(抜粋)

私が日本人に対して持つ印象の中でトップ3に入るものの1つが、日本人は孤独を好み、孤独に強い、ということだ。
仕事の後も休日も1人で過ごす人が多いことに驚く。
1人暮らしでも用事がなければ親に電話もしないし、たまに電話しても長電話するでもない。
1人で外食チェーンで食べたり、1人でデスクランチをしたり、1人で映画を見たり、1人旅をしたりする。

人生の半分近くをイランで過ごした私には、いまだに受け入れ難いことである。
もちろん日本人の中にも、群れるのが好き、家に1人でいられない、という人は多い。
だが、そういう人の割合は、イラン人に比べて圧倒的に少ない。

このコロナ禍で、法的な拘束力や罰則がなくても外出を控えて自宅でおとなしくしていられるのは日本人くらいだと思う。
どの国も、自国民にソーシャルディスタンス(社会的距離)を取らせるのに苦心している。
いくら罰則を強化して、外出禁止を命令しても、隠れて集まる人たちが続出している。

日本の生活に慣れたはずの私から見ても、日本人は他人に頼らなさ過ぎで、無駄な話をしなさ過ぎである。
コロナ以前から、まるで身体から半径50センチに、物理的にも感情的にもソーシャルディスタンスの丸い輪があるように感じられた。
話をしてみれば、意外によくしゃべる面白い人だったり、とても親切な人だったりするのだが、話し掛けるまでが難しい。

距離感は人それぞれだし、精神的・物理的な距離が長いほうが落ち着く人もいるだろう。
しかし、全ての人が同じように距離を取って生活したいと思っている、とは考えないでほしい。
しばらく話していない友人や家族が、今この時にも孤立し孤独を感じているかもしれない。

コロナ禍で苦しい時だからこそ連絡を取り合い、会えなくても他の方法でつながり、冗談を言い合ったり、励まし合ったり、泣き言を聞いてもらったりする時間がもっとあってもいい。
それは非生産的で無駄な時間かもしれないが、生きていくには必要である。

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