選もしなかったみたいだが・・・ 漢字4文字の必殺技が流行ってたんだよ。
「尊皇攘夷!」
「大政奉還!」
「王政復古!」
「無血開城!」 鎖国国家なんか終わって当然
バカが鎖国で文化が育ったとかアホなことほざいて持ち上げとるが言語道断
文化は鎖国なんかせんでも育つのは戦国時代見りゃ明らか
あれは朱子学に毒されて明朝鮮がやってた海禁真似ただけだ
そもそも開祖家康が貿易推進してたのに朱子学思想で捻じ曲げた愚行 押されまくりで自家防衛の為に仕方ないしに。政府ぽいもの作った時に発言確保するつもりでいたんだよな >>355
要職のほとんどが薩長土に取られただろ
実務?何それおいしいの? >>50
現代でもイキりまくって鎖国鎖国言うてる奴いるけどな( ^∀^)ゲラゲラ >>366
旧幕臣のおかげで不平等条約撤廃できたんだが
目先の利益でなく、真の誠を尽くすのが日本人だろ? >>368
アホか
日露戦争で勝った結果に過ぎない
長州すらも討伐出来ない幕府には無理
>>360も答えてよ >>110
ロシアと中国の国内内乱に乗じた火事場泥棒しただけだろ( ^∀^)ゲラゲラ ちゃうよ、新政府ったって幕府の人間の行政能力無しじゃ何も出来ないって解りきってたから
大政奉還したって主導権は握れると慶喜は考えてた
そして実際そうだったわけだ 大河知識で悪いけど、麒麟の戦国時代末期は朝廷はお飾りのおちぶれな感じだったのに
衝くの幕末の朝廷はなんであんな偉いの?
幕府は朝廷の指示なしでは動けない感じだし >>345
豊臣時代に天下統一されてたのを
内紛を起こした張本人カスがクズ家康なんだけどw 錦の御旗で言うと江戸を思想戦抜きして語られることがあるけど南北朝正閏論は外せない
水戸学なんてまさにだもんね
錦の御旗を見て幕府方を腰抜かしたのは江戸のベストセラー太平記でそういうシーンがあったから
太平記はサブカルでも人気あったから少しの教養があれはあれがなにを意味するかがわかった
南北朝、太平記知らないと日本の歴史がわからん
イデオロギーに興味ない代表が日本人だけど唯一庶民まで熱狂したのが
日本史上最大のイデオロギー闘争である南北朝正閏論だからな ハワイ王国は、少しだけ日本と同じ方法で、生き延びたが、結局はアメリカに武力統合されてしまった。
フィリピンはアメリカとスペインの戦争に巻き込まれる体でアメリカ軍と戦争になり、
多数の成年男子を虐殺された上で、太平洋西岸進出の為の保護領にされてしまった。
この19世紀の各事例から、戊辰戦争による国内軍拡が無ければ、アメリカ、
もしくはロシア、フランス、イギリスの3帝国どれかに武力侵略されていた可能性が極めて高い。 ・・・そして、本当にロシア帝国の大艦隊が攻めて来るんだけどな。 朱子学というのは異民族に負けてた南宋で出来た
そこから現実逃避して我が民族が世界一だと思い込む中華思想が朱子学
自国が世界一偉いから対等の貿易を許さない
しかも儒教は農業至上主義で商業を蔑視する
この結果出来たのが海禁で幕府もこれに染まった
家康は鎖国しろなんて一言も言ってないのにな >>166
第二次世界大戦の頃、日本の内地と外地を合わせた人口はアメリカより多かった
それにも関わらず工業力は月とスッポンだった
しょせん植民地なんて人材を育てにくいし、
近代化していくと割に合わなくなる
ましてや資源なんてロクにない日本を植民地にする理由が無いんだよなあ( ^∀^)ゲラゲラ 誰だったか忘れたが、誰かにそそのかされたんだっけ?
大政奉還しても実権は握ったままですよみたいに言われたとか
それで江戸城も明渡しになった段階でこんなはずではなかったみたいに
徳川慶喜は思ったとかって話をどっかで見た >>375
強力な外国という対処の非常に難しい問題が出て
一つ間違えば世間から囂々たる非難を受けかねない状況に…
幕府「困ったな…、あ、そう言えば将軍は朝廷が任命してるんだよね、だから、
朝廷は幕府の上部組織なので、朝廷にお伺いしよう(これで俺たちの責任じゃなくなる)」
こうやって朝廷に下駄を預けて責任逃れをするようになったために
朝廷の存在感が急激に高まった 韓国では日本はたまたま起こった名人維新のおかげで韓国より先に近代化できたと教えているらしい
実際はアメリカから軍艦買ってたり色々やってるが
維新マンセーしてるやつは韓国と同じメンタルと感じる まあ慶喜自体はやる気満々だったけど結果的にはソフトランディングさせたのは結果的に功績では 高々100年少し昔の話なのになーんも分かってないのな >>375
尊皇攘夷論なんかの高まりの中で
お飾りに成り下がってたものが復権してたんじゃね? するしか手はなかったしなあ
ほっといても幕府は滅びる手前だったし
それなら自分から放棄した方が体裁はつくな >>379
ロシアはともかく、イギリスとフランスはどういう風に統治して、
その見返りに何を得られるんだよ?
未開ジャップが互いに殺し合うための武器を売るためだけだろ( ^∀^)ゲラゲラ 水曜日のダウンタウンで徳川慶喜を生で見たことある人ギリ生きてる説ってあったな
死んたのが108年前だからこの人が10歳の頃までは生きてたんだな
https://www.cnn.co.jp/showbiz/35167431.html 外様なのに幕府を倒すほどの経済力と軍事力をもつにいたった
薩摩藩、長州藩すごすぎ
貿易ってそんなに儲かるもんなのかね
参勤交代は江戸に行くのにお金を使わなきゃいけないから力を蓄えさせないようにする働きがあった
とかって話はどこ行った 武士のほとんどは明治政府になってから騙された!!って思ったんじゃね?
こんなはずじゃなかったってのは徳川慶喜だけじゃなかろう 大久保とか大政奉還やられてクソっやられた!て思ってたけどな
大政奉還に<対抗>したのが王政復古のクーデター
対抗ってことは慶喜の一手が大政奉還 >>398
貿易こそ国を富ませる最大のもの なのは今の世界や日本を見ても明らか
これが鎖国・中世アジア化せずに
素直に秀吉時代同様に、大航海時代の波に乗ってれば、どれだけ繁栄してたか?という事だよ
日本の人口の多さ(当時1500万と50万を超える軍事力程)的にも東アジアでは多くの植民地も得ていたのは確実 とりあえず天皇制のおかげでイギリスをはじめ
多くの王室を持つ列強が味方についた
これはめちゃくちゃデカい >>394
東南アジア諸国がタイ王国と日本を除いて、全て欧米列強の植民地だったのを否定してるのか?
資源収奪だけが目的なら、開発に手が掛かるだけのハワイなどの諸島国家など植民地化しないぞ。
錫、硫黄、石炭、天然ゴム、そしてプランテーションによる換金作物の三角貿易。
更に大きな資源は「奴隷」に代表される人間そのものなんだがな。
大政奉還は奴隷解放内戦である南北戦争の直後で、奴隷や農奴が存在していた世界だと忘れてるのかい? >>398
長州はもともと西軍の総大将になるような毛利家の土地柄だしな
島津の薩摩ももともと力のある大名だよ 薩摩藩のパトロンは当時有数の金持ちだった庄内藩だぞ
山形各地の良質な染料と秋田の金山からとった金塊を長崎の出島まで持っていって莫大な利益を上げた庄内藩のなんとか兵衛って豪商がこれまた出島をウロウロしてた薩摩藩のなんとかっていう商人と仲良くなってパトロンになったんだよ
さすがの西郷もバツが悪かったのか庄内藩とは敵同士になったあとも交渉で和睦している
実際庄内藩自体が最新兵器で武装した精鋭部隊で強かったってのもある >>402
でも同時期に中国はアヘン戦争しかけられたり
その貿易でどえらい目にあってるじゃん?
それに比べて日本の各国の介入をさせずに儲けはしっかりっていうバランスのよさよ
薩英戦争とかももっと大事になっててもおかしくないのに
なんだかんだいってソフトランディングしてるしなあ 結局、大航海時代から19世紀の明治維新と日露戦争勝利まで、キリスト教白人国家VS有色人種人類社会という、
地球規模での略奪戦争状態が繰り広げられていた訳で、中国の後に、最後に残った黄金境が日本ということ。 >>409
薩長の賠償金を幕府が払ったからじゃね? >>410
大航海時代に先駆けて中国が中東あたりまでは航海いてるんだよね。
もっと西回りに先に行ってアフリカ沿岸を航海して喜望峰超えていれば歴史は変わったね >>400
薩長内ですら騙された!だもんな
結局は派遣取り合い一部のランカーだけ美味い思いするだけで維新後に仲間切り捨て >>413
当時の中国は女帝の徳治政治だからね。
覇権国家は目指してないよな。
やはり清朝前は、歴史の成熟度が全然違う。 尊王とか言っておきながら、実質実権握ったのは薩長土肥
天皇は利用されただけか >>402
実際、オランダは関ケ原浪人を家康の許可貰って雇って
スペインのインドネシア拠点を次々に奪って行って
インドネシアの植民地化を成功させた
関ケ原浪人の決死の突撃で次々とスペイン拠点を奪って行ったそうだから
オランダなどにやらせず日本が本気でやるなら多くの植民地を獲得できてたろうな >>417
後醍醐天皇がそのような事を、嘆いていたような。
武士政権成立後はずっとそう。 土佐藩はガチで尊王攘夷目指してたぞ
明治政府は手のひら返してイギリスと同盟組んだけど土佐藩は空気読まずに不良外人を無礼討ちしてたからな
結果歴史からいつのまにかフェードアウトするけど
竜馬を殺した犯人も志士仲間で用済みになったから殺したっていう説あるからね >>1
慶喜の後半生は正しく悠々自適。
それに較べて西郷隆盛は政府をクビになって最後は内乱罪(^д^) >>410
大航海時代ってオスマン帝国が強すぎてってのが要因なんだけど >>420
土佐は外様とは言え同じ外様の薩長と違って関ヶ原勝ち組だからな
徳川には恩がある みんな憶測ですごいな
まるでその時代を生きてたかのようだ >>420
龍馬は最後薩摩藩士扱いだったという話もある
大政奉還に動いたのも薩摩の誰かからの指示だと >>1 渋沢栄一で一番興味あるのは幕末なんかじゃなくて、禁治産処分食らった(バカ)息子のことなんだよなぁ。。。 江戸幕府が倒れて担ぎ上げられた明治天皇って本当は何者?って
あまり詮索しちゃいけないらしいな >>422
それを言ったら、東西交易重視の陸路シルクロードが衰退したのは、イスラム教国家のせいって事になって、
もっと前に遡るが、地中海世界の外に植民地なんて求めてないよな(キリスト教社会は、ペストと暗黒時代でそれどころじゃないし)。
あくまでも植民地主義を欧州国家(まだアメリカは発見されたばかりだからね)が指向したのが、
大航海時代、特にイギリス・スペイン・オランダによる海上覇権争奪が契機ですわな。 薩長の土人どもに好き勝手されてる様では諦めるしかないわな >>423
誰かを悪者にして処分しないと勝者が収まらんからな
貧乏くじやな 明治なんて時代はテロリストが国を乗っ取った様なもんだろ。 >>419
現代のネトウヨも天皇は反日と言い出す始末 攘夷尊王から倒幕尊王に変わったバカな藩がいましてね ぶっちゃけフランスからの安定した武器供給出来てたんだから徹底抗戦すれば幕府軍勝てたよね。 >>443
家康がそこまで考えてたのかは知らんが水戸からは絶対に将軍を出さないようにしてたんだよね。で、初めて水戸から出た将軍が慶喜 ちょっと面白いな
王制が民主制に変わるって瞬間は 歴史的にとてもめずらしい 小田原征伐のときも関東の大名はほとんど戦わずに城明け渡したし、徳川家康もあっさり秀吉に臣従したし、単なるそういう血筋なだけだよ 慶喜 「大殿様がおつくりした我が徳川も余の無能のおかげさまで終わってしまうのも感慨深い・・」
みたいな悲哀をば草gには適役だな >>375
江戸時代は平和だったから歴史の再評価がさかんで朱子学の影響もあって
やっぱ日本は天皇が作った国であって頼朝も足利も徳川も一時的に
政権を任されてたに過ぎないという尊王論が盛り上がったんだよな
で、その理論の急先鋒が慶喜の出身母体水戸藩だったのよ
ある意味本当に徳川の世を潰したのは水戸藩だと思うわ >>446
家康はそこまで考えていない
水戸光國が他の御三家より格下の扱いに憤慨して尊皇とか言い出したのが真相
要は水戸の負け惜しみが倒幕につながった 外国船が来た後に産業革命を取り入れて振興政策を採ったのが日本、
採った奴の足を引っ張って政争に明け暮れたのが中国、徴用工と慰安婦しか教科書に書けないのが朝鮮 しかし、なんで幕末になると、朝廷や天皇の権威が強くなったんだ?秀忠時代は家康を神に祭り上げ、幕府も朝廷に介入して諸法度まで作るくらいだったし、公家が倒幕クーデターしようものなら、天皇すげ替え、公家共は血祭りに討伐してただろうに。 まあ大日本帝国の50年間が戦争だらけのクソ時代さえなければ今頃日本は衰退などしなかったはずだ >>456
現代日本と同じで経済成長の限界にぶちあたりカネがなかったから。
そして全国各地で連続的に発生した大地震がトドメを刺した 明治維新なんかなくても、民間が勝手に近代化してたと思うけどな。
昔も今も、民間の手柄を横取りするのが好きなことwwww 「じゃあ、お前が代わりにやってみろよ!」
「はい喜んで!おまえ逆賊な。」
「(ハメられた。。。。)」 >>454
でも知名度で言ったら水戸家が筆頭だよな。
天下の副将軍(笑)。 >>460
日本って民間人のの層というか庶民のレベルが高いから、のんきに「大政奉還よしw」とか
のんきに内戦して隙を見せても民間人が踏ん張って社会まわしてたから隙が無く植民地にされなかった >>459
それはどうかね
ドラマでもでてたけど強固な身分制が絶対近代化の障害になってたと思うわ >>459
「船の帆ですら1枚に限る!
2枚にして安全航海が出来るようにしちゃダメ!」
言ってた糞幕府だよ
200年も放置してたから世界の進歩から取り残されたんだよ! 孝明天皇を毒殺したのってやっぱり岩倉と大久保なん? 尾張藩が裏切って
水戸藩が分裂
どこに兵力がありますか? >>467
尾張藩は暴れん坊将軍と揉めて冷や飯食わされていたから幕府に批判的だった。
それでも佐幕勢力はいたけど、それも青松葉事件というやつで粛清されて後は勤王一本槍。 御三家というのも最初は徳川宗家、尾張家、紀州家のことだった
水戸は一段下に置かれてて代わりに天下の副将軍と持ち上げられてただけ
それでめちゃバイタリティーに溢れすぎた二代光圀が奮起して大日本史という徳川への
悪口を書き連ねた歴史書を制作した。それが巡り巡って幕末に徳川の首を絞めることになる >>464
明治維新でも強固な身分制がなくなったわけじゃなく
より一部の上級国民と平民に落とされた武士も含めた平民になっただけだよ 面白いのが、ちょうど同じ時期に国民国家を樹立したドイツとイタリア >>459
きっかけはそりゃあ民間だろ
蘭学から日本に命の医学もってきた
杉田玄白だって1800年代の人よ
人類や人間の知識を求める欲に国境はなかっただろ
でも役人だって 勝海舟も福沢諭吉も榎本武明だって西洋の知識の方が
進んでるのを認めて勉強しにいった役人だしな
今の、クソチンカス以下の役人を基準にしちゃだめよ >>466維新ではなくクーデターだったからねwww 江戸幕府は200年間、で世界から取り残されたどころか、経済大国にのし上げた。
近代社会に通じる、インフラ、社会資本、学問、金融システム、近代的製造業はこの時代に完成を見た。
なので、あとは西洋の機械文明を導入するだけでよかったので簡単だった。
わざわざ討幕をすることはなかった。その時間的損失は計り知れない 坂本とかいう部落朝鮮と通じてるゴミが暴力で脅したから
坂本龍一とかいう朝鮮ゴキブリ見てれば分かるでしょ 新政府軍が政権樹立したはよいが、政治の素人だったため、結局大半
幕府系の人材で政権運営したんだっけ >>473
暗殺が流行りの当時の空気てすごいな
原敬も伊藤博文も 殺してしまえば
何か変わるって思った奴がその通り動いた時代だからなあ >>379
ハワイは未だドール家がデカイ面してやがるからな
デルモンテのフィリピンは独立果たしてるのに たかが数人の若造が西洋に留学してるけど、そんな金あったのか?
しかもその西洋の知識をすべて網羅して持ち帰ることが可能だとは思えない。
本当は全国各地の民間レベルでそれぞれが早くから解析してたんじゃないの? 韮山反射炉とかwww泣けてくるよな(´・ω・`)ウィーヒック >>481
金なんか全くないよ
船でみんな 船酔い気持ち悪 死にたい
何も食えない ゲロゲロ吐きまくって 死にそうになって行って
さっさと帰りたいて毎日毎日ボヤいてたよ
そんな中でも現地妻作った女好きもいたけどな 頼もしい >>437
渋沢はテロリストから実業家に「更生」した人なんだよなぁ。。。
ちなみに、新政府に武器弾薬売り込んで財閥作った大倉喜八郎なんてのもいるゾ 今まで政府が実質トップやったが
外国入ってきて尊皇攘夷連呼されて
頑張ったけど天さんには勝てねぇわと踏んで
じゃ民意やし政権お返しするわってなった >>484
武士階級は「家禄」もらってたからね
いざとなったら遠征費用を貯め込んどけって奴だよ
福沢諭吉が万延元年の遣米使に潜り込んだ時のエピソードで
小栗忠順付きだったけど、揺れる船の中で小栗の持ち物から
大量の金粒が零れる事があって、彼は全部元に戻したそうな
小栗は遣米に辺り全財産持って行ったんでは無いかと書いてる 結局暴力的な奴が勝つんだよな
もし徳川が新政府を粉々にしていたら徳川だったわけで、
柔和を受け入れたことで今に続く政府だとしたら暴力的な今の政府は転覆させる必要があるよな >>476
そりゃまあ先に近代化が必要なことに気付いて整備を進めてたの幕府側だし
その頃長州はまだどっぷり攘夷論に染まってた
明治政府がすんなり近代化を進めることが出来たのも大人の幕府が内戦なんてしてる場合じゃないと身を引いたおかげという言い方も出来る >>590
岸信介と社会保障(朝日新聞2015年11月21日 朝刊)
岸信介内閣(57〜60年)は国民全員をカバーする国民皆保険(医療)・
国民皆年金を実現した。最低賃金法もつくった。
岸はのちに「民生安定の手段として社会保障政策を志向することは、
政治家としては当然やるべきことであって、
私としては別に気負ったわけではなかった」(岸信介回顧録)と振り返っている。
反共の為のリベラル施策って奴だな 九州のやつらがやったんだろ。
新しい体制作って戦争して負けて国がなくなりかけるという。
その責任なんもとってなくね。
そのノリが続いてる今の政府にも正当性はないと思うんだけど。 >>492
そんな言い方するのは
新選組とか
味方ながらに超うぜえてっぺんの意思を邪魔する
私設軍隊だといってるような
もんじゃないですか やだー >>494
薩長閥が過去になった途端に軍国主義なんだよなぁ。。。 池上がちょんまげやめたいから大政奉還したと説明していたよ >>496
歴史3割位美化するけど
慶喜ほど欧州の産業革命の衝撃事情と
日本の丁髷大小文化の遅滞を吹き込まれてて
勉強しまくってた 意思決定者って
ほかにあまりしらないわ >>481
どんだけ日本が遅れてるか把握するだけ大きな価値あったと思うよ 先日やってたNHKの番組では、とりあえず大政奉還やって
帝とかをビビらせて、泣きつかれるだろうから
そしたらまた復帰してやると目論んでたとか >>504
まあ歴史なんだから実際の処はもう想像
するしかない部分はあるけどさ
あのインポ・ド・チンポ野郎に
そんな沸々とした野望があって実現できるとか思ってたなんてとても思えない
慶喜はもっとクールだったはずだぞ そして すべてに冷めまくってたはず。 >>214
慶喜はあれで良かったんだよ、下手に動いたら担ぎ上げて一騒動とか、歩き回ってるうちに無職になった旧幕臣に最初からもっと頑張って れば俺は無職にならずに済んだとか叫ばれて殺されたり、新政府に難癖付けられて殺されたりするからすまして安全地帯で何もしないのが一番なんだよ。
現にそうして渋沢栄一がししゃりでてきて慶喜アゲして上手くいったからね。 >>497
素地があったんでしょ。
始めたやつらの無策のせいでしょ。 うんこ三方原で家康の代わりに死んだ夏目某というサムライは夏目漱石の先祖
家康の兜を強引に奪って我こそ家康なりと叫びながら影武者として死んだらしい いきなり朝廷が国の運営できるわけないから、大政奉還しても引き続き朝廷から徳川幕府に国を任されると踏んでたんじゃないのかな。 返す返すも蛤御門の変は あと2年まてばなあ
長州はアホのヤクザ集団であるという評判広げただけだったな
本当は 二条城火の海にできたはずなのに
幕府ごときに負けやがって アホか >>513
そう思ってたらしい
でも実際は排除されて涙目 >>507
ずっと政治は武士に投げてた
いきなり政治やれと返されても実行する能力がないだろうと踏んでたってことなのでは 賠償金で責められるのを逃れるため、2ちゃんねるを売った形にしても、自分が実権を握っていられると思ったから。 安政の大獄で謹慎処分期間中火消しの新門辰五郎の家に出入りしていた
娘を妾にしたり
暴れん坊将軍のモデルでもある慶喜
維新後静岡に移った時、辰五郎は清水の次郎長に慶喜の面倒を頼んだそうだ 最後の内戦地が戦したがりまくりだった薩摩でという皮肉 >>467
最大最強の幕府陸海軍に加えて紀州藩の精鋭
譜代が頼りないのが玉に瑕だが
当時の日本では戦力はずば抜けてるよ
薩長なんて相手にならねえ 徳川家から政権を奪う理屈を武家から天皇に返すってことにしただけでしょ ロシアの船やアメリカの黒船来航前後で各地で連続的に大地震が発生してるけど、
これは神様のお告げなのではないか?
「今までにない外敵、時代の大転換だから自覚せよ」という 江戸時代は世界1,2を争う経済大国だったと思う。
カネがあったからこそ、バカ高い授業料を払って西洋人技術者を雇えたのだと思う。
ところで、同時期に興味深いのが、洋務運動や、同時期に開国したドイツやイタリアの近代化過程について。
ドイツ、イタリアなんかは、英仏が近いせいか、開国前からある程度機械文明導入してそうな気がするが >>403
天皇制という言い方ヤメロ
皇室が正解だ 江戸時代は、人力文明を極めたと思う。人力文明のみで
経済、インフラ、学問、科学、金融、娯楽、文化を発展させた。
西洋は人力文明を極める前に近代化した印象があるのだが教えてくれ 南北戦争終了していらなくなった武器を薩長がアメリカから買って火縄銃の旧幕府軍と戦ってボコっただけだろwww 蒸気船の脅威はすごいと思う。
陸上で言えば、人力車や飛脚から、いきなり自動車に進化し、飛躍的な速度、大量輸送能力。
脅威であるのは当然だな。
ところで、今も昔も西洋諸国が他国へ圧力をかけるとき、問答無用なイメージがあるが、
今も昔も日本に対しては、なんとなく、ある程度日本の顔を立てて、ある程度褒めながら交渉してくるイメージがある。
つまりそれほど日本人の特性を研究しつくしてから交渉に臨む姿勢は侮れない >>527
藩主は藩経営に疲れ果ててた
華族として東京住まいに成ると聞いたら皆飛びついた
それこそ京都の公家衆までも 幕末日本は、人力文明で行くところまで行きついた、カンスト状態でこれ以上発展の余地がなくなった印象。
現代日本も1989年頃にあらゆる分野で既にカンストしてしまったのではないか?
そう考えると日本は超先進国といえる せごどんの西郷と晴天の西郷のイメージが違い過ぎてな >>173
いったん介入を許せば、あとは国力摩耗して植民地になるまで、欧米の皆様のおもちゃです状態確定だもんな
それだけはなんとしても避けねばという一念だろうか 黒船は実質帆船だったって聞いたけど?
当時水と石炭を補給可能な寄港地が殆どなくて蒸気機関は日本に来る直前に稼働させただけの
完全な虚仮威しでそれにまんまと騙されたのが当時の日本土人って話だよw 京都の公家衆は明治になって東京に
住んでも大半が貧乏暮らしで笑える
大名とは生活レベルが天地の差 >>529
豊臣秀吉による 太閤検地による荘園・領主の小作から自作農化と新田開発
によって人口増大と生産力増強経済発展効果が続いたのも100年間ほど
その後は完全に江戸幕府儒教国家成立による社会停滞暗黒時代が明治維新まで続いた
人口面ひとつを見るだけでも全く成長していない暗黒社会だったことは明らか
https://www.soumu.go.jp/main_content/000273900.pdf >>535
華族=今までの公家>武家ではなく公家=武家と
同格になるのも武家の各藩主にとっては魅力的だったそうな >>534
冷静に考えると、ヨーロッパ各国より広い国土を治めてて人口倍くらいいる国だから無碍に扱えないのと、
江戸時代については、みんな帯刀してるしな…。なんかヘマしたら、いきなり切られる恐れもあるし、適当なこと出来ないだろう。当然awayだし。 俺の理解だと単純に
「しなかったら殺される」
とマジで感じたからじゃねーの、あれは >>545
現在は日本に陸上基地置きまくられて、逆に日本側が本国なのにawayだなw >>531 日本はエネルギー革命に失敗したのが大きいな。
大陸が宋代に石炭エネルギーに転換したのに明治まで木炭しかなかったのが社会の停滞を招いている。
明治になってみればあちこちから石炭産出出来た。 >>539
イギリス「おい、フランス、幕府が勝ちすぎだろ、手加減しろ」
フランス「わかった、手加減するから巻き返せ」
イギリス「もっと武器買えば勝てるよ」
薩長「わかった、買うよ」
フランス「おい、イギリス、薩長が勝ちすぎだろ、手加減しろ」
イギリス「分かった、手加減するよ」
フランス「もっと武器買わないと負けちゃうよ〜」
幕府「分かった、どんどん売ってくれ」
これが英仏の植民地になるまで続く
こんな風に英仏のおもちゃにされるんだろ? >>542
華族になれず士族に入れられた一族もけっこう悲惨なことになったり
足利とか復活アピールしたけどかなわなかったんだよな
足利とか今川とかホンマモンの源氏は零落れて徳川みたいな胡散臭い自称源氏が今でも上級として残ってるんだからわからんもんだわ >>550
実は今、日本が北朝鮮の核を気にして防衛装備買わされてるのも、同じだったりして…。 水戸藩みたいな気狂いが二本差しで
いつ襲ってくるか分からない
欧米列強も怖かったと思うよ >>407
庄内藩は子弟を薩摩藩に留学させてたから
仲良かったんだろうな >>527
江戸時代後半から諸藩は借金まみれ
その借金を明治政府が肩代わりして帳消しにしてくれたから、喜んで版籍奉還した >>555
結局行き詰まったらガラガラポンするしかないんだよな
今の日本も割と行き詰まってるような気がするがどうなることか >>552
似たようなもんかもね
今はすでに実質、アメリカの属国状態なのが違うくらいかな >>522
ベンチがアホやと戦えねえべ
日本の戦争史はそういうパターン多い >>190
フランスは外相変わってから
フランスロッシュの暴走止めるために解任してる
ナポレオン3世時代はイギリスにはケンカ売らない方針 >>553
日本を武力で完全制圧は現実的ではないと思ってたろうな
そこで内戦をさせて借金漬けにして租借権などを獲得で
少しづつ侵食していくという戦略を選んだわけだ >>550
実際内戦がおきると負けてる側は諸外国に救援を要請、もう反対側も同じように諸外国に救援を要請
結果として大国同士が内戦が起きた国を戦場に争うということは良くあること
直接の介入が起きないうちに終わっただけでもラッキーだった >>551
そこらの田舎大名より官位の高い高家旗本は、男爵ぐらいにすれば良かった >>561日本を阿片戦争のスケープゴードにしただけだろwwwイギリスが1番徳してるし 大政奉還って字面がかっこいいやん?
その後の歴史に「徳川慶喜、二条城で大政奉還!」とか書かれるんやで >>550
インドのマドラス(英)の向かいにポンディシェリー(仏)があり
カナダのオタワ(英)の向かいにモントリオール(仏)があるように
拠点都市を築き、対峙しながらも一貫して現地勢力を摩滅させる方向で一致して動くのが欧州の侵略のやり方
地球を盤面にチェスやってたようなもんだよな
それを察して全力で回避した先人は偉大だよ、普通はわかっていつつも、傀儡でいいから玉座が欲しくて彼ら欧米人の手管に乗ってしまうものだ
ましてや、徳川260年を終わらせた、いってみれば亡国の君主の役割を甘受した慶喜はよくぞ思い切って泥を被ったものだと思うわ
俺ならフランスの援助を受けながら、どん詰まりになるまでダラダラと内戦をしつつ将軍位を抱え込んでたと思うww それよりトップの徳川が降伏してるのに戦い続けた会津やらの考えが分からん >>567
自分は悠々自適に過ごした癖に容保と会津の人達には酷いことしたよね >>568
長州の私怨で降伏が許されなかったんだよ。孝明天皇がアレされて朝廷の貴族共も会津許すまじと長州に誘導された
会津自体は会津に同情的な奥州諸藩を通して降伏を嘆願してたが新政府側に拒絶された。朝廷側からも幕府側からも生け贄にされたようなもん 会津は、最前線で戦うべき朝鮮人が逃げ出して、気づいたら矢面に立たされ戦ってた連合軍のマッカーサーみたいなもの? 薩長のキチガイ共は私怨で戦争する気満々だった
慶喜は上手くかわして江戸は火の海にならずに済んだが何かしら捌け口は必要だったってことだろう 会津は確かに生贄の側面もあるが、保科正之の家訓も一因
「将軍家に対する忠勤は、他藩の例をもって満足してはならない。
もし二心を懐けば我が子孫ではないから、家臣は主君に従ってはならない」
名君では有ったが、出自故の過剰な将軍家へのこだわりが、悲劇を招いた
誰かが言ってたな、藩の行動は藩祖の性格を反映するってね
儒教思想がここでも害をなしている 水戸の学者は想定していた
ロシアが朝鮮を征して南下した場合、長州は日本の為に戦うか?
イギリスが清を支配下にした場合、薩摩は戦うか?
戦わず迎合してしまうだろう
幕府に恨みこそあれ恩は無い
まあそこで海軍を薩摩、陸軍を長州に委ね責任感を持たせた
維新は公武合体のアップグレード
徳川色を消す必要があった >>415 戻る事は無くても、なんとか権力や財産、土地などはある程度確保出来ると踏んだんだろう。王政復古の大号令で全て吹き飛んだけど。戊辰戦争の始まり始まり。 >>570
官軍の鬼畜さ抜きにしても容保が色々クズ過ぎたな >>577
容保なの?薩長がドクズなだけやん
孝明天皇が最も信頼していたのが容保だったのに もぎ取られる前に、返します宣言しただけや
先手を取ったんやわ ちょっとぉ、日テレ年末時代劇の白虎隊、久しぶりに見たくなって来ちゃったわよ >>581
国広富之神保修理自刃と
森繁井上丘隅が泣ける 西郷はああ見えて悪人だったからなあ
だから悲惨な末路を遂げた >>568
慶喜の動きを警戒した南紀派が尾張公を担ごうとしたが尾張公が尻込みしてしまい弟の容保を担ぎ出した
可哀想なのは家臣、上の命令に従うのみ
二本松藩も水戸の天狗党討伐を命じられ戦った
軍事訓練を受けた天狗党にボコボコにされ犬死に >>577
討幕派不逞浪士らの押し込み強盗、レイプやりたい放題だった
首都の治安を守っただけ
幕軍の暴発狙いで浪士の鬼畜な所業を推奨してたのが薩長な スレチだけども大坂の陣で淀殿が大砲でビビらずに粘ってたら家康さんは寿命で亡くなって徳川幕府なんてなかったのでは? 正統性を朝廷に求めてたら朝敵だと自縄自縛で終わりやがな
まあ朱子学なんて止めとけいうこと
これの強い今の韓国も色々おかしいしな しなかったら、日本人同士が2つに分かれて
戦争をすることになる。
いわゆる、内戦状態になるが
これが日本で起こるのを避けたかったから。
当時の外国との関係や海軍の能力を考えると
内戦なんかしたら国が外国に切り取られる。
結果として、分裂したどこかの植民地としての
西日本国、東日本国、北海道国 に分かれていただろう。 自主的に政権を返上することで朝敵としての罪を免じてもらい、あわよくば新政府に要職で取り立ててもらおうとした 慶喜「将軍じゃなくなったら出来立ての熱い料理が食えるかも」 >>588
もうその頃は秀忠の主導だろ
秀頼より先に家康が死んでしまったとても
徳川の天下に代わりはない
秀忠は後顧の憂いを断つために絶対に豊臣家を滅ぼしておきたかった 大河ドラマ見ていると、将軍とかの偉い人が、まんじゅうや金平糖を食っているシーンがあるけど、
当時は歯ブラシも歯磨き粉もない時代だろ?
虫歯とかどうやって予防してたの?
歯の痛みは地獄だろ。
当時はロキソニンもなかったし。
歯痛になったら、抜いてたのかな? >>598
楊枝とか、いまの歯ブラシに似た道具はあったでしょ
下手すりゃ木の入れ歯まであたかも知れない マジな話、慶喜は不自由な権威より自由に行きたかったってのが本当の話なんだろうな
大政奉還で新政府が運営できると思わなかったとか色々それらしい説はあるけど、慶喜の余生見てたら思うわ
単純に人格だと思うわ、もちろんいい意味で >>604
このままじゃ殺されるんじゃねと逃げただけだよ(´・ω・`)
魏に降伏した後の劉禅みたいな振る舞いを強いられたわけで。
徳川慶喜と明治の政治家
今のガチグソ政治家の1兆倍偉いだろうな
1歩間違えば殺されるし最終的に最高の選択をした >>605
マジで戦えば勝てるチャンスはあったけどやらなかったわけだからな結果論が大事
>>606
逃げたかもしれないしそうでないかもしれん、わからんね
ただ将軍が逃げる教育を受けてるとは思えんがね >>569
慶喜が寛永寺に蟄居してた時が
徹底抗戦派に囲まれた最大の危機
まるで西郷が兵学校の薩摩隼人に囲まれた時のように
西郷は決起し、慶喜は水戸に退去し蟄居場所を移した
寛永寺に集まった徹底抗戦派は彰義隊を名乗り
佐賀藩のアームストロング砲で一掃された >>610
最高司令官たる将軍が戦争止めろと言っても
聞かないんだからしょうが無いわ とにかく戦が嫌いだったんじゃないか
自分の命も大事だが
戦になれば領民の血も流れるしな
それを避けようというのが
身を退いた一番の理由じゃないかな >>612
それなら偉いが、普通に考えれば将軍は領民とか気にしない人種なはずだけどな >>606
ひょっとして劉禅ってかなりと優秀な奴だったんじゃねえの?と思う >>613
大坂も江戸も無血開城で無傷だった
これ以上の証拠は無いと思うよ >>615
それって大きいよな。イギリスなら名誉革命って呼ばれるのにな
どっちも徳川家の功績だ >>615
戦う意味ないなら戦わんだろ別に領民考えてとかじゃないだろ
まぁ慶喜的には幕府運営無理って考えてたかもしれんし、新政府にも無理って考えてたかもしれんし
両方かもしれんし
まぁ慶喜の立場的には本来領民を守るために戦わないといけないんだよ?君の価値観は現代だよ >>614
羅貫中が孔明をもちあげるために劉禅をボロクソに描いたのは有名な話 大政奉還されたといっても旧幕府の持つ天領という領地は
新政府にとって返上させるべきものであった
なにしろ各地の要地通商の拠点鉱山などを押さえていたから
それなのに山内容堂や松平春嶽など賢侯と呼ばれる面々が
大政奉還を褒め称え慶喜を新政府に迎えるよう発言した
これで西郷や大久保は旧支配者を排除しなければと気づいた
西郷がなぜ人気があったのかわからないという人がいるが
西郷は革命者だからだろう
開放された9割の人に好かれても
追い落とされ無能なゆえ復活できなかった1割の人には嫌われる まあ上手い事行って植民地にされなかったんだから良いんじゃないの?
今はアメリカの植民地で次期に中国になるんだろうけど 勉強は出来たかもしれないけど、いわゆる「頭が良かった」
人物じゃなかったんだろうなあとは思うわ
勉強できたので「俺の負け負け、ハイおしまい」と見切りつけられたけど
じゃあどうやって幕府支えてきた家臣も含めてソフトランディングさせるか
考える「頭の良さ」は全く無かったし、聞ける耳も持ってなかった 植民地でもいいからブラック企業なくしてくれwwww
マジで貧乏な日本より裕福なアメリカや中国でええわ NHKでもはなし作ったのか
むかしの2chでは、幕府はいまの
横須賀でフランスと作ってた対黒船の
造船所の借金が払えなくなり
ミカドになするつけて逃げた
横須賀ドックは石川島播磨のヤローなんか
で運用してたが、明治にはいり国有になり
追い出しに石川島があいほかの事業をした
のがいまの電力とか東電
あと、太平洋戦争後も横須賀ドックは危険だから
アメリカに占領されてんじゃないか今も
ワンコでKO丸 >>618
会津戦争の頃は蟄居中だから指示なんて出せる分けないだろ
彰義隊の上野戦争と同じ運命だよ 慶喜はマジで人望無かったから仕方ない
当時幼名で将軍を継がなかった、徳川家達
総理大臣に推挙されるものの「徳川政権を戻すのか?」と固辞した
後に幻と言われた1940東京オリンピック招致にも関わった初代JOC委員長
徳川家達は人望あったのにw 幕府のつくったフランスへの借金は最近までかえしてたとか
いや払った払ってないはよく和姦ネ >>625
明治政府が凄いのはその借金全部返した事なんだよ
勿論国民も飲まず食わずでフィリピンの方が経済発展してたなんて時代
借金の棒引きゴネテル国なんざ未だあるのに >>588
スレチだけど、秀頼が国替えを受け入れていれば豊臣家は存続していたんだろうな
慶喜は自ら静岡に移動
歴史分析出来ていたね
城を枕にはかっこいいが犠牲が多くなる ワンコでKO丸
いまだに芸者だあんだ、あの幕府と明治のいざこざよ、馬鹿みて >>626
見捨てたようなもんだからな
容保は大政奉還という考えには賛成してたがまさか自分達だけがあんな仕打ちを受けるとは思ってなかっただろう >>631
織田有楽みたいな例もあるしな
朱子学導入前で、家来筋が主人に成るなんて当たり前の時代だったし >>631
やっぱ秀頼の最後とかも考えての行動だったのかなあ 徳川家はいっぱいあったからな
尾張なんてずっと何かあったら朝廷に味方しろって代々の藩主から伝えられて実際真っ先に新政府側について戦ってるから
慶喜が将軍として新政府軍と徹底的に戦ったところで徳川家が豊臣みたいになることはない 電通もgoogleも馬鹿ばっか
頭のラックにおいてる小説にでる爺さん、あれ俺だ >>636
ナポレオンの生涯の影響はあったみたい
あれだけの英雄でも最期は刑務所で死ぬ 水戸藩は明滅亡時に亡命してきた明国人の身柄を引き取って、彼らから中華思想を叩き込まれた。
そこから親藩しかも御三家でありながら、将軍よりも天皇を尊ぶ独特の水戸学を編みだして
そこから水戸藩から将軍が出たら幕府は滅びるとまで言われた。
…実際にそうなった訳でw 大政奉還しても朝廷や公家に国家運営能力が無いから結局徳川幕府が政権を握ることになる
ただの政治パフォーマンス的な意味合いが強かった大政奉還することで薩長や一部公家勢力や攘夷派を牽制することにより
内戦回避したと思われる 鳥羽伏見の戦いでなんで逃亡しちまったかな
大将が逃げたらそりゃ総崩れにもなる >>645
錦の御旗が慶喜の戦争の大義というか目的を挫いたんだろ
思想的に既に負けていた 大日本帝国50年は戦争ばっかで悪夢だった。幕府が新政権になっていたら
アメリカと共同歩調をとり、順調に科学技術、経済がもっと早く発展して、敗戦国にならずに済んだかもしれないいたと思う。 明治新政府の主要メンバーになるつもりだったのに
頭の古い幕臣が侍の時代を捨てられなかった ずっと前から幕府傾いてるし
自分の代で崩壊と反乱の強い兆しがあってと
落ち目の幕府継いだ将軍がやれる事は、
はいはいやめます、だから落ち着こうやと早い段階で公表するしかない。
慶喜がもっと居座ってたら爺さんになる前に殺されてたんじゃないの。 >>644
大政委任論で強引にいろんなことやってきた幕府が奉還したらどうなるかわからないのか? 今の大河は芋侍どもがテロリスト集団だってのよく描かれてておかしれぇわw 薩長同盟が徳川暗殺の大義名分を無くす為だったかな?
その後に政府作るも王政復古の大号令で徳川側排除し戊辰戦争って流れだった気がする エエじゃないか!エエじゃないか!
尾張藩や津藩はエエじゃないか!と乱舞する民衆の大群から時代の変わり目を見て、佐幕から勤皇に鞍替えしたらしい
慶喜もそういう時代の変わり目を読んだのさ 薩摩(西郷)に徳川を打つ大義名分を取り除くとともに、新政府に徳川が加わることを目指した政権の返上だろ? 維新後、慶喜は静岡で楽隠居
更に毛利、島津、徳川宗家と並んで公爵に叙爵
慶喜本人の身の振り方としては悪くなかった大政奉還 無血革命とは言うけれど、武力で抵抗は出来なかったんだね
その上で大政奉還という逃げ道を作ってやったから、飛びついたのさ >>654
その辺見ないことにしているよね。
御三家、親藩、譜代もほとんど官軍についたのに
薩長がーは見ないことにしている >>647
ほんとだよな。
明治維新は世紀の大失敗、大犯罪だった。
でもその反省が全くされて無くて、
誰も責任を取らず、むしろ良きことと今も語られてるのは、
今もその理念の下にいるからだな。
とんでもねえ茶番。 >>1
維新軍と内乱になったら英仏が喜ぶだけだから >>650
将軍になりたくないのに無理やり将軍にさせられた男だからな
30代で隠居してからは趣味に生きる悠々自適の毎日送ってるから
本人的にはベストの人生送れたんだろう >>657
大政奉還は慶喜の策だろ
それも対新政府だけでなく対佐幕(抗戦派)の裏を突いた妙案
薩長は武力で徹底的に叩くつもりだったろうし >>647
東日本はアメリカ領、西日本はイギリス領で韓国みたいな国にさせられたかもしらんぞ
当時の世界は植民地主義、帝国主義だ 徳川「言うとおり辞めるから」
薩摩「へ?ちょっと待って」
徳川「辞める」
あわてたらしい >>152
藤原四家の頃からドクズしかいないだろ
もっと遡れば始祖の中臣鎌足からしてドクズだろ
そんなドクズ家系が牛耳って来た結果が今の日本 顔見れば分かる
産まれた時から何もかも満たされていた立場で野心ゼロだったから >>675
徳川「辞める」
新政府「なら土地建物全部返納しな。公のものだから当たり前だろ」
徳川「ぐっ、こ、断る」
新政府「はい、強制執行ね」 >>9
外国を一切シャットアウトし
厳しい締め付けで各藩に謀反をさせる力もなくした
優秀だよ
今の日本も見習ってくそみたいな国は追い出し半日パヨクは締め付ければいい >>679
幕府領400万石は返納になったけど、
駿河に70万石の領地貰ったから徳川家の名誉は保たれた
廃藩置県までの数年間、静岡藩として存在できた >>687
統治能力はあったから明治政府ができたんだろう 長州は孝明天皇から明治天皇の時にかなりエグい事をしてるんだよな。
背…何でもない >>647>>659
日本の歴史的 人口推移
https://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h24/hakusho/h25/image/n1010020.gif
江戸時代は人口の側面からみても極度の停滞社会
(江戸初期の人口増加は、豊臣秀吉による太閤検地・一地一作人制による自作農民化に依る増加)
明治期になって爆発的な人口増加・発展が明らかになっている
人口で語るだけでも、明らかに 【江戸幕府は日本史上歴史的害悪政府】 この辺の歴史まじでよく分からない
授業は三学期でぶっ飛ばしてるし、大河とか一年も見てられないし、やたら血気盛んな奴が騒いでるイメージで疲れるから真剣に見たことない
実際何で突然江戸幕府が死んだのか?
黒船来てても天皇に変わって向こうになんかメリットが? >>691
各藩に行政任せる連合体制では
帝国主義の圧力受けた国際社会で生きていけなくなった >>690
アフリカみたいに無秩序な人口爆発されてもねぇ >>684
幕府が継続していたら琉球侵攻は無かったろう
中国との摩擦は望まない
それを薩摩は弱腰と思う >>693
教育的側面で語れば、
明治義務教育化で識字率も江戸時代に比べて大幅に上がってる事も知らないほど
低学歴無能でもあるまいにw >>694
琉球なんて関係ないじゃん。
そもそも、アメリカと対立したのは満州事変あたりからだろう
満州事変起こしたのは石原莞爾だし別に薩長主導ってわけでもない 徳川慶喜 個人の業績で言えば
【江戸幕府は日本史上ほかに例を見ない害悪政府】を終わらせたと言う一点だけに置いても
歴史的に価値ある功績 なんだよ ちょっと前に毛利家末裔の人が
世が世なら殿様だったみたいな事をどや顔で言ってて
ああ大政奉還があって良かったなとしみじみ思った。 >>676
昔は悪人の蘇我入鹿を正義のヒーロー鎌足と中大兄が退治したって感じだったけど最近は入鹿はただの被害者って感じになってきたよな 中学生のころ、家定のあとの南紀派と一橋派の争いでなんで慶福が担がれたのかわからなかったわ。
後に本とか読んで理解したけど >>3
内戦で疲弊してその隙にライミーとカエル野郎に乗っ取られてしまう事を危惧していたのだろうねえ 水戸はもう身内で殺し合い
水戸から将軍出すべきでない
尾張から最後の将軍だして
彦根から大老職をもう一度出す
大阪城は会津藩に城代として管理させる リアルな話あの状況で征夷大将軍続けるのが面倒臭かったんだと思う。今のまこさまみたいなもん >>700
先進国になると人口停滞は仕方ない
江戸時代の日本は産業革命なしの世界では
圧倒的な先進国だったということ 慶喜をイジメた西郷は非業の死を遂げ
慶喜は天寿を真っ当した エエじゃないか!の発端になった、伊勢神宮の御札が空から降ってきた奇瑞にもカラクリがあった
カラスやトンビの餌を結んだ伊勢の御札を木の上に置いておく
それをカラスやトンビがくわえて飛んで行く
御札は食べられないから地面に落とす
それを見た人が空から御札が降ってきた!と騒ぐ
これで世直し工作成功となる >>77
そんなに敗戦国政府のハードル下げて大丈夫か?
あと100年もしたら実質中国の領土になってるか
アメリカが取り返そうとムキになって日本占拠してるかどっちかだと思うわ >>702
まあ国ごと乗っ取られたわけだからな
時の権力者によって死に物狂いで隠蔽もするさ 幕府の求心力が落ちて、外圧に対応出来ず内乱で潰されそうだったから、
いっそ大政奉還して徳川の影響力を一定量持ったまま身軽になろうとした
奇策というか会心の一手だけど、薩摩とかは歯ぎしりするぐらいイラついた筈
でもその会心の一手なのを幕臣が馬鹿すぎて理解してなくて、
そこを薩摩がテロで戦争煽って目論見が瓦解
でもそれ以前に西郷と慶喜がお互いに絶対殺すマンみたいになってたし、
止まらなかったのが必然であり想定外でもある気もする >>21
全部坂本龍馬が考えたことのパクリだけどな >>711
日本人は時代の変わり目になると
暴動を起こす代わりに集団乱舞をするという特徴があると指摘されていたっけ。
鎌倉時代の踊り念仏
大阪の陣の伊勢音頭
幕末のええじゃないか
明治時代の鹿鳴館
昭和初期の東京音頭
昭和末〜平成初期のディスコブーム
今だと何になるだろう? >>35
幕府にはフランスがついていたけどな。
つまり、幕末の争乱と戊辰戦争は英仏代理戦争だったって事。 いつも思うが、よく幕末ごろの狂犬から理性的に転換できたよなぁ
感情論で即物的で独りよがりな排外主義の理想論者が幕末の狂犬だけど、
明治になってちょっとは減って太平洋戦争の敗戦で、一気に減った
半端な負けだとこうはなれなかったと思う >>692
インドはもろにそうで
分立する土侯小国群と束ねるはずだが求心力を失いつつあるムガール帝国という旧時代な国家システムがイギリスの餌食になった面がある >>716
講談ベースに司馬が書いたヨタ話を信じてるバカ発見 現状を見据え、すぐに権力を手放した英断
あのまま幕府存続にこだわって泥沼の内戦を続けたら近代化が50年遅れたかもしれない
幕末〜明治維新にかけての日本はとにかく決断が早かった
それによってアジアで一気に抜きん出た存在になった 幕府のまま近代化できたというのは妄想もいいとこ
非西欧の近代化には流血と革命が付き物
旧体制の既得権益層を潰さないと何も変わらんからな
比較的平和だったのはチュラロンコン大王とかだが小国だから出来たことで日本ほど完璧でもなかった 日本は、明治維新と広島長崎原爆という2つの大きな転換期を迎えることで
今の文明を手に入れたと言っても良い
もしも、この二つを通っていないとしたら、日本は北朝鮮のような道を今も
グルグルと回っていたように思う >>695
その江戸時代ですら他国と比べると圧倒的な識字率だったんだよ
中世で労働者階級に普通に本を読む習慣があったのは日本だけ >>725
幕府が存続したまま近代化したらどうなったか?をシミュレーションした作品は結構あるぞw
銀魂しかり、サムライメックしかり 慶喜が十四代ではなく、十三代将軍に就いていたら幕府は続いていたかもな。何せ、十二代の家慶は慶喜を非常に高く評価していたからな。
家定なんて飛ばして慶喜が将軍になっていたらと、考えることがある。 徳川慶喜は本当に驚くほどあっさり権力を手放した
江戸城無血開城も大政奉還も、約260年も続いた江戸幕府を考えたらかなり勇気ある決断だったがそれをやった ムリな空理空論ばっか言う朝廷(というか倒幕派)にキレて「じゃあお前やってみろや!」てやった
あいにく朝廷はダチョウ倶楽部ではなかった >>1
200年以上も続けば「徳川以外に国を治める事はできない!」とか割と本気で思ってたんじゃね?
どうせ投げ出すだろと高をくくってたら普通に奪われて終わり ふと思ったけど朝廷と幕府って不思議だね
政府が2つあるんだもん >>734
スウェーデンとかオランダとかの国王と首相みたいなもん
政治の実権は首相や内閣にあって、国王は権威だけの言わばお飾り 京都のお飾り担ぎ出したのが、薩長主導による王政復古 >>734
ちがう
権力と権威がそれぞれ別にあるようなもん
天皇がいても総理大臣がいるようなもん そういや歴史の授業で戦国時代まではちょくちょく天皇の名前出てくるのに
江戸時代の天皇の名前全く学んでねーわ
歴史は勝者の歴史だとよく分かる >>598
予防は出来なかったから虫歯になったら気合いで抜歯
食事に繊維質が多かったのとよく噛まないと食べられない食事が多かった事と虫歯菌を持つ人との接触が少なかったから庶民はそれほど虫歯には困らなかったようだよ
偉くて愛人抱える人は地獄を見たらしいけど
中世くらいのヨーロッパだと偉い人の虫歯が多くてそのせいで欧州の上流階級向けの料理は温く作るのが主流になったかもしれないと元カノが言ってた >>731
でも結局彰義隊が暴れて上野が焼け野原になった >>739
紫衣事件で退位した後水尾天皇と、その内親王で称徳天皇以来の女性天皇となった明正天皇、
現状最後の女性天皇である後桜町天皇なら出てくるよ。 >>598
後桜町天皇が虫歯の痛みに苦しんだ際、京の白山神社より献上された塩を歯に塗って痛みを止めたという話が残っている。
https://www.kyoto-chishin.com/kyotocolumn/walk/77277.html
白山神社は歯苦散に通じる事から、歯の神様として篤く信仰されていた。 >>745
今はま〜んってだけで小学校でも何もしてない役立たず紹介してるの? 安政の大獄でブレーン皆殺しにされてまともに政権運営できなかったからだよ
桜田門外の変でかたき討ちはやってるが >>149
>>1の本文はスレタイに対する答えだからおかしくは無いだろう? >>726
原爆は関係ないな
日本の戦後繁栄は東西冷戦とその位置に日本が恵まれたからアメリカの都合で演出されたものに過ぎない
だから冷戦の終わりから日本の停滞と衰退が始まってる >>729
明治維新とか関東大震災とか戦後の財閥解体とか、
全部既得権益の排除が経済の活性化に繋がってるのだが、
それを考慮してないと思う
正直、幕府が残ってたら頭が固い上が足を引っ張って発展せず、
その分資本投下が減る中国も経済成長が遅れるだろうし、
そもそも東アジアの植民地化が止まってないとなると、
日本は中国に引きずられる形で経済成長するだろうから、
今の東南アジア以下ぐらいの後進国だろうな 俺思うんだけどなでしこは、誰の恋愛をサーキュレートしたの 当時のアメリカは帝国主義国だったよ米領フィリピンの成立は日韓併合の頃だったし
当時下手してたら米領日本もあり得たんじゃないかな >>752
明治維新から2年後の1870年、
徳川幕府を支援してたナポレオン3世がプロイセン(ドイツ)との戦争で捕虜になって政権崩壊
徳川幕府もう少し続いてたら、幕府最大のパトロン失って混乱するところだった >>756
エムス電報事件で
世論によって選ばれて議会の権限強めようとしてた
ナポレオン3世が消極的だったのに
世論の声によって開戦させられていくのが皮肉 誰も歓迎してなかった鎖国がいつの間にか攘夷になってるように
日本人の主体性のなさはあの頃から何も変わっていない
この民族は糞すぎるw 国内紛争で疲弊したら欧州列強に植民地にされるとか何とかってロナウジーニョから教わった 欧米に植民地支配されたくないし一族皆殺しも嫌だから。 明治維新でかろうじて植民地化を免れたように見えるが実際は先延ばしされただけで
今現在こうやって米の属国やってるわけでそれが正しい選択だったかも疑問だな
薩長クーデターがなければここまで酷い衰退国にはならずに済んだかも知れないからなw >>738
>>735
ありがとう 天皇陛下はやっぱすごいってことで 昨今は江戸明治で作られた歪んだ歴史を客観的な史料精査で改められる流れだからな
守旧派で無能な幕府を開明的な新政府軍が倒したという図式も改められつつある >>763
属国がアメリカ抜きでTPPやれるんだw >>764
天皇の名声を上げたのは光格天皇のお陰
光格天皇は飢饉の際に自分の農地を解放して農民を救ったり
座礁したロシア船舶での外交交渉にも乗り出して幕府よりも天皇の権威を示したものの
自分の父親に皇位を与えようとしたら幕府に止められて幕府を恨むことになった
これが孫の孝明天皇に引き継がれ尊皇攘夷運動に繋がった
ちなみに平成天皇が上皇になる前は最後の上皇が光格天皇 >>763
もし日本が太平洋戦争でアメリカに媚び売って中国と停戦していたら
1960年から70年代に掛けてのアメリカでの人種差別解放運動に巻き込まれて
今ごろは朝鮮・満州・東アジアの人々全員日本人になってたはず
しかもパスポートも無いから朝鮮から東アジアまで飛行機で自由に往来できるという状況に
そう考えると戦争に負けた方がマシだった 最初に条約を締結した相手、列強の中では、一番話がわかりそうでマシなアメリカだったことだな。
幕府の凄腕外交と相まって、平等条約の日米和親条約締結した。
これが前例となって、他の列強とも平等条約が可能となった >>770
一番偉そうにしてる感じするのにまだ話し合いができる方だったのか…
以外だわ
デカイ太平洋を挟んでるけどお隣さんだからかな? >>765
ああ、無能ってレベルじゃない
江戸幕府は、史上最低の暗黒政権時代だった事が証明されてるからな >>772
あんたの理屈じゃ人口減少期の今の政府が史上最悪てことになる
そうは思わんがね
人口安定のNZより人口急増のインドネシアが優れた政府だと思うか? 安定() 人口だけではない
日本史上最低最悪の中世停滞化社会
それが江戸幕府の大罪 >>775
最悪だてのはあんたの価値観でしかない
エコロジストなら江戸期を絶賛するはずだし
貧富の差や戦争を嫌うなら、その理由で農業導入を拒んだ縄文民の社会が良いと言う者もいるだろう 徳川慶喜は水戸藩だから、もともと天皇派だったのでは?
安政の大獄でやられたほうだったでしょ 何らかの意味の徳川体制がああも跡形もなく残らないとは
思ってなかったのだろうな
維新から終戦まで戦争ばかりしていた
けどあの体制でなければ、日本も植民地になっていたのかもしれない >>779
欧米諸国による植民地化の地球征服を防ぐというのが日本の戦争遂行目的
一応、戦争目的は達成された 国璽を朝廷に渡すことで薩長の倒幕大義を失わせるけど統治行政能力は幕府にしか無いから実質そのまま、だと踏んだ悪魔的奇手だと思ったんだろうけどね
けど将軍の首を三条河原にさらさないと革命ごっこのオチがつかない薩長は理屈の通じる相手ではなかった 薩摩頭おかしいし、あんな首おいてけの相手してられんわ! 薩摩は報酬が少ないと反乱を引き起こす
明治天皇も鹿児島は信用していなかった
息子に、判断に迷ったら水戸に従えと言った
平成天皇の弟の宮家が常陸宮
常陸には世話になった証
上皇もペリリュー島慰霊に行った
水戸の部隊が玉砕した島
昭和天皇はこの玉砕までは敗戦するとは思っていなかった
この玉砕で軍部に騙されたと気づいた
息子に慰霊を託した、遺言だったのだろう 今議会と選挙を廃止して天皇陛下に政権を返上すれば、菅総理は国民から圧倒的に支持されるはず。 >>622
でも「不甲斐ない卑怯者で腰抜けのバカ殿」が一人居ただけで、かなりの量の流血が節約できたとは思うぜ
我が事として考えてみれば
あそこで腰抜け役をやるよりは、中途半端な勇猛果敢を目指す方が余程安易な事だとわかると思うが
将軍自身が戦国の世みたいに、最前線で刀を交える必要は無いわけだしね >>785
君主独裁においては
修身斉家治国が求められる
修身も斉家も怪しい今上に治国を期待するのは大概、陛下丸投げの無責任では? >>787
斉昭は桜田門外の変の実行部隊指揮してただろうし
水戸藩は公武合体からの尊皇攘夷だからガチ右翼だと思ってた >>786
というか、周辺が殺されまくって嫌気さしてたんだろうな。
側近も幕臣も政治的には対立していた井伊直弼ですら殺されたわけだし
そういう意味では別に悪い選択じゃなかった。 将軍なんて御三家で適当に回せば良かったのに慶喜まで水戸藩に一度も水戸藩に将軍させなかった事が敗因だね。
しかも安政の大獄で優秀な水戸藩士殺されての桜田門外の変だしな。 >>792
水戸藩は将軍よりも天皇を尊ぶ風潮だったから
「水戸から将軍を出すな!出したら幕府が滅びる」とまで云われてたんだよ。
だから慶喜もそのジンクス回避のため一橋家へ養子に出されていた。 もし徳川慶喜じゃなくて幼名だった徳川家達が徳川家継いでいたら
徳川家存続していたかもしれんけどw
貴族議員になって徳川家達を総理大臣に推挙されたり
今の大相撲を作り上げ、初代JOC会長になって東京オリンピック開催も決めたから
人望や実績は徳川家達のほうが慶喜より断然上なんだよな >>792
家康は御三家にする意図はなかった
家康は尊敬する信玄の家臣を集め武田家を再興させた
当主は自分の子を武田信吉と名乗らせ下妻に
関ヶ原後佐竹を追い出した水戸に置いた
信吉は早死にし代わりに末子の頼房〔光圀のパパ)が入った
まだ尾張と紀州のスペア状態で曖昧だった
頼房は家光と歳が近く家光は頼房を兄と慕った
病弱な家光の代わりに政務をこなした
手放したく無い家光は水戸だけ定府制とした
天下の副将軍のあだ名はここで始まった
普代系の幕臣との軋轢も始まっていた
幕末に大老とぶつかるのも歴史の必然
家臣は武田、今川、北条の残党
ガス抜きで佐竹の遺臣
寄せ集めで内部分裂した 当時既に清国のアヘン戦争のニュースなんかも伝わってたから
イギリスとは極力争わない方針だったんだろうな >>800
ヤバいと思った井伊直弼がアメリカと日米修好通商条約を結んでアメリカの口利きで安政の五ヵ国条約だね
で、戦え派の水戸藩が激怒 >>705 >>724
その後すぐに西南戦争っていう
ジャパンの最後の内戦が行われちゃうんだけどね。
(規模がすごく小さいし、勝敗が分かりきってるけど) >>802
蟄居してた寛永寺で幕府の徹底抗戦派に囲まれても受け流して、水戸に退去した慶喜と
薩摩の兵学校の兵子に囲まれて決起してしまった西郷
西郷が決起しなくても彰義隊みたいになってたと思う 帝国議会から大日本帝国発布はちと早すぎた
同時からも言われてたけど、時代遅れのプロイセン憲法を真似て
最悪の国体思想を作ってしまった
あと、少し遅れて、社会科学が登場してからなら
こんなんじゃ資本主義としてダメじゃね?って気づけたんじゃないかと思ってしまう
もっと薩長を殺しておいた方が良かった 大政奉還後新政府に勝てると思った根拠は何だったんだろ >>804
それは余りにもなろう系主人公張りの未来人感覚なイキリ太郎すぎるぞ
ポジティブな表現での「帝国主義」という言葉が作られたのは1875年のイギリス
批判的文脈で語られるホブソンの「帝国主義論」が登場したのは1902年
レーニンの「帝国主義論」に至っては1916年
時系列的に無理だって 戦力も幕府軍が高かったんじゃなかったか?
あと実務担当能力も圧倒的に高かった >>801
攘夷は斉昭のブラフ
国の重要な政策をたかが普代が決める事を怒った
あの時点で武力で外国勢排除は不可能なのはわかっていた
水戸藩では既にイギリス捕鯨船員の上陸騒動があり実況検分で会沢が乗船した
捕鯨船ながら大砲も積んでいてその精度の高さに驚いた
本格的な戦艦が何倍もの大砲で来られたら清がやられるのも理解出来た
後に吉田松陰は会沢宅を訪問してこの話に興奮した
外国船乗船エピソードは会沢の話のパクリ 家斉とかいうモンスターがいたからこの時代の上級の名前の斉率の高さが凄えんだよな
日本史を取ってる受験生は斉なんたらばっかりでウンザリしてるんじゃないか >>810
徳川家が尊敬し幕府運営の教えを請うた家にちなんでいるんじゃないか? >>810
江戸時代は将軍一時拝領の文化があるからどの時代だって同じ字の大名ばっかりなんだけど
受験日本史で出るのなんて島津斉彬か水戸斉昭ぐらいだろ 岩倉具視役のおっさん、今回はマジな役かなと思ってたけど案の定のキャラやった。 >>775
似たような意見だなあ。
自分も江戸幕府の最大の過ちは鎖国をしたことだと思ってる。
あれのせいで帝国主義に乗り遅れた。
明治政府ができた時点で既に世界の大部分が欧米の手に入っており、
そこからの巻き返しはどう考えても無理ゲー。
ただ、仮に鎖国をしていなかった場合でもキリスト教国家にならない限りは難しかったと思う。 >>814
家斉はめっちゃ在位年数が長いんだよ
子供も大量にいて色んな家に押しつけられてるから幕末の上級は家斉から名前をもらったのとか家斉の親戚とかそんなのばっかり >>816
いや 鎖国していなかったら
250年間の平和な時はなかったと思う
スペイン ポルトガル の蹂躙を見れば明らか
江戸時代は基礎手工業の発達には貢献した 島津斉彬、小松帯刀 は明治維新前に死んだ
生きていたら歴史は変わっていただろうか? 地方が発達したのも藩の体制だな
今こそ
国と人口10万から50万の藩に再編すべきだと思う
人口密度によるが
中間的な都道府県は廃止 クソ薩摩の倒幕を阻止するのと
天皇中心の諸侯による合議制を目指してたんだろ >>818
光とか宗だって多いけどな
ことさら家斉だけ批判する理由なんかない 大政奉還した後は、自分は名誉職として大統領になれるだろうと勘違いしていた説。 故郷高松藩松平家(水戸徳川家御連枝)歴代当主
頼重
頼常
頼豊
頼桓
頼恭
頼真
頼起
頼儀
頼恕
頼胤
頼聰
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