いまこそ振り返るべき“首相選出のジンクス” 「ナンバー2昇格に成功なし」 「長期政権後は反主流派が偉業」


> 戦後政治を振り返ると、これまでも菅さんのように政権を陰で支えていた人物が、政治状況が予想外に一変したために、いきなり首相に就任したケースがいくつかありました。

> たとえば、1974年に田中角栄首相が金権スキャンダルで急遽、辞任に追い込まれたときには、「クリーンさ」が評価されて白羽の矢が立った三木武夫首相(直前まで副総理)。
> 1980年の大平正芳首相の急死をうけて発足した鈴木善幸内閣(同・党総務会長)もそうでした。
> さらにはリクルート事件が発覚後、1989年に竹下登首相の後を担った宇野宗佑首相(同・外務大臣)、2000年には小渕恵三首相の急病を受けて就任した森喜朗首相(同・党幹事長)も同様です。

> ところが、こうした将来の総理候補とは誰も見ていなかった“番頭出身者”の政権は、これまでのところ、結果として軒並み混乱や悲劇を生んでいます。

> 三木内閣はロッキード事件の余波を鎮められず政界の大混乱を招きましたし、鈴木首相は日米同盟について「軍事同盟ではない」と発言したことなどで、日米関係が著しく悪化しました。
> 宇野首相は女性問題でわずか69日しか在任せず、天安門事件や冷戦終焉という世界情勢の激動の中で、日本という国の進路に多大な悪影響を与えました。

> 森政権も成立から終焉まで危うい「低空飛行」が続いたのは記憶に新しいところです。
> しかもその間、「加藤の乱」という自民党の大きな内紛も起きました。少なくとも、こうした歴史を紐解いてみると、「菅政権」の未来に不吉な影が射しているようにも見えます。