織田信長って何で征夷大将軍や関白にならなかったの
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朝廷の威光を借りれば上杉毛利長宗我部武田との無益な戦を減らすことができて
コスパよかったと思うんだが 右大将になった時点で幕府開ける級の権威と聞いたけど。 公家を壊して武家による支配を目指してたからな
天下布武の武は武力じゃなくて武士による支配だから それだといろんな法律がある国を服従させてるだけだからな 世界に打って出るには連合国家じゃなくて一つの法のもとに一つの国にする必要があった 知らん。なる気があったのかなかったのかすらわからない。
何せ本能寺で死んじゃったから。光秀が全部悪い。やっぱハゲって駄目だわ。 義昭追放した張本人が将軍になったら
京都の人らからどんな陰口やら嫌味言われるか分からんかったからじゃね? 足利幕府の末期を目の当たりにしているからな
力が無くなれば天皇や公家たちからポイ捨てされてすぐに他の大名に乗り換えるやり口を知ってしまったら
じゃあ俺が天皇になってやんよ!将軍なんてクソ食らえだ!!って思ったんじゃない? ゲームの影響か知らんが魔王みたいな扱いされてるよな。
実際は部下が金玉使ったギャグやったら笑いが止まらなくなったというくらい
ユーモアのある人物だったらしいのに。 平家系だからなれないから足利義昭の養子になろうとしたけど、
義昭に突っぱねられたんじゃなかったっけ確か? 右近衛大将ってのは、歴代の将軍が朝廷からもろうてた役職。
実質、将軍やろ。 Googleに入社したらGoogle以上のものを作れないから >>3
藤原氏というのは認められたから関白にはなれる 信長が天皇になろうとした(根拠なし)
魔王だから(信玄との文通で書いたただの冗談)
源氏じゃないから(そんな決まりはない)
このあたり言う奴は恥かくぞ。 織田信長という名前は知ってても歴史知らないヤツの質問だな 別に興味なかったからじゃね?
天皇の威を借りて幕府開く気も無かったろうし そこまでの裏技は考えてなかったんじゃね?
既に幕府なんてクソ雑魚と思ってたわけだし
あのまま行けば組織そのものをぶっ潰せてたわけだし そもそも武力で統べると言ってんだから
権威に頼っちゃいかんだろ
まず実効支配して朝廷側から申し出るまでは基本欲しがらないスタンスでしょ彼は 京都の度重なる大乱で皇室及び摂家大臣家も朽ち果てかけていて
それを建て直し終わった直後にキンカンハゲに討たれてしまった 京都に行ったのも何らかの官位を貰いにいったんじゃなかったか? >>54
天下布武って
京都周辺、畿内の混乱を平定するよ、程度の意味らしいであれ。 源氏の子孫で無いとなれない
鎌倉幕府の藤原将軍は例外中の例外、
と史料研究者や源氏長者の学者が言ってた 京都の八坂神社の家紋は木瓜紋で信長ど同じ
上下鴨神社の家紋は三葉葵
京の支配者に成りたかった二人 征夷大将軍が偉くなったのは江戸幕府からだからじゃね?
関白には家柄上なれないし
だから秀吉は猶子になったわけだし 信長は足利義昭を担いで上洛してるんだから、信長に元から将軍になろうなんて意志はないやろ
秀吉だって朝廷の中での空いたてた関白をめぐったいざこざがうぜえから
治めるために前久の養子扱いで関白になっただけで将軍にはなってないし関白もそれっきり
将軍になりたいだの言ったのは徳川家康だけ よしあき君まだ生きてて将軍名乗ってるから、「俺が将軍だー!」って言っても、血筋から言ったらあっちが正統なの丸分かりで絶対反対派は出るからね。いいとこ南北朝の再現だよ。その対処の方が面倒だと思ったんじゃないかな
関白にはいずれなろうとしたかもしれんが、役立つとしたら武力で反発してる奴ら一通り殴ってからでしょ
当時の関白は親織田で協力的だし、公家動かしてくれるから当面不便はない。あえて地位を取り上げて敵に回すリスクを犯す必要がない >>62
当時の天下って畿内のことらしいな。
NHKでやってた。 実は幕府としての体制が作られていたという話だし、実質的に将軍としてふるまっていた
で、一応足利将軍が鞆幕府で信長追討であがいていたし これからは自分の基準で価値は決める、朝廷から与えられた地位なんぞいるかってなったんじゃないの
実際信長が権威づけしたから茶器が一国の価値を持つようになったしそういうことに愉悦に浸ったんだと思う 秀吉は信長ができなかった事を継承した 毛利と九州を平定したらその先は朝鮮半島から明国 そっちで王になるつもりだった …かもね >>72
朝廷にも足利家にも献金して尽力してたのに裏切られたのは信長だからな
可愛そうなおじさん 将軍
関白
太政大臣
すきなのどれか選べと
ラインハルト的な推認を受けたけど
天皇の退位と交換条件だったためか
明智にやられた どうでもいい
足利将軍みたいなコンニャクになってもどうしようもない 中国、インドを制圧して皇帝になるつもりだったからって、へうげもので言ってたわ >>74
それ何かしっくりこないんだよね
何で信長の天下だけ畿内限定になってしまうのよ >>62
商業を完全に牛耳ってた宗教勢力を排除するって意味
NHKでやると怖い宗教勢力が脅しに来るから >>93
曾じいさんが突然織田家の末裔だと言い出したとかで、織田家の本当の家系の会みたいので
認められてないとかじゃなかったっけ? 天ちゃんを日本に放置して大帝国NOBUを作る気だった 太政大臣や関白に「天皇に頼み込んでまで」なるつもりは無かったのは間違いない >>33
義昭の養子どころか義昭が信長を父呼ばわりしてたがな >>75
うろ覚えだが正三位以上になると
家政に律令制に照らし合わせた官位をあたえてよくなるんじゃなかったっけ
だから甲州征伐後は関東管領を任命できずに目付けを置いた >>1
そもそも朝廷が不要だったから、その下の大きな官位は受けなかった なんたって第六天魔王様だからな
天皇より既に上つもりだよノブノブは 健織田社は明治天皇が建立したので、天皇に反旗ってのは創作なんじゃないかと
昭和天皇は織田と明智の血筋でもあるし、このあたりに隠された陰謀とかありそうだよね 幕府の駄目なところを散々見てきたんだぜ。基本仲介の征夷大将軍なんて貰ったら関東制定で残りの人生取られるわ。
武力で統一した方が早いからな。合理的だよ。 逆説の日本史だったか忘れたけど信長が朝鮮出兵考えてたのは
天皇より上になるために日本と朝鮮を統治する立場になるため
みたいなのは読んでて面白かった 信長は朝廷の権威には従う人なので
蘭奢待切り取りも、勅許もらうのに物凄く朝廷に気を使ってるのが資料からわかる >>106
徳川が滅ぶか武田に屈してから信玄が死んでたほうが結果的に織田が天下取れてたかも 信長自身が日本の王になるつもりだったから天皇家の征夷大将軍も関白などの公家の
地位も欲しなかった。天皇家も滅ぼして日本の王になるのが信長の野望だったから。 転生や女体化なんかの創作の余地を残すためだったんだよ >>108、109
信長は勘違いしてるの多いが
一部は尊王派であるが天皇は神よりも下
信長は自分を神としてあがめるように住民に言い渡している
信長の頭の中は
信長=神 > 天皇 > 征夷大将軍
だから本能寺の変が起きた
秀吉と毛利をまとめたのは天皇 秀吉って信長亡くなったあとに信長の孫を担いで(後見人になって)出世したんでしょ?
その孫ってどうなったの? >>1>>43
自称歴史オタか?
だったら未だに兵農分離とか楽市楽座とか言ってたら恥をかくぞ
詳しくは「兵農分離はあったのか」「楽市楽座はあったのか」でググってくれ
信長の革新性とやらは近年の研究で大部分が否定されていて、むしろ他の有力大名より後進的な面も少なくないと評価されてるんだわ
>>94
信長は自分自身も根来寺などの宗教勢力の軍事力を使用している
「信長は政教分離していた」とか噴飯もの
>>117
織田信長と比叡山延暦寺の対立は信長が上洛以降勝手に比叡山の領地を占領して、
朝廷が比叡領地を返還するよう信長に要請したにも関わらす無視し続けた事が原因
信長は朝廷の権威を都合よく利用するために必要に応じて使っていただけだな 何の武力も無いのに信長に対して威張ってた朝廷が凄いわ
いったいどうなってたんだろう >>17
そんなの何とも思わんだろw
自らを大六天魔王を自称した奴だぞ。 宣教師から聞いた古代ローマ帝国皇帝のような存在になろうとしたから >>64
奈良平安時代には既に、天皇家を覆す思想は皆無らしいな。
雄略天皇の時代はまだ安定してなくて、地方豪族を雄略自ら討伐していたようだが。 >>1
足利義政が大将軍を解任されてなかったからだよ 幕府とは別の構想持ってたんじゃね?
秀吉は武家関白制で失敗したが >>17
織田信長は三好氏が廃止した京の町民への地子銭(固定資産税)を復活させたり
上京焼き討ちで市民を虐殺したりして京の民衆からの評判は悪くあっても良い訳がなかろう
明智光秀は信長を討った後に地子銭の廃止を宣言して町衆の支持を得ようとしたしな
信長が支配地の関所を廃止したというのもごく一部のもので
京の七口は豊臣政権の時代まで関所が存続してるよ 信長政権が順調に続いてたら信長自ら帝位に就いて天皇は伊勢神宮の神主にでもして追放してたんじゃね 将軍だろうと力が無ければ傀儡になるしか無い時代だから 生き神になろうとした俺に
下天の権威など関係ねーし。 >>124
それただ寺が仏敵と言い始めたから対抗のはったり >>137
平将門は自分を新皇「新しい天皇」と自称してたな >>116
明を平らげた後、そこに日本の天皇を据えた体制を作る構想を持ってたと大学の授業で教わったよ >>142
唐入りしてただろうから中国の皇帝になるつもりだったのかも >>109>>127のように信長は上洛した時期にはすでに朝廷の意向を無視してるんだわ 今の時代生きてたら間違いなく反日パヨク認定されてたっしょ 信長の野望やってたら征夷大将軍なんてただのイベントだってわかるだろ。そんな感覚。 >>142
秀吉は明征服後天皇を北京に移す計画だったから
ノブもやっぱり同じ路線じゃないかな >>146
あれ、既存の天皇を潰そうとはしてないぞ。
関東を地盤に東の新帝を目論んだ。
天に二日無し。
朝廷が認める訳が無いけどな。 朝廷から征夷大将軍、太政大臣、関白から好きなの選べと言われて
悩んでる間に殺られたんだよ
そん時は正二位 右大臣ぐらいだったはずだから
三職のどれを受けたとしてもたいして変わらん >>29
寺焼き討ちとか人間の面かぶった犯罪者でもある 武士は今で言うとヤクザだろ
昔はヤクザだらけだったんだよ 歴史学者は定説を覆すためにチェリーピッキングしてる印象が強い 室町幕府の体たらくの後に将軍になっても権威がなあ
かといって武家で関白って秀吉ならではの反則行為だろ
朝廷の威を借るのが一番無難だったんだろうな 管領も副将軍も断ってるからな
役職なんか大して気にしない性質 征夷大将軍じゃなく全国の守護、地頭を任命する権利が幕府の要件だってことに10年くらい前に変わったんじゃなかったっけ
織田信長はその幕府を名乗る権利も欲しくは無かったんだろうか 信長が欲しかったのは征夷大将軍ではなく
誠意大将軍の称号だったから! 光秀にやられたからだよ。やられなかったらなんらかの体制強いてたろうよ。ただ信長は国内は息子の信忠と明智光秀に任せて大陸進出を狙ってた。 信長には征夷大将軍なんざ out of 眼中
だったろうて! 必要性を感じなかっただけでしょ
征夷大将軍になったところで
他大名との戦争は避けられないよ このスレ的な基準だと蘇我馬子も藤原道長も源頼朝も徳川家康も全部逆臣やな
唐入り目指すとき天皇をどう扱ったかは永遠の謎 征夷大将軍の室町幕府の言う事なんて誰も聞いてないもんな
みんなコテンパンにしてからじゃないと 神になりたかったんだよ。死ぬ時に「神か。神が死ぬか。」って言ってただろ。 確かに唐入りして中国皇帝位をゲットしたら、日本の官位とかぶっちゃけどうでもよくなると思う 普通に官職についてたんだから
生きてたら太政大臣になっただろ 幕府の権威は結局は天皇より下だから。だから信長は天皇より上の権威を得ようと模索して、国王となろうとしたのだろう。安土城に清涼殿を築き天皇を行幸させようとしていたのもその一環。
幕府を滅ぼし、既存の仏教勢力の本願寺などを押さえ込み、キリストなどの新興勢力を受け入れ、更には天皇の権威をもその掌中にしようとしたタイミングで、本能寺の変は起きた。
坂本龍馬とも同じだが、既得権益を打破して革新的な仕組みを作ろうとする者は、相当な思惑が絡み、狙われて消される。そして誰もが黒幕となり得るような状況だから実行犯に辿りついても、動機やなぜそうなったのかが闇になる。
現代であってもそれは同じ。 >>3
自称源氏でしかない徳川でも家系図捏造でなんとかしたんだしそんなもんどうにでもなったのでは 征夷大将軍は家康がなって徳川幕府が出来た後の価値観だから重要視されるだけであって、
それ以前なら、関白や太政大臣のが一応格上だからなあ・・・ 打診されたけどお断りしたんじゃなかったっけ?
そういう説を何処かで見た記憶があるけど
アレは誰かの推測とか妄想だったのかな そう考えるとコムロ殿下ってスゴイよな
信長より位が上だろ >>158
お坊さんとは名ばかりの生臭坊主共がやりたい放題だったから
ぶちのめしたって何処かで見たぞ 美濃→畿内→中国→九州→朝鮮半島
→最終的に中国征服狙ってたから >>186
徳川幕府は鎌倉幕府、室町幕府に準じたに過ぎない
征夷大将軍職と他の官位は分けて考えるべきだ
源頼朝に習って征夷大将軍を武家の最高位とした
やはり鎌倉幕府以降は征夷大将軍職は特別なものだよ
足利義満は征夷大将軍かつ太政大臣だからね >>1
朝廷を軽視してたんだろうな( ・∇・)
地方の有力大名との駆け引きや
上から目線で天秤に量られたくは
ないだろ( ・∇・) 誠意大将軍なんて官職の低いものは必要なかったんだろ?
右近衛大将ですでに武家の頭領だと思うし ノッブはアッキーを盛り立てやって室町幕府再興してやって、自分は尾張から東をボコボコにしてやろうと思ってたけど、アッキーがアホ過ぎて全部自分で最初からやるかってことにしたんだろ。 >>12
最近の研究では天下布武はノリで作った説もあるし武て歩くの意味もあんのよね
実際はどういう意図だぅたんだろうな >>3
源氏しか征夷大将軍になれないというのは誤り どれでも好きなのどれでも選べ! 言われてたみたいよ 夷が、その時代に合わなかったから
信長「今時何いってんだよレイシストども」 義昭は京都追放後も一応征夷大将軍だったから信長に譲るわけない。信長の死後も将軍のままで、辞したのは秀吉の世になってから。 息子に家督譲った時点で、大御所になってたから官位要らなくなっただけだろ 信長→一代で大企業作り上げた経営者にありがちな有能なサイコパス
気に入った相手には甘いが気に入らない相手には苛烈
秀吉→とにかく下手(したて)に出て周りを立てる事で成功したが、自身がトップになった時点で育ちの悪さに対する劣等感が爆発
今までと打って変わって権威になろうとして失敗した
家康→いじられキャラだが同時に愛されキャラ >>1
なる気はあって三職推任の話を天正10年4月に進められてたが、6月に本能寺の変で有耶無耶になった。
よくある光秀謀反の動機の説のなかでも
関係するんじゃないかって話もある。 信長は天皇の子の親王を猶子にしていたからその猶子を次の天皇にして自分は天皇の義父として君臨しようとしていたって説もあるよね
ただ通説では信長が天皇に譲位を迫り猶子を天皇に即位させようとしたとされていたが近年の研究だと譲位は天皇側から言い出したが譲位即位諸々の儀式に莫大な費用と日数が掛かるから戦に忙しく乗り気じゃない信長がそれを先伸ばしにしようといていたとの事
天皇公家連中はそれで色々邪推したり悩んだようだね そもそも当時の帝は早々に退位して上皇になるのが普通だからな むしろ信長は朝廷の権威をフル活用して、武田や上杉との戦を極力避けようとしてたんじゃないの
勝てないから >>212
復活させたら有り得るよ
源頼朝は死んでいた征夷大将軍を復活させた 尾張の田舎者は征夷大将軍に相応しくないだろう
この流れをみれば、三河の家康は相応しいが
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:本貫地/三河国加茂郡松平 >>210
うちは、坂上田村麻呂の系統なんですが将軍になれますか?悪党の出身で鎌倉幕府にも叛逆した経験があります。江戸時代は身分を偽って縮緬問屋をしていました。 >>227
畿内を制圧するまでは武田と戦う余裕が無かったからな。
縁組みしたり、頑張ってたよ。
勝頼に代替わりしてからは、武田は信長のオモチャ。
勝頼は謀略への対抗が全く出来ない猪武者。 信長君に征夷大将軍になるようにってお手紙出したら
お返事貰う前に死んじゃった
光秀も余計なことしてんじゃねーよ
返事貰うまで待てって言ったのに 本能寺の直前で毛利だけがかろうじて戦争状態で上杉は瀕死長宗我部は討伐軍が起こされてて北条島津は恭順の姿勢
朝廷からも三職推任されてたし毛利を潰すか降伏させたら有力な家臣を遠くに置いて近場を身内で固めて終わりだっただろうな 東国の王は、すなわち三河の王なんだよ
つまり、中世以降、三河の王以外は征夷大将軍は相応しくない
すると、現代社会における征夷大将軍はトヨタの社長、すなわち豊田章男と言う事になる
【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 天皇に任命されて征夷大将軍したいわけじゃないから。
天皇のいる地位に信長自身がなろうとしてた。 関白は知らんが征夷大将軍になれなかったのは清和源氏(清和天皇の子孫)でないから
徳川家康が征夷大将軍になったのは系図を偽造したからだと思う 征夷大将軍の権威なくなってるときに自分がなろうとは思わないだろ
多分、尊皇攘夷を先駆けたような思想もってたんじゃないかな
海外から攻めてこられるのを視野に入れて日本をまとめたかった
その中心は、天皇であるべきだと考えてた
そうした天皇中心の日本を作ろうとしてたのではないか >>231
長篠の戦いをもし信玄が戦っていたら、雨が降って織田の鉄砲が使い物にならなくなるまで何日でも待っただろう、と言う戦史研究者がいたなあ
勝頼には後継ぎ故に待てない理由があった、とも解説してたけど
その理由を忘れちまった(´・ω・`) >>230
諸国を漫遊していた越後の縮緬問屋の光右衛門さんですね? わかります 物を知らない田舎者だな
皇室の最大の本拠地は三河国
皇別氏族たる源氏の最大の本拠地は三河国
■三河国高橋荘・高橋新荘
豊田市ほぼ全域とみよし市は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した
・開発者は源頼朝の曽祖父、藤原季兼か?
・寄進者は藤原季兼の妹の子供、高橋惟康(藤原伊周の孫)か?
・平安末期〜戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる 信長:朝廷の権威を必要としなかった。実力主義
秀吉:農民出身なのでどうしても朝廷の権威が必要だった
家康:名目上は関白秀頼の家臣だったのでそれに対抗できる役職が必要だった ピントがズレてな
ナチュラルに、三河の王だから征夷大将軍だろ
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官 >>243
続き
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 天皇を廃して自分が王になろうとしたとしか思えんな
関白も将軍も天皇に任命される訳だから断ったのだろう そりゃ下賤の身から立身出世して裏技的に関白になった秀吉のことや、徳川幕府の世が260年間続いたことを知ってる人間からしたら、なんで?ってなるけど。
でも鎌倉幕府の源氏将軍が3代までだったり、末期の室町幕府の足利将軍家を目の当たりにしてる人間からしたら、征夷大将軍にそれほど魅力は感じないだろうよ。
いくら東海道〜畿内を抑えたと言っても天下統一の障害になりそうな毛利、島津、長宗我部、上杉、北条あたりはまだまだ血気盛んだし、松平が同盟破棄したら東海道の抑えが効かなくなる。
天下国家のことは少なくとも毛利を降してからだと思ってたんじゃない? そのために京に上がって準備する予定じゃなかったん?
本能寺でやられちゃったけど >>187
それは副将軍を断ったってやつじゃないか >>250
三職(征夷大将軍・関白・太政大臣)の中で太政大臣と言われてる >>250
上洛は征夷大将軍職が目的ではないでしょ。初めは建前とはいえ足利将軍を擁立して上洛したわけだし。
他大名を制すのに室町幕府や朝廷の権威が必要だったから上洛したけど、東国支配の象徴でもある征夷大将軍があの状況下で必要だったとは思えない。
毛利を降して西国を抑えた後に北条や上杉らの東国勢を降す際には就任したかも知れん。
けど秀吉に毛利攻めをさせ、さらに光秀を送り込んで本人も出馬しようとしてたところをみるに優先順位が西国支配にあったことは間違いないから、やっぱりどう考えてもあの時点の信長にとって必要なかったとしか言いようがない。 自分から第六天魔王を名乗るような中二病患者やぞ。
朝廷から下賜される肩書きなんかで満足できるわけないだろ 今の腐った政治家や役人をどうにかしたいのと同じで
社会効率性を考えると坊主や朝廷といったものは
ぶっ壊したかったんだろう >>218
家康って人気ないだろ
何かと敵役にされるし >>239
織田・徳川連合軍が単純に二倍の兵力だから、信玄ならサッサと撤収済みかなって。
織田が追撃してきたら山道で待ち伏せ。
勝頼は前線の猛将にはなれても、家を守る頭領には向いて無かったと思う。 朝廷「摂家の者でなければ関白にはなれぬ」
秀吉「近衛さん、ワイを養子にしてクレメンス」
朝廷「源氏の者でなければ征夷大将軍にはなれぬ」
家康「よくよく考えたらワイは得川さんという源氏の子孫だったわ」 時代の最高権力者がゴリ押せば何とかなる程度のしきたりだし
信長は興味なかったのかもしれんね 寧ろ今の時代こそ征夷大将軍が必要だな
日本的民主主義はもう駄目だ 現代で例えれば
関白→総理大臣
征夷大将軍→国防長官
信長がもし生きていればどちらもイヤで皇族を潰して自ら日本の皇帝を名乗っただろな 尾張美濃時代なら意味はあったろうけど
義昭を追放した頃は既に名実共に天下人でしょ
肩書きなんて要らん >>274
信じられないかもしれないが
信長は尊王 >>87
右大臣も朝廷に押し付けられてソッコー返したんだよな
安土城の下の方に親王の住まい置いて、信長は見下ろしたろ
新しい秩序や政治体制を目指したと言われてるけどなー そもそも朝廷をぶっ潰して天皇の直属を武士にしたかった >>52
当時としては上手いネーミング、誰が誠意大将軍って付けたのだろう?ババァに宝石売り付けたり、アンナとペアヌードしたりやってる事に誠意が無いのが素晴らしい、ちんちんデカいらしいし「シンボルちゃんさまさまだぜ」 織田信長がいなければ、朝廷は戦乱で滅亡寸前だった
上洛して金をガバガバ落としたのが織田信長
織田信長が目指した天下布武は織田信長が中央にいて
重臣らを地方に封じた政治をするはずだった
しかし明智光秀の謀反で頓挫したから
豊臣秀吉が実行した
織田信長と豊臣秀吉が金を貢ぎすぎたせいで朝廷が暴走し
淫行事件を起こしたので、徳川家康か禁中並公家諸法度を制定することになった >>75
三職推任の話もあるし義昭の将軍職解任出来たんじゃね?って思ったんだけど、将軍職って自分から辞めないとアカンのかね?
明治維新の時も倒幕の密勅とかじゃなく将軍職解任しちゃえばよかったのでは?って思ったり 上杉謙信が、越後内の国人の争い鎮めるために勅をもらってきたけど効果無かったじゃん?
あの時代の天皇の権威って大したことない
一度武力で屈服させた上で、その状態を維持するときに重石の一つとして乗せられる程度のもの ゲームとか漫画で歴史覚えるやつ多いせいで、現実無視した戦国史観持ってるやつ多いわ
そもそも領地の農村を守るために戦ってる奴が大半で、ゲームみたいに天下統一狙ってた武将なんてほとんどいない
信長みたいに常備軍を金で雇ってる武将もほとんどいないし、ゲームみたいに天下統一狙ってないし、雪国に拠点がある勢力はそもそも冬動けない >>195
朝鮮相手の段階では速攻で首都陥落させてたぞ >>264
これでも苦戦したからな
それだけ武田は強かった >>218
家康は敗走うんこ漏らしを描かせるナルシスト兼ドMキャラ 源氏平氏ってのは関係ないんだよ
家康だって母方から得川姓を引っ張って来てるし
本気で公方を目指してたらいくらでもやりようはあった >>277
織田信成は100%織田家じゃ無いよ
祖父以前は日本人かも怪しいレベル 東アジア〜インド・大東亜帝国の皇帝を目指していたんだよ
人間の大きさが違う 日本は息子にまかして俺は海外の王になるとか言ってた 新説
天皇に取って変わろうとして
光秀に討たれた。 >>158
昔の寺が今の寺みたいなしなびた老人がいる場所だったと思ってる? 将軍は追放したけど
天皇にはまだまだ利用価値があったからな >>158
武力もったオウム想像してみろ
それ潰すの悪かね? >>158
武装するわ勝手に関所作って金巻き上げるわ肉は食うわ女とやりまくるわ酒は飲むわ
坊主の皮を被ったゴロツキ そもそも仏教は大和チョン廷が政治利用の目的で持ち込んだものだからな
信さんはどっちかというと伴天連よりだろ まぁ只の田舎侍だからね官位のありがたさがわからんのですよあの人には 敵を作り過ぎたんだろう
人間の怨みの怖さを軽んじたのが敗因
ハンターハンターでいうところのメルエムだな まあ現代人と当時の人達じゃ公方や幕府に対する認識は違うんだろうな 信長が魔王を名乗った事も魔王と呼ばれた事も無い。これ豆な。
ルイスフロイスがイエズス会に送った報告書に「信玄が『俺は天台座主!』と名乗ったら信長が『俺は第六天魔王』と返した」
と記されてるだけ。その信玄との手紙の現物も残ってないし真偽すら不明。 >>319
領地をすべて取り上げて
これからとった領地を与えるなんていわれて
無防備な信長がすぐ後ろにいて
じぶんももうそんなに若くはない
それでも反逆しないかね
光秀は普通の人だったんだよ 信長の古参の部下でない光秀だったから
忠誠心から信長に従ったわけではないってことを
信長はもうすこし理解してもよかったのだろう >>315
親父が官位貰ってるの見てるから分からんてのはないだろう >>322
領地召し上げのソースは本能寺の変から100年後に書かれた明智軍記という小説。
つまり信長さん濡れ衣。 明治政府みたいな欽定政府を安土でやろうとしたんだろ
明智が真意が判らず潰したけど そもそも天皇を中心とした国造りに意味がなかった
特別な能力があるわけでもないのに 利用するだけ利用したら
まとめてぶっ殺すか
逆に臣下の礼でも取らすつもりだったのかもな^^; >>322
「見事毛利を討ち果たした場合は出雲石見を与える、失敗したなら今のままだ」って言う美味しいだけの提案だぜ。
信さん「活躍したらここをあげるよ」
↓
ルイス・フロイス(信長時代)
あまり顕栄でない一族(毛利氏)が、知慮と勇気により彼の13か国の領主となるに至った。
山脈と日本の銀とを有する石見国がその中にある。
フェルナンド・ゲレロ(家康時代)
これによって内府様(徳川家康)は、今までの日本国の支配権を獲得したすべての人の中で最大となるであろう。
なぜなら彼は毛利(輝元)殿から、銀の鉱床がその地にある7ヶ国を没収し、9ヶ国の中で2ヶ国だけを残させているが、それらも時を経てから入手するであろうと考えられているからである。 >>239
鉄砲以前に兵力差がありすぎでしょ、信玄上洛軍3万に対して勝頼軍1万5千、それでも織田方の方が
犠牲多かったとか、手取川の謙信は鉄砲は夜に効力が半減すると読んで夜襲で勝利してるし へうげものなんかで描かれてるけど、信長はファッションリーダーとしても優れてたのかね
茶道も信長が流行らせたし、その一方で南蛮ファッションも積極的に取り入れてたみたいだし
そういう点でカリスマ性に優れてたのかなと思う
その点、秀吉は金ピカ茶室造っちゃったりしてセンス悪いよね >>332
残り二国も取り上げておけば
260年後に子孫が困らなかっただろうにね
天下を制したのが謀略の雄元就でなく
その息子のチート三兄弟でなく
徳全振りのそうせい候という皮肉 織田って在日に人気の通名なんだよね
帰化したときにそのまま織田を名乗る奴も多いし 蘭奢待ごっそり剥いだり可能かどうか別にして日本の支配者どころか世界に目向けてたとこあるからな
それに当時の朝廷は貧乏でまともに祭事すらできてなかったらしいし 信長がいなかったら
戦国時代はつまらなかたからね
太平記とか明治維新とか戦国時代ほど人気ないし >>239
勝頼軍は1.5万(信長公記&甲陽軍鑑)。
信長軍は3万(信長公記)〜10万(三河物語&甲陽軍鑑)。
しかも柵どころか付け城と言っていい防御を行ってる。
なので銃の有無とは関係なく武田軍が攻めるのは無理。
また、信長軍は家康への後詰義務を完了しており、これ以上攻める動議がない。
信玄だったら撤退してたかもしれないけど、この時点では信長隆盛が明確となっており、時は信長に味方してる。 それ以上の存在になりたかったから、と言われてるな
けどこの国ではいつだって、天皇の地位を脅かす簒奪者は
死ぬ運命にあるんだよな... >>301
信長は北京あたりに天皇を置き、さらに東西南北に天皇の分家を置くことにより大倭を作ろうとした説 いやいや歴史詳しくない奴多いな
なる直前に討たれたが正解
朝廷から
関白
征夷大将軍
太政大臣
この三つからほしい職を選べと打診されていた
どれを選ぶ予定だったかは信長しか知らない >>347
建前あまり気にしない変り者の信長が選んだかねと言う話じゃねいの 将軍はなさそうだけど
足利追い出した側だし
信長太政大臣で
秋田城介だった信忠が
鎮守府将軍で過去の足利幕府と違う
政権樹立アピールならあり得そう どれだろうと、ただの中世暴力団の内部抗争だから対して意味はない 将軍ってのは武家の頭領だからな
朝廷の任命だけじゃなく各国大名達の支持が無けりゃ効果ない >>349
信長さん、建前めっちゃ気にする人ですぜ 秀吉で朝鮮征伐だから、信長は中国の皇帝あたりを望んでたかも。 将軍にしてもらう予定だった。
そのために本能寺にやってきて殺された 秀吉は普通に経済原則的な観点が稀有過ぎる
成長と拡大を目指す帝国主義的な海外進出だし
もう少し若くて惚けなかったらどうなってたかな >>353
そう言う事じゃねいよ
実利重視の権化だろ的な事よ >>357
あれぐらいやらなきゃ室町式のずるずる体制から脱却出来なかったんだろう
汚れ仕事を秀吉がやってくれたから家康は安定政権を作る事ができた カタにはまりたくねえんだよ!ってか
ヤンチャですなあ >>359
家康のやったことは乗っ取りだから(笑)
豊臣家大老のまま秀忠を大将に大阪の陣(笑)
これもう時代劇でよくあるパターン(笑)
悪家老が殿様を滅ぼすパターンそのもの(笑) 秀吉は関白だったのは農民出身だからってだけだよね。
これ日本史の教科書にもそう書いてる。
秀吉の経済政策はほぼ全て信長のぱくりみたいなもんだろ。 信長は身分なんてどうでもいい型にハマらない本物の中の本物だったから斎藤道三にその本質を見破られ娘を嫁に
信長包囲網で常に敵だらけだったがついに京都馬揃えまで行った 既存の制度には興味なかった。
始皇帝のように新名称を付けるつもりやった。
知らんけど。 秀吉は関白になれたんなら征夷大将軍にもなれただろ
義昭の猶子になれなくても他にも足利、源姓一族はいたわけだからね
関白になるほうが難しい >>334
秀吉は利休の「意識高い系」をちゃかすために
わざわざ利休が最もきらいそうな金ぴかの聚楽第をつくった 秀吉は一人も敵武将を自力で倒していないから将軍にはなれんかったんだろ
身長140cmだからな 俺、日本史の偏差値高かったけど
オマエラの話について行けんよ。 >>317
第六・天魔王じゃなくて第六天・魔王やぞ
天と繋げる場合は単に天魔という 本能寺の直前に3職のいずれでも良いと進められたが、受けなかったな。
就任すると天皇の命令に逆らえないから、形だけ服従した地方の大名を攻撃できなくなって
紛争の火種が消せないと考えていたのだろうか 稲葉一鉄が部下を大事にしてれば本能寺など起きなかった
斎藤利三と那波直治 >>372
小牧・長久手の戦いに勝って、三河の王になれば、なれたかもしれんが
東国は三河の王以外には臣従しない
東国が尾張の田舎者に臣従するか?
【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 >>317
ありゃ信玄と信長の厨房合戦だよw
信玄:俺スーパーサイヤ人。
信長:じゃ俺、伝説のスーパーサイヤ人ブルーw
【ルイスフロイス】
武田信玄が遠江と三河に来襲する前に面白いことがありました。
信玄が信長に書状をしたためた際に、調子に乗って自分の名を天台座主沙門信玄と署名したのです。
これに対して信長は、第六天魔王信長、つまり仏教に反対する悪魔の王と署名して返しました。 どちらも朝廷から与えられる物であり、その権威を否定したかった 武家社会を語るなら、三河の源頼朝まで遡れ
家康は頼朝の跡継ぎの嫁の兄の血を引く
尾張の田舎者は、征夷大将軍は相応しくない
源頼朝は嫡男の正室に、曽祖父が開発した三河国の荘園の荘官をしていた足助重長の娘を選んだ
源頼朝の曽祖父は三河県豊田市民→三河県岡崎市民
源頼朝の祖父は三河県岡崎市民
源頼朝の嫡男の正室(辻殿)は三河県豊田市民
その嫡男の息子が鎌倉鶴岡八幡宮でやらかした公暁
・吾妻鏡では辻殿を妻、若狭局を愛妾としている
・源頼家(2代目鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→由良御前→源頼朝 →頼家→公暁
・辻殿
足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)→辻殿(母親は源為朝の娘)→公暁 信長は晩年は思い出し怒りが酷くなって家臣の信用を失った >>384
文のやりとりで茶化し合ってるしな
それに一応何度も同盟関係も結んでいる
信玄が死ななければ織田との争いも
三方ヶ原だけで済んだんじゃないかな?
実質織田軍は徳川の手前援軍出したけど
ほとんどが動かずに帰っているし >>367
元就は弱い立場で謀略を使い3つの大国を下した英雄
家康は強い立場で謀略を使い主家から天下を奪った卑怯者
反吐が出る >>391
簒奪者は猿吉
家康は三河が武家社会を統括するシステムに戻しただけであり、武家社会もそれを歓迎した
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:本貫地/三河国加茂郡松平 >>385
そう
だから外国の冷静な記録は貴重
例えば空白の4世紀 征夷大将軍って関東を武力によって制定する者なんだよ
織田がそうだったかと言われたら違うだろう 関東が、三河のコテコテの植民地だったのを知らなすぎる
三河には臣従するが、尾張の田舎者には臣従せんよ
有史以来、武蔵国にあった御所号は全3ヶ所
■平安時代
・吉見御所(埼玉県吉見町)
源範頼(三河守)の息子、源範円(正法寺(三河国宝飯郡、三河県豊川市)僧侶)が移り住む
範円の息子(為頼)から吉見氏と名乗る
現在も、吉見姓は三河県蒲郡市(源範頼の本拠)が日本一多い
■室町時代
・世田谷御所(東京都世田谷区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬、三河県岡崎市)を祖する奥州吉良氏、三河国生まれ吉良治家(初代奥州管領、吉良貞家の息)が移り住む
■戦国時代
・蒔田御所(横浜市南区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬、三河県岡崎市)を祖とする奥州吉良氏、吉良頼康が移り住む
家康入城前の江戸城主は富永直勝
三河国設楽郡富永保を本貫とする三河富永氏
家紋は木瓜に足利二つ引両(太平記、多々良浜の戦いの功労により、家紋に足利二つ引両を与えられる)
先祖は源頼義の家来、鶴岡八幡宮社職家の三河伴氏の平松氏、源義家の郎党No.2 三河伴氏の伴助兼 >>389
信忠が松姫(信玄の実娘)と婚約してたしね。
ちな、破談になったのは三方原への後詰決定と同時。
信長的には葛藤あったろな。 八丁味噌の起源は1300年代らしいが
足利尊氏軍の天下取りが起源だな
足利尊氏は、後醍醐天皇を討伐すべく、鎌倉を出発した。
途中、三河の矢作川のほとりの矢作宿(三河県岡崎市)で三河の足利党19家の兵馬の出迎えをうけたが、ここで倒幕の決意を固めた。
19家とは
01.西条吉良氏■後に将軍御一家
02.奥州吉良氏■後に奥州管領家、関東公方御一家
03.今川氏■後に九州探題、守護職
04.一色氏■後に四職家、九州探題、守護職
05.仁木氏■後に室町幕府執事、守護職
06.細川氏■後に管領家、守護職
07.斯波氏■後に管領家、守護職
08.戸賀崎(荒川)氏■後に守護職
09.畠山氏■後に管領家、守護職
10.桃井氏■後に守護職
11.渋川氏■後に将軍御一家、九州探題
12.上野氏■後に奉公衆
13.岩松氏■
14.石塔氏■後に奥州総大将、守護職
15.鹿島氏■
16.粟生氏■後に奉公衆
17.倉持氏■後に奉公衆
18.高氏■後に室町幕府執事、守護職
19.上杉氏■後に関東管領家、守護職
太平記第20回「足利決起」 >>230
あのエロ画像ひたすら欲しそうにしてる奴の子孫なの? 乙巳の変からねじれ国会みたいな茶番が続いてるんだな
外来種の天さんを担ぎあげたり孕ませられたり >>263
とにかく自分のメンツを第一に考えるタイプ。
ライバル上杉家の御館の乱でも、北条との同盟関係考えれば当然景虎寄りであるべきなのに、
景勝からの「家臣にして下さい」の一言でコロっと裏切って景勝支持に回っちゃうようなセンスの持ち主。
その後どういう結果になるかは「今予想するんじゃなくて、後で力づくで解決する」って本気で思っちゃう犯罪者に有りがちな思考。
戦国大名に一番重要な思考が
「このままだと後で『こう』なるから事前に手を打っておく」事だとして、
織田信長も豊臣秀吉も武田信玄も毛利元就も、そして前出の上杉景勝も、名将は皆このセンスに長けていたし、
凡将の評価の人々も常にソコには気を配っていた。
だが、武田勝頼と豊臣秀頼(と母・淀の方)は本当にその意識が欠落している。 >>389
二人ともユーモアがあったな
もっと長生きしたら仲良しになっていたはず >>12
そんなこと考えてなかったと思うけどな。
征夷大将軍を傀儡にして権勢振るう予定だった。
だから公家も天皇も排斥するつもりはなかったはず。 >>373
そうは言ってもセンスの良し悪しで言えば、秀吉は利休にボロ負けしてた訳で、
利休に反発すればするほど世間は
(やっぱ所詮は百姓生まれ、育ちの悪さが露呈したな)としか思わん訳で、
その挙句が切腹を命じるなんて事になったんでしょ
センスで利休を圧倒してたらそんな事をする必要は無かった >>155
勝手に言われただけで本人言ってないのでは?
将門は天皇に連なる高貴な出で、狼藉働く役人をぶち殺したら反旗を翻したと受け取られて討伐されただけ。
まあ役人殺すのはやり過ぎだと思うが。 NHKの麒麟がいく観てないの?
まだまだ公家衆が信長に反抗的だったからだよ
そこまで強引にいくまでにはなってない
タメになるからしっかり観とけ 秀吉も織田家簒奪してるやんけ!
家康だけちゃうやん >>405
NHKでやってた利休は死んでない説に1票。
利休切腹の資料はどこにも無く、伊達政宗の家臣、鈴木新兵衛が国元の石母田景頼に宛てた書状に、「利休は行方不明であり、代わりに木像が磔にされたため前代未聞と評判となり、その木像の隣に罪状を書き上げた高札が立てられていた」と書かれてる。
↑
同日に罪人の処刑があり、首が晒されていたため、多くの人が(高札をよく見ず)これを利休と勘違いした。
『時慶記』(西洞院時慶)と『晴豊記』(勧修寺晴豊)に、利休が茶器の取引で不正に儲けたことが露見したため「逐電した」と書かれている。
利休切腹翌年(1592年)に「先日利休の茶を飲み、愉快で食が進みました」と言う秀吉の書状が残ってる。
汚職でヤベエと逃げたものの秀吉に許され、政治の表に出ない茶人として生きた説。 ネットとかない時代だから征夷大将軍っていうものを知らなかったんだと思って >>384
フロイスは解釈を間違えたが「天台座主沙門」とは天台座主の弟子という意味だぞ
織田信長は比叡山を焼き討ちした上に当時の比叡山の代表・天台座主である皇族の覚恕法を拘束しようとして
天台座主は武田信玄を頼り亡命した >>390
秀吉「俺より先に征夷大将軍になってはいけない」 信長は平清盛が果たせなかった夢に向かって行ったんじゃ無いかな?畿内平定後に瀬戸内の海運と西国大名討伐に躍起になってたから 正二位 右大臣の信長はぶっちぎりの出世頭
足利も武田ももうどーでも良いくらいの身位スーパースター
織田家の天下は決まったも同然だし
誠仁親王の即位に合わせて関白 太政大臣 征夷大将軍となって
位人身を極めたうえで安土に幕府を開いたと思うなあ
これから我が世の春の絶頂期とゆうところでぶっ殺されるw
悔しかっただろうね。織田家も衰退して成仏できていないと思うよ >>1
信長 自分になびかない奴を威光で従わせても、自分が死んだら子供たちが寝首をかかれるような事は嫌だろ?
だから今のうちに潰せるのは潰しておいて、なびいてくる奴はそれなりの待遇を与えてやるのさ。
家臣も増えていくけど、遊ばせるよりは戦に使ってやるのがいいだろ、用がなくなりゃロクデナシとして禄を召し上げてやるのさ。
おれって天才だろ?
さて、忙しいくなるわ、これから本能寺でお泊まりなんだわ。息子と一緒に酒でも飲むわ、じゃあな! >>423
現代のブラック企業も同じようなもんだな 所で将軍は源氏以外ダメとかいつからそんな慣習になったのかね
全然関係ないのに 鎌倉
室町
と源氏が続いたから以外何ものでもない
ネットもテレビもない時代だから迷信みたいなのが真実になる
だから徳川家康は藤原姓だったのにも関わらず
わざわざ家系図を捏造してまで源氏になった その家系図の捏造に協力したのが
吉良上野介の先祖
だから徳川将軍は三河吉良氏には代々頭があがなかった
田舎大名の浅野内匠頭にははなから勝ち目ない話だったというこち 鎌倉は源氏将軍が3代で絶えた
そのあとの4代目には頼朝の遠縁の摂関家九条家から将軍を迎えた
これがいわゆる摂家将軍
源氏かどうかなんて関係ない
要は頼朝の血縁かどうかが重要であった
そのあと北条氏が権力を握ると摂関家の影響力が邪魔になり追放
代わりに天皇の息子である皇族を将軍に迎えた
これが皇族将軍
今度は頼朝の血縁もなにもないお飾りの皇族を迎えた
南北朝時代にはマイナーだが後醍醐天皇の皇子の護良親王が将軍になってる コレが家康の頭の中な
藤原でないとなれないとかおかしな事言ってやがるなだ
【総力調査】
三河国主、三河守について
1184年06月:源範頼(三河守)
1191年07年:九条兼実(知行国主)
1193年08年:吉田資経(三河守)、吉田経房(初代関東申次)の孫、室に藤原範季の娘
1199年02年:吉田経房(知行国主)、初代関東申次、母の兄弟に藤原俊成(三河守)
1200年02年:藤原親輔(三河守)、藤原顕季の息、姉妹に九条兼実室
1200年03月:七条院(分国主)
1207年01月:忠輔(姓不詳)(三河守)、三河の藤姓熱田大宮司家か?
1212年12月:実茂(姓不詳)(三河守)、三河の藤姓熱田大宮司家か?
1225年01月:藤原為綱(三河守)
1227年11月:七条院(分国主)
1228年12月:藤原経季(三河守)
1229年10月:藤原範房(三河守)、藤原範季の孫、叔母は吉田資経(三河守)室、姉妹に四条隆親室、忠成王(母親は三河の藤姓熱田大宮司、藤原清季の娘)妃
1234年01年:四条隆親(知行国主)、室に足利能子(足利義氏(三河守護)の娘)
1235年01年:藤原隆朝(三河守)、藤原隆季(四条家の祖)の曾孫、息が四条房名(三河守)に養子入り
1238年10年:卜部兼直(三河守)、兄弟の孫に吉田兼好
1240年12月:葉室資頼(知行国主)、藤原顕頼(三河守、正室は藤原季範従兄弟)の5世孫
1240年12月:四条隆親(知行国主)、室に足利能子(足利義氏(三河守護)の娘)
1200年12月:四条房名(三河守)、四条隆親(三河国知行国主)の息
1241年03月:清原教隆(三河守)、九条頼嗣の侍講
1242年03年:藤原定親(三河守)
1244年08年:世良田頼氏(三河守)、室は足利義氏(三河守護)の娘)
1248年01年:四条房名(三河守)、四条隆親(三河国知行国主)の息 家康は三河の秘密を知り尽くしていた
三河に縁のある源氏や藤原がなっているだろうと
三河国主、九条兼実(知行国主)、嫡男の嫁が一条全子(坊門姫の娘)だ
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→坊門姫→一条全子 家康も関東に移封されなかったら征夷大将軍にならなかったかも この時代は世界的に政略結婚で領地を広げるのが王道だったけど、信長ってあまり国際感覚がないせいか政略結婚もあまりしてないよね。まあ浅井に裏切られたこともきいてたかな >>7
そいつの養子になって近衛をぶっ殺したら良いだろ
三色推任で戦国統一や!
なお信玄を敵に回す模様w >>19
これだな
天皇を自分の統治下に置くため天皇の譲位を迫ってた
それを救ったのが明智 織田幕府が始まっていたら今ごろ首都は滋賀県w
滋賀、京都、大阪あたりが東京、埼玉、神奈川だったんだろうね
岐阜、愛知ラインももっと違ったんだろうね
パラレルワールドに行ってみたい 征夷大将軍は足利義昭が在任中だったから解任するタイミングを図ってたんじゃないだろうか?
関白は秀吉がなるまで摂関家に限られていたので、その時点では征夷大将軍よりハードルが高かったと思うし 昔からある官位や役職に興味がなく、これから自分で作り上げる独自の身分になるつもりだったから。 >>436
本能寺で信長が逢おうとした人物がポイントだな。茶器を手に入れようとしたという点を見逃している人が多い。 任命されると言う事は天皇より下という事になるからな >>290
財政破綻寸前の明軍と、太平洋戦争で戦力温存してた人民解放軍じゃ比較できないが
毛沢東は中華民国の捕虜を全動員して旧日本軍よりも無茶苦茶な戦法で米英連合軍追い返したからw 秀吉が書状で信長を大相国(太政大臣の唐名)で呼んでたらしい
織田氏は平氏を名乗ってた
平相国(平清盛)にならって太政大臣任官するつもりだったんじゃないか >>447
討たれた数ヵ月後に従一位太政大臣が贈位されている
秀吉の手紙は信長の死後送ったもの
なる予定というかその時点ではなってるが正解 朝廷からは「関白」「太政大臣」「征夷大将軍」のどれかを選択するように
要請があったが、返答する前に、本能寺であぼーんされて、
信長自身がどうするつもりだったかは永遠の謎になったんだよ 坊主を焼き討ちするくらいだから、天皇も追い出すつもりだったんじゃないかなぁ >>452
坊主の焼き討ちぐらいどこもやってる
比叡山燃えたのも別に信長が初じゃないし 生臭坊主も将軍も放逐したが、御上には少なくとも害意はなかったようである 信長は、秀吉や家康と違って実娘が多いから摂関家を狙って藤原氏に取って代われたかもな。 >>452
この時代の寺は戦国大名クラスの戦力を持ってて、敵対勢力と抗争やってる。 >>20
信長のことをノッブっていう風潮はどっから来たん? 右大臣も半年足らずで辞めているからなあ
官位とかそういうものに無頓着だったのは間違いなさそう
まあ家督譲っていたから信忠を立てたのかも知れないけど >>460
高位の官職はなるべく早くやめてたらい回しにするのが当時のならいじゃなかったっけ? てか信長→秀吉で統一できたわけで、信長個人の版図ではデカい冠位は無理じゃね? >>463
もう時間の問題よ
>>450
それだけは断固拒否されたろ 真偽はともかく織田は平氏を名乗ってたんだから将軍はないんじゃないの? 将軍は多分ない
その当時まだ足利義昭が生きてたからね
当時の世論は将軍は足利の独占職だという認識で主流だった
家康が家系図捏造して覆したけど当時は無理 将軍だって将軍の方から信長に喧嘩を売って来たから仕方なく追放しただけ >>465
いるんだけど運がない、自分の身の回りにいない、目の前にいても認めたく無い。無い無い尽くしです。 >>398
その後も武田は松姫に新たな縁談を検討しておらず
長篠合戦の後に武田勝頼は織田との和議と再度の婚約を求めてる
しかし信長は武田の裏切りを許さなかった >>463
秀吉が関白になったときは家康さえまだ臣従してなかったんじゃなかったっけ?
関白になったからこそ諸大名に挨拶に来させられたんじゃ >>463
本能寺の変の直前の時点で
大友と島津は毛利を挟み撃ちにする予定、北条は臣従して滝川の与力に、伊達とは友好関係
上杉も武田の二の舞避ける為に降伏交渉開始していたし、各大名から臣従と所領安堵を求める使者が来ていた
後は毛利だけだった
織田なら降伏もやむなしと思っていた諸侯が、秀吉という出自の怪しい人物が後継者となったことで時間が掛かった 信長さまの目標は尾張美濃の安堵のために古い秩序を復興する事やで。
将軍も擁立して朝廷にも献金して頑張ってたらいつの間にか自分が天下人になってた。 >>474
この当時の人物で記録が残ってないなんて珍しくも無いし
名族を名乗った訳でも無く明智氏なんて美濃の豪族に過ぎんのだが >>474
幼少期どころか歴史に登場するのは田中城籠城戦まで待つ事になる。
1566年なので(生誕諸説あるが)38歳までは資料がない。 征夷大将軍については、自分は源氏でなく平氏だからなる資格が無いと言ってたらしいね。
平清盛みたく太政大臣か天皇を象徴にして新しい政治制度を考えてたのかもね。 >>3
朝廷によって征夷大将軍に推薦されてる
だから源氏云々は徳川が作った嘘 本来、本能寺の変は官位を押し付け從わせようとする公家を光秀に襲わせ粛清し、自分になびく公家で朝廷を思うがままにし自分は皇族の親代わり新しく天皇をたて背後から日本を支配する計画、本能寺の改新であった。
信忠を関白、光秀を征夷大将軍に任じ各地の大名の出方次第で敵か味方かを判断し、四方八方に戦を広め十年もしない内に天下を統一、晴れて天下人となったのであった。
信長 : と、言う夢を見たんだが、そろそろ公家館から火の手が上がるころだろうな、さてもう少しでお日様も登っから顔でも洗うかな。
あれ!?光秀の野郎間違えてこっちに来てんじゃねぇよ!? >>450
秀吉のときに初めて高いハードルを越えたんだよ
関白相論という関白職を巡る近衛家と二条家の摂関家同士の争いがあって
そこに秀吉が近衛家の猶子になって一時的に関白になるという解決策が示されて
そこで初めて藤原氏以外の血筋で関白になれたんだよ
清和源氏以外もいた征夷大将軍とは違ってハードルは高かった >>474
光秀自分で道端の石ころみたいな身分と言ってるし
細川藤孝の中間と書いてる史料もあるし土岐一族とは無関係の低い出自というのが真相じゃね 天下も取れず、部下に雑魚のように刈り取られたチンカスがなぜか英雄気取りwww 鎌倉も足利も失敗してるし、あんまり興味無かったんじゃないか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています