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しかし、オランダは諦めず、
1947年7月に戦車、飛行機、機関銃で武装した部隊約10万人を投入して、大規模な攻撃に出た。
インドネシア共和国軍は兵員こそ2百万人もいたが、
武器は日本軍から秘密裏に渡された小銃4万丁ほどに過ぎず、大半の兵士は竹槍を手に立ち向かった。
オランダ軍は瞬く間にジャワの大部分と、スマトラ油田地帯を含む産業地帯を占領した。

オランダの「侵略戦争」は世界中の非難を浴び
国連安保理も「オランダの敵対行動の即時停止」と「平和的手段での解決」を謳った決議案を採択した。



オランダは、この決議案を受け入れて、停戦に応じるかと見せかけたが、占領地域からの軍隊撤退は拒否した。
外交交渉が乗り上げ、局地的戦闘が続く中、
1948年12月20日、オランダは空挺部隊による第二次攻撃を開始。

オランダとの独立戦争では、日本軍人数千人が戦後も現地に残ってインドネシア軍とともに戦った。
そのなかには、インドネシア国立英雄墓地に祀られている人々もいる。