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◆私のマッカーサー観   村田良平氏

マッカーサーは、自分より偉い人間はいないと確信していた一種の異常人だった。

早くも1945年9月に、本間雅晴中将に戦争犯罪人として出頭を命じ、
実質僅か一ヶ月余の裁判で2月11日(旧紀元節)死刑の判決を下し
4月3日という旧・神武天皇祭でかつ日本軍のパターン総攻撃の日に銃殺したことは、私怨を晴らしたこと以外の何ものでもない。

山下奉文大将の降伏調印式にパーシバル(シンガポールで山下将軍に降伏した英国将軍)と
ウェンライト(マッカーサーの比島脱出後戦いを続けコレヒドール島戦で降伏)を立会せ
山下将軍に対する最低限の名誉を保つ銃殺ではなく絞首刑を12月7日という開戦記念日に言い渡し
翌年2月23日に処刑を執行した(日本人戦犯の最初の死刑)