唐辛子の日本への伝来として、1542年にポルトガル人宣教師が豊後国の戦国大名大友義鎮(よししげ、出家後に宗麟と称す)に献上したとの記録がある(#文献記録を参照)が、諸説ある。
南蛮胡椒と呼ばれていたのはこのためであるとされる。日本に伝来した初期は食用として用いられず、観賞用や毒薬、足袋のつま先に入れて霜焼け止めとして用いられた。

3つのルートが推測されている。

1.陸路で中央アジアからシルクロードで中国西部の新疆を経て、西安にたどり着いた。
2.海路で原産地のメキシコから太平洋を横断し、フィリピン経由で大陸にたどり着いた。
3.海路でポルトガル人は植民地ゴアを拠点に東南アジア、新たに植民地にしたマカオを経て、中国南部の広東省や広西チワン族自治区あたりに上陸した。