江戸時代84%は農民 あなたの先祖も農民?(画像あり)
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蜂須賀小六に仕えてた武士だったらしい
だがひいひいひいひいひいじいちゃんぐらいに女と博打で全部パァ
クソ貧乏になった まあ武士は人殺しだからなあ
しかも江戸時代なんてまともに戦争なんてないのに 俺んちは家業が太鼓作りで、昭和前半には食肉加工業もやってたらしい。
江戸時代は武士かな? それ以前からだろ。
いつもは田畑を耕し藩主の都合で戦となれば刀風の鉄の棒を持ってわーっとやってたんだろうな。
ご苦労様です。 うちは幕臣旗本だったらしい
いいとこまで昇進したらしいが明治維新で全部パーという >>9
江戸時代の武士なんてただの貧乏人だからな。 20年で一世代とすると200年前は十世代も遡れて、ひい×8爺ちゃん婆ちゃんは2^10 = 1024人もいるわけだから、全ての身分を先祖に持っててもおかしくない 農民の方が上司とかいないし気楽だよ
年貢はきついかもしれんが。 >>18
だとしたら特殊技能者だぞ。
穢多が差別階級なんて言われるのは近代の話 土佐藩の下士や郷士には絶対なりたくないよな
百姓やってるほうがマシかもしれん 父父父 長府藩士
父父母 清末藩士
父母父 彦根藩郷士
父母母 彦根藩郷士
母 百姓
勿論母の家が一番裕福 祖先が立派ならなおさら、童貞で終わらせるのはいかがなものか。 大昔の人も源氏や平氏やら家系図を普通に捏造してたんだから
今の奴が俺の生まれはー、はお察しw 家系や前世でマウント取る
まこと人の業とは深いものよ 水呑百姓と聞いてる
集落丸ごと同姓で落人伝説みたいのが伝わってた >>24
特殊技術と特権ある階級だよね。
実は手厚く保護されていた。
電通社員おはよう あたしウチナーンチュだけど
先祖は笛吹き…
ちなみにDA PUMPのISSAも、おなじ系統らしい
マジで でも実際、昔の立派な家格を今でも保ってる人間ってどれぐらいいるもんかね? うちは宿場町の宿屋
古地図でも今でも同じ場所で区画で同じ屋号で呼び合う地区
だけど俺の代で終了 さーーーーーーせん でも占いとか霊視してもらうとだいたい武士とか役人とかなんよな なんつーか、先祖なにやっていたか、
物語としては面白いが、実際はだからなに?なんだよなあ。 父方は武士 明治維新で海軍に入って日清日露戦争
母方は桶屋 父方、曾祖母さんは会津藩家老系
曾祖父さんはk藩家老
母方、曾祖父さんはu藩大砲指南役
しかし直系は庄屋 >>56
そうなんかい?
テレビで前世がーとかみると、
みんな農民だろ?と思ってたよ。 親2祖4曾祖8その先で16人くらいになるのかな江戸時代の先祖って 判ってるのは
先祖に力士がいた。
四国辺りで炭鉱経営してた人がいた。
祖父の住んでた家はいま旅館になってる。
親父が子供の頃にお手伝いさんが3人いた。
くらいやな >>56
人殺めたり他人の労働の上前をはねてた業の深い前世がクローズアップされてくるのかな >>64
それはない
800年も寺に部落の家系図があるなら話は別だけど >>70
江戸時代に武士は存在しない定期。
侍と武士の違い理解しようぜ 由緒正しき百姓だよ!
百姓って農民のことだけじゃないんだけどね 豪農で名字帯刀を許されてた家の傍流
ひいじいちゃんが養子に出されて今の名字になったが、女系の家系らしくうちの名字を継ぐ男の子が従兄弟の子一人だけなんで断絶はそう遠く無さそうだ
ご先祖様すまぬ… >>69
ああ、それはあるのかも。
あと刀はヤバいとか。
結局人を殺すものだからね。 明治になって田畑を売り払って商売しはじめたって聞いてるから農民だな 今でいえば
農民が庶民で、武士がヤクザ
みたいなもんだろ >>74
うち、〜藩までわかっているが
武士と侍違うのか。調べてみる。 >>79
ヤクザではないな。
公務員的に勉強して事務だw >>51
docomo社長→彦根藩井伊家末裔
楽天三木谷→母方が本多忠勝の子孫らしい(三重桑名藩?)
細川護煕→熊本藩細川家末裔
日銀黒田→福岡藩黒田家末裔
麻生→細川家らしい(娘の旦那が北海道在住の福島中村相馬藩の末裔)
日本郵船役員?→加賀藩前田家末裔
靖国神社神主→盛岡藩南部家末裔
東海リニア開発室長→米沢藩上杉家末裔らしい
徳川 伊達 島津→一般人 こういうスレでは、穢多非人の方がレアだろ
書くのすら憚られるのか、ほとんど農か士だし 割と珍名なんだけどルーツがあまり分からない
帯刀してる農民だってこと以外寺の管理が悪くて戸籍?の帳簿が紛失してるらしくそれ以上分からん それを言ったら韓国人の八割は奴婢かキーセンの子孫だぞ >>64
意味が違ってる
江戸時代には、平家の落人部落というものがあると言われていた
今ではこれを観光資源にしている ひいばあさんは渋谷村出身だけど
江戸時代はお百姓さんだったらしい 家紋とかで何処経由みたいなの分かるの?
ウチは花菱だったかな 5ちゃんには先祖が武士な人とじいちゃんが戦艦大和の生き残りな人が多いよな >>51
武家は刀と鉄砲で人殺ししながら縄張り争い
それが立派といえるかどうか
公家は公家で渡来人だし >>7
そんな事言ったら警官なんか戊辰戦争で人殺しまくった連中がやってたんだぞ?
しかも当時、戸籍が怪しい奴すらやっていたんだからな
だから今でも名残りで地方だと脅し文句で『おいこら』って残ってんだぞ?
ただの挨拶が威嚇として残ってるってヤバくないか?
かなりの人間殺したんだろ 豪農と下級武士の先祖いたらしいけど
武士のご先祖の方は極貧で内職して悲惨な生活してたらしい 先祖の戒名である程度察することができる。
うちは、「ーー院ーーーー清居士」程度。
伊達藩家臣だったらしく仙台に墓があったそうな。まあ、地方の中間管理職でこき使われる立場だったんだろうな。今とたいして変わらん。 身分はどのくらい正確に伝承できてるんだろな。僻地は結構いい加減なはず。文章保存等の役所がなくなったりしてるだろうし B町人―約6%
って、大工とかなんだろけど、よく火事の多い江戸でこんな人数で回ってたな?
農家の家は大工が作るじゃないのかな?なんか少なすぎる感じする
あと得た避妊はもっといそうだけど、認知されてなかったのかな? >>99
ここまで承認欲求高い書き込みは久しぶりに見たw >>91
ウチは浅野氏系の家紋だけどご先祖様が百姓なのも間違いないんだよな 江戸時代でも風呂屋だったら左うちわだろうな。
各家庭にフツーに風呂あるしすぱ銭全盛の今の時代は地獄だろうけどw >>96
苗字帯刀持って土地沢山持っていても、昭和維新や戦後で大半跡形も無いでしょ
ガチの田舎の方は、詐欺師少なかったし
土地に価値無かったから大丈夫だった地域あるけど
港町とか悲惨だったからな。
江戸時代後期から昭和初期なんて
水戸(河港)利権の影響で、幕府や維新側から散々揉みくちゃにされた歴史とか悲惨だわ
これで全国で何人死んだか数えるられないんじゃないのか? 社会主義史観のイメージと違って
日本の階級制度ってわりとルーズだったらしいね
武士が下農したり、農民が武士の株買ったり 役人でも半官半農だろ
農地もってないヤツは辛かった時代 江戸時代ってう〇こが売れたとんでもない時代だよな? >>103
江戸の割合じゃなく日本全体の割合だよ
江戸は町人人口が多かった 呑百姓から商人だったか
逆だったか
武家ではないな >>106
いや、51が「立派」って恥ずかしげもなく
発言したからひっかかっただけだよ
何人殺したのかが気になってさ >>100
あっても麻生みたいに買い占めてる屑とか多かった
うちのアホ先祖も売ったりしていたからな
商人に借金の補償で今も残っているよ 武士は内緒で傘張りや行商していた
表立って商いや農業が出来なかったから 実家が茨城だったけど、
地元の豊穣祭の台帳が残ってて、江戸時代以前から続いてるのは知ってる。
名字もあって、江戸時代に建てられた墓にも名字はある。かといって武士ってわけじゃあない。
士農工商もたんなる区分けってだけだったんだろうねえ。 田舎は大農家がお奉行兼業やってたんだよね。代官屋敷は日本中あるね 今の農家はGHQが小作人に農地を解放しただけ
昔の百姓は地主から農地を借りてた小作人だから 町人≒中産階級 だぞ
町に住んでるだけの職人は、百姓 地主憎しと、小作人に土地安く売ったのになんで小金持ちになれんのよ? 代官屋敷のオーナーは代々地主で農民をさんざん搾取してたんだろな 水戸藩の300石取りの武士
維新後は士族
代々公務員 前世はお姫様とか言われて本気にするバカがいるからな
前世があったとしても、普通に百姓とか漁師とかに決まってるだろ >>120
まあ歴史が浅い人らにはわからないかもね
武士は現代の極道だってことが 江戸時代って言うと終盤でももう150年も前だから
だいたい30年で1世代だとしてもう5世代前でその時点で32人のご先祖様が居るんだよな
江戸前期や中期まで遡ると100人200人の血を引いてるわけで
100人に一人の天才や豪傑くらいならご先祖にいても良いんじゃねって気もする >>114
肥料にしたからな
アレは、ちゃんと発酵させないと >>99
ホンマこれ
中途半端に身分高いと戒名つけるのもクソ高いんだよ >>136
(福岡県) 息をするように嘘w お察し そもそも武士だって元をたどればみんな農民だっつーの 実家は寺だわ
室町時代から続く先祖代々の墓も残ってる >>93
それ戊辰戦争で人殺しまくった連中の子孫が言うとジワるな 明治政府は気がついた
何も仕事していない武士に固定の俸禄支払うより
農家の次男三男を訓練して、必要に応じて徴兵するが合理的であると >>1
苗字からある程度推測出来るんじゃねーの?
田んぼの中とか、
お堀の内側とか、
○○の藤原氏とか、 母方祖母の家が普通に百姓だったから百姓だろ
父は早くに死んでそっちの親類とはそれ以来没交渉だったから父方の出は全くわからんが 山で薪を拾って街に売りに行ってたらしい
竿秤が残ってるわ 先祖について聞かれても、ビッグバンより前のことはよく分からん。 >>140
先祖のカウントして良いのは同性の男系のみ
女系もカウントして良いなら
俺もたかが水戸藩中級士族だが織田や佐竹の血を引いている
でも本家に申し訳ないから主張は普通しない >>142
主張の要旨は分からんが武士がもともとは極道ってのはある意味正しいぞ
平安時代の公家が武力を放棄しちゃったもんだから地方民はみんな自衛の為にそれぞれに武装したってのが始まりだから 名字的には田んぼ持ってたであろう名字だから農民だな >>142
はいはい
ちなみに約400年前、江戸ができる前はどこの雪国にいたの? >>1
みんな太ってるな
農民もいい暮らししてたのかな? >>155
そりゃ苗字を許可された農民共が一斉に武士っぽい苗字を付けたからな〜 >>154
移民の末裔に諭すだけ無駄だよ
どこの高句麗の馬の骨かもわからん人に >>122
実は武士道なんて概念はない
って、新渡戸稲造が言ってた気がするが 大叔父の家に脇差が伝わってるから先祖に武士がいたかもしれないけど、うちは分家だからほとんど関係ないな 藤原というと公家のイメージだが
藤原という名字はほとんどが百姓の子孫
維新時に百姓が偉い名字をつけようとして藤原が急増したらしい
本当の藤原の公家は京都の地名や通りから名前をとっている >>1
当時は百姓イコール農業従事者ではなかろう? >>135
漁師なんて割と最近出来た職業だし
江戸時代辺りとかも川メインで、利権争いが凄くて藩同士で殺し合いに発展するほどめんどくさい話
その時代漁師していたなら苗字帯刀持ってる奴と繋がり無いと生きるの無理
幕府側と組んで殿様商売した藩とか戊辰戦争で酷い扱いされたのは、歴史が残ってる うちは武士だったそうだ
本家は詩吟の家元してたがあと取りが居なくて今は弟子が継いでる >>162
父の出身地は一帯糞ほど同じ苗字がいるから俺もそう思ってる
多分そういう苗字の有力者かなんかがいてそれに倣って一斉につけたんだろうなと 浅野家に仕えた武家だったけど討入り断って商売始めたって死んだ爺さんが言ってた >>153
本家がしっかり残ってる方が今とか貴重だよ。
身内が馬鹿だと跡形もなく残らないから 父の実家は農家、母の実家は現在農家ではないがかなりの土地持ちの農家だったらしい
よって先祖は確実に農民だな マレーシア辺りから来たっつー話は聞いた
細かいことはよく分からんが >>172
うちの地域だとこの苗字親戚しか付けてなくて有名だよ。代々親から話聞くし
近江から神田とわざわざ来てるし今でも田舎だから土地にまだ歴史が残ってるし消えてない
現代人の大半がそれ見てもわかる事ないけど
母方の父は、わざわざ4家と京都から来てるしね
力持ちすぎて追い出されたって話が普通にあるし、寺にすら金貸す余裕あったらしいが 明朝から琉球に来た渡来人らしい
真偽不明やけど洪武帝が直々に派遣したことになってる 一族によって同じ苗字にしたが
中にはパーがいて、うまくしゃべれないので
役場に勝手に違う苗字を付けられたのも居る
苗字はかなりいい加減らしいね >>188
仙台藩は全国から集まった武士を政宗がクビにしないで住まわせてたから住民の8割が士族だったとブラタモリでやっていた 昔は農民だったし、爺さんの代まで普通に農家だったけど、
結局誰も跡を継がず、みんなサラリーマンみたいになっちまった
山も土地もあるのにホントにもったいねーわ つかうちの先祖はいくらでもカッコいい苗字付けられたはずなのになんで佐々木なんていう糞ダサい苗字にしてしまったのか… >>173
苗字帯刀持ってたけど
さつまいも作ったり豚飼ったりしてたからな
味噌まで作ってた
父方の母が維新側の人間だった影響
少し前まで寺が2つあって、わざわざ西郷隆盛が隠れて住んでた所ら辺まで行くからな >>196
佐々木は源氏の名前だから
そういう人がお殿様だったんじゃね >>196
道誉の子孫かもと自己暗示をかけろ
まあ北朝サイドだから一部地域からは嫌われてるけど… >>187
本来古くからいるなら苗字なんか複数所有していたでしょ?
昔は、本当の苗字や名前なんて簡単に言う時代じゃなかった
それを利用されて子供がいなくなるとか日常茶飯事
だから汚い名前を幼い時につける風習の名残りで、女の子にサキとか名前つけるでしょ? 農民だけど、本家のスペア用家系だな。
たまに本家から嫁がくるし、本家に男の子がいなけりゃ養子や入婿に出す感じ。 ご先祖様は江戸時代は代官をしていたらしいが明治にになって汚職して地元を追い出されたらしい
墓参りだけその地域に入ることを許されているとかで年に一回しか俺も行ったとこが無い
もう誰もそん時のことなんて知らないのに律儀に守る必要あるんかと 婆ちゃんが米作ってたって言ってたから確実に農民だな >>196
佐々木は、有力氏族だぞ
新発田藩なんか佐々木氏だし、発祥が近江だった筈
佐々木氏と新潟にわざわざ来たのがうちの一族 >>205
しっかり情報整理すると先祖辿れたりするから、本来なら歴史的に貴重な財産
うちみたいにあからさまに乾燥帯遺伝持ってる人間が、大陸渡ってどうやって日本に来たか調べる材料になるし
本家持ってる先祖の写真があれば、何処から来たか特定も出来る
基本的に日本人の大半が移民だし 幕末まで武士で馬なんとかという仕事していたが明治時代に子沢山すぎて俺の爺さんは養子に出された。男だけで2桁とかどんだけ精剛なんだよ >>168
酷いと
藤原→二条→中村→土佐とかややこしい奴いるからな
母方の父とか徳川時代に権力持った東北の人間だったから、内藤のまんまだし
乾燥帯遺伝持ってタタール顔してるよ。平均的な日本人より白人みたいな顔してるよ 父方祖父 藩の地下役人
父方祖母 漁師
母方祖父 商家
母方祖母 庄屋
武士の家系ではないな おれんとこは100年ぐらい前までは宿屋だったらしい
木曽路っていうのかな、中山道ていうか。
だからかしらんが身内は農業に縁遠い。 畑とか憧れる。 水戸藩の奉行までつとめた直系子孫だけど維新後は代々薄給下級公務員
親族に本陣の末裔がいるけど市長や代議士を輩出するなど地元の名士になっている
維新で逆転されてしまったわ うちは宿場町の宿屋。お前らの先祖もお伊勢参りとかでうち泊まったぞ。 農民でよかった
武家の殺戮の代償は末代まで払ってもらいたい 一応「徳川旗本で先祖代々江戸在住」という系図が残っているが、歴オタの俺が調べた限り全く信用出来ない。
むしろ名字は長野北部から新潟にかけて多い珍しい名字なので、おそらくソッチ出身で系図は金で買ったモノだろう。
しかし墓は都内のそこそこ名門の寺に古くからあるので、少なくとも明治初期には既に江戸周辺に住んでいたのだろう。
判る範囲では戦前から現在の場所に住んでいたのは確認出来る。
唯一「名門かも知れない」と思わせるのは、家紋がかなり珍しく墓石に家紋を入れようとした時に石屋の家紋表に載っていなかった事。
歴オタの俺の知識の範疇では、北陸地方の某有名武将の家紋をアレンジした模様なので、その家臣か領民だったのではないか、と予想している。 >>218
お前んとこもか。意外に宿多かったのかな >>1
右の方の子供二人、顔がのっぺらぼうだけどなぜ?うごいちゃったの? 同じ集落なのに、檀家の寺が違ったり、墓の場所が違う
苗字によって、それが分かる >>219
世間って案外狭いからな。うちに結城氏いるのがビックリしたしな
これが何故か維新側と繋がりあったのが勉強不足で放置中 今のサラリーマンはもちろんちょっとした経営者なんかも江戸時代なら百姓に当たるわけで >>223
昔は、小さな宿もそこら辺で商売していたからね。
うちの地元だと新津や五泉とかその風習残ってたけど、みんな廃業したからね
面影は、まだ残ってる
金無いから漫画喫茶やビジネスホテルで泊まる感覚なんだろう まぁ農民だろーけど
中身入りの千両箱とかあるなボロボロやけど
悪いことしとったんかな 駆け落ちしたり家出したり一時の本能のまま動く空気読めない先祖多い 江戸時代に花魁やってた、。 紀伊国屋文左衛門のちんこしゃぶったらしいぞ >>109
現新潟市の港は新発田藩と長岡藩と幕府で取り合いして町人がストして代表を打ち首にする代わりに自治を許されたんだっけ? 父方は下級武士で維新後に警察官
写真が残ってたわ
母方は知らん >>232
うちは長崎から福岡に至るシュガーロードの宿場町だったけど年貢米を港まで運ぶ交通路にもなってたみたい。今は高速のインターチェンジになってるw
年貢納めるのもあるから交通と宿は発達してたんだろうなあ エタは賤業と呼ばれる仕事を幕府公認で独占的に請け負っていた。金を持ってて妬みの対象だった。それが明治維新で自由化されて誰もが参入できるようになると食い詰めて差別とか言い出すようになった。 忍者の家系
俺は非正規のオッサン、yo!
親戚は有名な武将や姫さん系。
今の時代に血筋で結婚決めてる。 >>1
ん〜
越田(えった)非人が、現代日本で云う所の「差別」とやらを受けてたワケじゃねぇな
階級理念からいえば、チョーセン半島やカースト制度よか緩やかで穏やかだ
つかアカ&在日韓国チョーセンジンら反日界隈によって醸し出された歪んだ「差別」イメージが、あたかも「事実」かの様に喧伝されている風潮こそ危険だな
ウチは士分から木工を商いとして、旧陸軍御用達の木工所を営んでいた
まあ日本人の時点で「勝組」は間違いねぇよ うちの嫁。変わった家系。
母父 朝鮮両班(旧帝大卒)
母母父 ドイツ外交官 かつては職人とか漁師なんかも引っくるめて百姓と称してたんだろ 忍者みたいなことをやってたみたいで鉄砲と刀が残ってる
昔は回転扉付きのカラクリ屋敷もあったようだが火事で燃えた
中国地方の山間部なんだけどあんな田舎で何をやっていたのか気になるな 父方は武家から別れた農家
母方は農家
俺は農学部
結局は百姓、漁師が一番えらい うち検地帳が複数あったんだがこれはどう解釈すればいいんだ?
大昔に話聞いた気がするんだがガキだったし覚えてないわ
ちなみに検地帳はじいさんが地域の博物館に寄贈して手元にもう無い >>223
各地域の神社史みるといい。
今は廃れた祭りが
大賑わいな有名な祭りで宿も並んでたという資料は多い。 写真からも当時の文明力の高さが伺える
効率的な技術力はやはり抜きん出ているな 先祖って1000人くらいいるだろ
名家でないなら9割農民
名家でも半分以上農民
天皇家レベルじゃないとすぐ農民が見つかる
戦前に農民やってればそれより上がほぼ農民
とくに男系は代々農民 江戸時代初期とかまで遡ってしまうと人口の半分くらいが親戚になって母方も入れると身分も何もないのでは? 父方の婆ちゃんは山奥の農家で何代もたどれるんだが
爺ちゃんは戦前は品川で煎餅焼いていたことしかわからん… >>1
全部足したら100%超えてて草wwwwwwwwwええwwwww
この記事の信憑性ゼロ 笑 >>266
地方武士は農民
商人も坊主も神主もえたひにんも
都市部以外みんな農業従事者 落部者で見つかれば殺されるから山奥に逃げて農家になった >>263
戦後しばらくまでは婚姻関係をもつ地域がめちゃくちゃ狭かったので
人口の半分ということはないだろうね
その代わりその地域では二重三重の親戚関係が出来上がって
大変息苦しい人間関係が続いていたわけだが 母方なら江戸時代に廻船問屋で財を成したようで明治の豪商名鑑にも名前が載っていたとか
山縣有朋の親戚もいるようだけど山縣って元々下級武士だからイマイチか 「おーい竜馬」ってマンガで当時の藩主の山内容堂が、トンデモねー極悪人の殺人鬼みたいに
描かれたんで、山内家の子孫が小学館にクレーム入れたんだってなw >>270
明治中期くらいまでは本当に狭そう
15代遡っても2^15で32,768とかにならず
1万人も直径の先祖いなさそう
少ないと5000人割るかな
明治中期くらいから一気に混ざるとして >>272
山縣は中間という武家奉公人
下級武士ですらない
伊藤博文は完全な水呑百姓
長州勢は秀吉ばりの出世を遂げた奴が二人もおる >>222
へー。
でも旗本って所領に赴任しないで江戸暮らしの奴は居ったやろ。
それと地方城主大名も江戸にも墓所の奴は多いが。。
我が家系は
関ヶ原の西軍大名の家老の分家
譜代大名就任時に引き立てたれ、割かれた近隣藩へ付いて来た。
城の役人にはならず小さな集落を任され、帯刀乗馬も許され治水、寺院建立を一通り成し遂げ。子孫は江戸期ずーっと庄屋
子孫は主に三家に別れ各家で家紋が違う。
家紋地外は、多分に、改易食らってお家断絶の危機への備えだと思う
藩内は庄屋の入換交代が盛んだったが、ずーっと庄屋は珍しい。 伊達政宗がイキってた時の戦なんて本当に規模がショボかったからな。豊臣軍の数見て小便漏らして臣下になったんだから。 >>276
乞食から法曹になった江藤の方が上だろ
佐賀の乱起こして処刑されたけど うちは中国地方の武士だったけど超貧乏だったって日記が出てきたなw
百姓に頭3回下げたとか書いてあったけどそれ良いんかって >>97
主人がいて従う武士が侍だと思ったけど違ったらごめんね >>281
勘違いしてないか
江藤新平は下級武士であるもののれっきとした佐賀藩士だろ / \ \
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_ノ \ _ノ
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(Y^ヽ(Y^ヽ| ヽ、ニ 落武者狩りしてたから農民
屋根裏に刀十数本を束にしたものが放置されてたわ >>285
徳川家康だって
江戸の開拓に豪族農家へ頭7回下げたんだって 先祖がひにんだろうが将軍だろうが今が変わるわけじゃ無い うち東京生まれだけど家系図なんてないわ。空襲で焼けたのかしらんが。
爺さんの代までしかわからない。 >>1
一番右のおしんに取り憑いてるのは子泣きじじい? >>303
お前の回線の方がきもいは
人殺しの移民の末裔が >34
家名とかどっちが継ぐとかどうでもいいけど
血は絶やしたくないわな 先祖にどんな職業のひとがいようとも、わたしの代で末代なんだよ 家は岡山の農民。宮本武蔵の親父の兄弟が先祖。
つまり、我が家系は宮本武蔵とは関係ない事が立証されている。 >>223
最初は民泊みたいなことしてたんだろけど、立地的に「こりゃイケるぞ!」となるんだろね
昔の宿屋は現代の比じゃないぐらい重要だっただろうし
関所で何日間も足止めされることもあったと資料に書いてあった 百姓どもが武士道とかサムライ魂とかドヤ顔で語ってるのな。とんだバッタもんだなwwww >>161
別に奴隷じゃないからな
普通に飯食えるよ じいさんの田舎で同じ苗字の武将いないかぐぐったら一族郎党皆殺しにされてたわw 田んぼたくさんあるし名字は周り近所と同じだけどきっと武士だおともう 家康とか秀吉でさえキチガイなのに
したっぱの侍や武士が高貴なものみたいな幻想は
どうにかしたほうがよい 本家は室町以前から武士階級。でもうちは分家だからなぁ 江戸落語なんかもしょせんは町民メインの世界しか描いてないわけだしな 先祖が武士おじさんじいちゃんがすごい人だったおじさん豪農だったおじさん 改めて、江戸時代って今と比べたらだいぶ人口少ないなー
これで、技術力も圧倒的な欧米によく侵略されなかったもんだよ そういう意味で、現代人はみんなエリートなんだよ
よく繋いできたと関心する 本家は商人(町人)から士分を金で買ったんだと推察する
高利貸しもやってたんでね 男系直系は武士
あと、知ってる限り農民
先祖に商人もいて欲しかったな。いたとしてもわからん、知らん状態 >>21
小作だったら上司いただろ
先祖に小作が全くいないってのも考えづらい 百姓=農山漁村部の住人
村の住人は職業関係なく百姓 農家のくせに刀ある家は死体からパクってきたもんだから呪われろ 土地を持って子孫を残せるような農民なら先祖辿れば大概は武士に繋がってる
そういうバックボーンを持たない純粋な農民は中々続かないよ >>329
されてるやん
無血開城から無条件降伏まで 農地を持つ農民は農家・地主
農地を持たない農民は小作・百姓
小作権を持たない農民は穢たひ人・パソナ とても珍しい苗字で読み方がロシアぽっい
室町時代に関東にきたとか
先祖が何していたかはよくわかってないが
少なくともひいじいさんからは
農家だな とても珍しい苗字で読み方がロシアぽっい
室町時代に関東にきたとか
先祖が何していたかはよくわかってないが
少なくともひいじいさんからは
農家だな みんな同じ仕事で童貞とかもいない世界だったんだよな。 父方は曾祖父さんの代までは四谷で建具職人の親方やってたらしい。爺さんは現場からの生え抜きで某一部上場の工作機械メーカーの役員やってた。
四谷にかなり土地持ってたらしいが戦時中のどさくさでかなり無くなったとか聞いたな
母方は一切わからん。父方はそれより前は辿れないが多分職人なんだろうな、と 寺の過去帳によると、元は野武士(普段百姓で、いざ鎌倉)。
江戸以降は織物屋と煎餅屋🍘の屋号が在った。 こういうスレ、数ヶ月前にも見たわ
その時は武士だったとレスしたから、今回は商人だったとレスしとくわ
次回は天皇の御落胤だったとレスする予定 >>333
株の事か
苗字と一本刺しができる身分か 名字帯刀の農民(庄屋)
なのはいいけど、相続させられる土地がど田舎過ぎて売れず固定資産税の無駄払い 大名だったけど惨敗して乗っ取られた。女以外ひどい虐殺されたらしい。 旧華族は今でも旧華族同士や皇族と交流がある
コネで大手企業、公務員に就職できるから勝ち組の人生が保証されている 庄屋みたいな感じだったらしいが3代に一度穀潰しか生まれたらしくあまり裕福ではなかったらしい 旧士族もその地方の公務員とか地方の名門企業にはコネで入りやすい
昔は無試験で市役所に入れた
日本はまだまだ旧社会秩序を引きずっているのが現状 >>303
気っしょとか言うレスじゃないやろそれw >>349
ひどいのだとおじろくおばさ制度とかあるから
そうでもないんでないの 日本が併合してやる前
90%は奴隷 !
お前の先祖も奴隷? ウチは続いてるけど、江戸末期と明治に
養子迎えて少なくとも2度は血脈が絶えてるな
まぁ、他人様の怨みを買いやすい商売だったから仕方ないか うちは母型が苗字のある農民、父型が苗字の無い明治新姓な農民 俺のおばあさんは子供の頃MPからほっぺにチュッされたらしいから米軍人で 福岡ー東京 1220q ←コレwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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こんな糞ド田舎に住んで、地元アピでホルホルしているカッペの馬鹿がいるらしいwwww
俺なら恥ずかしすぎて即自殺するレベルwww
バカ、アホ、今すぐ死ね! >>371
母方、父方って言うんだよ、馬鹿土人
だから田舎者は笑われるんだよ >>138
大体先祖のどこかに凄い人がいたら語り継がれるからな
親から先祖の誰々さんはこんな有名人でって話聞いたことないやつはおらんだろ 虚言癖おじさんスレ
「俺タワマン住んでるから」
「俺の先祖武家だから」 実家にこれ見よがしに家紋飾ってあるけど本当やめて欲しい 父ちゃんの実家は米農家だった
跡継ぎいなくて米もらえなくなって久しいけどな 5代前は田舎で百姓してたようだ
しかし詳しく調べると血は繋がってない 昔は百姓だよ!
そしてどっちのじいじも国鉄のひとだった
百姓続けてたら良かったのに 明治時代は士族で寺子屋の校長だったから武士だけど完全に没落してるわ。 百姓、小作農と言っても今で言えばリーマンだよ
武士も自分で農地の管理なんかしてない
どうしてたかと言うと八百屋に任せてた
歌舞伎の演目にも八百屋お七とかあるけど
何で八百屋が?と思うだろうけど、今で言うと
八百屋ってのはセレブな金融業なんだよ ひにんってのは刺青入れられた犯罪者のことなんじゃ無かったか
何でいつもえたと一緒くたなんだ 足軽 農民 だったとは思われる。
母方
商家
父方 鬼女板の皇室スレには天皇家より家柄が良い人がわらわらいてびっくりする() >>388
なるほど 米問屋もセレブだもんね おしんだと
小売りだけじゃなくて仲介 卸 生産管理 土地管理 金の貸借など
地域経済的な農協的なアレも引き受けてたのか うちは加賀藩の武士だったのだがなぜか今は医者の家計 川・河・辺・沖・岸・水・島・牛が苗字に使われてたら穢多非人確率アップ! 大名の家老だったけど、戦前は徒歩5分の最寄りの駅まで他人の土地を踏まずに行けたのに
農地改革で実家の土地以外全て取り上げられ、小作人に金まで払わされて没落した
禅宗の寺に墓だけはやたら立派なのが残ってるw >>393
ウチは昭和恐慌で潰れちゃったけど
維新後は銀行やってたからね 良い歳したおっさんがおれの先祖は武士だってイキってるのがいるわw 母方は下町の商人、父方は山ん中で米と蚕を育てる農民 農民だろうが士族だろうが何でも構わん、祖先のおかげで今の俺があるし受け継がれてきた土地もある、そんな先祖を悪く言ったらバチが当たるよ 農民の祖先は羨ましいよ
だって田んぼという土地があるじゃん 畑と田んぼめちゃあったけど、ばあちゃんの代で農業する人居なくなって管理も出来なくなったから売ってしまったな >>403
戦時中も食に困らず悠々と暮らしてたのも農家だからな、機銃掃射されるリスクはあったみたいだが 俺の血筋は那覇の商人から首里王朝の貴族に養子に引きとられた家系
全然金持ちでもなんでもないけどw >>403
売れればね
房総の山の中の限界集落の山や土地を相続しても誰も買ってくれないから頭抱えてる
バブル期は色々開発計画あったみたいだけど全部頓挫
住民より墓石の方が多い集落の土地を貰ってどうしろと
こっちはこっちで自分で家買ってるのに 農民だけど土地持ちの豪農だった
戦後の農地改革でほとんど失ったけどな ふくらはぎ見ると家系が農民の出かどうか分かるぞ。
ふくらはぎ筋肉太さは遺伝。
先祖が農民だと、ふくらはぎ筋肉もともと太くて発達してるから。 >>412
マジか、俺ひょろガリだけどふくらはぎだけやたら発達していて不思議に思ってたけどそういう事か 江戸時代を生きてたご先祖様まで数世代遡ったら武士の家系ぐらい当たるだろ。日本人ならね。
うちは婆様の実家が彦根藩の下っ端武士。
まぁ、彦根藩は武士の割合が他の地域より高いから金のある農民レベルだろう。 俺の家の初代は室町時代に大山崎離宮八幡宮に捨てられた孤児。
成長して油売りの神人つまり非人です。
現在のサントリー山崎工場がうちの工場兼屋敷でしたが、菜種油の普及と同時に見事に没落。
荏胡麻油は現在では土産物です。 地主だったのにマッカーサーに取られたから
そろそろ土地や小作人奴隷たちを返して欲しい >>408
今は県や市町村役場も資産価値のあるものじゃないと寄付とか受け付けないもんな
まあ固定資産税払ってもらう方がよっぽどマシだし まあ交配を繰り返してるからな
1代で2家、2代で4家、3代で8家、4代で16家
みんな先祖の中には武士もいれば農民もいるだろう 那覇の中国村出身で琉球王朝の役人やってたらしいわ。
琉球処分のあとは商人。 >>421
江戸以前の農民ってフィクションに出てくるような悲惨な感じじゃないぞ
いわば働き手だからまともな領主なら厚遇されるよ
例えば田んぼ捨てて夜逃げされたらダイレクトに国力ダウンに繋がるし秀吉が刀狩りするくらい武器を貯め込んでたんだぞ 佐竹家に仕えていたらしい。普段は農民で戦になると武士になったらしい >>222
これわかるなあ
うちも苗字と家伝の伝承と家紋が合わない
家紋にはもっともらしいエピソードがあるけど御先祖様がどっかで弄ったような気がして仕方ないw わかってる分だけでも
父方は10代前から農民
母方は16代前から農民
母方は結構大きな農家で平氏の落人の世話したらしい 生産活動をしない武士が7%って健全な社会だろ。
武士は元兵士、少なかった理由は社会が安定していて
戦い要員が不要だったから。士農工商は身分ではなく職業分類。
農民が侍になったり、侍が町人になったりは映画通り。
新撰組なんて元農民が多かった。 ヤバ過ぎ!コロナで死んだ人は知らないが、ワクチ〇で死んだ人は知ってる人が激増中!
ワクチンでぼろ儲けしている人たちの犯罪が明らかになりつつあります。
巨額わいろで政治家、官僚、マスコミを買収し、データを捏造し、株価を釣りあげ
、ワクチン関係企業の幹部らによる利益確定売りが明らかになりました。連中の利益
は各自数億円というものです。
コロナの危険を煽り、ワクチソ接種を必死で勧める専門家らはカネをファイザーなどから受け取っている
朗報!新型コロナの軍事裁判準備【人口削減一味】日本も対象!数千人の弁護士、科学者、
医療関係者が【covid-19】による人道への犯罪をニュルンベルク軍事裁判(ナチス裁判、
東京裁判)とへ提訴する!コロナを支持した医者、ワクチンを接種した医療関係者、
死亡証明書などを偽造した医者なども裁かれる!日本の医者も対象となる!政財界、
テレビらの犯罪者多数!
参考:コロナのお陰で昨年の死亡数は一昨年より約9400人少なかった。日本の死亡
数は毎年約2万人増えているので、平年より約3万人少なかった、つまり犠牲者は減っ
た。これが隠蔽されています。志村けんは死んでおらず、遺体確認しようとしたら拘束! >>434
道民は北陸とか東北とかどっかからの移民だしね(´・ω・`) 百姓=農民って訳じゃないってあんまし知られてないのな 名字に田がついてるから間違いなく百姓
それも恐らく貧乏百姓 地主で水場占領してたらしい
まぁ戦後取り上げられたらしいが詳しく知らん
ばーちゃんは近所の家を影で泥棒呼ばわりしてた >>441
この前「田(た)」さんって人がいて変わった名前だなと思ったけど農家だったのかな
中国からの移民か何かだと思ってたわ 話によると大地主
でもその割に名字は明治に、土地も少々
あやしい >>446
名前に田がつくなんて藤田田くらいだろう。 >>446
昔、田(でん)英夫とか云う国会議員なら居た(・∀・) 父方は平家の落人からの山間集落での農家、片や母方は農家だけどかつては甲州武田関連だったらしい。
農民なのに家紋があるらしく、父方の家紋が丸に木瓜、母方の家紋が武田菱らしいが
どうにも胡散臭く感じてしまう。
こんなことってあるの? >>443
維新で土地取られたと思われがちだけど
地方の士族には結構土地が残されてたからね
でも先の大戦で地方中核都市だから狙い撃ち空襲くらって江戸期から受け継いだ1000坪近い武家屋敷は全焼
挙げ句の果てに農地改革で田んぼの取られた
ほんと踏んだり蹴ったりだよ うちんくは百姓だが先祖に一人くらいは侍と血のつながりのある人がいたと信じてる
でも、うちの苗字はここでは必ず朝鮮人扱いされる
困ったもんだ >>452
維新では城主は自分の領地が自分の土地になっただけだよ。それが戦前の大地主。 知り合いが武士の末裔は背が高くて農民の末裔は背が低いって半分冗談で言ってたけどこれってマジだよな
少なくとも自分の周りではかなり当てはまる ちょうど今日の大河ドラマで農民から武士になった渋沢栄一と土方歳三がお互いの出自を知って盛り上がってたけど、この二人はどうカウントされるんだ。 >>458
武士かどうかは維新期に士族に編入されたかどうかだと思うよ
渋沢成一郎は彰義隊の頭領だったから
賊軍首魁で士族から平民に落とされた >>459
そうなると新選組の原田も生き残ってたら平民扱い? 日本の歴史は江戸時代より古い。つまりそれまでいろいろ没落もあったわけだ。
下剋上の世の中もあった。身分がばれないように農民になり、落人になった家もある。 農民だったおかげで豪遊しなければ不動産賃貸収入だけでも生きていけるわ
まあ近所は代々ここで暮らしてきた家が多いからうちだけ特別というわけでもないが >>462
だな
生まれながらに不動産があるのは素晴らしいよ うちの父方は仙台藩士
母方は甲斐源氏だと聞いている >>454
大半の士族は土地を担保に八百屋から金借りてた
維新になると土地を手放して借金返すか
そのまま八百屋に土地を売って現金化してる
終戦までの大地主ってのはこうやって成立したの
で、俺んとこは土地まで失って没落w
まぁ、貯えあったから生活に困ることは無かったけど >>196
平家物語で活躍した佐々木三郎高綱なんかも出てるから
決して凡庸な名字じゃないよ。
それより、うちの名字のハンコが最近売られていないのだが…orz >>456
江戸期、少なくとも初期はむしろ背が低い方がカッチョよかったらしいよ >>72
そういう人達も、穢多頭になると
下手な貧乏御家人よりも遥かに裕福な暮らしをしてたそうだ。
浪人者の山田浅右衛門(刀の試し斬り役兼処刑人)なんかも同様な。 うちの先祖は福岡の遠賀辺りからこっちに流れてきた農民だな
周りも基本的に農民しかいないし
お庄屋なんて元からそんないないし、武士もほぼいなくて
たまに戦乱が起こったら農民が参加する程度
それで逆賊である薩摩の自称武士の芋侍も百姓が追い返したしな 結局貧民は子孫残さず断絶しやすく
富農の次男、三男が分家して新たな家を興すから
結構みんなそれなりの家柄だったりするらしいけどな >>459
明治時代に織田信秀の子孫とか平島公方の末裔などの没落武家や公家が
士族や華族に取り立てて貰える様に明治政府に運動したけどほとんど却下されたからね うちの先祖は明治のご一新の時に名字自分で好き勝手につけていいと言われたから公家っぽい名字にしたらしい
おかげで先祖農民のくせにいい血筋の人だと思われてるw 武士でも何やってたかによると思う。うちの母方調べたら無茶な領主の家臣で一揆抑え込んだ側だったので全然関係ないんだけどなんか申し訳なくなった。 >>472
それが真実なんだよね。
農家の次男、三男が所帯を持てるようになったのは明治以降だよ。 >>1
なんか左の写真見て微笑ましいなあとほのぼのした俺はきっと農民の末裔だな 先祖の話をしなくても、時々人から、何処となく品があるとは言われる
南北朝時代の武家で、明治まで神社 父方は奈良の農家、お寺さんの過去帳で江戸時代までは遡れる。まあその前もそこら辺で農民やったやろうなとは思う。 父方は東北の農家、そこら一帯同じ苗字の遠い親戚だらけで
元は豪農らしいけど昔は昔だし父親は農家じゃないから良く分からん
母方は岐阜の方の神主かなんかの家系らしいけど
母親自身は東京生まれ東京育ちだからこっちも良く分からないわ どの代までかによるのでは
先祖代々ずっと同じ仕事してる人のほうが稀だし
今貧乏で低所得で低学歴で仕事もしょぼくて、家族関係も悪く不幸で不遇な人が、
調べようもない先祖自慢するのをよく見るんだけど、痛々しい 徳川家や松平家の御落胤の子孫はこのスレにいそうだけどね。 つい最近まで日本人は靴も履かない土人だったんだよ
だから貧乏なんかなんとも思わないんだよ 母方のご先祖が
浄土真宗?が何かで活躍されたらしく
御嶽山という山の奥深くに祀られてるらしいんだが
そんなとこ親戚一同誰も行けねえ… 江戸時代まで農工商の身分には苗字なし
その環境で屋号が発達した 5chの9割は武家か公家か神官か高僧の末裔だな
農民なんか10%もおらん
いかに5chの住人が高貴で品格のあるエリートなのも納得だな >>484
江戸時代まで狩った首で報酬が発生した首狩り族だったしな 江戸時代と平安時代って700年くらいの差があるのに一緒くたに語られることあるよな
江戸時代の農民が平安時代にタイムスリップすると驚くのだろうか?現代人が50年前にタイムスリップしたら確実にビビるだろうがな >>487
江戸時代の武士階級の人口比率は1/12だから
江戸時代を5世代前とすると武士階級を先祖に持つ人の割合は1-(11/12)^5=35%で珍しくもなんともない。
わざわざこんなスレに来るやつってバイアスかかってるしそんなもんでないかな? じぶんの家系は加治木島津家の末裔らしい
自慢でもなんでもないが >>489
そりゃ
140年以上前のことをつい最近と言うような人もいらっしゃいますから 毎朝早く目覚める。
日�仕事に行く。
田舎の風景は心が落ち着く。
家庭菜園がしてみたい。
草花を育ててる。
ご飯がおいしい。 >>9
武士は必ずしも公務員では無い。
公務員を意味するのは侍。 誇りなんてのは只の自己満足なんだから相手にするだけ無駄 江戸時代に引越ししてるから大名付きだったと思われる 庚午年籍から始まってずーっと農業従事者で通してきて
農村間の水争いくらいは参加したけど貴族や大名同士の闘いには日雇いでも参加したことなかったぜ、って家系の人は何%くらいなんだろうな >>497
で、お前はどの武将の子孫なのw?SBくんw 平安時代とか、庶民の子供が大人まで育つ確率はもの凄く低いわけで、現在の日本人は、遡るとほぼ貴族に辿り着くとか聞いたことがある。 鈴木、田中、佐藤、山田とかありふれた苗字
他には山や川、村や方角が付いた苗字は怪しそうだな。。 江戸時代に新田開発の為に秋田から新潟にやって来た農民です >>456
そりゃいいもん食える武士の方が成長良いのは当然だよな。 先祖は由緒正し御直参の貧乏御家人だったって、婆ちゃんに聞いた。 農民
領地が地名になった
墓が寺と自分の敷地の二か所にある。 鎌倉時代に
宗家は嵯峨源氏の松浦氏に貢献し
武家を召し抱えられた武家で
廻船問屋で在りながら幕府から勅命受け離島の巡検士隊隊長に任命され
測量地図作りや島に三神を奉り
『此の島、大日本国領土』などを記した
杭を打ち込んで、江戸に帰還し
徳川家光に島の珍品と測量地図を献上したとされてますね。
後に水戸光國公との交流から
水戸家の姫君を後妻に頂いたと記録されているそうですね。
あと、飛脚問屋=郵便貯金の最初に商いをして居たと記録されてて
全国銀座由緒に登録されてる一族。
寛永通宝や新寛永通宝のレア古銭でも有名。
大阪の城下町造るのに新田開発で海を埋め立てしたり
社家は京丹後国の無人あばら家化した社寺仏閣を復古神道で大坂城城代で徳川家譜代の阿倍家の依頼で地元の殿様
京極高弘公により京丹後国最古の氏族として探し出され400年間京丹後国の社寺仏閣を管理し京丹後一帯に○○氏ばかりなのが家の社家。丹後国二宮社家○○家。
家は冒頭の武家宗家の血統でどうも銀座由緒系統の家柄だからルーツ播磨国。
社家の話では元出雲時代に丹後国風土記の出雲国盗り合戦で新羅王子の天日槍と
戦った大国主側の出雲族で
丹後(丹波)国を天日槍に奪われ
京丹後国社家と播磨国の家が分断され
京丹後の社家に就任じに名字名乗って無かったので播磨の同族の○○氏の姓を
拝借して○○出雲守と名乗ったそうです。 >>513
でも現代なんてみんな食う物ほぼ一緒なのに先祖武士って言ってるやつはデカくて、豪農であっても代々農民って言ってるやつは背低いんだよな >>489
今ほど急激な発展はなさそうだからそれほど驚かなさそう >>516
神代から調べた家の系譜は
○○家ルーツ
国常立→八島篠→布葉之文字巧為→八束水臣津野→赤衾伊努意保須美比古佐倭気→八千矛(大国主)→阿遅須枳高日子→鹽冶毘古能→速甕之多気佐波夜遅奴美→甕主彦→身櫓浪→遠津山崎帯→出雲(神門)振禰=倭健→伊賀曽熊→島津(志摩)国造家の島氏→丹後国二宮社家○○家
・・→熊野(志摩)水軍の嶋衆→播磨国嵯峨源氏松浦氏武家○○氏。 >>1
基本的な間違い
「百姓身分」=「農民」ではない。
「百姓身分」とは村に住む人々であり、その職業は農業・漁業・林業のほか、鍛冶屋など様々であった。 満濃池のそばで元禄のころ村をつくったらしい べつのは丸亀藩で出納係やってた 武士にも上下あるし、みすったら切腹だし、地元で合戦しないといけないし
庄屋も仕事内容めっちゃ大変だし
農民のほうが気楽でいいかもな
現代でも年貢は納めなくていいけど、あらゆる種類の税金を納めないといけないし、どの時代も大変よ
https://archive.bunmori.tokushima.jp/tenjikai/91E68252824F89F18AE989E69357.pdf よくわからん家の次男以下が興した家の現在都会住みは有耶無耶にしたい話題だろうけど
日本人である証拠だからな
明治まで繋がって以降は過去帳参照とかできないと5ちゃんだと在日認定されても文句言えないぞ まだこの浅い田舎自慢やってたのか
江戸時代って
武士は食わねど高楊枝 >>511
うちの先祖も水抜き河川(新川)開削後にできた新田在住だわ うーん、江戸時代だと正式には日本人じゃねーな
唯一知ってるのはユタとかいう宮古島の祈祷師だか霊媒師だかの家系で
曾祖母の代で終了している ネズミみたいな格好で虫とか喰ってたようだ。何億年か前だけど。農民になったのはずっとあとのことだ 別に嬉しく良ないが父の家系はさかのぼると紀州徳川家に繋がるらしい
別になんとも思わないが 江戸時代は84%も農家だったわりに
何で今では農地も縮小していって食料自給率も下がっていってんだ ふん五チャン住民の先祖はご立派だことうちの怠けも先祖様さは気ままな鋳掛けやだってさ
今で言うニートに似てる
だから俺も立派なニートよトレーダーと言う隠れ蓑の名の元のな
血は争えないって呆れられてる >>537
GHQの農地改革のせい
あれで農地がつぶされ、代わりに大量の小麦を輸入せざるを得なくなった。
連中はローマ方式(新たに領土を獲得したら、その特産物を壊滅させて代わりに自分等の主食となる植物を植える)で
日本を食から支配しようとした。 戦で大阪から東北に逃げてきた武士と聞いております。
その後、東北地方で薬屋を開業したらしくいつの間にか潰れて子孫は寺に引き取られお坊さんになりました。
その子孫である私は偶然にも医薬品業界で働いているのですが蛙の子は蛙ですね。 >>153
?
なんで同性(笑)の男系だけなのか説明してくれるか? 江戸時代は農民
鎌倉時代は武士
平安前期までは貴族です この写真ってアフリカ原住民かと思った
そのころ欧米は高度な文化に裏打ちされた文明国家
日本人はつい最近まで土を耕してやっと食ってただけの貧民土人だったわけ
それがにわか文明人気取ったからとて中身は貧しい農民ってことよ
欧米人と肩並べても無理ありすぎやろ
こんな日本なんだから無理せずそれなりに生きてきゃいいのよ この手のスレは首都圏のやつが極端に減るよな
江戸時代3000万人の人口が4倍になる間に現在の首都圏人口は20倍以上も増えてる
ほとんどが他の地方から来た次男三男の分家だもんな >>547
アホな奴
ヨーロッパも農村と都市部では格差がひどかったから
江戸は最も先進性がある都市と言われ人口世界一 >>21
キツイのはお家制度
一軒家新築分家不可能
次男以降は子ども部屋おじさん >>554
今は順序に関係なく田分け者(子供部屋おじさん、おばさん)
長男が資産と引き換えに責任持たされただけまし >>546
地名と同じ姓って
本当に土着の家系と
律令時代に赴任した貴族公家の家系とがあるよな? >>545
俺の先祖も平家の落人伝説のある集落の出
戸籍も江戸時代までは遡れたけど、その先は調査が難しいわ 先祖は信長の野望に出てくるわ。(家は庶流だが、士族で明治を迎えた。)
家ももう絶えるわ。 江戸時代のご先祖様にひとり有名人がいてその人物を研究した
人が必要上家のご先祖様を調べたんだよな
平安時代〜鎌倉時代は豪族の末端として地頭?みたいな感じで
某地方の農地管理→半農半兵(郷士)→農業に専念→御家人株
を入手、また郷士に(ここで先の有名人出現、江戸に出て他の御
家人の養子となり出世)→また何となく農業&とある商売始めるw
→明治維新
まあこんな感じで農民だの武士だの意外にフラフラしててはっきり
言い切れない家も多いんじゃないのかな(´・ω・`) 鎌倉時代に主君から姓を貰った記録があるけど
うちは俺の知る限り2回は分家してるんで祖先の一人というだけだな 殿様を馬ごと担いだ伝説があるご先祖がいる
農民
家は殿様の休憩場所になってた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています