そろそろ8月だし、おまえらが身内や知人から聞いた戦争体験でも書いてけ
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8月14日にNHK・BSプレミアムで放送される“ドラマ×マンガ”『あとかたの街 12歳の少女が見た戦争〜』(後9:59〜10:58)のマンガパートを担う声優が発表された。
同番組は、1人の女性マンガ家が、当時12歳だった母親の戦争体験を作品として完成させるまでの日々を描くもの。主人公のモデルは、日本漫画家協会賞コミック部門大賞を受賞した『あとかたの街』の著者・おざわゆき氏。
そのマンガを随所に織り交ぜながら進行する新感覚のドラマ。
主人公の少女・あいの声は花澤香菜。あいが思いを寄せる男の子・洋三役は花江夏樹。あいの親友・花役は早見沙織が務める。
ドラマパートは、マンガ家・おざわゆき役を木村多江、編集者・佐藤役を桐山漣、母・あい役を吉行和子が演じる。
https://www.chunichi.co.jp/article/97595/ シベリアに連れてかれて真冬に黒パンと塩湯だけで木こりやらされて
最初の1年で30人いた部隊がじいちゃん一人に。
同じ様な残り物だけ集めた部隊が作られて、増えたり減ったりしながら
ちょっとずつ西に移送されて最後はカスピ海の見える街でダモイになった。
その間なんと9年!
最後の方は柵も見張りも無くなって普通の労働者と変わらなかったらしい そんなじいちゃんの子孫もまた過酷な環境に適応できる異能者であった じいさんの弟は、陸軍士官学校出て、満州に行っていた。
終戦で本土から「武装解除して帰国せよ。」との命令が来るも納得できず、有志で隣の基地まで300km移動して再起を呼びかけるも司令官に説得され泣く泣く基地に戻り、
帰国の準備をしていたらソ連侵攻の報を受け、基地司令から「最低限の護身用武器(日本刀と拳銃)を持ち、日本へ帰る民間人の後衛に付け。」との命令で満州を大移動。
いよいよ、ソ連軍に包囲され、投降したが、ソ連兵は学もなく「日本刀には魔法が宿る」と信じており日本刀だけは最後まで持たせてくれたと言っていた。
シベリアで3年抑留され、この時、瀬島龍三にかわいがってもらったそうだ、シベリアでは、かつての部下が毎晩「いかに共産主義が素晴らしいか」を講義しにくるのが、見ていて辛かったと言っていた。
帰国後は夜間大学に入り直して、司法試験を受けて法曹界で働いた。左派の多い業界にありながら「靖国の会会長」などを務めていた。
「ソ連が満州でやったことは絶対に許さない。何歳になっても、日本がソ連とやりあうことがあれば、絶対に行く。」と言っていた。ソ連崩壊は敗戦と同じくらいショックだったとも言っていた。 >>851
父の叔父がシベリア抑留者で、父が叔父から聞いた話なんだけど。生の玉ねぎを一つ渡されるらしい。それを食べると体がカッカして熱くなり寒さを乗り越えられたらしい。躊躇なく生玉ねぎを食べられるような人が生き残ったんだって。 >>787
母方の実家の仏壇の位牌は戦死した祖父さん32歳
ばあちゃん84歳でなんか切なくなるわ 俺の親父は、内地に居ると危ないと終戦の年の六月に、長男の兄貴に呼ばれて満州に渡ったそうだ。 >>850
うん。
近所の人「市内が地獄になってるみたいじゃて。爆弾が落ちてきたんじゃと」
義理父「母ちゃん、〇〇(子ども4人)が市内にいるじゃろ?行ってくる。家は頼んだ。」
義理「芋を栽培しとったから蒸した芋をぎょうさん持って歩いて市内に向かったんじゃわ。
父が出かけた数時間後、」
近所の人「市内は駄目じゃ。ほんまの地獄じゃて。水がない。水をくれ!
そればっかりで地獄のような暑さじゃ。行ったらだめじゃ!」
義理「2日ったても父は帰って来なかったわ。(行ってる途中で死んだんじゃけど。)
兄弟が総出で市内に探しに行くってことになってのぉ。」 今は亡きじいちゃん、満州で大暴れ
大陸打通作戦で最初から最後まで最前線で戦い抜いて無事生還
母方のじいちゃんは船坂ニキと一緒にアンガウルで戦って捕虜となって無事生還
一方のワイ、無能陰キャ 朝鮮からの引き揚げ船が出航する釜山までの列車を、アメリカ軍が護衛してくれたらしい
なんでも朝鮮人が日本人の荷物を盗もうと列車を襲ってくるからだとか 引き揚げ船にはコレラやマラリアに罹ってシラミだらけの
傷病兵とも見紛う兵隊さんがいっぱい乗って帰ってきた。
空港では汚れ一つない真白な制服の士官が降りてきた。
軍令部の人たちは別格扱い。 >>861
うちの田舎の隣の島の人が満州が出来たての頃賊に襲われた時に
探しに来た軍人に日本人ここにありって言って義人扱いされたらしい 爺ちゃんが亡くなって数十年後に皇居内で警護をしていたという話を聞いた カーチャン('A`)は学童疎開先の塩山で食べ物なくて飢餓状態だったらしい
アフリカの子みたいにお腹だけぽこんって出てたのよ
って言ってたなあ じーさんが戦争経験者だったが
あまり話したがらなかったな >>867
近衛師団てのかね、父方の祖母の家は名家で近衛兵を出したことが自慢だったげな
祖父の方は真逆つうか妾出だったからいろいろ揉めたそうで シベリア送りの10年はきつかったと
後は俺の事を見て「シベリアで一緒だったポン友にそっくり」って言われた
そのポン友は更に5年かかって帰って来てたらしく、平成に入ってから偶然にも東京で有ったと
何か、厚生労働省の関連団体のお偉いさんやってるって >>805
じいちゃん、重い物を背負って生きて来たんだな もっとおじいちゃんにいろいろ聞いておけば良かった
お酒好きなおじいちゃんが満州で「チャンチュウ」ちゅう酒が美味かったのう!っていつも言ってた
どんなお酒なのか今となっては聞けない
今もあるのかも分からない
満州、台湾、釜山などに赴任していました 父方は戦時中は朝鮮にいて引き上げの時に父の弟は圧死したと聞いた。
母方祖父は太平洋戦争の時は国鉄職員だったので徴兵されてなかったと思いこんでたら昨年親戚が祖父兄弟が親戚の父親宛てに出した手紙が出てきたと見せてくれたんだけど、丁度南京事件位の時期に兵隊で行ってたのを知った。
当時の軍事紙幣?なのもあって色々衝撃を受けた。 >>399
シカトされてて草 実社会でもそうなんだろうな チョンだけは信用するな優しくするな裏切られるぞ見かけたら近寄るな >>869
同じく
なのに子供のおれは聞きたがりで困らせてたわ
じいちゃん人生で死にそうになったのが3回あったけど戦争中は1回
帰って来てから2回
戦後もなかなか大変だったんだなぁ >>94
パイロット訓練を受けた人の多くが、戦後、JALで機長として活躍したんだよね。123便の機長も軍上がりだったし。
テレビで農家の長男だったからJALに行かずに田舎へ帰って農家やって後悔してるとかいう人が出てた。 >>855
最初の年に余りにも死なせすぎたせいかソ連にも余裕が
出てきたせいか分からないけど年を経る毎に飯はマシになり
仕事もシベリアから中央アジアに移ったから木こりから逃れて
家建てたり道路舗装したりイモ掘ったりパン焼いたり色々
やったってさ。兵隊に取られる前は漁師で網の繕いができたから
最後にいた街ではこっそりバイトしてノルマの倍ぐらい缶詰とか
タバコ貰ったし女にもモテたって言ってた 年々、被爆者や戦争体験者たちの話は内容がでかくなるばかり 戦争中、日本は韓国から9000万人強制連行し
韓国の豊富な資源や農作物を略奪した
大和も零戦も強制連行した韓国人が設計した
日本人が知らない隠された歴史
豆な >>880
適応力が凄くて、たぶんどんな環境でもやっていける人だね。ひょっとしたらこちらの親戚とも会っていたかもしれないね。たくましいわ 一方、戦中の話を盛って話すのがいるのも事実でなぁ。嘘が見極められないと話聞けない うちのひいひいじいちゃんは太平洋戦争時は前線に行っていたらしい
地雷で片足と指を吹っ飛ばされて帰って来たんだと
戦後の方はよく聞くけど戦中の話はしてくれない 父からの又聞きだけどシベリア抑留者がロシア兵から刑を受けた時は木に縛られたらしい
朝になると死んでしまってお辞儀をした格好になるからそれをナントカ(忘れちゃった)刑って言ってた
ナントカの部分が思い出せない 食べるものがない時は人を食べたとか、靴を焼いて食べたみたいなことは聞いた >>882
してないんだよなあ、寧ろ一番安全な場所。 じいちゃんは、日中戦争で乗ってた船がやられて海に投げ出されたんだと。
で、軍服や武器は天皇からお借りしてるものだから捨てられなくて海に沈んでいった人が沢山いる中
じいちゃんは躊躇なく捨てて岸まで泳いだらしい。
じいちゃんよく武勇伝で語ってたけど話はそこまでだった。
じいちゃんが生きてるうちに聞けばよかったな。
フルチンで上陸してからどうしたのか。 >>47 南京大虐殺はどこまで事実か知らんが。第一次世界大戦で、英国軍は、陸軍に徴兵された人の4割は実戦で弾を一発も撃たないで死んでいったらしい。部隊によるだろうけど。普通の人はそんな感じだと思う。 >>453 今の若者と高齢化社会見てると日本は終わりだと思う。日はまた昇らない。 爺さんラオスまでいったけど、帰ってくるまで1年くらいかかったらしい。
戦友はどんどん死んでくし、つらかったろうな。 >>895
バンドオブブラザーズみて
第一話 空挺師団の猛訓練
第二話 空輸中に対空砲で撃たれて何しないうちに戦死
って流れがみてて気の毒すぎる 爺さんは艦に乗ってたけど兎に角イジメがすごかったって 8月9日、ばっちゃと親父が満員のチンチン電車に乗れず、
稲佐橋を歩いてたら爆風で呉服屋だか反物屋の店内に振っ飛ばされたと聞く
乗れなかった電車に乗れていたら確実に死んでたらしい
毎年参列してる祈念式典、今年の参列はどうしようかな >>19
祖父母の代までサハリンにいてじいちゃんロシア語もペラペラだったから通信官?だったみたいで戦後ひきあげ農家になりプライドズタズタで酒乱になり人が離れていき事故で死んだという地獄の話を聞いたわ 満洲人
とても優しかった
ソ連兵からかくまってくれた
日本人に食糧を要求してきた
ソ連兵が攻めてくると寝返って日本人を殺した
↑↑
満洲人はなんでこんなに評価が別れるの? >>903
頼るつてのない引き揚げ者が押し込められる山間の開拓地みたいなとこかな?
うちの祖父母も樺太からの引き上げ組で青森の山中の森に住まわされて苦労したみたい >>882
9000万て日本の当時の総人口より多いだろ >>904
五族共和
多民族国家だろ
単に満州人でくくれないよ >>904
それまでの本人の態度がそうさせたんでしょ。 >>371
無能な職業軍人のせいで大勢の日本人が戦争の犠牲になり
戦後もそいつらの体罰教育の犠牲になっているのか 無能なのはそれを許した当時日本に生きてた有権者全員ですよ
それは今もそう
選挙の棄権=政策に賛成なの >>911
川藤の高校時代の野球部監督がまさにそれ
夏休み、実家に帰っていた川藤が
前日の嵐で国鉄が不通なので高校に戻れなくなったことを
監督に電話したら「歩いて帰ってこい」と言われて
仕方なく朝3時に実家を出発してお昼頃についた
結局、その日の午後からの練習に出たのは川藤一人で
他のヤツは死ぬほどしごかれたそうな >>916
その監督
川藤がめっちゃ愛おしくてシゴキまくったんだろなw 最近じいちゃんの兄さんの遺留品がアメリカから返還されたわ
フィリピンで戦死した際の所持品で、国旗に武運長久と近所の人の名が寄書きされてた >>872
じいちゃん曰く、食料現地調達した時に敵戦闘機が機関銃撃ってきた事があったそうで。偶々近くに身を隠せる茂みがあったから助かったが、逃げ遅れた同僚は腕、足、胴体を撃たれて死んだそうだ。その時の同僚の姿は頭にずっと残ってるってさ じいちゃんが満州に行った時のアルバムみたいな物がある。
おそらく兵隊で行った人達に後から配られたのかな?
行進や飯時とかの写真が多い。 >>912
ああそうそれだありがとう。凄惨だよね… >>230
もしかしてその爺さんの怪我って首から顎にかけて銃で撃たれたとかじゃない? うちの爺さんと数人は死んだふりして隠れてて生き延びたって聞いて軽蔑したわ
それ以外の戦友はみんな突撃して死んだらしい >>926
爺さん死んでたらアンタこの世におらんのやで? 家の近所にB-29が落ちて、みんなで石を投げてやったわって、昔の職場のババアが話してた。 大昔ケンモキッズやったワイは近所に住む飛行機のりのじいちゃんの話を聞いた事があった
雷電は後ろからみるとおにぎりだかおむすびだかに
みえたのでそのまんまで呼んでた、とか一式陸攻は
胴体がまるで葉巻なのでそう呼んでたとかビミョーに勇ましくないエピソードばかり聞いたなw
昭和18年に召集されて零戦とか乗ってたそうな
内地の防空飛行隊?サンマル某とかに配属されてた
らしく南方へは逝ってないので助かったとも逝ってた
でも戦争が続いてたら特攻隊に行かされてたかもな、とも逝ってた
敵機を何機撃墜したの?とか聞いたら誤魔化すように沢山落とした、とか逝ってたけど子供心でもこれ以上追求はしないでおこうと思った事だけはケンモジになった今でも鮮明に覚えているw 爺さんが支那事変で脚撃たれて帰ってきたとかそれぐらいだな
父親からは、農家だったので食べる事に関しては問題無かったと聞かされてる 婆ちゃんの男兄弟が水兵で、
レイテ湾の話を婆ちゃんから聞いた
水平線から物凄い数の敵機が雲の様に湧き出てきて
乗っていた巡洋艦?だかが沈み、海に飛び込み
重油を沢山飲んでしまったらしい
その駆逐艦も沈み、
しばらく海を漂って、
救助の駆逐艦に助けられたらしい 爺ちゃんがいた国は反陽子爆弾一発で勝敗がついたそうだ。 爺ちゃんが鉄道工兵で、
遺品整理してたら
ノモンハンの時の工兵隊VSソ連軽戦車隊の
戦闘絵図が出てきた、
爆薬使って肉薄攻撃した図
結構貴重だと思うが じーさんは戦争に行かず名古屋の三菱で働いてた
零戦でも作ってたか >>859
まとめて書けよ
勿体ぶって小出しにしてウザすぎる
しかも文章ヘタで面白くないし 伯父が戦死してる
お婆ちゃんは超嘆いて大変だったそうだ >>19
うちの爺さんは輜重兵で兵舎建てたりトイレやキッチン作ったりしてたらしい。
鉄砲持ったのは出発前の訓練でおしまい。 >>859
続き気になります
義理父さん亡くなったんですね… >>331
村の男が軒並み戦地に行き、オトコ日照りが続いた女性たちがなんでか校長に手懐けられて妊娠出産。戻った夫たちが校長に似た子供たちがそれぞれいた事に驚いたらしい。
それも20近くの世帯で起こったって死んだじいさんが言っていた。 >>712
うちの母親も買ってた犬を朝鮮人に食われた
赤肉で美味かった言われたらしいわ
東十条な。
多いんだわ、今でも朝鮮人が 満州はロシア軍のレイプは日常、女を連れ去って奴隷にしてたと
当時現場にいた今は亡き祖母から聞いた もうすぐこのスレ終わっちゃうね。
貴重な話が聞けたし、こういう体験談を聞けるのもだんだん少なくなってくるし、たまにはこういうスレ作って欲しいな。
自分の携帯からは何故かスレ立て出来ないし...
色んな話、勉強になりました。
ありがとうございました! >>942
状況が理解できないんだけど
ペットの犬が朝鮮人に殺されて食われて
さらに美味かったと言われたの?
お袋さんは黙ってたの? >>946
戦中、戦後は飼い犬の盗難がけっこうあったってよ
俺の婆さんもチョンに犬盗られて食われたって言ってた
文句言おうもんなら暴力で返すからなあいつらは >>946
5〜6歳の小さい子供の頃のおふくろに
狂暴な朝鮮人の大人集団相手に何ができるのか・・・
そのころ、じいちゃんは戦地行ってるし
ばあちゃんはどうしてたか知らんが
2つ上のお兄ちゃんと怒って大泣きしたらしい
だから、うちの母親は強烈に朝鮮人が大っ嫌いだったわ
俺がガキの頃から何回も犬見るたびにこの話聞かされたからな。
って、まだ生きてるがなww 嘘つきで犬食いチョン潰してやりたいな。
俺の職場にもチョンオヤジが一匹居るけど、嘘つきだし、仕事はサボるし、ちょっと気に食わない事があると、上司にでも食ってかかる癖が悪いバカチョン。
こっちからケンカを売る訳にもいかないから、向こうからふっかけてくるのを待ってる。
絶対にチョンには負けない!! 首を斬り落とす時は血が吹き出るので、斬ると同時に一歩下がる。
帰りの船で現金を渡されたが、国の為、当然の務めを果たしたまでなので、受け取らなかった。
剣道のおじいちゃん先生が言ってたな。
団塊世代の親父は、こんな戦中派が上司だったんだから大変だっただろうな。
いまどきのパワハラなんて当時と比べれば大したことないかも。 >>947
暴力で来るなら、より激しい暴力で対応すればいい
関東大震災の時に日本人が自警団を作って朝鮮人の犯罪を抑えたように
何で泣き寝入りを当然の様に言ってるのか レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。