中国のポータルサイト・百度に13日、日本が大東亜戦争初期にわずか半年ほどで東南アジアの大部分を占領することに成功した理由について考察する記事が掲載された。

記事は、1941年12月の真珠湾攻撃による大東亜戦争開始以降、日本は英領マレーからビルマに至るまで、わずか半年程度の時間でタイを除く東南アジアの大部分を占領した(ドイツの電撃戦を超える速度)と紹介。

日本が東南アジアに攻め入った目的は、大規模な植民帝国を作り上げるという既定の目標があったこと、そして、現在のインドネシアにある石油資源の獲得だったとした。
また、太平洋戦争開戦前から日本は中国戦線で膠着状態に入り、すでに多くの兵力を消耗(中国では既に25万人戦死。敗戦までに更に20万人戦死)していたにもかかわらず
短期間のうちに東南アジアを攻略することに成功したとし、「どうしてそのようなことができたのか」と疑問を提起した。

その上で、旧日本軍はかねてより東南アジア地域に記者や民間宗教家などといった身分で大量のスパイを送り込み諜報活動を行っていたと主張。※実際に諜報活動を始めたのは41年春からで、現地の地図もなくオランダの古本屋から東大助手名義で大量に買い漁った有様で、地名もオランダ語のままだった。

また、当時の東南アジアは西洋列強の植民地になっていたものの、植民地の軍隊は現地人によって管理されていたため訓練や装備が不十分であり、「そもそも烏合の衆」だったことから、訓練を積んできた日本兵には太刀打ちできなかったとしている。
さらに、第2次世界大戦において東南アジア地域の宗主国だった英国、フランスなどの欧州諸国は対独の欧州戦線で手一杯となり、植民地を防御する十分な余裕がなかったとも指摘。
日本はこの隙を突くとともに、「欧州の植民政策からの解放者」という名目で多くの現地人を取り込むことに成功したのだと伝えた。
記事は最後に「かくして日本は半年ほどで東南アジアを占領したが、望んでいたものが得られないばかりか、破滅へとの道を進むことになったのだ」と結んでいる。(編集担当:今関忠馬)

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