>>582
自ら軍籍を離脱して、インドネシア軍に身を投じた人々も多かった。
その一人である熊本県出身の古閑正義中尉は、スマトラのアチエ州で
地元の青年達を「何が何でも独立を勝ち取れ」と教育していた。

昭和天皇の終戦の詔勅の中の「東亜解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ、遺憾ノ意ヲ表セザルヲ得ズ」という言葉から、
インドネシア人を見捨てて、日本に帰る気持ちにはなれず、同じ部隊の少尉4名とともに、独立軍に参加した。
戦闘に慣れないインドネシア人を率いて、常に先頭に立って、指揮をした

オランダとの独立戦争は1949年12月までの4年5ヶ月も続いた。
兵員こそ200万人もいたが、武器は日本軍から手渡された数万挺の小銃が中心である。
オランダイギリス軍は都市への無差別爆撃なども行い、80万人もの犠牲者、1千万人を超える負傷者が出たと言われる。
インドを始めとするアジア諸国がオランダを非難し、国連安保理事会笑や米国議会笑も撤兵勧告を行った。
全世界の世論に押されてオランダは再植民地化を諦めたのである。