【悲報】豊臣秀吉「身分が卑しいことがバレたら困る」弟の秀長以外の兄弟を皆殺しにしてしまう
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豊臣秀吉といえば、弟の秀長などが有名であるが、知られざる兄弟姉妹が突然姿をあらわしたことがある。秀吉はどのように対処したのだろうか。
■伊勢からやって来た兄弟
秀吉の兄弟姉妹については、以下に示す興味深い史料がある(フロイス『日本史』第12章より)。
1人の若者が、いずれも美々しく豪華な衣裳をまとった2、30人の身分の高い武士を従えて、大坂の政庁(大坂城)に現れるという出来事があった。
この若者は伊勢の国から来たのであり、関白(秀吉)の実の兄弟と自称し、同人を知る多くの人がそれを確信していた。
時期は、秀吉が関白に就任した翌々年の天正15年(1587)のことだ(秀吉は51歳)。
この若者に関しては他に史料がないものの、秀吉と兄弟であることを周囲の人々が確信していたとの記述は、興味深い。
秀吉は実の兄弟と称する若者に対して、いかなる対応をしたのだろうか。
関白(秀吉)は、傲慢、尊大、否それ以上の軽蔑の念をこめて、自らの母(大政所)に対し、かの人物を息子として知っているかどうか、そして息子として認めるかどうかと問い質した。
彼女(大政所)はその男を息子として認知することを恥じたので、デウスに対する恐れも抱かず、正義のなんたるやも知らぬ身とて、
苛酷にも彼の申し立てを否定し、人非人的に、そのような者を生んだ覚えはないと言い渡した。
若者が秀吉と面会した際に、何らかの身分的な保証を求めた可能性がある。秀吉があえて母・大政所に若者のことを問うたのは、当然「知らない」と言わせるためだったに違いない。
大政所も秀吉との暗黙の了解のうちに、「若者のことを知らない」と答えた。大政所も後ろめたいところがあり、何かと不都合なことがあったのであろう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20201110-00207204/
続く
母・大政所が知らないとなれば、若者は権力者・秀吉に嘘をついたので、苛酷な運命が待ち受けていた。続けて、同史料を引用しよう。
その言葉(大政所が知らないと言ったこと)を言い終えるか終えないうちに、件の若者は従者ともども捕縛され、関白(秀吉)の面前で斬首され、それらの首は棒に刺され、
都への街道筋に曝された。
このように関白(秀吉)は己の肉親者や血族の者すら(己に不都合とあれば)許しはしなかったのである。
母の大政所には、3回以上の結婚歴があったといわれている。
貧しい大政所が生活を維持するためには、仕方がなかったのだろう。
大政所は不特定な男性と関係を持ったのは確実で、当時としては珍しいことでなかったのかもしれない。
無残な最期を遂げたのは、この若者だけではなかった。次に、史料を挙げておこう(フロイス『日本史』第12章より)。
その(若者が殺されてから)後3、4ヵ月を経、関白(秀吉)は、尾張の国に他に(自分の)姉妹がいて、貧しい農民であるらしいことを耳にした。
そこで彼は己の血統が賤しいことを打ち消そうとし、姉妹として認め(それ相応の)待遇をするからと言い、当人が望みもせぬのに彼女を都へ召喚するように命じた。
「己の血統が賤しいことを打ち消そう」としたとあるのは、血のつながりのない兄弟姉妹を根絶やしにすることを意味する。秀吉は自分の知らないところで、血縁者を名乗る人物を消したかったのだ。
さらに話は続く。
その哀れな女は、使者の悪意と欺瞞に気が付かず、天からの良運と幸福が授けられたものと思いこみ、できるだけの準備をし、幾人かの身内の婦人たちに伴われて(都に)出向いた。
(しかるに)その姉妹は、入京するやいなやただちに捕縛され、他の婦人たちもことごとく無惨にも斬首されてしまった。
この姉妹はあまり気乗りがしなかったようであるが、最終的には使者の甘言にそそのかされたようである。
秀吉に会うためにふさわしい服装を整え、来るべき輝かしい未来を信じて入洛したのであった。
しかし、結果は史料にあるとおり、無残なものであった。おそらく首は晒しものにされたに違いない。
秀吉といえば、明るくひょうきんなイメージがあるが、実は大変残酷で怖い男だったようだ。
>>1 秀吉の父親は幼いころにしんだことになっていて誰も合ったことがないから 信長もそうだが、秀吉もこのような非人道的なことをしたのだから
滅亡の報いが待っていたのだろう。因果応報だ。 豊臣秀長も異母弟だしな
まあ、いてもおかしくはない 宝くじが当たったり有名人になると親戚が増える系でしょ? >>9
これは入院時に朝看護婦の悪口を言ってる夏子! 秀長のように命がけで支えてくれた身内なら兎も角、関白になってから甘い蜜吸いに来た身内なんて殺すやろ
天下人やで馴れ馴れしいわ この時代連帯責任の皆殺しが当たり前だったからこわい だろう、であろう、〜に違いない
こんな駄文を信じるバカも居るのがすげーわ ルイスフロイスって凄いな。ずっとそんな側にいて、記述残しまくったんだろ。
どんだけ強心臓なん。 こんなの許したら、自称子孫が沸いてきて自分の子供が跡を継げなくなるやん
結局は、家康にやられるのだが >>29
あのさ、ルイスの資料に書いてあるなら妄想する必要ないでしょ 三国志や信長の野望だって捕縛したやつ片っ端から斬首してった方がラクだしな
効率よ効率 姉や妹もいたじゃん。
あまりいい運命じゃなかったけど 秀吉の父親の子供なんじゃねの
死んだ事になってるけど 花の慶次に出てくる秀吉めっちゃ怖いじゃん
武将なんだからこえーに決まってんじゃん 歴史ってホンマ興味湧かないわー
誰それが何をしたとか、それのどこが面白いんだよ
「最近の研究では・・・」とか完全に研究者の妄想でしょ、願望でしょ、新しい学説を唱えることで有名になりたいだけでしょ Dna鑑定がない時代だから
言ったもん勝ちだもんな
秀頼もかなり胡散臭いけど
息子ということになってるし フロイスは信長には重用されたけど秀吉の時代にはただの宣教師でしかなかったわけで権力者の中枢の話とか知りようがなかったと思うし全部市井の噂からの推測にすぎないんじゃね >>20
なんか情報屋みたいにタカっていたのを
光秀にバレて暗殺してたよな >>1
バテレン談なら作り話だろw
秀吉に九州平定後 弾圧されたから憎んでいるからなwww 長浜城主になったあたりで
親族は徹底的に調べたと思うけどな
このときに多数の親類を登用している
その後関白になってから親族が出てくるわけがない >>45
加藤清正や福島正則なんか遠縁の親戚だもなw
とにかくいわゆる一族郎党みたいのを作りたいのがミエミエw
それに秀吉自体豪農の出だろが常識w
貧農出になったのは徳川の天下で豊臣は滅ばされたからだからなw >>37
あの描写は秀逸だった
大河でもあそこまで説得力の高い秀吉はいまだ無い 石川五右衛門が暴露したから 油で揚げられたんだっけ確か >デウスに対する恐れも抱かず、正義のなんたるやも知らぬ身とて、
何でいきなりデウスとか正義とか? >>46
最近の説では下層民出身ではないってこと
みたいだな
継父の竹阿弥が家康の母の実家でもある
水野氏の出だとする史料があるとか
とすると、再婚とはいえ土豪階級の相手方になった
なかも卑しい身分ではなかったはず、みたいなことらしい 全部本当でも後に混乱の種になる芽は摘んでおくのは正解だと思うけどね(´・ω・`) 天下を掌握した徳川家康とその一族が行ったこと
・戦国時代に存在した名族・絶家の子孫を日本全国で探索し、全て幕臣として取り立てた ※家康が名家・名族コレクター
・家康がある意味世話になった今川義元、織田信長、豊臣秀吉らを散々扱き下ろした ※家康の威光に関わる為
・家康が活躍した戦国時代をネタに民衆が話し合うのを禁止した ※家康の失態が公に広まるのを恐れた為
・戦国時代を題材にした歌舞伎の上演を禁止した ※綱紀粛正及び家康にとって都合の悪い内容もあった為
・戦国武将の肖像画を描く事を禁じた ※当時の画家は実在武将の姓名を改変させる事で幕府の追求を逃れた
徳川家が江戸期を通して否定してきた対象は後の明治政府により撤廃され
これまで大権現 (神) として崇められていた徳川家康への信仰を止めさせると共に
江戸期に渡って卑下の対象となっていた織田信長や豊臣秀吉に対しての再評価が始まった >>51
まあ武士階級でないのは確からしいけど
戦国時代末期なんてあまりどこの出なんてあまり意味ない
とくに信長は結果主義で実績上げたのを重用したからなw 若者と有るけど何歳くらいなのかな?
秀吉51歳の時に20歳くらいの者が弟と名乗ってきたら偽物と疑うのは当然では?
実母の大政所だって秀吉が有る程度出世してからはずっと身近にいたわけで隠し子を作るなんて無理だと思うで >>53
秀吉の天下になってからノコノコと自称してくる輩は
天一坊事件と同じだろwww フロイスにとって秀吉には京都から追放されたという恨みもあっただろうから何とも >>59
相当な高齢出産だなwww
孫自称ならわかるけどよw 弟はないよなwww 親族で固めて帝を庇護するとか、やってることはまんま曹操だな 今とは価値観が違う
秀吉をこき下ろす勢力は例の人達 >>66
今より、全然卑怯でズル賢くてしたたかな人間を見下されてた時代だからねw
豊臣秀吉ってそっくりだよね、キムチ民族にw >>43
弾圧されたけどイエズス会はそうでもないんだな。
追放令の後にもイエズス会の宣教師は来日してるし、彼自身は日本で亡くなってるしね。 桶屋の息子やらなんやら親族から登用してるのにいい歳の弟なんかほんまにおったら
とっくに使われてるに決まってるやろ
姉の息子を後継者候補にしてたのに何言ってんだか
yahooで秀吉貶す記事って時点で色々勘繰ってしまうわ 隠すも何もとっくのとつに百姓の出ってみんな知ってたじゃんか。 >>40
フロイスって奴隷貿易の人だろ。
秀吉の敵だから普通に悪い話をある事ない事書くだろ。 過去や生まれが将来の憂いとなるのは、今も昔も変わらない。 中国史と同じだな
史家≒儒者なんで儒家を保護した為政者は良く書かれるが
例え正当と思われる理由でも儒家にとって不都合な君主は極悪非道に書かれる
始皇帝とか典型例だし 豊臣家滅亡は秀吉と秀長にも子供に恵まれなかった所。
秀長も相当な武将だったのにイマイチ評価が低い。
秀吉も中国大返しから賤ヶ岳辺りまでは神がかってて見事と言う他ない。 戦国武将なんて暴力団幹部と大差ないよな
いやもっと畜生か
なぜこんな奴等の歴史を日本史のメインとして学ばせる必要があるのか ジョンレノンは自分を捨てた父親が物乞いに現れたときスーパーマーケットを買ってそこの店長にしたらしい 51歳の時だから母親は60〜70代?若い弟って無理があるだろ。 >>86
初めて知りました、、
そんな事あったんですね。。 今川氏真みたいに戦国武将になるのを諦めた人もいるしな
周りが信長に家康に信玄に氏康だろ、そりゃ諦めるわ >>85
首狩り族だしなあ
しかしフィクションでも戦国・幕末は人気がある
波乱万丈で面白いから NINJAが吹き矢でフッてやって終わりだよ
この時代は
そんなに手間かけない ていうかよく関白なんて位を帝から頂けたよな、源氏の流れなんか汲んでないのに
公家からは苦情出なかったの? 俺は
死んだ母の
姉の
夫の
兄の
孫娘
という存在にお金をせびられたことがある
父が死んだとき長野県の下伊那郡から電話がかかってきた >>94
藤原一門と養子縁組したから関白になれた
足利義昭からは拒絶されてる >>51
オレもそう聞いてるし、一族についても>>46この通り
この記事は何なんだろう?
大政所の婚姻歴からして、天下人になってから兄弟姉妹を名乗り出てくる者が絶無だったとは思わないが、
わざわざ探し出して呼び出した挙げ句に処刑とか、ちょっと、、、、妄想酷すぎじゃね?としか >>94
秀吉が関白になれたのは、公家同士で誰を関白にするかが揉めて、仲裁として頼られた秀吉が、じゃあ俺が関白になるよってなったのが通った
あとそもそも源氏は関白と関係ないぞ
征夷大将軍が源氏にしかなれないというのも真っ赤な嘘 >>9
マジ朝から不快な気分になるから止めてほしいです でもこれって放置したら確実に後で面倒くせえやつだからな
ぶっ殺すしかなくね 渡邊大門
株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
1967年神奈川県生まれ。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。十六世紀史研究学会代表。千葉県市川市在住。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演活動に従事する。主 >>24
そりゃ俺でもやるわ。謀反起こされたら敵わんしな。 秀次殺しは秀吉の判断力が衰えていたとしか言いようがないよな これってフロイスが自分に冷たくした人間の悪口(嘘)を書いてるだけだよね 前回の大河ドラマ、「麒麟が来る」だったけど、
家康からすれば、麒麟 が来ると思ったら
秀吉の妹 朝日 が人質として来たわけじゃん。
これってビールつながりだけど
明智光秀を麒麟と称したのは何の意味があったの? >>105
自分が死んだ後、秀頼の地位(と命)を狙って悪だくみされるの恐れたんやろ
血縁者と言っても父親が全くの他人やから信用できんかったんやと思う >>108
フロイスって光秀の事もクッソボロカスに書いてるんよなw >>98
当時秀吉の権力なら抹消するのが簡単
わざわざ騙して京に連れ出さないと処分できないなんてことは絶対あり得ない 宣教師はキリスト教を禁止にした秀吉が大嫌いだからなw
そんな宣教師の書いたことを100%真実だと思うわけにはいかない 朝日と言えばピン子でイメージが固定されてしまっている。子供の頃の刷り込みって恐ろしい >>121
もう結婚してたオバハンを無理矢理離縁させて家康に友好の証と押し付ける悪魔の諸行 >1人の若者が、いずれも美々しく豪華な衣裳をまとった2、30人の身分の高い武士を従えて、大坂の政庁(大坂城)に現れるという出来事があった。
花の慶次の見すぎw さすが鬼畜外道の餓鬼亡者・キリスト教
秀吉に日本人奴隷売買の禁止を申し渡された、その意趣返しか
っつか、この>>1筆者、何がしたいの?
ルイス・フロイスをただ垂れ流しただけじゃん
学生のコピペレポートかよ
こんなんでよく仕事にお金を頂戴できるな、しかも、会社としてかよ…
こら無理だわ、かと言ってもう勤め人にゃなれねぇか…
詰みじゃん 太田牛一も殺生関白とかやらかしてるし
当時の人間だから正しい記述ってモンじゃないわな ねねの兄弟には木下の名前与えて取り立てたのにな
この人らはなんやらかんやらで生き残って杉本の名前に戻して江戸時代には小藩の藩主となった
こういう人らがホンモノの勝ち組だと思う 秀吉がその気ならそんな噂出回る前に始末してるっての >>27
ルイス「どうせ誰もポルトガル語読めねえし」 >>129
秀次パパの三好吉房は、秀次断罪に巻き込まれて流刑になってる間に男系の子孫が絶えて明暗分かれたな ん?
ほんとに親類かどうか分からんからでないの?
母親は大事にしてるだろ 長浜時代の南のおん方も男児を産んでいるからね
秀吉家の滅亡は子宝に恵まれ無かったんじゃ無く、
人材育成やシンクタンクなどの官僚体制を形成しなかったからだよ
死ぬ間際に「返々、秀頼を」なんて言われても引き受けるバカはいない
自業自得
家康は、譜代の大名を閣僚に起用
給料も多くて10万石、でも重要な要に配している
逆に大藩は閣僚にしない、外様は彼方へ配置
地方自治の自治がかなり認められ、独自の文化・産業が育成
参勤交代で文化の交流をはかり地方の情報孤立は排除した
中央も文化品を取り入れた
ウィンウィン >>59
まあ嘘だよな。
若者って20歳ぐらいでしょ?
政所は閉経してるし、当時はそんな高齢出産したら高確率で死ぬ。
姉妹はどうかわからんけど、吹いてた可能性は高いな。秀吉の親戚だと地元でチョーシこいてたのかもしれん。 >>身分が卑しいことがバレたら困る
みんな、知ってるのに?
トンでも論も、ここまで行くと・・・ おっかぁが認知してたらどう対処するつもりだったんだろうな 朝日ともう一人妹がいるからデマもいいとこ
昔っから貴種を査証するゴミはよくいる 譜代直参が少ないと苦労するという
三河の竹千代は共に苦労した手下がたくさんいたからね どうせどっかの半島人が秀吉憎しで記事にしてるんだろどうでも良いよ 時期的に木下家の田畑継がせるつもりだった秀長も秀吉に付いていって侍になってしまった時期だから
なかが竹阿弥ともう一踏ん張りして作った男子かもしれん >>1
> 時期は、秀吉が関白に就任した翌々年の天正15年(1587)のことだ(秀吉は51歳)。
51歳の秀吉に20歳以上年下の弟が居るわけないぞ
ふかしすぎ >秀吉といえば、明るくひょうきんなイメージがあるが、実は大変残酷で怖い男だったようだ。
そんなイメージあるの?
漫画の見過ぎじゃねーの?
かつての自分の戦友と主君の妹を自害に追い込むような奴なんだけど・・・ 秀吉の血は根絶されたとなってるけど、今の日本でどこかに誰かしらが血を引く者がいそう。
まぁ、今となっちゃ分からないだろうけどさ。 成り上がりなんだしな
人間性が屑じゃなきゃそこまで行けないだろ チョンが幅聞かすようになって秀吉の評価もずいぶん180度変わったもんだ
戦前は最強の成り上がりで全日本人が目標にしたもんだ 殺すつもりならこんな手のこんだ方法取らなくても一人誰か派遣して殺させれば済む話じゃないの 実の兄弟ならわざわざ関白の時にこなくともそれ以前から接触してきてもおかしくないと思うが >>12
って言われてたが、どうも両親おなじみたいだぞ秀長。
だったら、あの優遇というか完全に全てを委ねる感じは解る >>153
信長の生前はそのイメージで合ってるんじゃねえかなと
下っ端の足軽にも気さくに話しかけて労ったり、上にも下にも気遣いして人たらしと呼ばれてたぐらいで
出自が悪い分、(あいつ、調子に乗りやがって…)と敵視されない為の立ち回りが上手かったんだろう 秀吉ってすきじゃない。なんか嫌な人だなぁって子供、出兵の辺りの話やこの話等の惨殺ネタとか見ると本当はどちらの方?って思うわ。小さくて猿みたいだったってのもなんかなぁ。どこかのなにかを彷彿とさせる。 酷いな!既視感が凄いが
あれ?毒殺された兄ってのが 秀吉に隠れてたけど秀長もそこらの大将の器以上に優秀だったよな。 >>169
猿はマサル(勝)筋の比喩だったんじゃあないかと思う
比叡の神社建て直してるし
うちも比叡のまさる筋だから分かる 奴隷売買と植民地化阻止されて秀吉嫌いのフロイスの尻馬に乗った朝鮮人の秀吉sageか
藩屏無しで苦労したハゲ鼠なめんな
バチカンで出て来た宣教師の報告書なんかひどいもんだからな
日本人はフィリピンみたいにいいようにされなかった事をもっと秀吉に感謝すべき
渡邉大門ww 株式会社歴史と文化の研究所wwwww わいは香川県だけど、ホントの父親の名字は平井らしいんだ、いつか平井が迎えに来てくれることを夢に見ている 1587年の時に名乗り出た若者なら秀吉が長浜城主になった1573年ですでに生まれてるから
一人でも多く身内が欲しい秀吉が呼ばない訳がない
同じ年頃の豊臣秀次が浅井攻略の時にすでに人質として出されてたから弟が居れば速攻呼び寄せてた >>163
淀に子供できたあと姉の身内殺しすぎだよ
ガチ可愛がったのは弟だけ ルイス・フロイスの与太話の被害は織田信長も受けてるからな 杉本苑子の影の系譜には残忍な人物として描かれているな 得意なのが城攻めで
補給絶って二、三人餓死してくんねえかなあってのが常套手段のおっさんだろ
残虐なのはまあしゃあない 信長の時代は
蒔き奉行でキッシリ予想をたててた位だから
ボケでは無いよ
淀君が浮気なんかしたらバレているはず
明出兵の時ですら
欧州の日本人の奴隷問題があったから 大出世した裏で、過去の都合が悪い人脈を絶つ必要があったんだろうな。肉親と言えども。
逆に都合が良い人脈は重臣として取り立てているね。
蜂須賀と松下は元主君。
蜂須賀はずっと秀吉と一緒にいたみたいだけど、
松下は今川が滅んだあと浪人してて、秀吉が天下を取ってから呼ばれた。これは美談。
あと、加藤、福島、浅野は遠縁の子。
木下と杉原はねねの実家つながり。 そもそも秀吉はキリスト教を禁教にしたんだから、キリスト教徒側は悪し様に書くわな >>171
秀長が死んでから、秀吉の歯車がおかしくなっていった気がする 関白になってから実は兄弟でしたなんて言ってくる奴ロクなのいねえでしょ
これは仕方ない >>100
それはいいけれど
公家と武家の官位をごっちゃにしたので
秀吉死後の朝廷最高位が家康の内大臣に 農民出身って言ってるけど、豪農
地侍みたいなもんだと最新研究でわかってるだろ >>1
社会的に経済的に成功すると親戚が増えて寄ってくる
ア ジ ア の 純 真 最近秀吉が日本人が奴隷貿易されてたのを阻んだスレあったから、なんとか秀吉の株を下げようと必死だな
ほんと朝鮮人は秀吉が嫌いなんだなぁ >>94
関白の位なんか簡単に貰えるわけない。
秀吉は近衛前久の養子なって五摂家の別枠近衛家別家の豊臣家として
関白の位を貰ってる。 >>196
上杉謙信が人身売買で儲けてたとか聞いてガックリですよ >>172
御所の鬼門を守る比叡山の日吉大社の神猿
あだ名がサルで幼名が日吉って創作までして寄せてんだよなw
ハゲねずみって呼ばれてたのに フロイストの記録はだいたい盛ってるし、対象人物を野蛮に書いてんだよね どうせ養子に入ったりしているし気にする事でも無いのでは? ホントに兄弟だったら秀長をスカウトした時点で一緒に武士にしてると思うが 跡目争いの目を摘むのは当たり前。
この時代トラブルは殺して解決。 一昔前は秀吉は明るさや人たらしで立身出世というイメージが多かったのに、最近は晩年残虐だったということが過剰なほど強調されてないか 秀吉に限らず同時代の人間ならみんな同じ対応取るだろ
ましてやバテレンの逆恨み史観じゃ話にもならん >>217
そら、あいつらが逆恨みしてるからな
唐辛子をもたらしたのにな >>208
当時では労働力は財産になるし、貧しい農村から取れるのは人間ぐらいだから攫って売るのが当たり前 >>208 うわあマジかよ。。。北斗の拳よりヒドイw わざわざ出向いて戻るんだから、当時の戦いの大部分は労働力の確保と食い物の略奪だったんじゃないの >>220
最近じゃ唐辛子は元々半島に自生してたとか教えてるらしい
あいつらコロンブスも知らんのかと >>220
リメイクされたジャニ主演の関ヶ原ではなぜか韓国大砲部隊が西軍で大活躍してたな >>183
開城したら飢えてる兵士にたらふく飯を与える優しい人だぞ >>176
まあ>>1の記事は臆面無く憶測ばかり並べてて歴史関連の記事としてお粗末極まりないわな >>222
信長の越前一向一揆鎮圧だと、越前衆殺害数が12,250人で、奴隷数が3万ないし4万人になってる。
(殺害数が正確なのは成績になるためw)
これだけ数が多いと格安で村々に提供できる。
各村は奴隷を集団として管理しており、城や灌漑などの普請要請時に彼らを送る。(奴隷数が足りないと自分達が出かける)
治世側は売った奴隷数を把握してるんで、普請に何人よこせが正確だと言うねw 九州平定後、日本人奴隷にしてたのばれて敵やもん
市井の噂話に盛りまくってるやろな… 天一坊と一緒だろ
身分査証したから殺されただけ
秀吉を悪く言いたくて必死な記事だな >>85
今の政治家や華族の一部も、そこら辺の子孫が残っているからだよ >>217
孫呉の孫権だって若い時は名君だったのに、老人なったら身内虐殺祭り開催するからなー > 彼女(大政所)はその男を息子として認知することを恥じたので、デウスに対する恐れも抱かず、正義のなんたるやも知らぬ身とて、
> 苛酷にも彼の申し立てを否定し、人非人的に、そのような者を生んだ覚えはないと言い渡した。
初っ端から想像やんけ!w これ普通に騙りの可能性あるのに
なんで実の兄弟って体で語ってんの?
周囲の人間も似てると思ったからというのは
はっきり言って何の根拠にもならんと思うけど >>237
三木城でたらふく食った飢餓者が大量死(リフィーディング症候群)したため、鳥取攻め時は食料の与え方を工夫するお触れを出してる。
「煮干し粉末をかけたお粥1杯を与え、これを一日かけて食べないと死ぬと脅せ」。 >>234
ドラマのキャラクターとしては最高の逸材>秀吉
織田裕二の『お金がない!』なんて秀吉そのもの。
最期には慢心でみんな離れていくのも。 >>27
見てもいないくせに、さも見たかのように記述してる 現代に例えたら1代で日本一の大企業を築いた社長に、ワイ親戚やねん金くれってたかるダニよな
現代だと警備呼んで追い出すか、警察呼ぶかやけど、当時は打首獄門ってだけ
誘いに乗った姉妹もそう
誘いに乗らないが正解で、誘いに乗った時点で他人の甘言に乗る=将来の火種や >>51
間違いなくそうだと思うぞ。農民の出だったら、弟もそうだが読み書き、計算の類いが出来るわけがない。
教養がありすぎ。 >>24
そういう連中ってまず間違いなく政権腐敗をもたらすからな
命懸けで築き上げた政権には絶対に入れてはいけない連中だよな
生かしておいても悪口を言いふらされるだけで政権を揺るがしかねないから
身内を偽証ってことにして消し去るしかない
成り上がり専制君主の宿命だよ 山岡宗八の徳川家康では
朝日姫は母のいない秀忠をかわいがってた記憶
でもみっちゃんの顔を思い出してしまう >>242
本当に秀吉の妹なら秀吉が関白になるまで放置してないから嘘だろう 大政所が豪農の家系だったんかもな
秀吉が7、8歳の頃に弥右衛門が死んだってあるけど
秀長とは4、5歳差だろ
弥右衛門が死ぬ前に離縁されとるよね
中村に残る姉妹ってのも弥右衛門の方の血筋なんじゃねの >>89
信玄に領国を奪い取られるまでは精力的に戦国大名をやってたぞ
領地を失ってから諦めたのだろう
最後は天下人家康に取り立ててもらって大好きな蹴鞠やり放題だったな
戦に負けて人生で勝った感じだな >>40
フロイスは全国の宣教師から情報を集めたし、当時はキリシタン大名がいた訳だし、かなりの情報通だぜ?
九州のキリシタン大名が中国大使一行と組んで朝鮮と和平させようとして秀吉を騙しかけた一件もフロイスは最初から知っていたと思う。
無学な秀吉の前で条約文の内容をワザと日本有利な内容に変えて読み上げて休戦させようとしたが後でバレた事件な。 >>251
秀長も実際は同母弟だろうって話になってきてるから少なくとも姉と秀長は弥右衛門の子なんだろうな >>107
いや、秀頼に後を継がせるなら始末するしかないんだよ
放っておくと自分の死後に秀頼派と秀次派で豊臣家が割れるのは必定
そうなると、最大勢力の家康が付いた方が有利になるので
家康に次の天下を与えるようなもんだから
もちろん、勢力争いで家康が負けてくれればそうはならんけど
豊臣政権はかなり脆弱な政権になってしまう可能性が高い >>254
と言っても宣教師のバイアスを通った情報だけ >>89
大河の直虎でかなり精力的に領国内の引き締め統治を行っていた様子を描写してた。
義元が討ち死にして7年後に駿河を武田に侵攻されるまで何もやってなかったイメージだったけど
氏真なり当主として頑張っていたんだろうが如何せん周りがついてこなかった。 秀吉が羽柴四天王にやらかしたことを思えばありうるだろ 歴史の敗者側は暗君暴君になるのが常だけど
実際にやった事をみれば残酷そのものだな。
どこに殺す必要がある 秀吉の戦い方は残虐だからな
中国攻めなんて、城の周囲を完全に閉鎖して食料が行き渡らないようにし
降伏も許さず皆殺しだから
織田信長からは時間が掛かりすぎるとして何度も中国地方から安土城まで
呼び戻されては説教食らってたんだけど、そのおかげで中国大返しが出来たという
秀吉の失策が秀次事件、あれで相当の大名を敵に回したから
織田信長を神格化して盲信していた太田牛一も秀次事件のせいか
著書の信長公記では秀吉のことを批判しまくってる >>234
孫権は元々残虐な性格だったが
日本を捜索するように命じた部下が台湾までしか見つけられなかったとして処刑してるしw >>134
秀吉が根絶やしにしたつもりか、秀次の娘が真田幸村の側室になって
しかも三好を名乗ることになるとは思わなかっただろうな
しかもそ真田幸村の兄の家系は大名だけど養子迎えて信政直系が無くなったのに対して
真田幸村は直系が今でも続いてるから 秀吉って戦場で一人も自分で倒してないんだけどな
身長140cmだし >>141
オスマントルコは継承者が
兄弟殺すのが基本
後に軟禁にかわるけど 「あぁもしもし、宗麟君?オレ秀吉。この前のバテレンの件なんだけど
やっぱ禁止令出す事にしたわ。チョッと俺の考えに何だか合わないんだわ。
まぁ天下取るのに手を貸してくれたんで豊後はそのままヨロシクで。んじゃ。」 キリスト教を禁じたからことさら悪く書くのはあるだろ >>273
豪農とは、多くの土地を所有し、ある程度の権勢をも備えた、富裕農家のことである。 >>256
それで後見人を血の繋がりが一切ない外様任せって耄碌以外の何者でもないな 自分から名乗り出た兄弟は、嘘でもいいから、イチかバチかの勝負に出た身元不明の与太者という解釈もできる。
姉妹は本当なら酷いな。こんなことをしていたのでは、その後に絶滅させられるのも当然か。 宝くじ当たったら知らない親戚が押しかけてくるみたいなもんか 当時は子沢山だしな
兄弟2人だけってのはないからな
しかし外道だわ >>274
まあ、宣教師だから布教活動を邪魔する権力者は『神をも恐れぬ悪人』として報告するよな >>252
マジか。俺はあの役者苦手だった。演技がダメ >>217
晩年は明らかに精神に異常来してたでしょ
利休切腹といい秀次の件といい朝鮮出兵といいさ 朝鮮系の秀吉disがなかなかひどいね
根っこから歴史捏造に抵抗がないんだろうな >>162
家康のすごいところは
この押し付けられた ババアを一度だけだが抱いたことだなw
息子が頑張ったwww >>286
秀次事件とそれに連座し処刑された駒姫事件は酷いと思うし晩年の秀吉の
残忍さは事実だろ? >>198
信玄なんて滅ぼした大名の正室を売り飛ばしているけどなw >>171
補佐役やらせたらかなり優秀
俺が天下取ったら絶対欲しい >>203
だいたいさ 魔女裁判やっていた連中だしなw >>288
逆に言えば この当時 東北の大名なんて屁とも思わないてことだろw >>293
そのせいで関ケ原で最上は東軍についたわけで 1571年にスペインがフィリピンを植民地化し、総督府を配置し
次は日本に朝貢を要求し、秀吉がスペイン王が来いと突っぱね
更に秀吉の特使で原田喜右衛門がスペインの総督府に要求しに行った時
現地人が総督府に攻めてアップアップの時に
原田喜右衛門は暴動者をバサバサと追い払った
それが、「日本強し」がスペインに伝わり
戦略の見直しを練った
それが明の植民地化 鉄砲数より兵量をチョイス
スペインが海から、明朝連合が上陸戦
いくら世界一の軍事力でもかなわないだろう
だから、先に明出兵を戦略的に進めた なんせ、たった150丁の鉄砲でインカ帝国を滅ぼした国だから
しかし、
1588年に無敵艦隊が英国に撃沈された
だから、慶長は殿戦(シンガリ)
明側もあまり乗らない戦いだから手打ちした
しかし、朝鮮はいきなり来て何だと
戦い続けた >>198
織田信長も上京焼き討ちで京の衆を乱取りさせたり
越前一向一揆の平定では数万もの奴隷を本国で売却してるし
日本において奴隷制(直接的な人身売買)が全国的に禁止されたのは大坂夏の陣後の江戸時代初期 姉妹はわざわざ京に呼ばなくても
物取りに見せかけるなり
京の途上、人目に付かないところで始末できる
いろいろと不合理だな 恐らく…ノブ殺した男、羽柴秀吉
信じる、信じない、構わぬ https://news.yahoo.co.jp/articles/18eb9427a939883a22f35c495b73131d05897f21
信長は
三権分立の朝廷・武士・宗教のうちの
宗教改革に手を付けたが
更に
朝廷をイジる事は国体を崩す事はわかっていた
信長の時代にスペインがポルトガルを合併し、秀吉時代と同じ様に信長に要求しただろう
それから、信長はイエズスに距離を置いた
黒幕はイエズスと言う都市伝説だが
信長は宗教改革で、引退を決断したんだろう
国内の事より世界の事に目を向ける
で、国内宗教の天敵自ら宗教の寺で死んだと言う布石をうった生存説
で、なければ
桶狭間と本能寺の何が違うか?
アホの信長と、言う結論になる だから
秀吉返しは容易に出来た
信長の骨も見つからない
光秀も生存説で徳川にとりいれられた >>307
信長公記読めよ
秀吉の干殺しの戦略だと侵攻が遅いと
何度も安土城に呼び戻されては説教食らってたんだが 官位をあげればよかったのに卑しいのはみんな知ってるし
隠す必要ないし秀長、秀次、秀明みんなそうしてる
他の子飼いの家来も 豊臣って新しく作った時点で源氏でも平氏でも藤原氏でも橘氏でもないのはわかりきったこと
当時はちょっと身分があったら適当に自称してたのにそれもしていない 秀吉は家康と違ってパイオニアになりたいタイプだろ
作曲家でいえば、秀吉→ワーグナー、家康→ブラームス 根拠がフロイスなのがなー
こいつは同胞のカトリックからも信頼されてないこともあったからな 歴史は勝者が創るからな。信長を殺した男を読むと少し考え方が変わるかな。 信長の死後、約28年後に著したものと
考え方なければならない
第六天魔王が居なくなった事は僧兵からしてみれば
安倍晋三が居なくなった野党みたいなもん
そもそも、
王になろうとした人間が、一向衆におされた時に天皇に救いを求めた時点で
信長の限界だけどね
そうはならない
政治イニシアチブを取る宗教団体とは
距離を置いた朕と信長は
一応、連立政権だったから
国体は崩さない
そして、
秀吉が次のステージで迫りうる外国勢との戦い 信長と秀吉は朝鮮出兵にこだわったけど
家康は興味を示さなかった
つまりそういうこと >>286
大阪人は根っからの秀吉好きだよな
石田三成が実権握った時は既におかしかったのになw だから
慶長は、無敵艦隊が英国に撃沈され
明進出する意味がない戦いだった
残った日本軍の救出撤収殿戦 >>320
知ってるし、それでも活躍を認めて一目置いていたのだろう この当時の最短出産年齢ていくつなんやろ、12とかありえる? >>10
人道なんて時代それぞれだし、それくらい出来んと天下は取れんよ
家康も大概だしな >>324
別所長治が?
秀吉は宇喜多調略や村重攻略により食料搬入の可能性が最早ない事を双方が理解した天正7年10月に降伏勧告をしてる。
別所長治はこれを拒否したため、ここから領民の餓死が始まるが耐え、3ヶ月後の翌年1月にやっと開城してる。 >>330
有名所では、前田利家の妻まつがほぼ12歳で産んでる。 >>19
ただ秀次が継いだところで2〜3世代でダメになってた気がする
やっぱ家康は偉大
嘘八百に難癖言い掛かりと大嫌いだけどそこは尊敬する 戦国武将が非情なんじゃなくて、隙を見せられない時代だっただけ >>24
江戸時代にも何人もいたな
◯◯将軍の隠し子だと名乗り出る奴 >>338
天一坊事件の話題は何人かがレスしてるけど、実際は本当の子供だった説があるね。
↑
母妊娠の経緯や人相人となり、母の言動などを老中が吉宗に報告した所「覚えがある」との返事があったが「よきにはからえ」との指示を受けた。 秀吉は別に農民出身を隠しちゃいないだろ
風呂椅子の記述や評価はキリスト教にとって良いか悪いかでかなり極端だから注意した方が良いぞ >>117
こっそり野盗のフリした暗殺者送り込めば良い話だわな
>>85
もし突然世界中が無政府状態になったとしたら、そういう人らの力も有用なんだぞ
綺麗事ばっか言ってる奴は大成せずに滅んだんだからしゃーない >>338
「余の顔見忘れたか?」とか言って上様を騙る不届き者とかな。 >>333
人間の遺体を食べているのを見て爆笑していたらしい。秀吉軍 そもそも一緒に育った親族でもなければ
自称血縁者なんて権力者にとって害以外何物でもないからなぁ
始末するのは妥当で、生かしておいても権力闘争に使われる恐れがあるから
メリットが無い >>2
>され、関白(秀吉)の面前で斬首され、それらの首は棒に刺され、都への街道筋に曝された。
日本民族特有の残忍さだな、これは >>14
同父て説もあるよ。どのみち秀吉は早くに家を出てたから、弟や妹と過ごしてはいないけどね。 やらないと自分がやられる可能性もあるからな
疑心暗鬼で先手を打ったか、老害こじらせたか >>346
それはソースが見たいな。
なお信長公記の鳥取城攻めはこんな感じ
↓
餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び、叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず。 麒麟が来るでやってた妹の芋を食べて妹がおっちんだってくだりがなんか強烈に印象に残っている >>354
そうだね。だから?関ヶ原では家康側に付いたよね。 >>353
秀吉の場合豊臣と言う新しき姓を創設させて関白になってるからちょっと特殊 つか戦国武将なら親兄弟コロシアムだからな
もう、ついていけない今川氏真がリタイアしてたろ 家康だって身内殺してるし大坂の陣で城内の人間は皆殺しだぞ
この時代の価値観を現代に当てはめたらだめ 最近の資料で、「裏切り者にブチ切れて城から投げ落とした」とか出て来た秀頼 信雄が安土城を燃やした理由が未だに謎なんだが、フロイスの見解が面白いよな
そもそも光秀陣営が安土城をそのまま引き渡したのが奇跡で、
しかし奇跡はデウスにしか起こせないはずであったので、
お怒りになったデウスが信長の子供の中で1番頭の弱い信雄を使って燃やしてしまったってやつ 小早川秀秋になったのとか、結城元康になったのとかを、秀長の養子にして秀長の豊臣家を維持させてたら、大阪城落城までは行かなかったんやないか? 大阪の陣
開城後の段取りを決めずに自害しちゃったから現場パニック。
戦闘でアドレナリン全開の男達がなだれ込んで女は老女に至るまで犯されまくったとか。 フロイスが秀吉に悪意を持ってたってだけの内容だよな。
同じ事件でも、書きようによっていくらでも悪人に仕立て上げられるもんだ。
伴天連追放令で奴隷売買ができなくなったことを心底恨んでたんだろうな。 聚楽第の門に落書きしただけで関係ない者を含め60人とか処刑してるから狂ってる 有能なのが秀次なのか秀長なのか忘れる
殺生関白はどっちだ 徳川が関東に移されて、家康本人はほとんど大坂京都にいるのに
北条と武田の遺臣に反乱を起こされないどころか家臣団として吸収して屯田しまくった留守番の人がすごいと思う
だれか知らんけど >>363
ほんこれ
天一坊事件は吉宗が曖昧な返答したせいで広まってしまったんだけど >>365
家康級超弩級戦艦
1番艦:家康
2番艦:秀忠
3番艦:家光
4番艦:家綱
なんかわくわくするぞ 「織田がつき羽柴がこねし天下餅 座して喰らふは徳の川」
これできたの幕末なんだよね? >>87
>51歳の時だから母親は60〜70代?若い弟って無理があるだろ。
20才の自称弟だとしたら
秀吉31才、カーチャン50才かな。カーチャン50才まで伊勢かどこかでアンアンしてたか。秀吉もまだ仕事安定してかったのか? >>366
疑わしきは罰せよの典型で酷い話ではあるけど、落書きが行われたのは番所の白壁で、当然ながら(最初に処刑された)17人の番衆は顔見知りの尾藤道休が書くところを見てたと思われる。
流石にヤベェと消したものの、それが秀吉の耳に入って調査が進み、どうやら周知の事実、つまり多くの関係者が知ってたのにもかかわらずバックれてたのが悲劇の始まり。 >>366
例えば、その番所の前を通っただけの通行人が処刑されてるけど、秀吉サイドからすれば「そんな落書きを見たのに何故黙ってたのか?」と言う話になる。 >>192
ごっちゃにしたと言うけど別れてる方が異常
ただ清華成した大名の家臣は諸大夫として官位を授けられたが、これには定員がなかった
すでに諸大夫以下は公家官位から切り離されていたのであり、
後に江戸幕府で武家官位が完全に切り離されることに繋がる
家康が最高位になってしまったのは、秀吉が晩年公家の昇進をストップさせていたため
秀頼に関白を継がせるために、それまでの摂関家に摂関となりうる資格を与えないためだったかもしれない
摂関になれなければ摂関家じゃなくなるからね 秀長があと10年長生きしてたら武断派と文治派で喧嘩することもなかったし、利休や秀次切腹もなかった。
朝鮮出兵もなかったかも。秀長自身も子が居なかったのも不幸。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています