【画像あり】 ニュー速にアイヌクオーターが光臨wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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先住民と全然ちがうな
829 名前:イリオモテヤマネコ(北海道) [CN][sage] 投稿日:2020/07/08(水) 23:43:03.75 ID:KtXAQ8BA0 [8/8]
俺のおふくろはハーフで今は80才
若い時はこんな感じだ
まぶた、耳たぶ
血を受け継いでると思う
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1594159803/829
エミシが和と同化し、エミシの言語をアイヌが継いでるなら、
和人とアイヌは共通の祖先をもつというだけに過ぎないw
形質の違いは混血頻度の違いでしかないw
ルーツを限定するものではないw 親戚で北海道の真ん中の辺の人いるけど顔濃くて毛深い
アイヌも入ってるって言ってたけど毛深い遺伝子ってそんなに濃いもん? >>45
大陸から来たのもいるし、海流乗って来たのもいるしね 生体計測値からみた日本列島の地域性(NHKスペシャル日本人はるかな旅・多賀谷昭)
分析には多変量解析法の一つである多重判別分析という方法を使った。地域差は第1軸(横軸)によく現れており、北海道(アイヌと混血アイヌ)と奄美・沖縄が最も左に、近畿と中国地方東部が最も右に位置して両極をなしている。
他の地方はその間に位置するが、南九州、北陸・奥羽地方は奄美・沖縄と北海道に比較的近く、南関東と東海は近畿・東中国に近く、それ以外は中間的である。
このような地域差は、何を意味するのであろうか。自然環境の影響によってこれを説明することは難しい。
なぜならば、日本列島の自然環境は、気温、日射量、植生など大部分の項目で南北方向の傾斜を示すのに対して、
生体計測値の分析の結果明らかになった地域性は、近畿地方を中心とする同心円に近い様相を呈するからである。
先に述べた近畿人の特徴は、朝鮮半島や中国大陸に現在住んでいる人びとの特徴とおおむね一致しており、一方、骨の研究からアイヌは縄文人の子孫にほぼ間違いないとされている。
これらのことから、日本人の身体的特徴にみられる地域的多様性のおもな源は、朝鮮半島あるいは中国大陸からの渡来人であり、その遺伝的影響が地域によって異なっているためであると考えるのが自然であろう。
すなわち、アイヌをはじめ図1で左の方に来る沖縄・奄美・南九州・奥羽・北陸などの地域の集団は、縄文人の特徴をより多く残しており、
右の方に来る東中国から近畿、東海を経て南関東に至る地域の集団は渡来人の影響をより強く受けていると考えられる。 喜田貞吉の日本民族概念が大体正しかったな
戦前の研究でこれだけ核心をついたのはすごい
https://i.imgur.com/jwYo8BL.png
漢民族=O2
弥生式民族=O1 (倭人・朝鮮人)
縄文式民族=D1 (蝦夷・アイヌ) >>118
エミシがアイヌなのではなく、アイヌがエミシの系統なのだ
意味合いを操作するなよカス野郎 隼人の系譜―南九州の地域性 池田次郎
熊本県の球磨川と宮崎県の一ツ瀬川を結ぶ線から南には、この地域独自の地下式横穴墓と地下式板石積石室墓が濃密に分布している。
地下式横穴墓は、宮崎県南部から大隅半島北部を中心に広がっている。それに対して地下式板石積石室の分布域は鹿児島県北部・熊本県南部・宮崎県内陸部におよんでいる。
地下式横穴墓がさかんに造営されたのは五〜八世紀である。地下式板石積石室墓が造られた時期は四〜六世紀後半である。
このように地域色豊かな墓には、隼人とよばれていた人たちが葬られたといわれている。隼人はその居住地域によって日向隼人・大隅隼人・阿多隼人・薩摩隼人・甑隼人とよびわけられている。
宮崎県の地下式横穴墓から出土した在来系古墳人は 、鼻根部の隆起が強く、大腿骨の柱状性が強いなど、縄文人的特長がいちじるしく強い。
南九州にいまでも残っている畑作儀礼や狩猟儀礼からみて、焼畑農耕と狩猟で暮らす隼人は、縄文人的な頭蓋と四肢骨をもつこれらの古墳人につながる人たちだったにちがいない。
話を肥人に移そう。水野祐はこの異族を西九州の漁労民にあてている。資料の大半が熊本県の箱式石棺墓から出ている西九州の古墳人は、底顔という点では南九州古墳人をしのぎ、大腿骨骨体の柱状性も強いなど、
その特徴は南九州古墳人によく似ている。肥人は西北九州の漁労民と深い関わりをもつ異族だといわれているから、在来系の特徴をもつ西北九州弥生人は、肥人につながる人たちだったのかもしれない。
形態的に近い西九州古墳人にもみられない南九州古墳人の特異性は、現代でもこの地域は本土日本人の中で、もっとも異色な存在となっている。
では、隼人までたどれる南九州人の地域性は、どのようにして形成されたのだろうか。日向の海幸山幸神話、隼人の盾・槍などの類似から、隼人はオーストロネシア系の種族だという解釈が古くから有力である。
おそらく更新世に遡る時代から南島経由で人的文化的影響がおよんでいた可能性がある。民俗学者の大林太良も、隼人の言語はオーストロネシア語族の流れをうけたものと想定されると述べている。
この地域の人々が中央政府からの圧力に頑強に抵抗し続け、体質面でも現代に至るかなり強い地方色を遺したのは、
彼らが長年に渡って育んできたそうした独自性の強い文化が、流入する他文化と激しい摩擦を起こして容易には同化し得ない土壌を形成していたことが一役かったのであろう。 日本の歴史 簡単まとめ 小学生用
・毛人と言われる毛むくじゃらの人達が日本列島に住んでいました
・朝鮮半島からブサイクなのっぺり顔の弥生人がやってきました
・毛人は北海道の僻地に追いやられ、日本列島はのっぺり顔の弥生人に支配されました
結論 日本人1億総在日コリアンだった ・倭国大乱 → 畿内の縄文系を抹殺
・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力を抹殺
・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力を抹殺
・北海道への和人大量入植 → 最後の縄文勢力を民族浄化
が、大まかな流れか そのあほな前提なら本土人に縄文人のDNAが見られることはない ほんの3000年前まで日本人みんな毛むくじゃらのアイヌ系だった
知らないうちに、皆のっぺり顔のチョン系になっちゃった
とりわけヤバいのが「朝鮮耳」「一重」「出っ歯」「絶壁」「薄い体毛」「カサカサ耳垢」の形質をもつ人達です 普通に本土にもアイヌ集落はある
地名とかでアイヌ集落だってわかる
そこに住んでる人たちは今のメディアに出てる
アイヌの人たちとは特徴が全然違うけど >>127
だからそれはエミシだろ
アイヌがエミシの文化に乗っかっただけであって、「アイヌの集落」ではない みなさんお気づきでしょうが日本史は北部九州に端を発します
そこから東征して化外のバケモノ (毛人=アイヌ) を退治しにいくお話です
稲作も北部九州から始まりました
なぜか?地図をみればわかります
南朝鮮から来た者たちが日本書紀を編纂したのです
https://www.kyushujourneys.com/wp-content/uploads/2017/12/kyushu-asia-japan-map.jpg >>131-132
馬鹿かおまえはw
その理屈だと「弥生系と縄文系の混血の古代日本人」が古代は朝鮮南部と北九州一帯を支配してた話にしかならんw
しかも古代日本人は現朝鮮人とイコールではないのはDNA解析でわかっている 「征夷大将軍」ってのが肝心の部分をボカして伝えてるよな
「東北アイヌ大虐殺マン 坂上田村麻呂 (漢系朝鮮人)」に表記を改めるべき やっぱり子供のころの名前はウンコとかチンコとか酷い名前を付けられてたんだろうか ×「進出して行きました」
○「侵略して行きました」
>北部九州に先進文化の花を咲かせた渡来人たちは、時には紛争に明け暮れながらも急速にその人口を増やし、中国地方から近畿、あるいはさらに東へと進出して行きました。我々現代日本人の体には、その渡来人達の遺伝子が確実に入り込んでいる、というのが弥生人研究からもたらされた現在の結論です。
弥生人・縄文人のスカル
http://www.city.chikushino.fukuoka.jp/furusato/5101.jpg >>140
で、何が言いたいの?
ホルホルしたいだけなの?
だとしたらそれは筋違いというもんだよ。
半島はただの通り道だったんだから。 大昔から在日特権あったみたいだね
【引用】
>(674年)の百済王昌成への贈位、(685年)の百済僧常輝への封戸30戸など、百済人への恩典は多い[62]。
>朝鮮半島から帰化した人には(672年)から(681年)まで課税を免除し、10年後には入国時に子供だった者にも免除を広げた。 桓武天皇
母ちゃんが百済人の在日コリアン
京都に平安京とかいう中国のパクリ都市を築く
同じく渡来系の坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命して、東北の蝦夷(=アイヌ・土着日本人)を大虐殺・奴隷化
これ君たちのヒーロー? >>4
口の周りに刺青したら確かにアイヌの女性っぽいかな >>132
そうかもしれない
やはり朝鮮半島は日本に返すべきだな 茨城県民ってアイヌに対して罪悪感とかないの?
そこ2000年前までアイヌの地だったんだけど?
>黒坂命(=朝鮮人)
>「常陸国風土記(ひたちのくにふどき)」にみえる武人。
>茨城郡の語源伝承によれば,茨蕀をもって土着先住民の国巣(栖)(くず)(=アイヌ)をほろぼしたという。
>信太郡名の由来を記す同書逸文では,陸奥の蝦夷(=アイヌ)を討ったとつたえる。 長脛彦のアイヌ語本名はイシキリさん
>石切剣箭神社
>神社の公式な見解には無いが、「石切さんは長髄彦と深いかかわりがある。」「石切さんには長髄彦がお祀りしてある。」等の口伝があるという[2]。
>進藤は「石切」の音を i-si-kir・i と分解しアイヌ語で解釈することで、「長髄彦」と訳出可能であることを指摘する[3]。
>同じ結論を大山元も指摘しており、「石切」 i-si-kiri はアイヌ語で「その・長い・彼の足」の意味になるという[4]。 茨城県の名前の由来 = アイヌ虐殺
>古老の話では、その昔、このあたりには朝廷の命に従わない土着の民がいました。
>その者たちは、野の佐伯とか山の佐伯と呼ばれていて、山や野に穴をほって住んでいました。
>人が来ると隠れて、いなくなると外に出て遊ぶ。
>そんな生活をしながら、ときに人のものを盗んだり乱暴なことをしました。
>佐伯はずる賢くて人の話を聞かなかったので、土地の人からとても嫌われていました。
>そこで、大臣の一族である黒坂命が朝廷から派遣されました。
>黒坂命は、佐伯が外に出ている隙に穴の出入り口を茨の枝で塞ぎ、兵士たちに馬を使わせて佐伯を奇襲しました。
>佐伯はすぐに穴に逃げ帰りましたが、慌てていたので茨が体中に突き刺さり、傷だらけになったものや死んでしまったものがいました。
>ぼろぼろになった佐伯は散り散りになって、土地からいなくなりました。
>この地は茨によって佐伯を退治したことから、県の名称にしたといいます。 ヤマトタケルの東国平定って
ようするに
関西の弥生勢力(=在コリ)が
関東の縄文勢力(=アイヌ)をブチ殺したんだろ? 日本人って朝鮮人だったんだね、アイヌが日本人なんだ… 日本史って要するに、西日本からきた弥生勢力(=在コリ)が
『東征』などと勝手な大義名分掲げて、土着の毛人(=アイヌ)さんたちを大量殺害する話だからね
東日本、とくに東北に住んでる者ほど、日本史の矛盾に強烈な違和感を覚えるはず
菅氏は秋田県にルーツがあるから親アイヌ派になったのです >>84
田村麻呂が朝鮮人説捏造する為に、
通名田村、通名坂上が「DNA検査受けたニダ」って、
どんだけ信頼できるんだよwwww 少なくとも弥生時代に、
半島に「自発的に黒潮を乗り越えて日本海を渡航できる船」は存在していない。
半島に渡った日本人が連れてこないと、来れなかったのは技術的に明らか。
渡来人比率としては、中国人9に対して半島人は1だぞ。 本物のアイヌは彫りの深い西洋人のような顔立ちをしてるんだよ。
西洋人とのハーフっぽい顔立ち。 【重要】
佐藤など、名字に「藤」が入ってる人達は高確率でO系です
>日本人の中で一番多い姓と言われ、東北地方にその大多数が存在する佐藤氏(Sato clan)の男性のY染色体ハプログループを解析した結果、
>その殆どがハプログループO1b2(O-P49)の系統に属することが明らかとなった(注1)(注2)。
>佐藤氏は、近江国(現 滋賀県)三上の山の大百足を退治言われる藤原秀郷(Hidesato fujiwara)の末裔で、後に陸奥国信夫郡に移住した奥州佐藤氏が最も繁栄したと言われる。
>源平合戦の際に源義経の郎党として佐藤継信(Tsugunobu Sato)・佐藤忠信(Tadanobu Sato)の兄弟が活躍したことにより大いに武名が天下に轟いた。
>佐藤忠信の子孫としては、第61代-63代・内閣総理大臣を歴任し、アジアで初めて「ノーベル平和賞」を受賞した佐藤栄作が著名(注3)。 >>158
そもそもパヨちゃんが弥生人()は半島由来とする根拠の稲作にしても、
半島は日本統治になるまでクソ臭い陸稲米のコーリャンが中心。
日本の稲作は華南由来の水稲米で、半島伝来は否定されてるwww ネトウヨあるあるイキマ〜すw
「縄文と弥生は仲良く混血したんだおぉぉぉ!」
「朝鮮南部はじつは和人が支配してたんだおぉぉぉ!」
「稲作はじつは日本が先に始めたんだおぉぉぉ!」
「今いるのはザイヌなんだおぉぉぉ!」
「アイヌ教会はエベンキ在日朝鮮人に乗っ取られたんだおぉぉぉ!」
「日本人が縄文人の末裔なんだおぉぉぉ!ザイヌはエベンキなんだおぉぉぉ!」
この顔で再生してくださいね
土井ヶ浜弥生人
http://www.iokikai.or.jp/doigahama161.jpg
皇族の血を引く男 竹田恒泰(朝鮮耳)
「アイヌは北海道の先住民ではなかった。北海道に日本人より前の先住民なんていない。」
http://www.takenoma.com/wp-content/uploads/c.jpg ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています